第七十一話 ~束の間の休息~
クローキンスは思ったよりも早い歩度で沼地を歩いていた。と言うよりは駆けていたようで、初汰が再び彼の背中を捉えたのは沼地の入り口付近であった。
「おい! 待ってくれよ!」
立ち去ろうとするクローキンスの背中に向かって初汰が叫ぶ。しかし彼は立ち止まらない。むしろ速度を上げて沼地を出て行ってしまった。
「あぁ、もう!」
初汰はイライラをぶちまけるようにそう叫んでから、沼地を大股で駆け抜けて平地に飛び出した。そしてクローキンスの背中を再び捉えると、今度は呼び止めようとせず、駆け寄って肩を掴んだ。
「おい、待てって」
「ちっ、うるせぇな……。てめぇに何が分かる……」
「そりゃ俺だって驚いてるし、それに、その、お前の気持ちを百パーセント理解することは出来ないけど、お前が一番複雑な気持ちだってのは分かるよ」
「だったら俺に構うな」
「いや、そうも言ってられないだろ。俺たち仲間だろ?」
「ちっ、仲間だと? いいか、俺はお前たちと仲間になった訳じゃない。あくまでも契約だ。それもリーア・クロッチとのな」
クローキンスはそう言うと、初汰の手を払いのけた。
「お前、本気で言ってるのか?」
「あぁ。仲良しごっこはもう終わりだ」
吐き捨てるようにそう言うと、クローキンスは再び歩き出そうとする。初汰は逃がすまいとその肩を掴み、そして自分の方に無理矢理顔を向けさせると、その顔面を思い切り殴った。
「ちっ、何のつもりだ?」
殴られたクローキンスは、左頬を抑えながら数歩後退した。
「仲良しごっこだと? ふざけんなよ。俺は本気で全員を信じてる。獅子民のオッサンだって、リーアだって、スフィーだって。それに今こうして契約だのなんだのグダグダ言ってるお前も。クローキンスも、俺は信じ続ける」
「……ちっ、勝手にしろ。だがな」
――クローキンスはそこで言葉を止めると、初汰に急接近して右ストレートを食らわせた。
「いってぇ!」
初汰は自分の唇から俄かに流れ出る血を拭いながらそう言った。
「これでおあいこだ」
「じゃあ戻ってきてくれるんだな?」
口内に溜まる血を吐き出しながら初汰はそう聞いた。
「……ちっ、俺はあの女を信用したんじゃねぇ。ただ、信用してみる価値はあるかも知れない。そう思っただけだ。もし敵だと分かったら、その瞬間に撃ち殺す」
「はぁ、ったくお前は手先くらい口先も器用だったら良いのにな。まぁでも、確かに今はスフィー本人に真実を聞いてみるしか方法は無いもんな。万が一あいつがスパイだったとしたら、その時裁けるのはクローキンスだけかもな……」
「ちっ、てめぇはいつまでも甘口垂れやがって」
クローキンスは初汰のことを鼻で笑いながらそう言うと、反転してユーミル村目指して歩き出す。
「俺は先に帰る。少し一人にさせてくれ」
「おう、分かった。俺はここでユーニさんを待ってからそっちに向かうよ」
初汰に背中を向けたまま、クローキンスは軽く右手を挙げて応えた。初汰もそれを確認すると、反転して沼地の方へ歩き始めた。
クローキンスと別れて歩き始めると、すぐにユーニと合流することに成功した。
「ユーニさん!」
初汰は右手を大きく振りながら、ユーニに駆け寄る。
「彼はどうだった?」
目の前に到着した初汰に向かい、ユーニはそう聞いた。
「とりあえず冷静にはなってくれたよ。でもまだ何とも言えないかな。ははは」
初汰は苦笑いをしながらクローキンスのことを報告した。
「そうか、しかし彼なら大丈夫だろう。彼はしっかり考えられる人物だっ」
「だよな! 俺もそう思う」
「あぁ、それでは彼を追って村に戻るとするか」
「おう!」
元気よく返事をすると、初汰もユーニに手を貸して三人はゆっくりとユーミル村に戻った。
……しばらく歩き続けると、ユーミル村と大きな飛空艇が見え始めた。その傍らには初汰たちの帰りを待つように獅子民が仁王立ちしていた。そして三人の帰還に気が付くと、腕を解いて駆け寄ってきた。
「初汰、ユーニ殿、大丈夫か?」
獅子民は駆け寄ってくると、三人の安否を確認した。
「おう、全然大丈夫!」
「それは良かった。一人で帰ってきたクローキンス殿が何も言わないので、心配していたんだ」
「ま、まぁちょっと色々あったんだよ。近いうちに話せると良いけど。へへ」
「そうか、早めだと助かるのだがな。とにかく今はスフィーを小屋に運ぼう」
獅子民はそう言うと、ぐったりとしているスフィーをお姫様抱っこして、ユーミル村で間借りしている小屋に向かって行った。
「……無事に身体を取り戻されたのかっ?」
まるで亡霊を見ていたかのように、ユーニは呟いた。
「あ、そうか、ユーニさんは知らないもんな」
「話はスフィーから聞いていたが、まさか本当に国家から身体を奪還するとは……」
「俺もびっくりしたよ。意外とあっさりだったから」
「うーん……。それは少し引っかかるが、今は獅子民さんが身体を取り戻したことを素直に喜ぶことにしようっ」
初汰の話を聞いたユーニは始めは訝し気な表情だったが、目の前を歩く獅子民の懐かしい背中を見ていると、自然と笑顔になっていた。
「ユーニさん、俺たちも戻ろうぜ」
少し先を歩いていた初汰は、振り向きながらそう言った。
「あぁ、色々と情報が錯綜しているからな。ここでしっかりと情報交換をしよう」
二人は獅子民の後に続いて小屋に戻った。獅子民はすぐにスフィーをベッドに寝かせ、人数分の椅子をベッドから少し離した場所に出した。初汰、獅子民、ユーニの三人は椅子に腰かけ、魂が抜けたようにしばらく放心していた。するとそこにリーアとギルが戻ってきた。
「只今戻りましたわ」
「なんじゃお前ら、全員で呆けよって」
「ははは、いや、すまんな。やはり久しぶりの人間体は疲れる」
いち早く反応したのは獅子民であった。
「皆さん無理は禁物です。ゆっくりと休んでくださいね」
「うむ、それでクローキンス殿は見つかったのか?」
どうやらリーアとギルはクローキンスを探しに行っていたようだが、その成果は誰が見ても一目瞭然であった。
「すみません。見つけることは出来たのですが、その、どうにも話しかけられる雰囲気では無くて……」
「あいつにしては珍しくしんみりしておったのう……」
「沼地で色々とあったんだよ。ちゃんと話すからさ。ふぁ~あ」
初汰は珍しくしゃんとした調子で話したかと思うと、忽ち大あくびをして体を椅子に預けた。
「かっかっかっ、今日はみんな疲れているようじゃな」
「そのようですね。話は明日にでもしましょうか」
「そうしてもらえると助かるよ。ふぁ~あ」
「全く、獅子民さんやリーアの前で大あくびはどうかと思うが、流石に私も疲れたなっ」
ユーニはそう言うと、大きく深呼吸をして俯いた。
「朝になったばかりだが、今日は休むことにしよう。この小屋はリーアとスフィーが使ってくれ。私たちは飛空艇で眠るとしよう」
「えぇ~マジかよ」
「かっかっかっ、大丈夫じゃよ。飛空艇にも休む場所はある。儂はクローキンスに声をかけてくる」
ギルはそう言うと先に小屋を出て行った。
「んじゃあ飛空艇で寝るか~」
初汰は気だるそうにそう言うと、立ち上がってフラフラと小屋を出て行った。
「ではまた明日この小屋に来る。スフィーを頼んだぞ、リーア」
「はい、獅子民さんもゆっくりお休みください」
こうして獅子民も小屋を離れ、男衆は飛空艇に向かった。
先に到着した三人は、飛空艇の舷梯付近でギルを待った。多少の待機時間でも暇があれば今すぐにでも眠れそうだった初汰は、飛空艇によりかかって目を閉じた。立ったまま寝られそうだな。初汰がそう思って本気で寝始めようとした時、ギルとクローキンスがやって来た。
「すまんすまん、遅れてしもうた。中々こいつがついて来なくてのう」
「ちっ、先に行ってるぞ」
クローキンスはムスッとした態度でそう言うと、先に舷梯を上って行った。
「ふぁ~、そりゃ無いだろ。俺たち待ってたんだぞ」
大きく口を開けてあくびをしながら初汰はそうぼやいた。しかしあまりにも気が抜けていたので、悪意は全く感じられなかった。
「我々も上ろう」
獅子民はそう言うと、クローキンスに続いて行く。そしてユーニとギルも舷梯を上って行き、初汰が最後に上って行った。
「はぁ~、疲れた。ただ梯子上っただけなのにな……」
初汰はそんなことを呟きながら、最後尾を歩るく。平坦な甲板を行き、そして舵がある船首に繋がる両端の階段。では無くて、ど真ん中にある下り階段に向かい、そしてそこを下って短い廊下にたどり着くと、突き当りの部屋が仮眠室であった。
「ここが仮眠室じゃ。儂はちと飛空艇の整備をしてくるから、先に寝ていてくれ」
ギルは仮眠室への案内を終えるとそう言って甲板に戻って行った。それを受けた四人はぞろぞろと仮眠室に入った。入るや否や、ズラリと並んでいるベッドの一つに初汰は飛び込んだ。
「やっと寝られる~!」
ベッドに飛び込むと初汰はそう叫んだ。
「早く寝たいのは分かるが、少し私の話を聞いてほしいっ!」
眠ろうとしている全員に向け、ユーニはそう言った。ベッドに腰かけていたユーニ以外の全員は、入り口付近に立っている彼のことを見た。
「話とはなんだ、ユーニ殿?」
「リーアとスフィーのことです」
「……それは彼女らがいるところでは話辛いのだな?」
何も知らない獅子民であったが、持ち前の察しの良さで話の流れを止めずに済んだ。
「はいっ。隠れながら話すのはどうかと思うのですが、これだけは本人の前では口に出来ないのです……」
「うむ、分かった。初汰とクローキンス殿もそれでいいな?」
「うん、俺はいいよ」
「……ちっ、勝手にしろ」
「ありがとう、みんな。それでは手短に話をさせてもらう。まずはリーアのことだ」
ユーニはそう切り出すと、先日読んだ本、『大陸と魔女と王』を要約して伝え、それをもとに曜周を尋ねたところ、リーアが治癒魔法を使っているのではなく、時魔法で自らの命を犠牲にして傷口や症状を巻き戻していた可能性が高いという事を話した。
「ま、マジかよ……」
中でもリーアによく治癒してもらっていた……。正確には、時を巻き戻してもらっていた初汰は、一番驚いているようであった。
「旅立ちの日、曜周殿が別れ際に言ったのはそう言うことだったのか……」
獅子民も忠告を受けていただけに、悔しさを滲ませていた。
「なので今後は彼女に時魔法を使わせないようにしてほしいという話なのだ」
「当たり前だ。リーアだけそんな辛い思いをさせたくない」
先ほどまで眠たそうな初汰だったが、真実を聞いた今、ハッキリとした口調と目付きでそう答えた。
「うむ、私も初汰に同意だ。これからは我々が彼女を守ってくべきだ。もちろん、彼女にバレないようにだが」
「はいっ、その通りです。彼女は知ってて治癒魔法と偽っていたのですから」
「おう、絶対に時魔法は使わせねーよ」
「意気込むのは良いが、空回りだけは気を付けるのだぞ」
「分かってるよ、オッサン」
リーアについての話がひと段落ついたところで、ユーニは一度呼吸を整えてからスフィーのことを話し始める。
「次はスフィーのことです。これは初汰とクローキンスも既に知っており、獅子民さんの耳にも通しておこうと思いまして」
「うむ、続けてくれ」
「つい先ほど、沼地での戦闘終了間際のことです。敵のニッグと言う幻獣十指の一人が言ったのです。彼女も、スフィーも幻獣十指の一人だと……。それに彼女は、工場地帯への奇襲の指揮を執っていたとも聞きました……」
「うーむ、敵の情報か……。我々を錯乱させるための情報とも考えられる。しかしそう割り切ることも出来なさそうだな……」
獅子民は腕を組み、深く考え込んだ。
「そうなのです。これに関してはタイミングを見て彼女本人に聞いてみようと思っているのですが」
「うむ、そうだな。リーアのことは完全に極秘だが、スフィーの素性は調べつつ、しかるべきタイミングで問い質した方が良さそうだ」
獅子民はそう言いながらクローキンスの方を見た。彼は既に帽子を自分の顔の上に乗せ、後頭部で手を組んで寝転がっていた。
「リーアのこともスフィーのことも、今すぐ解決できる問題じゃないってことは確かだよな」
「旅を共にする上で隠し事は禁物だが、こればかりは仕方がない。今日は情報が入りすぎた。もう休もう。明日からよろしく頼む」
獅子民が綺麗に締めくくると、初汰とユーニは頷いて応えた。クローキンスは寝たふりをしているようであったが、僅かに顎を引いて応えていた。そして話を終えた四人は真昼間から就寝した。




