第5話 迷信が降らせた雨 前編
それはどこかの街、誰かの家。女の子は目の前に吊るされたてるてる坊主を見つめてつぶやく。
「明日は大雨になればいいのに」
女の子はそれで気がすんだのか、足早に部屋を出る。扉を開けた時に一瞬足を止め、土砂降りになっちゃえともう一度こぼして。
逆さまに吊るされたそれは彼女を黙って見送った。
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ひんやりとした空気が漂う居間。どんよりとした雲がたれこめる空をチラリと見てため息をつき、また淡々と朝食の用意に戻る。
雨は好きじゃない。昔は静かな雰囲気が好きだったが、洗濯などを自分たちでやるようになってからはただ煩わしいものと感じるようになった。
「おっはよー、お兄ちゃん!」
鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で入ってきた優におはよう、と返して目玉焼きを乗っけた皿をテーブルに置く。
「随分ゴキゲンだな。何かあったか?」
「だって今日は雨でしょ。 体育も中止だよ!」
なるほどね。俺はトーストを頬張りながら頷いた。優は俺ほどではないにしろ体育が苦手だ。
「今は短距離走をやってるんだけど、新しい体育の先生が厳しいの。仮病とか絶対許さないタイプ......うぇ」
これ焦げてるじゃん、と優が差し出してきたトーストの裏面は確かに少し焦げていた。
「トースターの設定を間違えたかな。時間がないからそのまま食べろ」
そんなぁ、と優がブーたれるのを無視して話を戻す。
「それで雨が降って喜んでるのか」
「そゆこと。 みんな体育が嫌だって言っててね、てるてる坊主を逆さに吊るすって言ってた子もいたくらい」
てるてる坊主ねぇ。スープを一口すすり、カップを戻す。
「そんな迷信は気休めにしかならんだろ」
「迷信でも何でもいいよ。雨が降っているってことが大事なの」
ふぁ、と一つあくびをしてから優は続ける。
「ユークオンちゃんはまだ寝てるから朝ごはん残しとかないとね」
「またか......。と言っても昨日は大変だったからなぁ」
ユークオンは朝が弱い、ということは一週間程彼女と生活して分かったことだ。洗い物は登校前に済ませていたのだが、彼女が来てからはそうもいかなくなった。
「聞いたよ、魔法を使うの失敗したんだって?」
くぅ、人の傷をえぐりやがって。
「久しぶりに魔法を使ったからな、仕方ないさ」
「やっぱり練習しといた方がいいよ、今後のためにも」
ごちそうさま、と言って優は席を立った。
今日の連絡事項は以上だ、と行って担任は教室を出ていく。話が前後して分かりにくいのは何とかしてほしいと切に願う。俺は立ち上がってごちゃごちゃした椅子や机をかき分けていった。
「新宮さん! 」
彼女は他の女子と話しているようだった。また後でもいいか、と席に戻ろうとした時彼女が声をかけてきた。
「どうかしました、月田君」
「いや、別に今じゃなきゃって話でもないんだけど......大丈夫か?」
ええ、と答えながら彼女は耳にかかった髪を後ろにやった。
「木立さんの体調はどんな感じ? 今日は休んでるみたいだけど」
「ええ、昨日月田君が帰ってから目を覚まして、少し良くなったみたいです。今日は大事をとったんじゃないでしょうか」
思わず胸をなでおろしていた。回復していっているなら大丈夫だろう。
「今日お見舞いに行くんですけど、よければ一緒に行きませんか?」
えっ、と漏らしてしまったことに気付いて慌てて口を覆う。女子の家に行ったことなんて今まで無かった。
「え、遠慮しておくよ。遠いし、俺が行っても迷惑だろう」
実際、昨日俺が役に立ったのは木立さんの家に着くまでだった。出張から帰ってきたばかりという彼女のお父さんに事情を話すのも、新宮さんに任せる形になってしまった。それどころかボロボロになった服の代わりに木立さんの弟の服を借りてしまった。
「迷惑じゃないと思いますけど......。何か言伝は?」
伝言ねぇ。お見舞いの言葉と服のことと、後は、そうだな。
「『お大事に。弟さんの服は今度洗って返します』と、それから」
「それから?」 首をかしげる新宮さんに俺は続けた。
「『俺は君が杖を持つことに納得した訳じゃない』と伝えてくれ」
昨日の一件でも、納得がいかなかった。彼女はまだ”普通の中学生”として生きていくことができるはずだ。
「伝えておきます。それと月田君の服のことですけど」
彼女は肩をすくめて頷いた。
「あちこち焦げてて直せそうもないので一から作ろうと思うんですが、いいですか?」
作り直す? 服を? とっさに手を横に振っていた。
「いやいや、そこまでしてもらわなくていいよ! 大変でしょ」
昨日服を着替えた時に『私が直して持ってきましょうか?』と言ってきたから何の気なしに頼んでしまったが、そこまでしてもらうのは気が引ける。
「いいんです、私お裁縫好きですから。その代わりと言ってはなんですが、お願いがあります」
両手を合わせる彼女になんとなくいいよ、と答えるとニッコリ笑ってこう言った。
「ひなたちゃんに魔法のことを色々教えてあげて下さい。分からないことが多いと思うので」
いやそれは、と言おうとした時ちょうど予鈴が鳴った。
「それじゃ、お願いします」
そう言って彼女はそのまま席に戻ってしまった。
午前中の授業はどうにも集中できなかった。眠いとかそういう問題じゃない。外が気になるのだ。
天気はますますひどくなっていた。雨粒は窓をたたき、風は木をなぎ倒さんという勢いだ。
四限終了の号令で立ち上がった時、チャイムが鳴り響いた。
「先生方は授業終了後、至急職員室にお集まり下さい」
それだけの放送にクラスメイトたちはざわめきだした。このまま帰れるかもしれないと思っているんだろう。俺も早く帰してほしかった。家に帰ってゴロゴロしたい、という訳じゃないが。
教室に戻ってきたのは四限の数学教師ではなく担任の大林先生だった。
「えー、見てのとおりこの天気だ。先ほど大雨・洪水警報もだされたらしい。校長先生は......」
あちこち飛びがちな話をまとめると、市内を流れる風谷川に氾濫の危険有り。警報が出たのですぐに帰れ、ということらしい。他のクラスの生徒が教室を飛び出すのを横目で眺めながら、俺たちはその後五分も長話につき合わされた。
「先生、話が少し長いです」
ズバッと皆の心の声を代弁したのは学級委員の堂町さんだった。ポニーテールが似合う女の子で、自己紹介の時『性格のキツそうな子だな』と感じたのを覚えている。
「えー、あれだ。気をつけて帰れ。出歩いたりするなよ」
先生は皆の視線に気づいたらしく、慌てて話を打ち切った。
それで解散となり、皆は雪崩を打って教室から出ていった。
「まったく、ひどい雨だよな」
純一は俺の席まで来るなりげんなりした様子で漏らした。
「ああ。この時期にこんなに降ったことなんて無かったんじゃないか?」
オンダンカの影響ってやつかもな、と生返事をする純一と裏腹に俺はある心配をしていた。
「早く帰ろう。ぐずぐずしててもしょうがない」
そうだな、という純一の声とともに席を立った。
「お帰りー!」
純一の家の玄関を開けた途端、優がリビングから飛び出してきた。
「やっぱり優も帰されたか」
うん、と優はホクホク顔で頷く。
「今日は思いっきりゲームするんだー」
すぐゲームのことを考えるのはいかにも優らしい。純一も呆れたように笑っていた。
先に手を洗ってくるよ、と俺たちの間をすり抜けていった純一を目で追いながら、俺は優の耳元でささやいた。
「俺は飯を食ったら精霊を探しに行く」
えっ、と驚いた声を上げる優の頭を軽くはたいて洗面所に向かう。
「この大雨は魔法が絡んでいるかもしれない。そんな気がするんだ」
「......で、どうしてスグリも一緒なんですか?」
家の玄関で怪訝な顔をして尋ねるユークオンに俺は気おされながら答える。
「いや、あの、どうしても行くって聞かなくてな」
「私も一度でいいから精霊さんに会ってみたい!」
おとなしくゲームをしていればいいのに、優は一度言い出したら聞かなかった。まあお義母さんに『優が落とし物したっていうから』という外出の口実ができたのは助かったけど。
「確かにこの雨が”レイン”という精霊の力によるものである可能性はあります」
ただ、とユークオンは言いづらそうに続ける。
「雨が広範囲に降っている以上、どこにいるかは見当がつきません。無駄足になるかもしれません」
やめておいた方がいい、と言いたいのだろうか。俺は頭を横に振った。
「風谷川が氾濫するとかしないとか、そういう状況なんだ。魔法の力のせいなら、黙って見ている訳にはいかないだろ」
そうですね、と彼女は顔を引き締めた。
「行きましょう。手遅れになる前に」
俺は月の杖を腰に差し、傘を片手に雨の降りしきる街へ駆けだした。