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いつも読んで下さってありがとうございます。これからもお付き合い頂けると幸いです。

前話までにブクマ・評価をして下さった皆様、ありがとうございます。

 見上げると、暖かな陽光に照らされた黒髪が煌めいていた。芽吹いたばかりの草葉のような緑の瞳がクロードを見ている。

 ――大丈夫?

 自分と同じ年頃の少女は一言そう言ってクロードへと手を差し伸べる。

 あぁ、知らない子にまでこんなところを見られてしまった。クロードは情けなさと羞恥心に顔を俯けた。

 隣国セレーネの宮殿の中、クロードのことを知る人間は極僅かだが、この身なりを見ればクロードがソレイユの王子であることはすぐに察せられる。

 セレーネでも不出来な王子という噂が広まるのかと思えば、どうやって顔を上げたらいいのかも分からなくなってしまった。

 ――どこか怪我したの? 立てない?

 俯くばかりのクロードに、少女は更に尋ねてくる。

 クロードはとっさに擦りむいた膝を手で隠したが、そんなことをすればそこに何かあると言っているようなものだった。おまけに、じわりじわりと溢れてきた血が、隙間から流れ出てきたのだから最早言い訳もできない。

 ――怪我したの、膝だけ?

 少女はそう言って、クロードの手をやんわりと退かすと、擦り傷に両手を翳した。

 ――“風の聖霊よ、この者の傷を癒せ”。

 その言葉にクロードが顔を上げる間もなく、温かな風が傷を撫でていった。痛みは嘘のように消えている。

 ――やった、できた。

 誇らしげに少女が笑う。

 いつも自慢げに接してくる人々の表情は好きではないのに、この表情は何故だか好きだと思った。


 すっと目が覚め、「夢か……」とクロードは小さく呟く。目覚めてすぐは穏やかな気分だったが、夢の内容を思い返すと寂寥感が胸を満たしていった。

 折角彼女の夢を見られたのだから、もう少し見ていたかった。

 今でこそある程度のことは人並み以上にこなせるようになったが、幼い頃のクロードは何をしても人並みかそれ以下だった。コツを掴むのが下手だったのだろう。おまけに、父フェリクスが幼い頃から文武共に秀でていたため、周囲の者達がクロードに向けるのは、落胆や憐憫の視線ばかりだった。

 更に弟も父ほどではないが、教師達から優秀と褒められる程度の才能は持っており、一時期は跡継ぎはアルフォンス王子だろうと言われたこともあった。

 ニナ王女と出逢ったのはその頃だ。

 周りが何と噂しようと、父はクロードを跡継ぎにすると固く心に決めており、それを周囲に示すかのように式典や視察などの際には必ずクロードを連れていった。セレーネ国の建国を祝う記念式典に招かれた時にもクロードを連れていき、王宮の裏庭でクロードはニナ王女と出逢った。

 最初は、その少女が王女だとは知らなかった。

 王宮の広間で数多の視線に晒されるのに耐え切れず、少し抜け出すつもりが完全に道に迷い、おまけに何もない所で転んで怪我をする始末。恥ずかしくて名乗れなかったし、少女も名乗りはしなかったから、それに甘えて最後まで自分の名は口にしなかった。

 あとで迎えに来たファースに、クロードと同じ年頃で後宮がある方へと帰っていったのならばニナ王女だろうと言われ、少女の名前を知った。

(ニナ……)

 クロードは音には出さず口の中で呟く。

 治癒魔法が成功して誇らしげにしていた彼女に好感を覚えたのは、そこに侮蔑も嘲笑もなかったからだろう。クロードに対して自慢げに接してくる人間の表情は大抵そういったものを含んでいた。そもそも、あの年頃で治癒魔法を使える人間などいないのだから、彼女は十分に誇ってよかった。

 そうやって好感を覚えたからかもしれない。気付けばクロードは何をやっても駄目な自身の現状を吐露していた。周囲の大人達の落胆や憐憫、期待に応えられない不甲斐なさ、自分より優秀な者達の侮蔑や嘲笑――。一度言い出すと止まらなくて、最後の方は半分泣きそうになっていた。

 傍にしゃがんで聞いていた彼女は、クロードが言い終わるとクロードの頭を軽く叩いた。

 ――泣きたいなら泣いてもいいけど、うーん、ここで泣くとなんか悔しいか……私とあんまり年変わらないみたいだし、そんなに焦っても仕方ないんじゃない? 誰でもできることはできてるんでしょ? ちょっと難しいことになるとつまずくみたいだけど。それは周りも期待しすぎだし、お父さんみたいになりたいって気持ちも分からないでもないけど、君も多分自分の血に期待しすぎてるんだよ。

 普段はあまり言われないような言葉に、クロードは思わず顔を上げた。

 ――速く走れないとか、何もないとこでこけるとかいうのもすぐにどうにかできるものじゃないし、色々と高望みしてもさ、そんな一足飛びにできるわけないよ。周りのすごい話聞いて焦るのは分かるけど、気持ちだけ先に行っちゃって頭とか身体がついていってないの。もっと等身大の自分のこと見てあげなよ。

 ――等身大……?

 ――背伸びしてない自分ってこと。焦って無理なことに挑戦しても失敗したり怪我したりするだけでしょ? お父さんの血とか関係ないから、自分のペースを見つけなよ。

 教師も、他の大人達も、そんなことを言う者はいなかった。

 何故こんな簡単なこともできないのか、一からきちんと教えているのに物覚えも悪い、もっと努力しなさい、貴方くらいの年頃の子はこれくらいできる子がたくさんいる――。

 そう言って、その後にはいかに父の幼少期が素晴らしかったかを語るのだ。

 クロードが遥か上の目標に到達することを求めるばかりで、誰一人としてクロード自身の能力に合わせてくれたことはなかった。それは、クロード自身も同じだった。

 何かつっかえていたものが一つ、ぽろりと落ちていったような気がした。

 自国に帰ってから、クロードはまず自分にできることを探し始めた。できることとできないことを書き出し、ファースに難易度をつけてもらって、簡単なものから一つ一つ身に着くまで丁寧にやるようにした。時間はかなりかかったが、それでもいつまで経ってもできないということはなくなったからいい方なのだろう。

 天性の才というのは、クロードにはない。けれども、それを悔やむようなことはもうなくなった。

 次に彼女に会ったら自分はこんなに変われたのだと言いたい。そうして今度こそ自分からきちんと名乗って、彼女の名前もちゃんと本人から聞くのだ。

 できることが増えるにつれてそんな目標を掲げるようになったが、未だに達成できていない。セレーネ国に行く機会は偶にあるのだが、肝心の本人に会えないのだ。

 式典などで遠く離れた場所に立っている姿は見たことがある。しかし顔はベールで被われているし、式典が終わるとすぐにいなくなってしまう。

 会いたいのに思うように会えないからだろうか、出逢った当初は憧れだったそれは、いつの間にか違うものへと変化していた。自国にいても、気付けば遠く離れた隣国にいる彼女のことばかり考えるようになり、恋煩いでもしているかのようだとファースに言われてクロードは気付いた。まさしく、恋煩いだ。思わず顔を赤くして、ファースには盛大に呆れられた。

 自覚をしてもう何年経つだろうか。

 しかし、彼女に会ったのは一度きりで、クロードは彼女の為人をよく知っているわけではない。あの時抱いた憧れや尊敬の念は本物だと思うが、そこから変化して生まれた思いが本当に彼女に対する恋心なのか、クロードには分からなかった。もしかしたら、自分の中で作り上げた“ニナ王女”に恋をしているだけなのかもしれない。

 だからもう一度彼女に会いたい。もう一度会って話してもこの思いが変わらないのであれば、本当に彼女に恋をしているのだろう。

 ――願い続けていれば、きっとその内機会が巡ってきますよ。

 ふと、ローザの言葉が脳裏によみがえった。

 自分で決めた“成人するまで”という期限が来る前に、その機会は巡ってくるだろうか。

(お前がニナ王女だったら、もう叶ってるんだけどな……)



 休日のその日、クロードはやるべきことを昼までに終えて迎賓館へと赴いた。

 行くことは特に伝えていないが、ローザはいつでも来たい時に来ていいといったことを言っていたので追い返されたりはしないだろう。

 迎賓館にいる使用人達は、クロードの姿を見るとすぐに中へと通してくれた。一階の応接間へと案内されると、レイが一人ソファーで寛いでいた。

「よぉ、レイ。悪いな、いきなり訪ねて」

「こんにちは、クロード。何かありましたか?」

「いや、特に何かがあったわけじゃないが、息抜きがしたい時は来ていいとローザに言われたからな」

「あぁ、そんなことも言ってましたね。部屋にいると思いますよ。呼んでこさせましょう」

「あぁいや、部屋で何かしてるなら邪魔するのも悪いよな……」

 そう言いつつ、クロードはレイの顔を見つめる。

「部屋で好きなことをしているだけでしょうから、気にする必要は――、どうかしましたか?」

 クロードの視線に気づいたレイは不思議そうに首を傾げた。

「いや、一緒に過ごしてるわけじゃないんだな、と……」

「ええ。四六時中一緒にいるわけでありませんよ。学園内には護衛が入れないのでローザが傍にいますが、学園から一歩外に出れば護衛がいますから。意外でしたか?」

「ああ……とても親しくしているから、常に一緒にいるのだと思ってた……」

「そうですね、確かに気心は知れてると思いますが、私はクロードが思ってるほどローザのことを知っているわけではないと思いますよ」

 どこか自嘲するように話すレイに、クロードは何と返したらいいか分からなかった。

 傍目には確かに親しく見えるし、実は婚約者なのでは、と噂する者達もいるほどだが、そう語るレイを見ていると、あれは学園内だけの話なのだなと納得できる。単にローザが付き人という役目を全うしようとしているだけなのだろう。

「とりあえず、ローザには声を掛けておきましょう。何もないなら下りてくるでしょうし、部屋に籠っているなら訪ねても構いませんよ。多分、付加魔法の勉強をしているだけでしょうし」

「い、いや、だが、いきなり女性の部屋を訪ねるのはどうなんだ……?」

「構いませんよ。本人が気にする性格ではありませんし、そもそも、いつでも来ていいとクロードを招いたのはローザなんですから」

 レイはそう言って部屋の隅に控えていた使用人に合図を出した。

「立ってるのもなんですから、どうぞ座って下さい」

 にっこりと微笑うレイに、クロードは軽く溜め息を吐いて向かい側のソファーに座った。

「ローザがお前の婚約者なんじゃないかとまだほんの少し疑ってたが、本当に違うんだな……」

 婚約者だったならば、部屋を訪ねていいなどと言わないだろう。

「まぁ、本人が気にしないからと、部屋に行くのを勧めるのはどうかと思うが……」

「そうですか? でも、興味はあるでしょう?」

 ふふふ、と確信めいた顔で微笑うレイに、クロードは視線を逸らした。

「……少しな」


 ローザは何やら取り込んでいるようで、もうしばらくしてから応接間に下りてくるとのことだった。

 クロードはしばらく出された紅茶と菓子をつまみつつレイと他愛ない話をしていたのだが、紅茶が半分以上減ってもローザが下りてくる気配はなかった。先程の使用人がもう一度声を掛けようかと提案するも、痺れを切らしたレイが部屋を訪ねた方が早いと言い出し、クロードは応接間を出て二階へと上がった。気を遣ったのか否か、レイは応接間で待っている。

(一応来ていることは知らせてるが……)

 いきなり部屋を訪ねて気分を悪くしないのだろうか。レイは、そういうことを気にする性格ではないと言ってたが、それだけ親しいからローザが気を許しているだけかもしれない。

 そう悩む気持ちもあるが、レイに言われたように興味も確かにある。色々と気になっている相手の部屋だ。迎賓館の客間の雰囲気などは当然知っているが、ここでどんな風に過ごしているのか、やはり気になりはする。

 ああだこうだ考えている内にローザの部屋へと着いており、クロードは意を決してドアをノックした。

「はい、どうぞ」

 中から聞こえてきた声に「失礼する」と一声掛けてドアを開ける。

 使用人が来たとでも思っていたのか、ローザはきょとんとした顔をこちらに向けていた。

「クロード殿下……まぁ、申し訳ありません。しばらくしたらそちらに向かうと申しましたのに、大分時間が経っておりましたね」

 ローザは手に持っていた小石をテーブルの上に置くと、立ち上がって頭を下げた。

「いや、こっちこそ、忙しい時に来てしまってすまない。俺は、その、待ってても良かったんだが、レイが呼びに行った方がいいと言ってな……」

「ああ、そうなのですね。申し訳ございませんでした。すぐに片付けていきますので、先に応接間にお戻り下さい」

「いや、邪魔をしたのはこっちだ。何かしている途中だったんだろう? 続きをしてくれ」

「いいえ、そういうわけには……」

「その代わりというか、見ててもいいか?」

 渋る様子のローザにそう言うと、そうしたいのならと彼女は頷いて再びソファーに腰掛けた。

 クロードも部屋の中に入って空いている場所に座る。

 テーブルの上には、数冊の魔法書と小石がいくつか並んでいた。魔法書の内容は付加魔法のようだし、黄色い宝石のペンダントも置かれているから、実際にアミュレットを作ろうとしているのだろうが、普通の小石がある理由が分からない。

「その小石は、何に使うんだ……? 付加魔法の勉強をしてるんだよな……?」

「これは、練習台でしょうか。この前、カミーユ様に付加魔法についてお聞きしたのですが、まだ少し自信がないので……普通の魔力耐性がない石に付加魔法をかけて、失敗するとどうなるかを先に見てみることにしたんです」

「へぇ。で、どうなったんだ?」

 尋ねると、ローザは先程持っていたと思われる小石を取ってクロードに見せた。

「分かりますか? 表面にヒビがたくさん入ってるんですけど……」

「ああ、本当だな」

「最初、やり方自体を間違えていた時は砕けていたので、魔法の掛け方はもう間違えてないと思うんです」

 何やら気になる言葉が出たが、聞かなかったことにして適当に相槌を打つ。

「あまりお待たせするわけにもいきませんから、さっさと終わらせますね」

 ローザはそう言ってペンダントを取って手のひらに載せ、深呼吸をした。

 傍目に見ても神経が研ぎ澄まされているのが分かる。他者の魔力を感知できるクロードは、ローザを取り巻く魔力がゆっくりと膨れたのが分かった。

「“風よ、この石に守りの力を”」

 ペンダントの石を中心に小さな風が渦巻き、しばらくして消えていった。見た目に変化はないが、石から微かな魔力を感じる。

「……ヒビ、入ってませんよね……?」

「ああ、成功してると思う」

「やった……!」

 ローザはペンダントを握りしめながら喜びを露わにする。普段、取り澄ましているその顔が、共に出掛けた時のように笑みを佩き、クロードは思わず声を立てて笑ってしまった。

 自身の振る舞いに気付いたローザが、軽く咳払いをして取り繕う。

「今のは、見なかったことにして下さい……」

「分かった。それで、そのペンダントは、自分で使うのか?」

 侯爵令嬢が身に付けるものとしては、宝石の格が低過ぎると思って尋ねれば、ローザは首を横に振った。

「いいえ。レイ殿下の護衛にあげる予定です」

「え゛」

 その言葉に硬い声が出た。

「え?」

 ローザが不思議そうに首を傾げる。

「私が持っていても役には立ちませんし、まだちゃんとした授業を受けて合格ももらってませんから兵への支給物にも回せませんし……どれくらい効果があるのかも知りたいので、身近な人の方が何かと聞きやすいと思いまして」

「その護衛に好意を抱いているというわけではないんだな……?」

「ええ、はい……何故そういう話になるのですか……?」

 最高学年になると、授業の一環で実際にアミュレットを作るのだが、一体いつ頃から始まったのか、出来上がった物を恋しく思う相手に贈るというのが令嬢達の間で慣わしとなっている。一つ上の学年は、誰それが誰それにあげるらしい、といった噂でいっぱいだそうだ。

(知らないわけではないよな……?)

「殿下……?」

「いや、いい……今の話は気にしないでくれ……」

 男に渡すと聞いて焦ってしまったが、どうもそういった意図は含んでないようだ。

 少し気にかかる部分はあるが、ひとまず、ニナ王女と思しきこの少女に恋する相手がいないのであればそれでいい。

 クロードはそっと胸を撫で下ろした。


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