02
鏡の前に立って、いつもポニーテールにしている髪を左下で緩くまとめ、肩から前に流した。
(似てる……というか、まんま……)
夢の中のゲーム画面で見たローザ・フェガロがそこにいる。
(え、ちょっと待って、あのライバルキャラは実は“レイ王子”の姉だったの……?)
最初から最後までちゃんとプレイしたわけではないけど、そんな情報は出てこなかったし、幼馴染もそんなことは言ってなかった。
なら、どういうことなのか――。
(いったん整理しよう……)
ゲームのタイトルは、確か『太陽と月の狭間で』だったはずだ。ソレイユ国の学園が舞台で、主人公は魔力を秘めた塔――“始まりの塔”の力によって異世界トリップしてくるのだ。
(それで、確か聖女とか救世主とか呼ばれて……いや、それは別のゲームか?)
駄目だ。幼馴染はあの手のゲームをいくつもプレイして私に聞かせていたから、内容がごちゃごちゃになっている。
(いやでも、始まりの塔というのは確かにソレイユ国にある……)
歴史書とかに載っていたはずだと、私は書斎に行き、載っていそうな本を探す。他国の本というのはあまり数は多くないけど、同盟国だからソレイユ国の本は他よりも揃っている方だ。
(あった、これだ……)
数冊ある歴史書の中から一番最初の巻を手に取る。魔力を秘めた塔は建国と関わる話だと記憶しているから最初の方に載っているだろう。
この世界には魔物が存在する。しっかりと守りを固められているから王都には現れないけど、近郊の森とかにはたまに出るという話だ。そして辺境に行けば行くほどその数も増える。もっともそれは小物の話で、村や町が滅んでしまうような大物は遠く離れた森や山にしかいない。
けれども、遠い昔にはこの辺りにも大きな魔物が出ていた。まだソレイユ国もセレーネ国もない頃で、今の二国の王都があるところに少し大きな町がある程度だった。それぞれの町は幾度も魔物に襲われ、その度に再建するという日々を繰り返していた。
ある時、それぞれの町の青年二人が、町と町を結ぶ道の中間地点にある泉で出会う。昔から不思議なことが起こると言われている泉で、そこで休息を取っていた二人は泉の水を飲み、魔力を手に入れた。自身の力に気付いた二人は、協力して魔物の巣を滅ぼし、それぞれの町に戻った後、結界を張るための塔を建てて塔を中心に国が興った。それがソレイユ国とセレーネ国だ。
それぞれの国の塔は太陽の塔と月の塔と呼ばれ、この二つの塔の魔力のバランスが取れている限り、二国を守る結界は保たれる。そして件の泉があった場所にも塔が建てられ、そこの保持はソレイユ国の管轄となった。それが始まりの塔だ。
おとぎ話のような話だけど、私も実際に魔力を持っているから信じざるを得ない。
最初は建国の王二人に与えられた力だったけれど、王女が貴族に嫁ぐなどして、今では王族だけではなく貴族の大半も魔力を持っている。偶に平民からも魔力を持った者が現れるけど――貴族の愛人の子なんだろう――、平民の魔力は弱く、次世代まで受け継がれることはないらしい。
なので、国の防衛や塔の管理は王族や貴族の役目だ。現に、月の塔は父の妹――私の叔母が塔に魔力を込める役割を担っている。
魔力の性質や大きさは人それぞれだけど、大体男性が攻撃系に特化していて、女性が支援系に特化している。防御系魔法は概ねどちらも使える。物に魔力を込めたりするのは支援系の能力が必要だから、塔の核に魔力を込めるのは女性であることが多い。
ゲームでは確か、始まりの塔に現れたヒロインが、ソレイユ国の学園で魔力のコントロールを覚え、太陽の塔の核に魔力を流し込んで結界のバランスを取るという流れだったと思う。
(でも、その役目はソレイユ国でも代々王女が担っていると聞いたけど……)
ソレイユ国には私より一つ年下の王女がいるし、現王にも姉君がいる。どちらかがその役割を担っているはずだ。
(何かあったのか……それとも、これから何か起こるのか……)
この世界がゲームと同じように進むなら、きっと結界のバランスが崩れるような重大事件が起きるのだろう。そして、始まりの塔からヒロインが異世界トリップをしてくる。
ゲーム自体が恋愛要素に重きを置いていたから興味のない部分は読み飛ばしていたけど、これが本当なら政略結婚がどうとか言っていられない。結界がなくなれば、また強力な魔物が襲来するようになるのだ。国を揺るがす事態だ。
(乙女ゲーというジャンル柄、そこはさらっと流されてたんだろうけど……)
本当なら恋愛にかまけている場合ではない。RPGなら太陽の塔をどうにかする方が主目的だ。
(そんな中で、私がライバルの悪女……?)
口元が引きつる。確かに、そんな緊急事態の中で恋愛に現を抜かしている輩がいたら、苦言の十や二十は言うだろうし、冷たい態度にもなるだろう。
(実際、何て言ってたっけ……?)
思い出せない。結構キツイこと言うなぁ、と感じたことは覚えているけど、具体的な内容は思い出せないし、悪女と呼ばれるような言動をしていたかも覚えていない。あの子が悪女っぽいと判断していたから、何かしらそう思わせる要素はあるんだろうけど。
まぁでも、勝手にライバル視されても困るというものだ。私とレイは異母姉弟なのだから、結婚なんてそもそもできない。きっとヒロインのような存在がやってきても、私がライバルになることはないだろう。
(それよりも、ソレイユ国の情勢には耳を傾けておかないとな……)
王宮から逃亡して平民になるにしても、国の安全が保たれてないと平和な暮らしができない。
どうやって情報を手に入れるか一人悶々と考え込んでいると、コンコンとドアがノックされ、顔を上げる。開けっ放しにしていたドアのところにレイが立っていた。
「お勉強中すみません、姉上」
「いや、ちょっと調べ物をしていただけだから。何か用?」
「ええ、少し話がしたいと思いまして。お邪魔してもいいですか?」
「いいよ」
私は軽くソファーを示して、持っていた本を本棚に仕舞う。
ここに入る時に世話係の誰かには会っているだろうから、お茶はその内持ってきてもらえるだろう。
「今日は髪形が違うのですね」
「あぁ、これね……」
試しにしてみたローザ・フェガロの髪形のままだった。
「とても似合ってますよ。素敵です」
「……ありがとう」
流石、ゲームの二大攻略対象の一人だ。黒髪の王子系キャラクターの中ではトップクラスだろうという美貌と微笑みだ。
「何でそんな微妙な顔になるんです……」
「ちょっと現実を思い出しただけ……」
そう言うと、レイは小首を傾げた。
「嘘は言っていませんよ? 姉上は亡きオルガ様に似てとても美しい。後ろで一つにまとめているのも凛々しくていいと思いますが、今のような髪形の方が姉上の魅力を引き出せていると思います」
「うん、もうその辺でいいから」
自分より綺麗だと思う相手にそんなに褒められてもなんだか居た堪れない。
私の母も結構綺麗だったし、レイの母親――王妃のエリーズ様もかなりの美女だ。それぞれ違うタイプの美女で、母は百合が似合うと言われていたらしいけど、エリーズ様は薔薇が似合うタイプだ。その辺になってくるとあとはもう好みの問題だろう。
それぞれ母親に似た私達は、あまり姉弟には見えないだろう。二人とも黒髪だけど、この国は元々黒髪の割合が多いし、私はグリーン系の目で、レイは綺麗なサファイアブルーの目だ。似ているところはあまりない。
(あー、だからライバル役に間違われるのかなぁ……)
私は今回、フェガロ家の令嬢として行くし、付き人という立場だから常にレイの傍にいることになるだろうし。
男女が常に一緒に行動していれば、婚約者と勘違いする人間も出てくるだろう。基本的に男女が一緒に行動するということが少ない世界だし。
(やっぱり女の付き人なんてやめた方がいいんじゃ……)
でも行かないとなるとソレイユ国の情報は手に入りにくくなるだろう。前世みたいに通信技術が発達しているわけではないから、他国の情報なんてなかなか入ってこないのだ。
(何か他に方法は……)
「ところで、姉上」
レイにそう呼びかけられて、思考が中断する。この件はまた後で考えよう。
「うん、何?」
「ソレイユ国に留学するにあたり、姉上にはフェガロ家の一子女として行って頂くことは昨日お伝えしました」
「ローザ・フェガロでしょ?」
「はい。なので、侯爵家の子女に相応しい振る舞いをお願いしたく思います」
(そうか……)
一貴族の別人として行くのだ。服装だけでなく、立ち居振る舞い、言葉遣いも今までと同じようにするわけにはいかない。あれは、ニナ・スキアーという王女の評判を下げるために始めたものだ。ローザ・フェガロで同じように振舞っても、母の実家に迷惑を掛けるだけで、何も得られはしない。
「そうだね。分かった」
「姉上、言葉遣い」
「……承知致しました」
弟に対してもこういう言葉遣いをするのは違和感があるけれど、致し方ないだろう。二年の辛抱だ。
「ご理解を得られて嬉しいです。そういえば、リュカとナディアが姉上と話をしたいと言っていましたよ。しばらく会えなくなりますから、お時間があれば相手をしてやって下さい」
「そうか、じゃあ早速――」
「姉上、言葉遣い」
「……まだ侯爵令嬢じゃないんだから、そこまで言わなくてもよくない?」
「いいえ、今の内から慣れて頂きませんと」
有無を言わせない笑みを浮かべる弟に溜め息を吐く。
「分かりました……殿下のお話がお済でしたら、今から伺わせて頂こうと思います」
「私の話は済んでいるので、是非お願いします」
「それでは」
私は立ち上がって、軽く会釈をしてみせる。これでいいだろうかと弟の顔を窺えば、レイは満足そうに微笑っていた。
いずれ弟が王位を継げば、私も無礼な振る舞いはできなくなるだろうけど、レイは早くもこういう関係を望んでいるのだろうか。
出立の日はあっという間にやって来た。用意された馬車に乗り込み、主要な都市を経由しながら二日、私達はソレイユ国へと入った。
「手紙では、クロード殿下がこの町まで出迎えに来て下さると仰ってましたよね?」
「ええ。私が以前始まりの塔を見てみたいと言ったのを覚えていたようで、ならばこの機に自分が案内しよう、と言われて」
「そうでしたか……」
(そうか、この町にあるのか……)
馬車の外に目を向けてみたが、窓から見える範囲にそれらしい塔はなかった。
警備が厳重なのは国境だからだと思っていたけど、始まりの塔があるからなのかもしれない。
「始まりの塔は、町の中心にあるの?」
「姉上、言葉遣い」
ふとした疑問が口を突いて出て、レイに窘められる。もうソレイユ国に入っているのだから、確かに注意しないといけないけど、ちょっと厳し過ぎる。
「……あるのでしょうか」
「いえ、町の中心ではなく、少し外れたところにあると聞いてます。塔と言ってもそれほど高さがあるわけではないそうなので、ここからは見えないでしょうね」
「そうですか……」
馬車はもう街中へと入っている。二国の中間地点とあって、通りの建物は宿屋の類が多く見受けられる。行き交う人々も旅人や行商人の恰好をした人が多い。
町の中心部には、役所と小さな宮殿があった。二国間会議はよくここで行われているそうで、王族が泊まれるように建てられたものらしい。
馬車が止まり、扉が開けられる。レイが先に降りていくと、離れたところからレイを呼ぶ声が聞こえてきた。
やけに親し気な声だなと思いながら馬車から降りると、レイに駆け寄る金髪の青年の姿が視界に入った。
「クロード、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
その名前を聞いて、彼がそうなのか、と妙に感慨深く感じられた。こうして二人が並んでいる様を見ると、昔見たゲームの画面が脳裏をよぎる。
「レイも元気そうでよかった。ずっと馬車の中で疲れただろう」
「いえ、然程では」
レイはそう言って、こちらを振り返る。
「付き人の、ローザ・フェガロです。ローザ、クロード殿下にご挨拶を」
レイに促され、私は数歩前に出る。
「お初にお目に掛かります、クロード殿下。フェガロ家のローザと申します」
スカートの横を両手で軽く持って会釈をする。無暗に目を合わせるべきではないだろうから、軽く俯いていたけれど、クロード王子から何の反応もなく、思わず顔を上げてしまった。何か間違っていただろうか。
「クロード……?」
レイが怪訝そうに声を掛けると、クロード王子ははっと我に帰った。
「あ、いや、すまない。ソレイユ国第一王子、クロード・リュミエールだ。――フェガロ家といえば、侯爵家だったな」
「はい。我が家名をご存知頂けているとは恐縮でございます」
「いや、フェガロ家が名立たる将軍を輩出していることはこの国でも有名だ。機会があれば話を聞かせて欲しい」
祖父の武勇伝と叔父の自慢話くらいしか知らないけれど、それでいいんだろうか。とりあえず、「はい」と愛想よく微笑んで、荷物を降ろす手伝いをすることにした。といっても、貴族の令嬢が自分でやるわけにもいかないので、口頭で指示を出す程度だけど。
(なんか驚いたって感じの顔だったけど、何だったんだろう……)
挨拶の仕方に問題があったのか、後でレイにも確認してみよう。
◇
始まりの塔がある町――ソレイユ国イニティウムに到着した夜、レイはクロードから食事に誘われた。クロードはローザも一緒にと誘ったが、姉は「レイ殿下とクロード殿下はとても親しいご様子。久しぶりの再会なのですから、お二人でごゆっくりご歓談下さい」と言って逃げていた。最初なのでまあ仕方がないだろう。
夕食を取りながらお互いの近況などを話し、その後場所を変えて他愛もない話をしばらく続けていたのだが、クロードがふと窓の外に目を向けながら呟いた。
「フェガロ嬢は、綺麗だな」
「ええ、私もそのように思います」
弟である自分の目から見ても、贔屓目なしにそう思う。艶やかな長い黒髪に新緑を思わせるような瞳。淑女らしからぬ行動が多いとはいえ、ふとした瞬間に見せる表情や仕草に目を奪われることはよくある。
一貴族に成りすますために髪形を変えたのかは知らないが、髪を肩口で緩く結ぶようになってから、一段と女性らしさが増した。本を開いて佇んでいる姿を見た時は、声を掛けることすら忘れてしまったほどだ。
あの姉ならば引く手数多だろうし、夫となる人物にも大切にされるだろうが、それでも本人は政治の道具になるのが嫌だと言って、縁談を全て突っぱねている。
もったいない。弟でなければ、自分が娶っているのに。レイはよくそんな風に思う。
「レイ、一つ訊きたい」
「はい、何でしょう」
「彼女は、ローザ・フェガロではなく、お前の異母姉のニナ王女ではないのか?」
「は、い……?」
思わず見開いた目を、レイはすぐさま怪訝なものへと変えた。
(バレた? いや、まさか……クロードは姉上とほとんど接点がなかったはず……)
七歳以降、ニナは全くと言っていいほど社交場に顔を出していない。唯一、国を挙げて行う式典などには出席していたが、顔はベールで隠していたし、誰かに声を掛けられる前に退出していた。クロードも国賓として何度か招かれているのは確かだが、いつも自分が傍にいたのだ。姉と話す機会があったなら、覚えているはずだ。
「まさか。冗談はやめて下さい。姉上は相変わらず自分の部屋に引き籠もってますよ。というか、姉上のお顔をご存知だったんですね」
「ああ、一度だが会っている」
「それは知りませんでした。でも、彼女はフェガロ家の令嬢であって、私の姉ではありませんよ」
「本当に?」
「ええ。――あぁ、そうか。姉上の母君もフェガロ家の方なんですよ。ローザとは確か叔母と姪にあたるかと」
そこまで言うと、クロードは「そうか」と言いながら肩を落とした。
「親戚ならば、似ていても不思議ではないか……」
「ローザが気になりますか?」
「いや、もしかして、と思っただけだ。気にするな」
クロードは軽く手を振った後、再び窓の外に目を向けて溜め息を吐く。
(気にするなとは言っているけれど……)
これは明らかに気にしている顔だ。
(ローザというよりは、姉上を、かな……)
いつ姉と会ったのかは気になるところだが、クロードの方が姉に興味を持っているというのは大変嬉しい事実だ。
(これは使えるかもしれませんね……)
どこか物思いに耽っているクロードの顔を見ながら、レイは小さく笑みを浮かべた。