第八十八話 ~北上~
目の前には大きな鉄柵の門が立っており、その奥には立派な邸宅が建っていた。獅子民とスフィーはたった今町長宅の前に到着したのであった。
「ここだな」
「流石町長って感じの家っすね」
「うむ、立派な家だ」
二人が門の前で話していると召使であろう男性が一人近づいて来た。
「何か御用ですか?」
「うむ、少し町長と話がしたくてな」
「アポイントメントは?」
「ない。ただ、この祭りと昨日の津波について聞きたくてな」
「失礼ですが、アポイントメントが無い方を通すわけには行きません。どうかお引き取り願います」
男はそう言うと、くるりと反転して屋敷の方へ戻って行く。
「待ってくださいっす!」
スフィーはそう言って男の足を止めると、角が人目に付かないよう被っていたフードを取った。
「そ、その角は……」
口調はいたって冷静だが、召使の男は明らかに焦っていた。そしてすぐにその角を確認するために鉄柵の前に戻ってきた。
「貴方は本当に……?」
「そうっす。町長さんに会わせてほしいっす」
「確認して参ります」
そう言うと男は足早に屋敷に入って行った。
「顔見知りなのか?」
「まぁそんなところっすかね。簡単に言うと、この大陸を守る一族の末裔って感じっすかね」
「ほ、ほう。なるほど。やはり幻獣十指の力は底知れないな」
「すみません、お待たせしました。町長も是非お会いしたいとのことです」
「ありがとっす」
召使はそう言うと、鉄柵の門柱付近にある開閉オーブに触れて魔力を流した。すると鈍重な音を立てながら門が開いた。
「ご案内いたします」
そう言う召使の後に続き、二人は町長が待つ応接室へと案内された。
「おぉ……。その角はまさに……!」
部屋に入ると、スフィーの額についている角を見た町長が歓喜の色を見せながら立ち上がった。
「こ、これは失礼しました。こちらへどうぞ」
町長はそう言うと、自分のソファとは向かい側にある二つのソファに手を伸ばしてそう言った。
「失礼する」
「お邪魔するっす」
二人は丁寧にそう言うと、ソファに腰かけた。
「あなたとその角がここにあるという事は、もう黒い霧は晴れたのですか?」
獅子民たちが聞くよりも前に、町長が話を切り出した。
「はいっす。霧も晴らしたし、昨日の津波も撃退したっす」
さらりと昨日の災害の対処をしたのも自分だ。と打ち明けつつ、スフィーは答えた。
「おぉ、やはりそうでしたか! 私はあの竜巻が動いた時、この町が救われることを確信していたのですよ!」
町長は力強くそう言うと、今にも両手を差し出してスフィーと握手を交わそうという勢いであった。
「それで何すけど、町を救ったという事で少し話を聞いても良いっすかね?」
「えぇ、もちろんです。答えられる範囲でよろしければ」
町長はそう言うと、座り直して質問が飛んでくるのを待った。
「まず、この町と海神様とやらの話を聞きたい」
「良いでしょう……」
獅子民の問いに対し、既に町人の噂話で聞いたことがある祭りと町と海神様の関係性が町長の口によって語られた。海神様に供物を捧げれば、この町が平和で豊かになることや、現在それを盛り上げる祭りがおこなわれていること、それに加え、海神様の情報も少し聞き出すことが出来た。
「クラック様はアヴォクラウズが生み出したお方です。巨大イカ、クラーケンとのキメラで、その真実を知っているのは現町長である私と、先代、先々代と。町長の家系のみです」
「神では無いという事か?」
「……はい。横の彼女が風神様と呼ばれているのと同じです。この大陸には二人の神がおり、それに供物を捧げよ。と言う噂を広めるようにアヴォクラウズから指示されたそうなんです。その代わり、この大陸は不可侵領域となり、ここでは絶対に戦争は行われず、我々は戦争に参加しなくて良い。という契約が交わされたみたいです」
「なるほど。それで供物は主に何を?」
「我々港町では逃亡者を。谷の町では野菜や魔物の死体を捧げていたと聞いています。我々の方ですと、あなたの右腕にも巻かれているように、そのリストバンドで旅行者を識別し、ドックに隔離してクラック様の餌、またはアヴォクラウズに送り返していた。というような感じです。谷の町での実情は分かりません。突然奉納はしなくていいという通達が来たらしく、町の人々がこちらの町に逃げてきました。そして谷には黒霧が発生し、魔物が凶暴化し、炭鉱は次々と廃れていきました」
「あたしがアヴォクラウズを追放されたからっすね……。でも、町の人たちは無事って事っすよね?」
「えぇ、若い衆は命からがら逃げてきました。海には慣れていないと思うので、今はドックの清掃などを任せています」
「そうだったんすね。良かったっす……」
悲しい気持ちと嬉しい気持ち、色々な感情がスフィーの心に湧き上がって来た。それでも若い衆が大勢生き残っていることを聞き、またあの町を復興できるのではないかと言う思いが生まれ、最終的には嬉しい気持ちが勝っていた。
「それともう一つ、祭りはいつもこの時期なのですか?」
少し話が脱線してしまったので、獅子民は元のレーンに話を戻した。
「いえ、急に供物が足りないと達しが来ました。そしてそれから数日後、町にドラゴンが降り立ちました」
「ドラゴン?」
「はい、理性を持ったドラゴン。と言うよりかは、恐らく彼も幻獣十指なのでしょう。当然そんな彼を止めることが出来る人はおらず、彼は私がいるこの部屋まで入ってきました。一人の少女と共に。そしてその少女が言ったんです、『数日後に訪れる旅行客を供物にせよ』と」
「ふむ、恐らくあの二人だろう……」
「そうっすね」
「それと昨日、混乱の最中に同じドラゴンを見ました」
「なに? そいつはどこへ向かいましたか?」
「北の空です」
「そうですか、ありがとうございます」
「何を言います。こちらこそ本当に助かりました」
「良いんすよ。私たちがしたくてやってることっすから!」
「風神様は再び旅立たれてしまうのですか?」
「はいっす、やらなきゃいけないことがあるっすから」
「……分かりました。この町と、谷の町のことは私に任せてください。いつかあなたが帰って来るその日までに出来るだけ復興を進めておきます」
「ほんとっすか! 助かるっす!」
スフィーは溢れんばかりの喜びを表に出しながら、感謝の言葉を伝えた。
その後三人が話していると見回り隊が帰還したようで、黒霧がすっかり無くなっていることや、魔物が減少したこと、谷の町は多大な被害を受けてはいるものの、復興は可能であることなどが町長に伝えられた。それに加えて、無断で入り江に船を停めていた海賊たちが役場に出頭してきたことが微かに漏れ聞こえて来た。
「この度は本当にありがとうございました。あなた様たちの旅の無事を心から祈っております」
町長はそう言うと、深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ感謝します。アヴォクラウズが襲ってきたらすぐに連絡をください」
「はははは、これはありがたい。しかし気にしないでください。これからは神では無く、私たちの手で町を守っていきたいと思います。もちろん風神様がいる方が心強いですがね」
互いに感謝の気持ちを述べ合いながら、先を急ぐ獅子民とスフィーの二人は別れを告げて町長宅を後にした。
……町に出た後、獅子民とスフィーは初汰たちと合流した。そうこうしているとクローキンスとも合流し、五人で少し祭りを楽しんだ。そして宿屋に戻ってギルとも合流すると、一行は港町を出てドックに向かった。そこで全員のリストバンドが外され、一行は船に乗った。
「あっという間だったな」
「えぇ、そうね。まるで嵐のようだったわ」
「はははっ! だな」
冗談を言えるほど気持ちが落ち着いているのだな。と思った初汰はその端整な横顔を見てホッとした。リーアもリーアでどこか覚悟が決まったようであった。
「出発じゃ! 気を付けるんじゃぞ!」
ギルの声を聞いた二人は、船尾から甲板へ戻った。そして仲間と合流し、離れ行く西の大陸マイントの全貌を眺めた。そして焦点を港町に絞った瞬間、夕方前にも関わらず数発上がっている花火を発見した。恐らく町長が臨時で上げてくれたものだろう。こうして各々が色々なことを思いながら、船は大海原に繰り出した。
「行き先は決まったのか?」
仮眠室に向かいながら、初汰がそう言った。
「うむ、北の大陸に向かうことにする。ギル殿には既に伝えてある」
「ちっ、何か聞き出せたのか」
「はいっす。あたしたちがこの大陸に来る前にドラゴンが来たこと、それと、昨日あたしたちが津波の対処をしてる時にそのドラゴンが北の大陸に飛び立って行ったらしいっす」
「やっぱり北の大陸で何かが行われているのね……。もしかしたらユーニさんもいるかも知れないわね」
「だな。そのニッグってやつが連れ去ったかもしれねー」
「うむ、どちらにせよ、彼は何かを知っていて、何かを握っている。ここで逃がすと次は無いかもしれないからな。気持ちを引き締めて行こう」
「任せとけ。絶対にユーニさんを救い出す」
「ちっ、俺も奴には借りがあるからな。今度は逃がさねぇ」
「そうっすね。あたしも何度も負けてられないっす」
「そうね。私も覚悟を決めないと」
リーアも含め、全員が北の大陸を目指すことに同意した。しかし西の大陸からは少し距離があるので、各々武器の手入れや気持ちの整理に時間を費やしたりして暇を潰した。
一行の最大の懸念点であったのは、西の大陸で撃退したクラックが再び襲ってくることであった。しかし海が荒れることは無く、類を見ない静けさであった。そんな海の様子に安心しながらも、時折ギルと舵取りを交代したり、他の仲間と見張りを交代したり。と、最低限の注意は払いつつ北の大陸を目指した。
……そんな調子で一日中海の上で過ごしていると、ついにその時が来た。ちらほらと雪が見え始めたのであった。
「お、雪だ」
最初に気付いたのは初汰であった。その後すぐ全員が雪の存在を知り、続いて目の前の白い霧の奥に薄っすらと新たな大陸が見え始めていることに気付いた。
「アレが北の大陸。ロックザードじゃ」
船首に集まった初汰たちは、雪が降りしきる中で聳え立つ巨大な研究施設と収容施設を見た。そして何よりも、そんな恐怖の大陸を覆う巨大な鉄柵と張り巡らされた有刺鉄線とがこの大陸の恐ろしさを物語っていた。この大陸に上陸するのか。という恐怖が初汰を襲った。しかしここで止まっているわけには行かない。見た目の恐ろしさに震えているようでは、今この中に捕らえられているかもしれないユーニさんを助けることは出来ない。初汰は覚悟を決めた。恐らく、他の全員も覚悟を決めていた。その証拠に、船を止める者はいなかった。




