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更新が遅くなってしまい、申し訳ありません。

前話までにブクマ・評価をして下さった皆様、ありがとうございます。

 数か月ぶりに戻った王宮は、出る時と変わらない空気に包まれていた。

 ソレイユで起こったことは、やはり大々的には伝わってないらしい。

 あまり使われていない道を通り、自分の住処に戻れば、リディが真っ先に気付いてやって来た。

「お帰りなさいませ、ニナ様」

「ただいま。変わりはなかった?」

「はい」

「そう、よかった。少しはのんびりできた?」

 元々、自分のことは自分でやることが多いんだけど、ここにいる使用人の数は少ないから、一人一人の仕事量はそんなに少なくない。

 私がいない間は部屋の掃除とかは偶にでいいと言っておいたし、少しは羽を伸ばせたかと思ったんだけど、リディは苦笑しながら首を横に振った。

「いつもよりもすべきことは減ったとはいえ、ニナ様がいらっしゃらないのでは私達も張り合いがありません。何か物足りず、気持ちの上ではとてものんびりなどできませんでした」

「皆、生真面目すぎたか……」

 王宮で雇われるくらいだから、基本的に真面目な人が多いのかもしれない。

「長旅でお疲れでしょう。お茶の用意を致しましょうか?」

「ううん。お茶はフェガロ邸でもらってきたからいいよ。夕食までゆっくりしてて」

 そう言って自分の部屋へと歩き出すと、リディが後ろからついて来る。

「ニナ様、陛下への謁見ですが……」

「あ、そうか」

 着替えようと思って部屋に行こうとしたけど、父の所に行かないといけないならこの格好のままの方がいい。

「いつ行っていいかとか聞いてる? 着替える前に行こうと思うんだけど」

「確認して参ります」

「ごめん。ありがとう」


 それからしばらくして、父の執務室に呼ばれた。行きもそうだったけど、今回も非公式の謁見だ。

 部屋に入ると既に人払いがされていて、中には父一人しかいなかった。

 非公式といっても相手は王だ。私は数歩前に進み出て丁寧に礼をした。

「ニナ・スキアー、ただいまソレイユ国より帰還致しました」

 そのまま畏まるように俯き加減で父の言葉を待つ。

「ご苦労だった。ソレイユでの生活はどうだった?」

「つつがなく」

「学園では親しく話せる者もできたと聞いたが」

 エミリア嬢のことを言っているんだろうか。色々な事情もあり、私にしては積極的に話しかけていたけれど、本当に親しくなれたかは謎なところだ。

「とても真面目で心配りのできる方が話しかけて下さったのです」

「そうか……」

 少し落胆したような声に、私は内心苦笑する。

「フェガロ家やセレーネの名を汚すようなことは致しておりませんので、どうぞご安心下さい」

「ニナ……」

 小さな溜め息が聞こえてくる。

 父が何を期待していたかは何となく分かっている。私を外に出して他の人間と交流させて、結婚に対して前向きにさせようとか、そんなところだ。でも、私はその期待に応えるつもりなんて更々ない。

「お話は以上でしょうか?」

「いや、まだだ。太陽の塔へ向かう途中の出来事はレイから聞いた」

(言わなくていいって言ったのに……)

「ワイバーンの攻撃を防いだのは見事だった。だが、身分を偽っていたとはいえ、お前は王女だ。お前に何かあれば亡きオルガも悲しむだろう。気を付けなさい」

「っ――」

 父の口から出た母の名に、胸の奥底に仕舞っている感情が漏れ出てくるのが分かった。

 俯いたまま、余計なことを言わないように唇を噛む。

 私に何かあれば母上が悲しむ――?

 そんなことは分かりきっている。

 でも、あの時私が動かなければ、レイだってどうなっていたか分からない。

 他の人間がどう感じたかは知らないけど、私はそう思っている。

(母上の名前まで使って、そんなこと言うなんて……)

 父親の発言としては立派な部類に入るんだろうか。もし私が父を慕っていたら、素直に受け止められたんだろうか。

 たとえ父の方が正しいとしても、父に不信感を抱いてる私には到底無理だった。

(何が、“亡きオルガ”だ……母上が死なないように尽力したわけでもないくせに……)

 寧ろ――。

 過去の記憶に思考が飲まれそうになって、私はゆっくりと息を吐いた。こんなところに居続けても仕方ない。

「……以後、気を付けます。お話はそれくらいでしょうか?」

「ああ……」

「では、失礼致します」

 私は父の顔も見ないまま、背を向けて部屋を出た。

 次に会った時に咎められるかもしれないけど、その時はその時だ。今目なんて合わせたら、色んな感情がそのまま口から出てしまう。

 さっさと自分の部屋へと帰ろうと、足早に廊下を歩いていると、あと少しで後宮の入り口というところでレイに捉まった。

「姉上、もう報告が終わったのですか?」

「そうだけど? 何か問題でもある?」

 苛立ちを隠さないまま答えると、レイも色々と察したようで軽く目を逸らした。

「いえ、問題はありませんが……夕食を一緒にどうかと思いまして……」

「誰と」

「皆で一緒に……」

 レイが言う皆というのは、父とエリーズ様とリュカとナディアを含めた王家全員のことだ。

「それはレイの提案?」

「ええ」

 エリーズ様が一緒にと言っているなら断れないけど、レイや父が言うなら私も遠慮はしない。

「疲れてるから、今日は部屋で取る」

「リュカやナディアにも姉上を誘うと言ってあるのですが……」

「明日、時間があればお茶をしましょうと言っておいて。エリーズ様にもその時ご挨拶するから」

 元々、ソレイユにいる時に出した手紙にそう書いていたし。

 側室の子供の私は基本的に正室のエリーズ様達と一緒に食事は取らないから、それで問題はないだろう。

「分かりました……」

 私の不機嫌さを理解しているレイが折れるのは早かった。

「それじゃあ」

 そう短く言って、レイを置いて別邸へと向かう。しばらくは視線を感じたけど、気付かないフリをした。


 別邸に戻るとリディもすぐに私の機嫌が悪いことに気付いたけど、リディが声を掛けてくる前に「大丈夫だから」と言って自室に入った。

 大きく溜め息を吐いて、ゆるく結んでいた髪を解く。

 むしゃくしゃするけれど、当たる相手には当たれないから自分一人で抑えるしかない。

 その場にしゃがみこんで、頭を抱えて、どれくらいそうしていただろうか。

 少しずつ苛立ちも収まり始めて、私はのろのろと立ち上がって服を着替えた。

 着ていたドレスをハンガーにかけたり、洗濯物をまとめたりとうろうろしていると、ふと鏡が目に付く。

(私だ……)

 映っている自分が今まで通りの自分であることに気付いて、何だか少しほっとしたような気分になった。

 別の誰かに成りすますという行為は、自分で思っていた以上に精神的な負担が大きかったらしい。

 しばらくは鏡の前でぼんやりとしていたけれど、今の自分の顔を見ていると、なんだか母の顔が見たくなって部屋を出た。

 この世界に写真はないけど、肖像画なら母が使っていた部屋の前に飾られている。

 見上げるほど大きな絵に描かれた綺麗な女性。凛とした表情がどこか寂しげに見えるのは、きっと幼い頃の記憶が影響しているのだろう。

 ――これでいいのよ……貴女がいれば、私はそれで十分……。

 前世の記憶もなかった幼い私に、彼女はそう言った。微笑っていたけれど、その表情は幼い私にも悲しげに見えていた。

(あの人は、私が何も知らないと思っている……)

 何も知らないと、幼かったから何も理解していないと、父はそう考えているだろう。

 確かに、当時の私は何も分からなかった。

 母が苦しんでいるのに、何故誰も見舞ってくれないのか。偶に花を届けるだけで、父は何故一度も母の所に来てくれないのか――。

 そんな疑問を抱いても、母がこれでいいと言うから、前世の記憶もなかった私はそういうものなのだろうと思っていた。ただ、母が悲しそうなことだけを理解していた。

 けれど、分からないなりにも、聞いた言葉は頭の中に残っていた。父の言葉、老いた大臣の言葉、衛兵の言葉、世話係の老婆の言葉――。

 前世の記憶を思い出せば、大人達の言葉の意味を理解するのは容易いことだった。

 全部を一度に思い出したわけではないけど、ふとした瞬間に思い出す言葉の意味とぼんやりと覚えている当時の記憶を重ねていけば、父が母のことをどう扱ったのかは徐々に判明していった。

 当時のことを一番把握しているのは伯父だろうけど、私も色々と知っているのだ。

(母上……)

 額縁にそっと手を触れる。

 前世の母親とは似ても似つかない女性。言葉を交わした記憶さえ幼い頃の僅かなものしかないけれど、この人も私の母親だ。


 色々な記憶を思い出す内に息が詰まる感じがしてきて外に出た。こういう時行きたくなる場所は大体決まっている。王宮の隣にある王族の墓地だ。母の墓もそこにある。

 ソレイユに行くまでは、毎月同じ日に母の墓に来ては掃除をしてしばらくそこで過ごしていた。月命日という考えはこの国にはないけど、近いし、王族はいつでも自由に入れるから通いやすいのだ。

 それに、墓地の中でも隅の方にある母の墓は、一人になりたい時にはうってつけの場所でもあるから、自然と足が向くこともあった。

 久々に来た母の墓の周りは、思ったよりも綺麗だった。雑草もそんなに伸びてないし、墓石もほとんど砂埃を被っていない。定期的に誰かが来てくれて、掃除してくれたんだろう。

(伯父上か、フランツかな……)

 庭師のフランツは、元々はフェガロ領の人間だ。フェガロ家と血縁関係のある男爵家の三男で、昔は軍に所属していたらしいけど、母が亡くなった後、王宮で働くために軍を辞めて王都へと来た。

 王宮で働く使用人は、リディみたいに公募に応募して雇われた人間と、嫁いできた王妃や側室が連れてきた人間がいる。給金を出すのは王家なので、連れてこられた人達も王家に雇われる形となるけれど、彼らのバックには侯爵家や伯爵家が存在している。

 フランツも伯父の口利きで別邸の庭師となった。伯父としては自分の息のかかった護衛を私の傍に置きたかったそうだけど、王女の護衛になるには近衛隊に所属しなければならない。近衛隊は王家の管轄で流石に伯父もそこには口出しをできないとのことで、フランツを確実に私の傍に置くために、使用人として送り込んだそうだ。

 昔はそんな感じで伯父が送り込んだ使用人が多かったけれど、結婚とかで辞めてしまって、今はフランツだけになってしまった。

 伯父は新しい人を推薦しようとしたのだけれど、私が自分に使われるお金を減らそうとして拒否したのだ。伯父の思惑から外れる結果になったけれど、当時はそんなこと知りもしなかったし。

 そういうわけで、母の墓を綺麗にしてくれるとしたら、伯父かフランツのどちらかだ。

 墓石の砂埃を軽く払って、母の名前が刻まれた部分に手を置く。

「ただいま帰りました、母上」


 それからしばらく、墓石の横に座り込んでぼんやりとしていた。

 苛立ちはほとんど引いてしまったけど、その代わり、悲しみが胸を満たすようになっていた。

 収拾のつかない昔の記憶が、ぐるぐると頭の中を巡る。ふとした瞬間に泣きそうになるのを抑えて、出てきた感情や記憶に蓋をしていく。

 私の中にいる“ニナ”は子供だ。前世の記憶を思い出して色々と整理できるようになったけど、思い出す前に形作られたものは変わることがなかった。母への思いや父に対する不信感、伯父に感じる安堵といった感情もその一つだ。

 色々と理性的に考えようとしても、どうしても父のことを好きになれないのは、そういった感情が影響しているのだと思う。

 その一方で、前世で温かい家族というものを知っているから、父のことを諦められない。

 母を遠ざけたのは、何かどうにもできない理由があったからじゃないかとか、単に私にそう見えただけで勘違いだったんじゃないかとか、信じたくないという思いがふと湧いて出てくることもある。

(どう考えても、あの人が母上にしたことは酷いことだし、その後私をあそこに放置したことも非難されてしかるべきことなんだけど……)

 私自身はそんな風に考えられるということは、諦めきれないのはやっぱり“ニナ”の方なんだろう。三歳で母親を亡くして、それから父親ともロクに触れ合ってないのだから、心の隅にある寂しいという感情が消えないのも無理はない。

 でも、父に心を開いたところで、待っているのは政治や国の歯車になる道だけだ。父が私や“ニナ”の望みを聞き入れることはない。

(政略結婚、か……)

 前世の記憶を思い出した頃は、まだこの世界の魔力の継承についてよく知らなかったから勘違いしていたけど、私に課される政略結婚はただの政治のためだけの政略結婚ではない。それよりも魔力の強い子供を産むことに重きが置かれている。

 政治のためだけだったら、別に子供を産まなくても養子を取ったりすればそれで済む。けれども、子供を産む方が重要ならそういうわけにもいかない。

 好きでもない相手と結婚させられて、更に身体を好きにされるなんて――。

 不意に、何年も前に聞いた男達の笑い声が脳裏に蘇って頭を抱える。

 ――この中の誰かが王女を落とせたら、

(あぁ、駄目だ……)

 ――順番に回すってのはどうだ?

(思い出すな……)

 ――領地から出さなきゃバレやしねぇ。

(思い出すな……!)

 必死に自分に言い聞かせながら、嫌な記憶を頭の隅に追いやる。

 ふざけた連中のふざけた話だったけど、最悪そういう可能性もあるのだとその時思い知らされた。どこの世界にでもロクでもない連中が存在するのだ。

(子爵家や男爵家は駄目だ……ああいう連中に当たる確率が高くなる……)

 けれども側室の王女の嫁ぎ先として選ばれるのは良くて伯爵家で、父やレイは子爵家辺りに嫁がせたいと思っているらしい。

 そんなことになるなら、尚更ごめんだ。

「――ニナ様……?」

 草を踏み分ける音と共によく知っている声が聞こえてきて顔を上げた。

「フランツ……」

 随分近くまで来ているのに気付かなかったなんて、相当参っているのかもしれない。

「顔色が優れませんが……」

 フランツは傍までやって来ると膝を付いて私と目線を合わせた。

「大丈夫。ちょっと、嫌なことを思い出しただけ……それより、何かあった?」

「お姿が見えませんでしたので探しておりました」

「そう……」

 もしかしたら、別邸を出る時から付いてきていたのかもしれないけど、そこについては何も訊かなかった。

「そういえば、ここの掃除してくれたのって、フランツ?」

「はい、僭越ながら。ニナ様が気にされるだろうからと、侯爵様からも言付かっておりましたので」

「そっか。ありがとう」

「いいえ、礼には及びません」

 フランツはふと母の名前が刻まれた墓石に目を向けると、目元を和ませた。

 フランツにとって、母は特別な人だったのだと、私は知っている。

 こうして、今も母のことを大切に思ってくれる人がいるのだと思うと、少しだけ心が慰められた気がした。

 胸の中を満たしていた悲しみが、細波のように引いていく。

「そろそろ戻りましょう。直に日も暮れます」

「うん……」

 差し出された手を取って立ち上がる。

(母上、また来ます)

 心の中で母にそう語りかけて、墓地を後にした。


ちょっと脇道に逸れた感じとなりましたが、先に進む前に主人公のあれこれをちょっと整理してみました。

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