その7
意識が安定してきて、寝ぼけ眼を手でゴシゴシと擦る。
どこからどこまでが夢だったのか、そもそもさっきまでのが夢であるのかも不明なんだけど記憶があやふやだ。
「頭痛い・・・」
フラフラと起きて手探りでスマホを探そうとする、がいつも通り枕の近くで充電しているだろうスマホを探し出すことが出来ずに
ようやく視力に頼りだしてみると、視界に広がるのは見慣れない部屋だった。
否、部屋ですらなかったしベッドで寝ているわけでもなかった。
枕は枕ではあったものの、私が身体を預けていたのはベッドではなくソファだったし、そこはどこか知らない会議室のような場所だった。
転びそうになりながら身体を起こし、扉を開けると何だ、見慣れた廊下に出た。
「おはよう。頭大丈夫?」
通りがかった東江先輩が私を見るなりそう言った。
心配してくれているのはわかるけど、なんだか馬鹿にされているような言い方になっている。
寝起きでこんな事を言われるなんて思いもしなかった。
「大丈夫です」とだけ伝える。
「しぶちゃんから聞いたよ。帯刀さんに吹き飛ばされて頭打ったって。それでそのまま気絶したんだって」
みんな心配してたよ?と東江先輩はそう続ける。
あまり覚えてはいないけど、聞く限りでは壮絶とした光景だったんだろうと思う。
というか人間一人を吹き飛ばすって、やはり恐ろしい人だな帯刀さん。
「一応、家の人には連絡したから今日はもう帰っていいよ。ただ高槻さんもしぶちゃんも心配してたからチラっと顔見せてあげてね」
「わかりました。」
そういうと東江先輩はセカセカと業務に戻っていった。
フワフワとしているが、東江先輩は遠目から見ると意外とテキパキと仕事をしているように見えた。
そんな事を言うと、「一言余計だよ」なんて言われそうだが、そんな事はお互い様だと言える。
最初は、なんだか頼りにならない残念な人だ。なんて思っていたけれど、それでもこの人でしか出来ない仕事もあるし
実は一人で一番仕事をこなしているのかもしれない。
さっきだって気絶して倒れている私の面倒を見つつ、本来の仕事をやっていたわけだし、やれていた。
私を会議室に運んだのも実は東江先輩だったりするらしい。
だからといって、東江先輩のオブラートの無さが周りからも私からも許されるとかではないし
好感度があがったりするわけでもないことは言うまでもないんだけれど・・・。
けれど、彼はここでは実は縁の下の力持ち的な役割を担っているんだ。
東江先輩を尊敬してはいるものの、きっと私はなかなか彼のようには上手く振舞う事が出来ない。
まぁ、そういう事を言うと付け上がるんだろうから絶対、言わないけどね。
「あ、お前」
リビングの扉に手を掛け入ろうとしたところで鋭利な刃物のような声が背中に突き刺さる。
「心配かけてんじゃねぇよ。大丈夫なのか?これ食えよ。事務室の冷蔵庫からくすねてきた。」
高槻先輩はいつも通りデコピンをしようとして、ちょっと慌てた様子でブレーキをかけた。
その代わりにエプロンのポケットから手のひらに収まる程度のラップに包まれた菓子パンを押し付けてきた。
世にも珍しい高槻先輩からの飴である。
これはこれで少しビビる。
「大丈夫・・・だと思います。ちょっとだけ後頭部の辺りがズキズキしますけど。」
「まぁ、頭から扉突き破ったらしいからな。つか、大変だったんだからな。あの扉填めなおすの結構骨折れたんだからな。」
引き戸である扉のレールごと派手に抉れてしまい、帯刀さんの攻撃に対応しつつ直したのだという。
ひょっとして高槻先輩は太極拳でも使っているのだろうか?
「今度、ジュース奢ります。」
「ガキかよ。先輩舐めんな。そういう事は俺達と対等になってから言いやがれ。」
「痛!」結局デコピンを貰ってしまった。
「ま、頑張ってくれよ。」
けれども、いつもより優しいデコピンだった。
いつもならもっと爪を使い額を抉るようにして軽快な効果音を鳴らすのだが、ってなんだかデコピンに関するソムリエみたいになってやしないか?
どういう進歩だ。
「気持ちだけ貰っといてやるよ。それまではお預けだ。」と先輩は言う。
対等なんて、東江先輩同様そうそう成れるとは思えないくらい気迫負けしそうだ。
「ポンコツめ」とか「トロトロすんな!」とか後ろから突き刺されて、全く頼りにされていなくて怖い人だとばかり思っていて気付かなかったけど
そうだ、それだけじゃないんだ。と思い出した。
その「頑張れ」はただの挨拶代わりじゃないんだってこと。
今までだってデコピンとセットだったけれど、この先輩は怖いだけじゃない強い言葉を何度も投げかけてくれていたんだ。
「気にすんな」と、「やりゃできんじゃん」と。
Rockに活きるこの先輩と対等に成れているかは、実は今でもまだ分からない。
例え私がちょっと成長したところで、先輩は同じか若しくはもっと速い速度で成長してるんだろうから、だから追いついているのかなんて
見当もつかない。
そんな事を訊けば「お前は何を言っているんだ?」なんて馬鹿にされるか怒られるか、兎に角またデコピンを貰うだろうから
敢えて訊いたりしない。
折角、デコピンされる事がなくなってきたというのに台無しになってしまう。
しかし、こんな私にも目標が出来た。「もしも私が先輩になったら高槻先輩のように」っという事だ。
もちろんデコピンするとかRockな人になってピアスとかガンガンに開けるとかそういう意味じゃない。
この人みたいに強い先輩になりたいと思った。
自分の後輩が安心して着いて行きたいと思えるような、頼りになるような存在になりたいと。
「あぁ!一ノ瀬さん!大丈夫!?ごめんね、私の所為だよね!?私がおニューのエプロン汚したくないばっかりに!!」
話し声に気付いたのか、もしくは仕事の用事だったのかリビングの扉をバァンっと音を立てて開き渋谷さんは私にしがみついて来た。
っと思ったら、「あ、新しいエプロンが!」とすぐさま離れてエプロンの皺を伸ばし伸ばしした。
まったく反省していないじゃないですか。
わざとじゃないのか?
「いったぁい!ちょっと、暴力!?」
「悪い、なんか気付いたら手が出てた。俺って天然なのかもしれねぇな。お前と一緒で。」
デコピンどころか硬く握られた拳の鉄槌が渋谷さんの額を打ち付けた。
女子の顔を躊躇なく叩くという、この光景を私はしばらく私は忘れられそうにありません。
そして高槻先輩の「間違っちゃったピョン!」なんて低い声での茶目っ気顔も、こっちはこっちで焼き付けられてしまった。
「それは渋谷さんの真似ですか?」
「似てただろ?」
「私そんな顔しないもん!」
そう言って渋谷さん、否、栄は顔を膨らませる。
そうだ、高校時代に私の前の席でやいのやいのと五月蝿くしていたのは、この可愛い女の子だったんだ。
学生時代のメイドになりたい夢ってやつはある意味では叶っていたらしい。厳密に言えば栄本人の夢というよりは
私が栄に勧めたみたいなもんなんだけれど、彼女は彼女で楽しそうで何よりだ。
学生時代の渋谷栄という少女の存在を今の彼女に照らし合わせて見ると、どうも彼女を「先輩」と呼ぶには頼りないものがあるけれど
しかし、世界が変わればやはりそうも行かないんだろうし、彼女の事を思い出したという事はしばらく内緒にしておこうと思った。
理由?面白いし、ちょっと可愛く思えたんだ。
昔はひたすらに五月蝿いって思ってたくらいなんだけど、こうして私に先輩面してるところが可愛いと思った。
まぁ、そんな事思ってるなんて私としても周りとしても「お前何様?」って言われそうだけど、思うだけならタダだろう?
あざといぶりっ子キャラに高槻先輩同様、イライラする事もあるけれどピーピーとヒヨコみたいに泣き喚く姿も知っているので我慢してやる事にした。
そう言うと、なんだこの私の心の親みたいなノリはって思って自分で可笑しかった。
さて、いつこの可愛いだけのメイドさんに私が思い出したって事を打ち明けようかな。そう思ってから、私は未だに内緒にしている。
さながら、タイムカプセルのようだ。
「荷物邪魔だから忘れるなよ?」と無愛想に高槻先輩に急かされて
仕事場であるリビングに入って置きっぱなしになっている研修ファイルやら自分の筆記具を、あとこれまた適当に放り出してある上着を発見した。
それらを片付けていると、リビングでテレビを見ていた芥川さんに「なんだいアンタ?また学校サボったのかい?」と小言を言われる。
「今日は昼までなんだ」と返事をすると芥川さんは、「そうだったのかい」と怪訝そうではあったけど納得してくれた。
実はもうなんだか慣れ始めていた。
更に芥川さんと数回ラリーを繰り返していると例の帯刀さんの部屋の扉に意識が向いた。
見た目的にはいつもと変わらない様子だったけど、よく見るとドアノブが少しだけ曲がっていて事件性の悲惨さを物語っていた。
事件と言っても思い出してみると、これはただただ私がドジを踏んで、踏み外して派手に突き破ったというだけだ。
そして突き破られ、高槻先輩が直したという扉はしっかりと閉まる事ができなくなっていて若干、中の様子が伺えた。
扉の向こう側では、虎だか鷹のような鋭い目つきが真っ直ぐに私の存在を捕らえていた。
気分的には唸り声さえ聞こえてきそうだ。
「・・・・・・そうだ。」
「誰ですか?」
「・・・こんにちわ」
「・・・あぁ・・・・・・」
手を握ると霧島さんは、「おかえりタロちゃん」と柔らかい挨拶を返してきた。
「・・・・・・・・」
もう帰るのに何故わざわざ今更彼女の部屋を訪れたのかというと、いや本当気分でしかなかった。
だから、挨拶のほかに何か言う用事なんてもちろんなくて自分で困ってしまった。
「今日はいい天気ね」
そうしていると霧島さんの方から、そんな風に口を開いた。
ベッドに座り込みオレンジと紺色のグラデーションの見える窓を見つめながら
「せっかくですから、お洗濯物を干して散歩に行きたいですね」と言い出す。
私は短く「そうですね」と答えた。
霧島さんは私が挨拶に来て、話しかけると決まって「タロちゃん」とそう呼んでいた。
確かに、髪がモジャモジャしているところとか機嫌が悪いとすぐ怒るとことか似ているのかもしれないけれど、
「私はタロちゃんじゃないですよ」と私は言った。
「知ってますよ」
霧島さんはそう言った。
「わかりましたかね?」
と霧島さんはそう訊いてきた。
「・・・・・まだ難しいですけど、でも少しずつわかってきましたし気付いてきました」
目が覚めてきた。
それは最初から言われていたことでもあったんだろう。
だからこうしている。
こうして手を握って話しかけている。
東江先輩がしているように、高槻先輩がしているように
霧島さんがしているのと同じに、ただそうして話しかけていた。
「そうですね」と霧島さんは
「それで充分ですよ」と笑った。
「ただ、座ってそこに居るだけで充分です。お話をしてくれるだけで私はね、嬉しいんですよ」
難しく構えてしまっていたんですね。と話してくれたし私自身、そう思えた。
私ははじめてここで霧島さんに話しかけた時の事をふと思い出していた。
ほんの数日前のことだったけど、やっぱり私は何も分かっていないガキだったんだと情けないと思いつつ可笑しかった。
東江先輩のように、あんな柔らかい表情で彼女には接してあげられていないかもしれないし、まだまだ表情は硬いかもしれないけど
可笑しいと思って、クスっと笑った。
それに気付いて霧島さんも同じように笑ったようだった。
こんな簡単な事だったんだ。こんな簡単な事が今まで出来なかったんだ。っと。
「やっぱり・・・。」
握った手を霧島さんは私の肩に、頬に、そして髪の毛ときて頭へと伝うように撫でてきた。
「やっぱり似てる。タロちゃんもよくこんな風に笑ってたの」と嬉しそうに語った。
だから私も同じようにして笑ったのだ。
「キャンッ」っと脇でひと鳴きする。
ずいぶんと長いこと手を合わせていたようだった。
「一ノ瀬さんありがとうございます。そろそろ行きましょうか。」
着物姿の彼女にそう言われ、私は小さく返事を返した。
目の前に刻まれた霧島の文字がオレンジ色に照らされていた。
ここには『あの人』、霧島灯さんが眠っている。
彼女は、あの部屋が紺色に染まって真っ暗になる
その頃に突然ふいに旅立っていってしまった。居なくなってしまった。
私が倒れて、家に帰ってしばらくした後の事だった。
ベッドで寝ているところへ突然、東江先輩が事務所の電話から私のスマホにかけてきた。
霧島さんが急に倒れて病院へ搬送されたという事だった。
脳梗塞との事だった。
間に合わなかった。
次の日には、既に部屋の片付けが終わっていて、まるで最初から何も無かったという程に
綺麗さっぱり片付けられていた。
こんな簡単に、あっさりと・・・っと切ない気持ちにされた。
紺色でもオレンジ色でもない、真っ白の部屋に私は取り残された。
「貴女が、一ノ瀬さんですか?」
そこではじめて彼女に会った。この時も今と変わらない品のある和服に身を包んだ初老の女性だった。
「はじめまして。母さん・・・霧島灯の娘の遥と申します。」
「あ、はい。一ノ瀬は私です。すみません、東江先輩なら今事務所に行ってまして・・・。」
「いいえ、貴女に用があるんです。」
霧島さんの娘だと言う遥さんはそう真剣な表情で詰め寄る。
「は、はい」
怒っているのかと思って少し逃げ腰になってしまう。
しかし、遥さんはその逃げ腰で頼りない私に対して「ありがとうございました」と頭を下げた。
「母さんから聞いていたんです。面白い子が居ると。いつもよりも元気そうで、私までホッとしました。」
「私は・・・」
何もしていない。っと言おうとして止めた。
だって、それはもう違うって分かったことだから。
「私も、霧島さんと話すの楽しかったです。いつも元気をくれていて、助かっていたのは私の方でした。こちらこそ、ありがとうございました。」
そう言うと遥さんはずっと私の手を取り、何度も何度も繰り返し「ありがとう」っと言っていた。
あのちっぽけな私がきっと言えなかった言葉を何度も繰り返す。
そんな私じゃ想像もしなかった、鬼も笑うような未来で私は主任になっていた。
まぁ、名ばかりであってどうあっても東江先輩や高槻先輩のようにはいかないんだけれど、それでも貰ってしまった名前に責任を感じ
慌しくがんばっている。
そういえば、語っていなかった事があるんだけど、私はもう時期に結婚する事になった。
だから、どういうわけだかまさかあの栄が、渋谷がストーキングしていたというらしい芥川さんのお孫さんとである。
まぁ、それを知った時の栄ときたら心底悔しがっていた。
面白いものが見れて私も高槻先輩も満足ではあった。性格の歪んでいるところは成長していないな。私も高槻先輩も。
なんて笑う。
東江先輩はというと事務員の方へ異動したらしかった。
らしいという曖昧な言い方になってしまうのは、だから本人も望んでいないことであり、異動したとは言っても
無理矢理時間を作ってはこちらの仕事をこなしていた。
いやいや、それはいい事なのか?大丈夫なのか?
今回はどうなんだろうか、難しく考えず優しいだけの世界を創りたかったと思いました。
ところで最近思うのです。
作品で登場させるキャラクター一人一人の名前を考えるのが楽しいなぁって。
キャラクターはつまり自分の子供みたいなものなので一生懸命考えるんですが、でも変わった名前だったり、物語に沿った名前にしたり色々あるわけなんですけど、やっぱり可愛いって思いますよね。
まぁ、私は既婚者ではないのですが・・・。




