第3話 青天の霹靂 前編
今作の主人公の一人、木立ひなたが魔法使いになるお話。
じんわりとした暖かさを感じるようになった春の昼下がり。土曜日だからか、川前町商店街はいつもより混んでいた。私はその中をスキップで通り抜けていく。明後日から中学生。お父さんからもらったお小遣いでカバンにつけるかわいいキーホルダーか何かを買うつもり。
「あら、ひなたちゃん。お使いかしら」
私が通りかかったのに気が付いて声をかけてきたのは肉屋のおばさんだった。普段はここでハンバーグやトンカツの材料のお肉を買っていく。
「ううん。今日はお父さんがくれた入学祝いで何かかわいいの買おうと思って」
「そうかい、良かったね。気をつけていくんだよ!」
おばさんはそう言って笑顔で手を振ってくれた。今日は何だかいいことがありそう。私はまた鼻歌交じりに歩き出した。
「あれ?」
私は商店街の一角に足を止める。魚屋と金物屋に挟まれた小さな雑貨屋で、注意して歩かないと素通りしてしまいそうなほど目立たなかった。こんなお店あったかな。なんとなく興味を惹かれて、お店の前であくびをしているおばあさんに軽く会釈してから店内に入る。売り物の整理をあまりしないのか、中は思ったよりも散らかっていた。
「うーん......どれにしよう」
つい独り言を言ってしまったことにハッとして左右を見回したけれど、私の他にお客さんはいないようだった。気を取り直して目の前に積まれた本やらワッペンやらの山から掘り出し物を探す作業に戻った。
「......なんだろ、これ」
私は一本の杖を手にしていた。カバンにつけるには大きすぎるけれど、デザインは好きだった。シンプルな木製の柄の先っぽには太陽の形をしたクリスタルがくっついている。持っているだけで、何だか本物の魔法少女になれた気がした。誰もいないよね。私はもう一度価辺りを見回す。お店の主人らしいおばあさんは店前に置かれた椅子に座ったまま動かないようだった。
「えいっ! なんちゃって」
幼稚園の頃によく見たアニメのヒロインみたいに杖を振ってみる。......当たり前だけど何も起こらなかった。気恥ずかしくなって杖を棚に戻そうとした時。
え、なに? 私は思わず杖をまじまじと見つめる。杖に付いたクリスタルがぼんやりと橙色に光り始めた。
「きゃっ!?」
光はいよいよ強くなり、反射的に両手で目をおおう。ガシャン、という嫌な音がしたけどそれどころじゃなかった。
ようやく光が収まったのを感じて、私はゆっくり目を開ける。何だったんだろう。一瞬のようにも、ずいぶん長かったようにも思えた。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
さっきのおばあさんが心配そうな顔で寄ってきた。
「はい、大丈夫です。......あっ!」
おばあさんの視線の先には、クリスタルが欠けた杖が転がっていた。どうしよう。背中から汗がふき出るのを感じた。
「あの、......ごめんなさい。弁償しますから」
私はそう言って頭を下げる。怖いのか、悲しいのか分からないけれど、心臓がつぶれてしまいそうだった。手が頭に触れたのに驚いてとっさに顔を上げると、おばあさんは私の頭をなでた。
「いいんだよ、気にしなくて」
私の肩くらいの身長しかないおばあさんは、私の目をじっと見て、無事が一番さと独り言のように呟いた。すっと、肩の力が抜けたようだった。
「でも、この杖......」
「いいさ、持っておゆき。どうせあたしも今の今まで忘れていた代物だからね。捨てちゃっても構わんよ」
「いえ、あの......。頂きます」
私は杖を拾ってもう一度おばあさんに頭を下げる。そのまま店の前まで見送ってくれたおばあさんの視線に不思議と懐かしさを覚えた。
私が通りを歩きだして十歩もいかなかったと思う。
「こらー! おいていくなー!」
突然かん高い声がしたと思ったら、肩をぎゅっと掴まれていた。
「ちょっと、やめて下さい!」
チカン?そう思って振り返ると......
鳥さんがいた。オウムの仲間かな。全身が真っ白なのに、胸の部分だけ黄色い羽根が生えていて太陽のような模様ができていた。
「おいていくなんて、どういうつもりなんだ!」
またオウムさんが大声を上げる。あまりの声の大きさに、買い物をしていた人たちの注意を惹き始めていた。ここじゃ目立っちゃう。私は急いで商店街を抜けて人がまばらな通りまで駆けていった。
「オウムさん、どこから来たの?」
私は電柱の陰でこのオウムに質問してみた。きっとどこかのおうちから逃げ出してきたのだろう。
「ボクはオウムじゃない、ゾンニッチリだ」
オウムさんは気が立っているようだった。まるで私が悪いことをしたでも言いたげににらみつけてくる。
「じゃあ、ゾンニッチリさん。おうちはどこ?」
「杖の中にいた」
ダメだ。私は風に流されがちな前髪を押さえてため息をついた。やけにすらすらと話すオウムさんだけど、やっぱり限界があるみたい。
「キミ、やっぱり分かってないな。自分のしたこと」
えっ、と顔を上げる。なんで、なんでこんなことを喋るのだろう。だんだん怖くなってきたよ。
「キミは魔法の精を解放してしまったんだよ。このままだと大変な......あれ?」
私は全力で駆けだしていた。あのオウムさんはきっとオバケ。たたられる前に逃げなきゃ。
「おーい、いい加減にしろよ!」
いい加減にして欲しいのはこっちの方だよ、と私は肩で息をしながら思った。さっきから十分は逃げ回っているのに、あのオウムさんはずっとついてきている。
「もうやめて、私に構わないでよ!」
「そういう訳にはいかないぞ。キミにはレスポンシビリティがあるからな」
オウムさんは近くの木の枝に留まるなりまた意味の分からないことを言い出した。
「れ、れすぽんし......?」
「Responsibility......責任さ。キミには杖を元通りにする責任があるってこと」
オウムさんはそう言って私のカバンを指した。なんか本気みたい。そう感じた私は思い切っていろいろ聞いてみることにした。
「杖って、私が貰ったこの杖のこと?」
カバンから杖を取り出して見せてみた。
「そうだ。キミがその杖を振ったせいで精霊が逃げ出したんだ!」
せいれい......ってあの精霊のことだよね。それが逃げ出した?
「ちょっと待って!全然わかんないよ。どういうこと?」
私がそう聞くと、オウムさんはいよいよ目をつり上げて怒り出した。
「魔法使いのくせに精霊を知らないぃ?ジョークも休み休み......」
オウムさんはそこまで言って突然黙り込む。見つめ合う私と彼の間をさぁっと風が流れていった。
「......本当に知らないのか?」
「だって私魔法使いなんかじゃないもん」
「これまで魔法を使ったことは?」
「ないよ、全然」
彼はやれやれといったふうに翼を頭にやった。人間でいうところの「頭を抱える」ってポーズなのかな?
「つまり、なんだ。キミは急に魔力に目覚めて、杖の中で眠っていた精霊を解放してしまったと?」
精霊を解放、というのがよく分からなかったけど、とりあえず頷いておく。はぁ、と彼はため息をついて言った。
「まさか魔法に縁がない奴が太陽の杖の封印を解いてしまうとはね......」
気取った感じで考え込む素振りをする彼に、私はまた腹が立ってきた。
「勝手に考えてないでさ、どういうことか教えてよ!」
彼は私の剣幕にビックリしたみたいだったけれど、説明しだすでもなくうつむいてしまった。沈黙を埋めるような自転車のベルの音がさっきから何度かしていた。また問い詰めようとした時、彼はこれまでで一番真剣な表情をして言った。
「これから話すことは大嘘に聞こえるかもしれない。けど事実だ。真剣に聞いてくれ」
私は頷くしかなかった。
彼......ゾンニッチリ君の語った話はどうにも信じがたいものだった。この杖が”太陽の杖”という本物の魔法の杖だとか、ゾンニッチリ君はこの杖の守護者で私が精霊を解放した時に目覚めたとか。ほかにもくどくどと語っていたけど、正直半分も覚えていない。
「......という訳でキミには逃げ出した精霊を杖に戻す責務があるのさ」
彼はそう話を閉じた。後は私が『精霊を杖に戻す』と言うのを待つだけ、というつもりらしい。だけど、そう簡単に話に乗ったりしない。
「魔法が存在するって証拠はあるの?」
意地悪く聞いてみた。ゾンニッチリ君は今のところ『とってもおしゃべりなオウム』に過ぎない。
「そうだな、それじゃあ......」
彼がそう言いかけた時だった。
「きゃー!」
短く、そして鋭い悲鳴が飛んできた。
「何かあったのかもしれないな。Let’s Go!」
ゾンニッチリ君は脇目もふらずに飛び立っていった。
「ちょっと、待ってよぉ!」
急いで後を追った。見失わないように必死に走っていたから、行く手から聞こえてくるゴロゴロという音なんて気にとめなかった。