25
前話までにブクマ・評価・感想を下さった皆様、ありがとうございます。
迎賓館に帰ると、使用人の一人からレイの部屋に行くように言われた。なんでも話があるらしい。
私も夏休みのことを確認しようと思っていたところだったからちょうど良かった。
二階に上がってレイの部屋に入ると、使用人は一人もおらず、護衛のヴォルフだけが部屋の中にいた。
レイの傍にはいつでも用を言い付けられるように執事かメイドが一人は待機してるんだけど、いないということはあまり聞かれたくない話なのだろう。
「殿下、ただいま戻りました。お話があると伺いましたが……」
「ええ、貴女に聞きたいことがありまして。どうぞ座って下さい」
顔には笑みを浮かべているけど、部屋の雰囲気はどこか重苦しい。
(あぁ、嫌だな……)
見慣れているはずのレイの姿が、違う誰かに見える。こういう時のレイは、弟ではなく完全に次代の王だ。
レイの向かい側に座りながら、一つ息を吐いて気を引き締める。
私に監視をつけていることから考えても、話の内容はある程度予想がつく。
私もその内自分からレイに話すつもりでいたけれど、それはタイミングを見計らった上での話だし、何より、セシル王女に相談して彼女の許可を貰わないといけない。最初に会った時、他言はしない、と彼女に約束したのだから。
顔を上げると、レイも真っ直ぐにこちらを見ていた。
「今日は、エマとどこに行ったのですか?」
「街に行きました」
「街ですか。途中で貴女の姿が見えなくなったと聞いたのですが?」
「あぁ、今日はエマに自由に過ごしてほしくて、途中で別行動にしたんですよ。彼女にも休息は必要でしょう?」
「では、貴女は街に行っていないということですね」
「いいえ、行きましたよ? 途中までは一緒にいましたし、しばらくして合流しましたから」
エマと街に行ったのは嘘ではない。
レイは軽く溜め息を吐く。
「遠回しに訊いても無駄ですね……では、一人の間、どこで何をしていたんですか? 貴族の居住区にいたという報告は受けています」
エマと別れてしばらくの間は偶に視線を感じていたけど、ラングロワ邸を出た時にはそれらしき人影を見かけなかったから、途中で見失ったんだろう。
自分でも不思議なくらいそういったものには敏感だけど、常に察知できるわけではない。上手く撒けていたようでよかった。
それにしても、レイは私を監視していることを隠すつもりがないらしい。
「まあ、私を監視してたんですか?」
「貴女のことですから、気付いていたでしょう?」
「ええ」
にこりと微笑うと、軽く睨まれた。
「それで、何をしていたんですか?」
「散歩です。クロード殿下と出掛けた時は、大通りが中心でしたので、少し違う場所を歩いてみようと思いまして。途中で休憩したりしながら、お昼頃にはエマと合流しましたよ?」
事実に作り話を付け加えながら言う。どこまで嘘だと思われているかは分からないけど、レイも私が話す気がないことは分かっただろう。
「ローザ」
そう呼んだレイの声は硬かった。
「私に隠れて何かしているのは分かっています。ただ勉強熱心なだけなら私も何も言いませんが、そうではありませんよね? 顔を合わせるのは月に数度だったとはいえ、貴女のことはある程度分かっているつもりです。貴女は放置するとろくなことをしない」
なかなか酷い言い方だと思う。
もちろん、そう言われても仕方ないこと――服装だったり振る舞いだったり――をやってきてるのは自覚してるから反論はしないけど。
「一体、何をしてるんですか」
これはもう、誤魔化したところで何の意味もないだろう。私が何かしていることにレイは確信を持っているし、これまでの私を見てきた上でかなり警戒を高めている。私が正直に話すまで、解放しないに違いない。でも――。
「言いたくありません」
私はきっぱりとそう言った。
ここまで問い詰められたら、話すタイミングが、とかは言ってられないけど、セシル王女に話す前に言うわけにはいかない。
「ローザ」
「私一人のことではないので言えません」
「貴女一人ではないと……一体誰を巻き込んでいるんですか」
「それも言うわけないでしょう」
レイの口元がひくついたのが見えた。
「別に、悪事を働いてるわけではありませんよ。私だって、殿下に話しても構わないことならとっくに話してます」
原因を考えたりするのに、頭のいい人間は必要だ。おまけに王族の跡継ぎだから、王族の威信だとか役目を務める王女不在の場合の代打についてだとか、微妙な部分もあれこれ考慮した案を出してくれるだろう。
(やっぱり、レイは必要だ……早めにセシル王女に訊かないとな……)
ただ、こっちから他言しませんと言っているのに、後からやっぱり話していいですか、とか言ったら信用がなくなりそうだ。
「こればかりは、話せるようになるのを待って頂かないと、私の口からは言えません」
「そうなる予定はあるのですか?」
「こちらから訊いてはみます。ですが、話す許可を貰えるかまでは分かりません」
しばらく睨み合っていたけど、私よりも先にレイが折れた。溜め息を吐いて背凭れに凭れかかったのを見て、私も肩の力を抜く。
「分かりました。待ちましょう。ただし、相手方から返答が来たらすぐに私に報告するように」
「はい、分かりました」
レイは一応待ってくれるみたいだけど、そんなに長くは待ってくれないだろう。
「お話はこれだけですか?」
「ええ」
と頷くレイに、「では」と私は立ち上がって軽くお辞儀をして部屋を出た。
今日中に手紙を書いて、明日にはセシル王女に届けてもらうようにしないといけない。
(あぁ、夏休みのこと、聞けなかったな……)
◇
夕食後、父フェリクスに呼び出されたクロードは、父の部屋で話を終えた後、どこかぼんやりとした頭で自室へと戻ってきた。
「お帰りなさいませ、殿下――どうかなさいましたか?」
部屋で待機していたファースが、怪訝そうに尋ねてくる。自分でも浮かない顔をしているのは分かっていたが、取り繕うこともできなかった。
「ああ……」
「陛下とのお話で何か?」
「ああ……」
まともな返事も返せないまま椅子に腰かけ、溜め息を吐く。
「殿下、“ああ”だけでは一体何があったのか分かりません」
この男は相変わらず遠慮のない言葉を吐くな、とクロードは頭の隅で考える。そういった歯に衣着せぬ物言いに助けられることもあるのだが、今は少し整理する時間が欲しいと思った。
「……大臣達から、早く婚約者を決めろという声が上がっているそうだ。セシルが魔力を取り戻せないなら、新たな王女が必要だから、と」
クロードの母であるグレースもまだまだ子供を産める年齢だが、必ずしも王女を産めるとは限らない。いずれ子供を産むのも辛くなってくることを考えれば、周囲の期待はクロードが早く結婚をして子供を設けることに移ってくる。
しかし、クロードはまだ婚約者すら決めていない。
「陛下は何と仰っているのですか?」
「一度、成人の儀までは待つと約束したから、約束は守って下さるそうだ。ただ、セシルがあのまま状態であれば、成人の儀の後すぐに相手を決めて婚儀を執り行う必要があるだろうと……」
父の言葉はクロードにとって有り難かった。成人の儀までにもう一度会えなかったら諦めると心にも決めている。
だが、ニナ王女に関しては諦めがついても、その後すぐに数いる婚約者候補の中から相手を選べと言われても難しい気がする。ニナ王女以外でクロードの胸の中にいるのは、婚約者候補にすら挙がっていない隣国の令嬢だ。
そしてそれ以前に、クロードとしては、大臣達が既に妹の力を諦めてしまっていることからして納得がいかなかった。
「セシルは、まだ諦めていないというのに、別の王女を望むなど……」
当初は気落ちしていた妹だが、近頃は気持ちの整理でもついたのか、こっそりと書庫や研究者達の所に行って魔力を取り戻す方法を探しているそうだ。対外的には体調が優れないということになっているので、部屋から出ている妹を心配したが、会って話してみれば本人の意思は固く、クロードはそれ以上何も言わず見守ることに決めた。
それなのに、大臣達は早くも妹を見限ろうとしているのだ。
「一貴族の立場から申しますと、大臣達の言葉は尤もです。辺境伯などの国境付近に領地を持つ貴族にしてみれば死活問題。魔物による害を一番に被るのは彼らですから、それだけ危機感が強いということでしょう」
正鵠を射たファースの言葉に、クロードは反論の言葉を見つけられず、悔しげに顔を歪める。
「だが……」
「まぁ、彼らは他に打てる手を知らないので、そんな不確実な手段を当てにせざるを得ないのですよ」
運よく王女が誕生してもすぐに役目を務められるわけではない。現在役目を務めている伯母アデールがいつまで役目を務められるかにもよるが、空白の期間は多かれ少なかれ生まれるだろう。大臣達はせめてその期間を短くしようと声を上げているに過ぎない。――逆に言えば、彼らにできるのはそうやって先々を考えることだけなのだ。
「そこはご理解下さい」
「それは分かるが……ん? 他に打てる手とは何だ?」
「レイ殿下が仰っていたのでしょう? ニナ王女の力をお借りしてはどうか、と。彼の方の力をお借りできるのであれば、早急に新たな王女の誕生を望む必要はありません。ついでに殿下がさっさと求婚して下されば、こちらとしても助かるのですが……」
「なっ、だから、それはまた別問題だと言っただろう……!」
「我が国にお招きするのであれば殿下も当然お会いできるでしょう。その時に見極めるなり決めるなりすればいいだけの話です。陛下は待つと仰っているようですが、それは殿下と陛下二人での決め事。私も殿下の側近として、早く決めさせろと周囲からせっつかれているのですよ」
「う……すまない……」
王子はいつまでに婚約者を決めなければならない、といった決まり事などはないが、周囲が早くと望む中、我が儘を言っている自覚はクロードにもある。自身のせいでファースが迷惑を被っているのは申し訳ないが、これはクロードの中で譲れないことの一つなのだ。
「だ、だが、外に出たくないと言っているのに無理やり外に出すのは……」
「結界のこととなれば、ニナ王女もご協力下さるでしょう。そもそも、外に出たくない理由を殿下はお聞きしているのですか?」
「レイからは一応聞いている。大勢の人間が集まる場所が嫌いだそうだ」
「ならば、数名であればよろしいのでは?」
「そう思ってレイの部屋で二人で話す時に誘ったんだが、断られた。その時は気分が優れないと言われたんだが……」
きっと断るための口実だったのだろう。
「殿下」
「何だ」
「それはもう、脈がないのでは?」
「い、いや、身内以外には大抵そういう対応だとレイが言っていたんだ……! 俺自身が嫌われているわけではないから気にするなとレイが……!」
必死に言い募るクロードに、ファースは軽く溜め息を吐く。
「まぁ、殿下が嫌われているかはともかく、側室の王女となれば確かに微妙な立場でしょうね。周囲の目を嫌って外に出ないというのも、分からないわけではありません」
「そういうものか……?」
「我が国もそうですが、セレーネも長らく側室を設けてませんでしたからね。元々、あの国は後宮が発端となった騒動が原因で側室を廃したのですが、ニナ王女のご生母の実家であるフェガロ家は、エリーズ王妃がたった一年身籠らなかったのを理由に半ば強引に当主の娘を側室にあげているんです」
「中央での権力を握りたかったのか?」
「いいえ、私が知る限りではそうではないようです。当時既にフェガロ家の数名が中央で要職に就いていましたし、彼の家は何よりも国防に力を入れていると聞いています。中央での権力よりも国を守る戦力を欲していた。もちろん、ある程度は中央での発言力や権力が必要ですが、既にそこは満たされています。次に必要なのは、戦力の底上げ。フェガロ家は王子よりも王女が欲しくて一族の娘を側室にしたようです」
建国の王が立って暫く、王族の血を取り入れれば魔力を得られることが判明し、貴族らは挙って一族の娘を側室として王に嫁がせた。国防力を上げたかった王家もその意図を汲み、生まれてきた王女を降嫁させることで、魔力を持つ貴族が徐々に増えていったのである。
貴族のほとんどが魔力を持つようになり、諸々の理由から二国とも側室を置かなくなったが、ここ数十年で王族の血が薄まれば薄まるほど魔力が弱まることが判明している。子爵家や男爵家ともなれば、良くて伯爵家の娘が娶れる程度。薄まった王族の血が更に薄くなるが、軍で前線に出て戦う兵士達は大半が子爵家や男爵家の出身だ。
王女が二人いれば、役目を継がない方を遠方の子爵家や男爵家に嫁がせることもできるが、一人しかいないとなれば、侯爵家や辺境伯家などから相手を選び、王都に住まわせるしかない。
戦力――子爵家や男爵家の魔力を高めるには、複数の王女が必要なのだ。そしてその王女が側室から生まれたとなれば、更に下級貴族に嫁がせやすくなる。
「フェガロ家は、ニナ王女を辺境の貴族に嫁がせるつもりなのか……」
ならば、クロードが彼女を望むことは、フェガロ家にとっては都合の悪い話となる。
「王女がニナ王女だけでしたら王都からは出せなかったでしょうが、ナディア王女がいますのでその制限はありませんね。辺境の貴族といっても、縁もゆかりもない貴族に甘い汁を吸わせる必要はありませんから、フェガロ家としては一族の末端の者か縁のある貴族に嫁がせたいでしょう。スキアー王家としても、とりあえず戦力が上がるのであれば、最初はどの家でも構わないでしょうし」
ただ、とファースは口元を軽く歪めて続ける。
「他の貴族から見れば、面白くないでしょうね。国防のためとはいえ、フェガロ家は十分好き勝手やっていますから。側室の王女が二人くらいいれば、どこかの貴族を味方につけれたのかもしれませんが、ニナ王女一人だけではおこぼれもありませんし。当然、王宮内でニナ王女を擁護する者も少なくなるでしょう。――まぁ、あくまで私の想像に過ぎませんが」
「いや、きっとそうなっていてもおかしくはないんだろう……それにしても、やけに詳しいな」
「殿下がニナ王女に懸想し続けているので、色々と調べたんですよ。彼の方を娶りたいならば、あちらの内情も知っておく必要があります」
しれっと言うファースに、クロードは軽く目を逸らす。
「もっとも、他国の王宮内の情報はそう簡単に手に入りませんから、セレーネ王がどうお考えなのかといったことは全く分かりません。その辺りは殿下からレイ殿下にお尋ね頂いた方が確実でしょう」
「レイか……レイなら確実に知っているだろうし、その辺の損得も既に計算していそうだな……」
彼はクロードと違ってかなり頭が良い。自身もああだったら、惨めな幼少期もなかっただろうと偶に思う。
「それはそれとして、殿下には本格的に婚約者の件を進めて頂きませんと、大臣達の言を無視する形となってしまいます。いくら陛下が待つと仰っても、自分達の言が聞き入れられないとなると、大臣達の心も離れていきますから」
「ああ、そうだな……」
「まぁ、結界の件はセレーネにご助力頂ける可能性が高いですから、大臣達のように新たな王女をといった問題は考えなくても宜しいかと思います」
「具体的にどうしたらいいと思う?」
「とりあえず、今候補として挙がっている方々から数名を絞りなさいませ。ニナ王女を選ぶのであれば無意味な作業となりますが、検討しているという姿勢を見せれば大臣達の目も欺けるでしょう」
端から大臣達を騙すつもりのファースに、クロードは思わずあきれた目を向ける。
「お前、本当そういうこと考えるの上手いよな……」
「あちらを立てればこちらが立たないなどいうことはよくあることです。両者が平等に立つ方法があるのであればそれを考えますが、そんな方法があることなど稀なんですよ。私が仕えているのは殿下ですから、当然殿下の意思を優先します」
「……助かる」
自分の側近が彼で良かったと、クロードはつくづく感じた。
(今いる中から数名を絞る、か……)
無論、ニナ王女への想いが本物であればクロードは間違いなく彼女に求婚するだろうが、そうでなかった場合やセレーネの許可が出ない場合も考えられる。そうなった場合は婚約者候補の中から選ぶことになるから、適当に絞るわけにはいかない。
(だが、その中にはローザは……)
自身を振り返って、クロードは改めて思う。彼女がニナ王女でないのであれば、クロードは間違いなくニナ王女よりも彼女に惹かれ始めている。ニナ王女との思い出があまりにも大きすぎて心から離れないが、幼い頃に一度会ったきりで今どのような人物かも分からない王女よりも、ローザを選ぶべきなのではないかという考えが頭の隅にあるのだ。
ローザがニナ王女なのではないかという思いもまだ消えていないが、それも直感ではなくただの願望なのではないかと思うことも出てきた。
(諦める、べきなのか……)
ローザを婚約者にと望むなら、ニナ王女のことは早々に諦めて動き始めなければ間に合わない。
フェガロ家と直接交流があるわけではないからレイかセレーネ王に間に立ってもらわなければならないし、いきなり婚約者にしてしまうと諸貴族の反発を買うためまずは候補として挙げなければならない。それをフェガロ家にも納得してもらう必要がある。そういった諸々の手順を考えると既に遅いとさえ思える。
しかし、まだ猶予があると思っていたニナ王女への想いをこの場で切り捨てることができるのか――。
「ファース、すまない。しばらく一人にしてくれ……」
「畏まりました」
ファースが静かに部屋を出て行った後、クロードは独り頭を抱えた。




