その5
長い長い連続勤務で、久々に訪れた休暇は例え二日とはいえ、まるでゴールデンウィークと言っても差し支えない程のものだった。
いや、最初は「なんだこれっぽっちか。」なんて思ったものだけれど。
まぁ、もともとニートから成り上がった堕ちこぼれなのだからそういうもんなんだろう。当たり前だっと言い訳を述べる。
父親との秘密の契約で手に入れた新型のパソコンと戯れていたらそんな小さな休みなんて、それこそ光の速度で過ぎていったわけで
速攻で訪れてしまった仕事の日に休みを目一杯使ったおかげで寝不足の状態で出勤に高槻先輩のデコピンで脳天を撃ち抜かれる事は必至だった。
「目ェ覚めたか?ゾンビめ」
そのデコピンは昼間で賑わっている事務所でも充分に音が伝わる程に響いた。金属音のようだ。
「そのまま粉々になるかと思いましたよ。少しは手加減してくれてもいいのでは?」
吹き飛ぶかと思いましたよ。っと陥没しかけた額をさする。
「悪いが今日の俺は優しくない。」
「優しい高槻先輩・・・?」そんな先輩いたっけ?なんて口にしようものなら第二発目を食らってしまうので口にしなかった。
周りに居た他の先輩方が困ったように笑う。
同意見のようだ。
「ダメだよぉ?リンちゃん。後輩にはちゃんと優しくしなくちゃ。お嫁の貰い手なくなっちゃうよぉ?」
フワフワしたような声のトーンが事務所の中に流れてきた。
その声に対して高槻先輩はイライラを溜息と一緒に吐き出しながら表現しながら、その声の主を睨みつけていた。
なるほど、先輩のイライラはこの人が原因か。つまり、この人のおかげで私の脳天が破滅するところだったというわけか。
「嫁の貰い手なんていらねぇよ。」誰がリンちゃんだ。と高槻先輩は睨みつける。
高槻先輩の事をあろう事かちゃん呼びするその女性は先輩よりも少しだけ低い背を上の方で1つに結んだポニーテールで補っているように見えた。
「昨日、お前休みだったから今日がはじめてになるんだよな?こいつ、渋谷な。午後からはコイツとお前のセットで回すことになるから。」
淡々と紹介する高槻先輩の後ろで渋谷さんはにこやかに手を振る。
なんだ愛想のいい人じゃないか。
他の皆が割烹着だったりキッチンエプロンを作業着に使っているのに対し渋谷さんの着ているエプロンは寧ろメイドさんが着ているような
可愛らしいエプロンだった。
私としてはゲームや漫画とかで見慣れてて、さほど驚きはしなかった。
いや、正直な話しをするとちょっとビックリした。
なんでこの人コスプレで仕事してるんだ!?みたいな感じで。
「渋谷栄だよ。後輩ちゃん。私の事はシブって呼んでくれていいからね!あ、後輩ちゃんの名前は何ていうの?」
「一ノ瀬です。」
「一ノ瀬・・・ぇ、もしかして一ノ瀬さん?一ノ瀬若葉さん!?」
「え、そうですけど?」
ギュっと硬い握手を迫られる。なんだか握手会って感じのノリだ。いや、握手会なんて実は行った事ないんだけどさ。チキンだから。
自分でわざわざ言うのはアレだけどコミュ症にとって、この圧力はなかなかきついものがある。
「久々だね!高校以来だね!私の事覚えてる!?」
「えっと・・・すいません私覚えが悪くて、よく覚えてないです」
そう謝ると彼女は心底残念そうにしたが、「そっか、まぁしょうがないや」とすぐに諦めたようだった。が
「じゃぁ、今度卒業写真持ってくるから、また頑張って思い出してね。」と言った。なんて面倒くさいんだ!
というか学生時代にこんな派手な人居たら忘れたくても忘れられないはずなんだけど、誰だこの人!
「おい、いつまでもふざけてないで仕事だバカ共!」
はいはーい。と高槻先輩の声に対し適当な相槌を打ちながら渋谷さんは「じゃぁ、いこっか一ノ瀬さん!」っと言ってまるで飛ぶよう廊下を駆けていった。
この仕事を始めて、ニートを卒業してまだまだ数える程度の日数しか経っていないものの
そして、出された課題が例え利用者さんに慣れ親しむというもの程度とはいえ、それでも最低限の仕事は間を縫うようにして教わった。
まぁ、東江先輩は最初に少しだけ面倒を見てくれただけなので、その大部分は高槻先輩の鞭によるものなんだけれど・・・
いや、やはり東江先輩と高槻先輩では教え方がまるで違っていた。
それは当たり前の事と言えば当たり前の事なんだけど、言う事だったり表現だったり、大事にしている部分だったり、それは性格の問題と言ってしまえば
それまでなんだけど、なんだろうか飴と鞭を使い分けるというよりは江東先輩は飴だけで高槻先輩は鞭だけという両極端な指導方法をしていた。
東江先輩は飴をくれたと思ったら梅干をくれたというような感じかもしれない。殆ど事故だ。
それでも、仕事が出来るように指導してくれているという二人の未来予想図は、やり方教え方が違っていても同じという事だ。
全ては性格によるものなんだろう。
それを思えば、この人、本日の私の指導者となる渋谷栄先輩のうっかりも私への指導の一環なのかもしれない。
実際に、わざと失敗して間違いを指摘させる指導方法だって存在する。
目の前で「いやぁ、うっかりうっかりぃ」とわざとらしく頭を掻く姿は寧ろあざとく見える。
一歩間違ったらコスプレと言われても仕方ないエプロン姿(もうこれはメイドさんでいいんじゃないだろうか)で仕事をする姿は
私個人としては、もう希少生物のようなものだった。実は全部わざとなんじゃないか?
「あ、もうご飯の時間だから一ノ瀬さん、帯刀さん起こしてきてくれない?」
「え、帯刀さんですか?私がですか?」
そろそろ昼食が運ばれてくるという時間、いつも通り芥川さんに謂れのないお説教を受けているところへ渋谷先輩からミッションを賜る。
が、甚だ気が進まない。
「私、まだ帯刀さんの攻撃に対応しきれないんですけど・・・」間合いに入ったらいつ腕を持っていかれるかわかったもんじゃない。
「私もこれ今日、おニューのエプロンだから斬られたくないの。それに何事も慣れだよ。慣れ。」前半明らかにエゴの塊のような言い訳が聞こえた。
「大丈夫だよ。一ノ瀬さんなら。」
「根拠は。」
「若いから?」
「同い年のはずでは?」
寧ろ名前的な意味で言っているのだろうか?若葉だから。
まぁ、渋谷先輩が言っている事だって納得は全然できないけど間違いってわけではないんだ。納得できないけど・・・。
はぁ・・・・っと溜息を一つ吐くことで切り替えきれない気持ちに嘘をついて帯刀さんの部屋へ、テリトリーへと侵入する。
「ああああああああああああああああ!!!!」という怒号とともに薙ぎ払われる手刀が私の前髪をチリっと掠める。
上手く避けた!避けることが出来た!と思ったら鈍い痛みが右足を絞める。
そしてそのまま私の上半身は居室の引き戸を突き破って倒れこんだ。
居室とリビングの天井をスクロールしていくように視線を流れていき、なんだかそれはそれで絶景というかなかなかじっくり見たりしないものなので
なんだ意外と天井も天井でちょっとオシャレな刻印?というか模様?が描き込まれていた。
そのオシャレな天井の色は薄っすらとしたオレンジ色で琥珀色と表現する方が近いのかもしれないと思った。




