16
前話までにブクマ・評価・感想を下さった皆様、ありがとうございます。
セシル王女からの手紙は、この前の私の提案を受け入れるという内容だった。そして、王宮内での調査はし尽されたが、原因も対処法も分かっていないということが書かれていた。
もちろん、ただ分かりませんで済む話じゃないから、代わりの対策は検討されているんだろう。でもそれは、セシル王女が力を取り戻すための対策じゃない。
(一番辛いのは、きっと彼女だ……)
二国において、王女は結界を維持することを期待されて生まれてくる。私みたいな側室から生まれた王女で、しかもちゃんと正室から生まれた王女がいるなら、単なる保険程度にしか見られないけど、正室から生まれた唯一の王女となれば、セシル王女に掛けられる期待は大きい。
けれども、その期待を裏切ることになるのだ。重い役目に真摯に向き合っていればいるほど、その罪悪感は大きくなるだろう。
(役目、か……)
私が近い未来にやろうとしていることは、周りから見ればとても無責任な行為に見えるんだろう。
(まぁ、実際無責任なのかもしれないけど……)
けれども別に、セレーネが、ソレイユが、どうなってもいいなんて思っていない。皆がこの国で安全に暮らせるように、結界は是が非でも維持しようと思っている。
(私にできることは、可能な限りやる)
そして、セシル王女を始め、この国の誰一人として諦めていないはずだ。
手紙には、次の日曜日に直接会いたいと書かれていた。何度も王宮を抜け出すのは難しいから、私に王宮まで来て欲しいとのことだ。もちろん、王女は病で臥せっていることになっているから非公式にだ。指定した場所に使いを寄越すと書いてあるから、方法は向こうが考えてくれているんだろう。
(一応、目立たない格好で行くか)
数日後の日曜日、私はこの前図書館で借りた例の本を持って、手紙に書いてあった場所へと向かった。レイには街を散策すると言ってある。
貴族の別邸が建ち並ぶ区域の端の方、目印のように生えている木の傍で待っていると、この前手紙を届けてくれた女性が現れた。
「お越し頂き、ありがとうございます。ローザ・フェガロ様。わたくしはセシル様の世話係を務めさせて頂いております、フィオレと申します」
丁寧な物言いだけど、その目に浮かんでいるのは不信感だ。
セシル王女は私の提案を受け入れてくれたけれど、この世話係は警戒しているんだろう。
(まぁ、それも世話係の役目か……)
リディだって、私に害が及ばないように、私に近付こうとする人間には目を光らせている。
こういうのは徐々に信用を得るしかないだろうから、今の時点でああだこうだ考えても仕方ない。
「ご苦労様です。王女殿下からのお手紙では、王宮に直接伺うようにとのことでしたが、王宮にはどのように入るのでしょうか?」
「準備は整えてございます。まずはこちらへ」
世話係の案内に従って歩いていくと、貴族の邸宅へと裏口から招き入れられた。使用人達が使う出入口だろう。
「ここはどなたの邸宅ですか?」
「セシル様の母君様――現王妃様であられるグレース様のご実家でございます」
「ラングロワ侯爵家ですか」
「はい」
どうりで、でかい屋敷だと思った。今目の前にある建物は使用人の住居で、母屋は大分離れたところにある建物だろう。
(流石に一人で動くのは厳しいから、母方の実家に協力を仰いだんだろうな……)
王妃のグレース様にも話を通してあるのかもしれない。
「ローザ様にはこちらでわたくしと同じ服に着替えて頂き、新しい世話係と称して王宮に入って頂く手筈になっております。それ以外の方法はございませんので、平にご容赦頂きたく……」
「分かりました」
あっさり頷いた私に世話係の人は一瞬呆気に取られた顔をした。気位の高い令嬢とかだと、使用人の恰好をするのは耐え難いと拒否してもおかしくないから、ちょっと構えていたんだろう。
「ここから入っていいんですか?」
「は、はい。入ってすぐ右手の部屋に準備しております」
母屋の裏とはいえ、もたもたしていると怪しまれかねない。お邪魔します、と心の中で言って、建物の中に入らせてもらった。
「では、着替えてきますね」
「はい……」
空き部屋だろうか。簡素なベッドと小さなテーブルと椅子、チェストが一つずつ。テーブルの上に世話係の服が置かれているだけで、部屋自体は使われてる形跡がない。
元々シンプルな服を着てきていたので、着替えに時間はかからなかった。リディ達が着ているのと似たような服に、リュミエール王家の紋章が入った布を腰から下げるだけだ。
黒髪はこの国だと目立つから、お団子にしてみた。帽子か頭巾でもあれば髪を完全に隠せるんだけど、ないなら仕方ない。
(こんなもんか)
まだ王宮を抜け出すルートを見付けていなかった頃、外に出るのに世話係の恰好をさせてくれとリディに頼んで断られたことがあるけど、まさかソレイユに来てこの服を着るとは思わなかった。皆考えることは大体同じらしい。
着ていた服を畳んで空のチェストに隠し、本を持って部屋を出る。
「お待たせしました。服はチェストが空いていたのでそこに入れましたが、良かったですか?」
「はい、構いません。王宮へは馬車で向かいますので、こちらへどうぞ」
歩きじゃないのか、と思いながら付いていくと、裏口の外に裕福な庶民が使うようなシンプルな馬車が待っていた。よく見ると紋章がついているから、ラングロワ侯爵家の馬車なんだろう。
御者の人も話を聞いているのか、私と世話係さんを乗せると何も言わずに馬車を走らせた。
この世話係の人も勝手知ったる感じで侯爵邸の裏口から入っていたから、元々はラングロワ家の使用人なのかもしれない。王家に嫁いだ女性が実家の使用人を連れてくることはよくあることだ。あんまり多いのは問題があるから人数は制限があるけど。
王宮へはものの数分で着いた。
馬車から降りて門を通ろうとすれば、門兵に止められて身分を問われる。一応王宮の使用人の証である紋章入りの布は身に着けてるけど、見慣れない人物は簡単に通さないらしい。まぁ、世話係さんもこれは想定内だろう。
「そっちは見ない顔だな」
「本日から王女様のお世話をさせて頂くラングロワ家の使用人です。王妃様の許可はここに」
世話係さんが書状を出して見せると、「通れ」とすんなり通された。
門を潜って、辺りを軽く見回す。王宮内の造りは、セレーネもソレイユもあまり変わらないみたいだ。
王宮にはいくつも門がある。ここはその中でも裏側、身分の低い下働きが使う門で、直接仕事場――王族の居住エリアに行けるようになっている。
(てことは、クロード王子には注意しないとな……)
一応世話係の恰好はしてるけど、最近よく顔を合わせてるから、下手をしたら気付かれるだろう。
(あとは……彼の護衛とか……?)
この前一緒に街に出掛けた時、護衛は連れて来ていないとクロード王子は言ってたけど、本当に誰もついて来ていなかったらそれはそれで問題だ。
(何回か同じ人を見かけたんだよね……)
男性の二人組だった。人の往来は多かったんだけど、貴族が歩くような通りから庶民の広場まで用がある人間なんてなかなかいないだろう。
似たような雰囲気の人には気を付けながら歩いたけど、それらしい人とすれ違うこともなく、セシル王女の部屋へとたどり着いた。
ドアの傍に控えていた世話係の女性は、私と連れてきてくれた世話係さん――フィオレさんの姿を見ると、何も言わずにさっとドアを開いて部屋の中に入れた。
来客用のテーブルとソファーがある部屋には他の世話係の姿があるだけで、セシル王女の姿はない。
「セシル様は寝室の方にいらっしゃいます」
名目としては、体調不良ということになっているため、基本的に寝室で過ごしているらしい。
「セシル様、フィオレでございます。ローザ・フェガロ様をお連れ致しました」
寝室のドアの前でフィオレさんがそう言うと、中から「お通しして下さい」という声が聞こえてくる。
中に入ると、椅子に座っていたセシル王女は立ち上がって軽く会釈をした。
「ご足労頂き、ありがとうございます、ローザ様。そして私の我が儘でそのような格好させてしまい、申し訳ありません」
私は粛々と礼を返す。
「いいえ、このような状況下です。服に関しては気にしておりません。それに、お礼を申し上げるのは私の方です、王女殿下。この度は私のような者の言葉を受け入れて下さり、ありがとうございます。また、先日は王女様と存じ上げず、非礼を致しましたことをお詫び申し上げます」
「そのように畏まらないで下さい、ローザ様。あの時は驚きましたが、こうして力になって頂けることを嬉しく思います。名前も、どうぞセシルと呼んで下さい」
にこりと微笑むセシル王女に私も笑みを返す。
「お気遣い頂きありがとうございます」
こんな畏まった言葉遣いをするのは、公式な場で父やエリーズ様に話し掛ける時だけだ。つまり、ほとんどそんな機会はないから、そう言ってもらえると私としても気が楽だ。
「さっそくですが、私は何をしたら良いでしょうか? 先日借りた治癒魔法の本には目を通しておりますが……」
「そうですね……まずは現状からお話ししたいと思います。どうぞ、こちらにお掛け下さい」
椅子を勧められたので、ありがたく座らせてもらった。
「こうなったのは四月の初めです。ちょうど、お兄様がレイ殿下とローザ様を出迎えに王宮を空けている時でした。何の前触れもなく、朝起きると、自分の中が空っぽになっているような感じがしたのです。それが何かまでは分かりませんでした。ですが、王宮の魔法の講師が私を訪ねてきた時に魔力がなくなっていると言われて……」
セシル王女は軽く目を伏せる。
「すぐに研究者や他者の魔力を感知できる者が呼ばれましたが、誰も私から魔力を感じ取ることができませんでした。何かの病ではないか、呪いや封印魔法の類ではないかと、医者や研究者、学者も総出で調べてくれましたが、魔力を失ったこと以外私に変わりはなく、呪いや封印魔法の説も否定されました。過去に似たような例もないそうです……」
一つ息を吐き、セシル王女は再び口を開く。
「皆が、必死に調べてくれていることは分かっているのです。漏れなど一つもないでしょう。ですが、それでも私は諦めきれず、学園の図書館に行きました。王宮の書庫は研究者達の出入りが多く、私が行くと気を遣わせてしまいますから……」
「では、学園の図書館にしかない本があるというのは……?」
「それは本当です。図書館の管理人が好事家で、昔自分で集めた魔法書をいくらか図書館に置いて下さっているんです。中には王宮にもない本があるという噂で。ただ、どれがそうなのかは本人に聞かないと分からず……端から探していったのですが、想像以上に本の数が多くて、見付かったのはローザ様が借りられた一冊だけでした」
なるほど。随分高度な専門書だとは思ってたけど、本当に珍しいものだったらしい。
「あとで王宮の者にも確認しましたが、同じ本は王宮にはありませんでした」
セシル王女はそう言った後、少しだけ肩を落とす。
「ただ、ローザ様にも訊かれましたが、恐らく、その魔法書の魔法を使いこなせる人間は王宮内にはおりません。伯母で、現在塔の核へ魔力を籠める役目を務められているアデール様ならば使えるかもしれないと思い、先日お会いしようとしたのですが、体調を崩されてしまい……」
その言葉に私は軽く目を見張った。
「現在役目を務められている王姉殿下が、体調を崩されたのですか……?」
「え、ええ。出掛けようとした時に眩暈を起こされたそうです。その後はご快復なされたそうですが、私もこのような状態ですのでまだお会いできておらず……」
一時的な体調不良みたいだけど、このタイミングというのがかなり引っ掛かる。何か重い病気を患ってしまったのなら、治るまでは役目を務めることは難しいと思っていい。
(確か、夏だった……)
ゲームの流れでは、夏頃に王都付近に魔物が現れたという報告が上がってきて、塔の核の魔力が減っているかもしれないから、様子を見がてら少し魔力を補充しようということになる。
結界は二つの塔の魔力のバランスが取れていないと駄目だから、基本的にちまちま補充するのが常だ。補充が難しい時は、もう片方の魔力を減らしてバランスを取るんだけど、減った分結界の効力は落ちるから、そう何度も取れる手段ではない。
(風邪ぐらいならいいけど……)
「ローザ様、どうかなさいましたか……?」
単なる体調不良かもしれないのに不安を煽るような話をするわけにもいかず、私は「いいえ、何でもありません」と首を横に振る。
「王姉殿下には劣るでしょうが、私も治癒魔法は使えますから、あの本の魔法を試してみましょう」
「はい、お願いします」
持ってきた魔法書を開いて、簡単なものから順に試していく。
手当たり次第というわけにもいかないからある程度ピックアップはしていたけど、原因が分からない状態では適した魔法も選べないということだろう。どの魔法もこれといった手応えはなかった。
(あとは……)
「次で最後です」
魔法書の中でも後ろの方のページを開く。
分類するなら、全状態異常回復といったところだろうか。使う魔力の量も今までに比べると格段に増えるし、集中力も必要だ。
初めて使う魔法は、自分の中でどれだけイメージを具体化できるかが勝負だ。自分でもよく分からないものは、精霊にも伝わらない。
「“癒しの風吹かば、数多のものがその苦より放たる――”」
本に書かれた呪文を読み上げながら、イメージを明確にしていく。毒ならば霧散するように、麻痺ならば縛った紐を解くように――。
(魔力が生まれないなら、また生み出せるようにすればいいのか?)
枯渇しているのか蓋を閉じられている状態なのか分からないけれども、泉から水が湧いて溢れ出るようなイメージを頭の中に思い描く。
「“風の精霊よ、この者を健やかなる状態に復せ”」
唱え終わると同時に身体から結構な魔力が持っていかれたのが分かった。上級魔法なだけはある。これは日に何度も使えないタイプだ。
疲労感に軽く息を吐いて、セシル王女の様子を見る。
魔法自体はちゃんと発動したと思うけど、彼女からはまだ魔力を感じ取れない。
「駄目、なようですね……」
「はい……」
セシル王女もそして見守っていたフィオレさんも目に見えて落胆している。私もすんなり上手くいくとは思ってなかったけど、これだけ高度な魔法を使っても何の変化もないという現実にちょっと打ちのめされた。
「すみません、何か飲み物を頂いてもよろしいでしょうか……?」
「あっ、これは、失礼しました。ずっと魔法を使わせているのに何の配慮もなく……。フィオレ、すぐにお茶の用意を」
「かしこまりました」
フィオレさんは一礼をして一旦部屋を出ると、またすぐに戻ってきた。外で待機している他の世話係の人に頼んだのだろう。
一旦休憩ということで、私も少し肩の力を抜いた。本当はぐったりと椅子に寄り掛かりたい気分だけど、王女様の前で侯爵令嬢がそんなことをするわけにはいかない。
「疲れるまで魔力を使わせてしまって申し訳ありません……セレーネの方にここまでさせてしまって……ですが、他にどなたを頼っていいのかも分からず、ローザ様には本当に感謝しております」
基本的に素直な方なんだろう。セシル王女の顔には、不安や恐怖、罪悪感、悲しみ、感謝の念、色々な感情が表れているように見えた。
「先にお会いした時も申し上げましたが、結界はソレイユとセレーネの二国で維持していくものです。セシル様が気に病まれる必要はありません。今回はソレイユでしたが、セレーネにも同じことが起こらないとは限りません。我が国に何かあった場合、我らもやはりソレイユの助力を求めるでしょう。それは恥でも何でもありません。二国は互いに支え合いながら生きているのですから」
それは他国にはない強みだと、レイもクロード王子も言っていた。未来の王二人が言うんだから、私達もそういう考えでいいはずだ。
「ありがとうございます。そう言って頂けて、とても心強く思います。ですが、どうかご無理はなさらないで下さい」
「大丈夫ですよ。一気に魔法を使ったので少し疲れてしまいましたが、魔力自体は半分も消耗していません。しばらく休めば回復します」
ステータスとかがないから自分の感覚でしかないけれど、魔力自体はまだ三分の二ほど残っている。最後の全状態異常回復魔法で全力疾走した感じになったから、疲労感はまだまだ取れないけど。
にこりと微笑ってみせれば、セシル王女は驚いたように目を瞬いた。
「上級魔法を使いこなせるだけでなく、あれだけ魔法を使ってもまだ余力がおありだなんて……ローザ様はとても優秀な方なのですね」
幼い頃からこつこつ練習してきた結果だから優秀とは少し違う気がするけど、同年代の人達が今日使った魔法の半分も使えないのは確かだ。魔力量については、王族だから、の一言に尽きる。
「フェガロ家では、学園に入る前から魔法について学びますから、そのせいでしょう」
嘘も方便だ、と思いながら苦笑する。フェガロ家については嘘ではないけれど。
ただ、それがセシル王女の興味をそそる話だったようで、それからフェガロ家のことを色々と尋ねられてしまった。
セレーネの上流階級なら誰でも知っているような話と、伯父達や従兄弟から聞いた話くらいしか知らないから本当に困ったけど。
王子王女といい、アルベルト・ルーデンドルフといい、フェガロ家に興味を持ち過ぎだ。夏休みに入ったら、従兄弟の一人でもこっちに呼び出して語らせた方がいいんだろうか。
(そんなことしてる余裕ないか……)
このままゲームのシナリオ通りに進むなら、夏に一度太陽の塔に向かわないといけなくなる。
その後どう転ぶかは分からないけど、もしカンザキさんが色々と上手くやって私が晴れて退場となったら、新しい付き人に従弟のリーンハルトを推しておこう。同い年でレイとも結構仲がいいから、適任だろう。
そんなことを考えている間に、世話係の人がお茶とお菓子を持ってきてくれて、部屋の中は完全にティータイムと化した。
「そういえば、ローザ様はまだご婚約されていないのですね」
セシル王女の視線が私の右手へと向かっている。
この世界では婚約すると右手に揃いの指輪なり腕輪なりをはめるのが基本だ。装飾品の類を一切付けていないから、私が誰とも婚約していないのは一目瞭然だ。
「え、ええ、そうですね」
上流階級では大体十歳以降になると親が婚約者を探し始める。本腰を入れるのが社交界デビューをする十五歳前後だ。学園を通して今まで縁のなかった家と新たに繋がりを持ちたい場合は、入学するまで決めないし、どうしてもここと繋がっておきたいという家がある場合は入学前に婚約している。
今いるクラスだと、決まっているのは半数くらいだろうか。多いのか少ないのかまではちょっと分からない。
「噂によると、レイ殿下もまだご婚約者を決められていないそうで、もしかして、付き人であるローザ様が婚約者になられる予定なのでしょうか?」
好奇心と、それから恋愛話への期待なのか、セシル王女は頬を少し染めている。
私は天を仰ぎたくなるのを必死に堪えた。
(やっぱそうなるよね!)
女を付き人にするから変な誤解ばかり生むんだ。しかもレイに降りかかるならまだしも、私ばかりが被害を受けている気がする。
「いいえ、残念ながら、そのような予定はございません。私もレイ殿下には早く相応しい人を見付けて頂きたいとは思っているのですが……」
「ローザ様は候補に入っておられないんですか……?」
「はい」
なんたって、姉弟ですから。
「そうですか……」
恋愛話が聞けないからか、セシル王女はしゅんと気を落としてしまった。
王宮の生活なんて、話し相手は基本的に世話係くらいだ。セシル王女には姉妹がいないから、同年代の女子と話す機会なんてほとんどないだろう。
学園に通えていれば、いくらでも話せただろうけど、通おうとした矢先に魔力を失っているし。
(ええと、こういう時は……)
「セシル様の方はいかがなのでしょう? 気になる方とかがいらっしゃるのですか?」
とりあえず恋愛話を続けてみようと、セシル王女に振ってみたけれど、セシル王女は悲し気に目を伏せてしまった。
「お慕いしている方がいまして、もうすぐ婚約予定だったのですが、私がこのような状態になってしまいましたので……」
(うあー、地雷踏んだ……!)
テーブルに突っ伏したくなったけど、とりあえずフォローをしなければ、としどろもどろになりながら、口を開く。
「ええと、相手の方から、その、お断りが……?」
「いいえっ、そんなことは……! とてもお優しい方なので、私が魔力を失ったままでも構わないと仰って下さっているのですが、魔力を持たない王女など、何の価値もありません……子を宿しても、その子が魔力を持たずに生まれてきたらと考えると……」
婚約するわけにはいかないと考えているのは、セシル王女の方らしい。
王女としての役目を全うしようとしているセシル王女なら、そういう考えになるのも分からないでもない。
(私だったら、これ幸いと平民に降格するだろうけど……そうだな、魔力を失ったら私も自分の価値が分からなくなるかもしれない……)
でも、だからといって、強い魔力を持った子供を産めることを私自身の価値だとは思いたくない。そんなもの、ただの道具としての価値でしかない。
セシル王女が言っているのも、王女としての価値だ。王女である以上、そこの価値が問われるのは分かっている。けれども、ただそれだけが自分の価値だと考えさせてしまうのは、嫌だと思ってしまった。
「王女の価値が魔力の有無であるならば、お相手の方にとってもセシル様は王女としての価値は無くなっているでしょう。ですが、その方は、魔力を失っていても構わないと仰っているのでしょう? 魔力がなければ王女としての価値もない。もっと言えば降格の危険性もある。でしたら、その方が求めているのは、“魔力”でも“王女様”でもなく、セシル様ご自身ではないでしょうか」
「私、自身……?」
「セシル様のお相手となるのですから、その方はそれなりの身分の方でなのでしょう? ただ一族の繁栄のためだけにセシル様を望んでおられるのでしたら、魔力や王女の夫という身分を得られなくなった時点で辞退されているはずです。憐れみだけでは、一族に利はもたらされませんから。何の利益もないのにそれでも求められているということは、その方はセシル様の人となりを見て、妻にと望んでいるのだと私は思います」
「わ、私……」
セシル王女は顔を真っ赤に染め上げる。
私の言葉だけでここまで反応するとは思えないから、これまでに何か似たようなことを本人から言われているのかもしれない。
「わ、私は、諦めなくてよいのでしょうか……?」
「諦めなくていいと思います。その方の心に沿うことも一つの誠意でしょうから。それに、私は今日協力し始めたばかりです。まだまだできることはあるでしょうし、何より、諦めていないからこそ、私を呼ばれたのでしょう?」
「は、はい……」
セシル王女はぼろぼろと涙を零した。零しながら、半ば諦める気持ちもあったが、諦めきれなかったこと、それでも相手に迷惑を掛けないよう、魔力のことはともかく、婚約のことは諦めなければならないと自分に言い聞かせていたことを語った。
ひとしきり泣いて落ち着いた後、セシル王女は今までよりも少し強い目をして言った。
「ありがとうございます、ローザ様。私はまだ諦めません。魔力のこともあの方のことも……ですから、ローザ様がソレイユに滞在なさってる間は、どうか私にご協力下さい」
「はい、もちろんです」
色々と吹っ切れたんだろう。現状としては打開策も見つかっていないから厳しいものがあるけれど、この子なら最後の最後まで折れないだろうと思わせてくれる心強さが生まれたような気がした。
「セシル様、魔法書を読みながら一つ考えていたのですが、その方法を試してみてもいいでしょうか?」
「はい。どのような方法でしょうか?」
「魔力がないなら直接分け与えれないかと思いまして」
RPGで偶にMPを味方に与える魔法があるけど、それと似たような感じのことができないかと考えていた。この世界の魔法書にはそういった魔法はないけれど、結界の核なんかに魔力を直接流し込んで補充するように、魔力そのものを別の何かに与えることは可能だ。
「上手く行くかは分かりませんし、上手く行ってもただの一時しのぎになるかもしれません。私の魔力に反応して再び魔力が生まれれば一番良いのですが……」
要するに、私の魔力で彼女の身体に直接刺激を与えるということだ。この世界の魔法は、私達の魔力を媒介に精霊が起こす奇跡のようなものであって、治癒魔法も相手の身体に直接魔力が流れ込むわけではない。セシル王女の状態異常が封印魔法でないことは分かっているから、身体のどこかにあるだろう魔力を生み出している部分を刺激すればいいのではないか。駄目だとしても、魔石のように魔力を体内に留めてくれれば、一時しのぎにはなる。
考えていることを細かく説明してみると、セシル王女は呆気にとられた顔をした。
「ローザ様は、他の方では思い付かないようなことを考えられるのですね」
色んなゲームや漫画を見てきた賜物だから何とも言えない。
「い、いえ、そんなことは……できるかどうかも分からないので机上の空論に過ぎませんし……。そんな方法ですが、試してみても大丈夫でしょうか?」
上手く行かなくても害にはならないだろうから、私としては試させて欲しいところだ。
セシル王女は力強く頷いた。
「ええ。治癒魔法はどれも上手くいかなかったんです。どのような方法でも試していかなければなりません」
「では、お手を……」
差し出された右手を両手で軽く包み、目を閉じて集中する。
一気に魔力を送り込んでしまうと身体の負担になるかもしれないから、僅かな量を少しずつ送っていく。
徐々に魔力の量を増やしていくと、不意に私の魔力ではない別の魔力を彼女の手から感じ取った。
私は目を開ける。
(今の……)
「ローザ様……?」
本当にごく微量だったから、セシル王女自身は気付いていないのかもしれない。でも、今の感じは確実に私の魔力ではなかった。だって属性が違う。
「セシル様はもしかして、土属性の魔力をお持ちですか?」
「は、はい、そうです……でも、どうして……」
「フェガロ家では、相手の魔力の属性を知る方法を教えられます。今、僅かにですが、セシル様の魔力を感じました」
「ほ、本当ですか!?」
「はい」
ただ、問題なのは、感じた魔力が一瞬で消えてしまったことだ。私が彼女に送り込んだ魔力も、留まることなく消えていってしまっている。
私はセシル王女の姿を見つめる。
最初に会った時と同じで魔力は感じられない。空っぽだ。
魔石のように他者の魔力を溜め込めないなら、私の魔力が消える理由は分かる。でも、彼女自身の魔力も消えてしまうということはどういうことだろうか。
(もしかして、魔力自体はずっと生み出せているとか……?)
それがセシル王女の中に留まらず、何処かに行ってしまっているのか、または消えてしまっているのか。
(でも、漏れてしまっているなら、彼女の周りには魔力を感じられるはず……でも、それはない……)
なら、消えてしまっていると考えるしかないけど、使ってもいない魔力がどうやって消えるのだろうか。
「ローザ様、あの、何か問題が……?」
一人で考え込んでしまっていたから、セシル王女を不安にさせてしまったみたいだ。
今の段階でこれ以上考えても何も分かりはしないだろうから、私は今分かっていることだけを伝えることにした。
「セシル様、今の感じからしますと、セシル様ご自身が魔力を生み出せなくなったわけではないと思います。ですが、本来ならセシル様の中に留まるはずの魔力が消えてしまっています」
多分、作られたそばから、根こそぎ。
「ただ、魔法を使っていないのに魔力が消えるような例を私は知りません。何かが起こっているのは確かなのでしょうが、その何かが分からなければ解決策も見つからないと思います。あくまでも、私の考えですが……」
「そうですか……ですが、今までは本当に何も分からなかったのです。それを考えれば今日一日で分かったことは大きな進歩と言えます。ありがとうございます」
「いいえ、結局はまだ何も成せていません。原因が何なのか、私にできる範囲で調べてみてたいと思います」
「私も、王宮の書庫で調べたいと思います。書庫に出入りする者達に気を遣わせるから、などと言っていてはいけないと感じました。もっと早くに自分で動くべきだったのです……」
いや、十分動いてたと思うけど。じゃないと、図書館で出会うなんてことなかっただろうし。
まぁ、そこは個人の解釈だから突っ込まないでおこう。本人が不十分だと思えば不十分なのだ。
何はともあれ、これで事態もいい方向に向かっていきそうな気がして、私はほっと肩の力を抜いた。
「頑張りましょう、セシル様」
「はい、ローザ様」
「復す」は本来なら「復つ」なのですが、古語であまり馴染みのない読みなので、意味に当てはめて読みと送り仮名をつけました。