その4
「午後は取り立ててやる事ねぇけど、まぁ積極的に利用者さんに話しかけたりしたらいいさ。大まかな流れは追々でな」
言われたとおり午後からは稲荷・・・高槻先輩の後ろを追っかけながら仕事を教えてもらうという形になった。
とはいえ、午前中に東江先輩に教えてもらった流れと同じだ。
「あ、帯刀さんだけ気をつけとけよ?」
「それは一番最初に知りたかったです」
だからこそ、極力手足や杖による攻撃範囲から離れた位置にいて厳戒態勢を取っている。
素手でもかなりの脅威であり、ズタズタのボロボロにされてしまった後である。
チュートリアルで敗北イベントはデフォだけど、しかしこれは仕事である。
「攻略法とかないですかね?」
防御、回避だけでは戦闘には勝利できないのと同じで、遠巻きにしてたって仕事にならないのは
いくらなんでも私でもわかってはいた。
「慣れるしかないな。攻撃を見極めつつ介助するしてくれ」
前途多難である。
確実に対処できるようになるのが早いか、ボロ雑巾のようにされるのが早いかというところだ。
「帯刀さんの時だけ先輩方が対応するというのはどうでしょう?」
「バカバめ」
「バカバっ!!」
名前を弄られた上にそこそこ強いデコピンをされる。抉れるかと思った。
「そのうち独り立ちしなきゃいけねぇんだからそんなロックじゃねぇこと言うなよ。帯刀さんさえ対処できりゃ他は大丈夫だ」
仕事舐めんな。と額をトントンと突かれ刻み込んでくるようにして叱られた
いや、その帯刀さんで詰んでるですけど・・・。
今はまだちゃんと立ち回れるビジョンが見えてこないんだよな。いっそ違う仕事に変えてほしいくらいだ。
「あのぅ・・・すみません・・・うちのサチヨさんを知りませんかね?」
クイクイとまるで子供のようにエプロンを引っ張られる。
シルバーカーを押していつの間にか私達の背後にまで迫ってきていた鈴井さんがそこには居た。
因みに下の名前は幸代さんだ。この人がサチヨさんである。
どうしよう!と思い条件反射で高槻先輩の方へ向きアイコンタクトで救難信号を送る。すると先輩は
「(さぁ、ミッションスタートだ!お前の力を見せてやれ!)」と仰る。
お前ならやれる!と言わんばかりだ。
そんなガッツポーズは要らない。私の何を知ってるんだ!
コミュ症の力なんてたかが知れているだろう!しかし、よく言うだろう?
窮鼠猫をかむと・・・。
この私の腰くらいのサイズである鈴井さんを猫と例えるならば、今の私はだからその窮鼠という事だろう。
雰囲気だけ見れば逆に見えるだろうけど・・・。
噛み付くわけにはいかないのは当たり前だけれど、ここは先ほどの負け戦を挽回するべき時であるようにも思える。
コミュ症がコミュ症なりに足掻き猛々しく、このチュートリアルを制覇する瞬間を今、この時、先輩にも見てもらおうではないか!
そして、さっきのデコピンの謝罪をしてもらおう。まだヒリヒリしているしな!
そして、私は小さな小さな鈴井さんに向けて応戦した。
「サチヨさんならさっき私が食べました」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・ふぅ?」
息を漏らし鈴井さんは踵を返して、またシルバーカーを押しながらヨタヨタと自分の居室へ戻っていった。
頭上にミッションコンプリートの文字が浮かんでいる気がして、先輩の方へ向き直る。
「お前・・・カニバリズムだったのか・・・」
キラキラとした表情の私に対し、高槻先輩は呆れた顔をして「やっぱバカバだ。」と言った。
「まぁ、ちゃんとやろうとしてるのはいいさ。そこは認めてやるよ」
「・・・ありがとうございます」
昼から夕方にかけて私は、だから金魚の糞のようにして高槻先輩の後ろを追っかけて仕事を教えてもらった。
午前中は東江先輩の仕事を目で見て覚えて、午後からは高槻先輩に、おさらいという感じでだ。
手探りというわけじゃないけどイエスマンのように仕事をした。
やらないとまたデコピンされるだろうしな。
スパルタンだ。
「お疲れぇ。もうちょっとしたらシブちゃん来るから、あとは僕やるから終わっていいよ。」
「シブちゃん?」
晩御飯の仕度をしているところへ再び東江先輩が入って来た。
他の仕事というのは片付いたようだ。
「まだバカ正直にそんなあだ名律儀に使ってるのか?」
「変かな?」
「お前だけだぞ?アイツをいちいち・・・『シブちゃん』なんて呼んでるのは」
怪訝そう、というよりはうんざりしたような声色で高槻先輩は言う。
「シブちゃん」という名前を口にするのも嫌だという風だ。
「凄く優しい、いい子だよ。ちょっとドジだけどね。一ノ瀬さんとは馬があうかも」
「それ、私もドジだって意味ですよね。」
そんな爽やかな笑顔で言われても嬉しくない。天然なのかな?
それを言うなら高槻先輩と東江先輩こそ馬が合っていると思う。いい意味悪い意味とかじゃなく
ボケツッコミのような関係性でだけれど。
そんな事を言えばまたデコピンで額を抉られるかもしれない。
「まぁいいさ。それならそれで俺達はさっさと帰らせてもらおうぜ。渋谷と出くわすのも嫌だしな。」
なるほど、渋谷でシブちゃんか。
そんなに不愉快な相手なのか。少なくとも高槻先輩にとっては・・・。
帰ってくるなり、どっと疲れが土砂のように雪崩れ込んできた。
家に帰るとフラフラと壁伝いに階段を登り
開けっ放しの自室へやってきて、そのままベッドに倒れこんだ。
糸の切れた人形のように。
いつもならパソコンの電源を入れて有頂天になりながらゲームを始めたり動画を見て一喜一憂しているだろうけど
そんな体力も多分ない。いや、そもそもぶっ壊れてて使い物にならないんだけど。
面接とは言えない面接のあとで父さんとショップまで行って注文してるとはいえ、その新型PCはまだ現れる気配がない。
「うにゃぁ!!」
「グッ」
平八さんが倒れて廃人と化した私の上に体重を乗せて飛び乗ってくる。
痛くはないが、疲れた身体には会心の一撃だ。
「すまん。今日は勘弁してくれ・・・ん?」
そのまま寝そべりだす平八さんの体重が程よく痛めた腰に心地よさをもたらし始めた。
これは・・・この感覚は・・・
「き、気持ちいい・・・?」
しかもなんと湯たんぽの役割も付属されている。
これはよく眠れそうだ!
そして、私の意識は流れ込んだ土砂のような疲れとともに怠惰なまどろみに解けていったのだった。
「手先器用ですね。芥川さん」
私が普段、年がら年中、真っ暗の部屋に篭ってパソコンと仲良しこよしを極めてるかと思ったら大間違いだ。
24時間の生態グラフを作って見ると、確かにそうしている時間の割合が、ほんのちょっぴり多いのは否定しないが
それでも人間は酸素という原子だけでは呼吸できないのと同じで数々の「その他」がなくては生きていけない。
生態を維持できない。
食事も摂り、トイレに行く。睡眠活動だって大事だ。
そういうのと一緒で、私だってパソコンだけじゃなく、漫画も読むし、音楽を聴いたり、指の運動をしている。
あと瞬きとかしてる。
そういうルーティンだ。
とは言うものの時にはそのルーティンに新しい風を誘い込むことも大事とされている。
色即是空。
と言うほどまだまだ私の目は、主観は到底変わったりしない気がするわけなんだけど。
慌しい朝食の準備、提供からのトイレへの誘導やらがひと段落したところ
件のコミュニケーション活動というミッションの続き、私は再び車椅子に乗り自室から出てきた芥川さんが
リビングで折り紙を折り始めたところへ話しかけた。
「あたしなんかに構ってないで、自分の事はいいのかい?宿題まだ残ってただろ?また先生に呼び出しくらうなんてまっぴらだよ?」
素早く鶴や手裏剣を生み出すのと同じで、凄く早いかつ鋭い滑舌で言いえて妙だ!と思えることを言われる。
学生時代の自分の姿を見透かされているのかと思った。
自分の名前を不意に呼ばれたりすると、例え雑踏の中だったとしても聴こえるもので、なんだかその時と同じでドキっとした。嫌な意味で。
折り紙を折ることで占いでもしているのかもしれない。
「す、すごいですね。この花なんてどうやって折ってるんですか?私って不器用で・・・」
「あんたの生活費を稼ぐのも骨が折れるもんだったよ。大学だってあんたが行きたいって言うから頑張ったのに途中でやめるなんて骨折り損じゃないか・・・」
誰かの個人情報が絶賛漏洩中。
私の最終学歴は高校だ。因みにちゃんと卒業したぞ?とりあえずだけど・・・。
芥川さんは落ち込みながらも高速で折り紙を折る手を休めない。
一体何を折っているんだろう。
「そんな落胆しないでください。」
「落語したいと言い出したり芸術家になりたいと言い出したり!目移りばかりして!それはそうと嫁の一人や二人、早く連れてきなさい!駆け足!!」
「おちついてください!私は女です!」
そして嫁が二人も居てはいけません。
首を掴まれ、あまつさえ締め上げられ殺されかかったので慌てて言い聞かせると芥川さんは
「・・・・・・そ、そんなバカな・・・」と再び折り紙をし始めた。
ただし、ゆっくりとだ。
「私の息子がとうとうニューハーフになってしまった・・・あたしは何をまちがったんだい・・・お父さん、教えてくれ。」
「・・・・・・・・」
私はどう言えばよかったのだろうか。
出来る事なら強くしてニューゲームを選択したい。
芥川さんは、「もうダメだ」「悲しい」「信じられない」「神よ」とネガティブな発言をポツポツと口にしながら折り紙を折り続けた。
「もう殺すしか・・・」と言い出した姿はもう占いというより呪詛って感じだった。
「芥川さんはこれが平常運転だから問題ないぞ。初見殺しっちゃぁ初見殺しだけどな。」
別の作業を片付けてきた高槻先輩は呪詛られてるなぁ。と冗談っぽく笑った。
この利用者さんのプロフィールを覚えるという作業として、これどうなんだろうな。
芥川さんの情報というより、恐らくは芥川さんの息子さんであろう人の情報しか得られなかった気がするんだが・・・。
しかも、ご本人的に出来れば知られたくない情報だ。
「まぁ、コミュ症なりに頑張ってる方なんじゃね?顔に頑張りましたで症シールでも貼ってやろうか?」
「どうでもいいんですけど、今、『症』の字で表現してないです?」
先輩はニシシっと笑って誤魔化してみせた。
そんな子供みたいなご褒美じゃなくもっと形のある報酬がほしいものだなんて、そんな偉そうなことは言わない。
デコピンの餌食になりたくなしな。
「鈴井さんも折り紙どうですか?」
「スズイさんとは・・・どなたですか?ワタシはどこへいけばいいですか・・・?」
たまには鈴井さんにも自分探し以外のものに触れていただきたいと思ったのだが、それどころか迷子になってしまっている。
「こんな事ならずっと目の届くところに置いておくべきだったのかもしれないね。お父さん・・・。」
「ずっとそこに居たらいいんですかね・・・」
鈴井さんと芥川さんの間で奇跡的に会話が成立している!が負の連鎖しか起きなさそうだ。
折り紙をしながら二人してシクシクと泣き始めている。
一方は高速で無我夢中で、もう一方は震えるように思い出し思い出し折ったり折り返したりまるで何かを探すようにだ。
こんなの私のコミュ力でどうこうできるもんじゃなくね?
「日常の中で小さな楽しみを見出すってのは大事なことなんだぜ。生きがいになるし、なんだかんだで元気そうだろ?」
「全然そんな風に見えないんですけど?」
二人の間には真っ黒い渦すら見える程だ。まだ昼間なのに、寧ろ「魔」って感じだ。
そういうと修行不足とか言われた。だって入社一週間の初心者ですもん。
「おはようございます・・・・あ、もう10時か、こんにちは。」
結局、お茶も飲まずに芥川さんが折り紙どころか、それで作った紙風船でボール遊びに茶を濁し始めたあたりで
スーツ姿の男性がリビングに入って来た。
事務員の人というわけでもないようだ。
「あ、どうも。渋谷は休みですよ?残念でしたね。」
「いえいえ・・・。」
先輩がそういうと、スーツ姿の男性は苦笑いをした。
「こんにちわ。」
彼は芥川さんのところまで行くと目の高さが同じになるように屈み挨拶をした。
「・・・・・・・・・・・・」
芥川さんは喋らない。
黙って折り紙を折り続けている。どこ吹く風という感じに。
しかし、彼が芥川さんの肩をポンポンと叩くと、彼を見つめて嬉しそうに折り紙の束の中から
金色をヒラリと手渡した。
「また来ますね。」
二人でやっこさんを折り、彼が手を振ると芥川さんは「うん。」と小さく呟いた。
「あの人、芥川さんのお孫さんなんだよ。」
先輩は言う。
「渋谷にストーキングされてる不幸な被害者」
要らない情報を教わった。渋谷さんって誰なんだろう?そんなに気に入らない相手なのか・・・。
カリギュラ効果といって人はやるなと言われた事をやりたがる背徳的欲求があるのだ。
なんかそんな感じで寧ろ興味が出てきてしまう。
「孫?息子さんじゃなくて?」
「あぁ、芥川さんは息子だって思ってる。忘れたいんだって思う」
自分の息子がもうとっくに居ないなんてこと。先輩はそう続けた。
「病気で若いときに死んだんだってさ。何かしてないと思い出しちまうから、だからああして折り紙折ってるのかもな」
一生懸命にテキパキと折り紙を折り続ける芥川さんを見ながら。
違うと思った。
だって覚えてるから、覚えていられるから孫にああ言ったんだ。
「アンタ、金色好きだったろ?」って「一緒に折ろう」って言ったんだ。そんなの忘れたいわけない。
そういう風に私は感じた。
「因みに、芥川さん・・・あぁ、孫の方な。お前と同い年で元ニートらしいぜ?」
だから要らない情報なんだってば!




