第六十九話 ~迅速の雷光~
未だ夜明けの兆しないまま、駆け足に近い歩度で進んでいた二人の視界には元人食い沼が見え始めていた。
「妙に静かっすね……」
「あぁ、嵐の前の静けさというやつかもしれないな」
二人は無駄口を叩かず、人食い沼に向かって駆け出す。そして何の躊躇いもなく、真っ暗闇と化している沼に足を踏み入れた。
真夜中に訪れたせいか、以前来たよりも鬱屈とした雰囲気が沼のそこかしこに漂っていた。二人はそんな沼地をどんどん奥へ進んで行く。問題が解決された人食い沼には二人を襲ってくる木人たちはおらず、それに来客を惑わすような樹木の迷宮も無くなっており、ただひたすら真っすぐに道が続いていた。しかしそれでも沼地は沼地、足場はとても悪く、いつもより大股で歩かなくてはいけなかった。
見通しも足場も悪い沼地をしばらく歩き続けると、遠目に薄っすらとランドルが作り上げた大樹が見えた。そして何よりも二人の目に留まったのは、その大樹の根元で眩いほどの光を。いや、雷で出来た槍を掲げている青年の存在であった。
「雷と槍……。まさか!」
スフィーの脳裏にはとある人物が浮かんでいた。それを思うと彼女は走り出した。
「なにっ! 知っているのか?」
ユーニもスフィーに続いて走り出しながらそう問うた。
「はいっす。記憶の祠を出てきた後に少し戦った奴に似てるっす」
「ほう、記憶の祠から帰るときに襲われたのか」
「そうなんすよ。その戦いでもリーアは時魔法を使ったみたいで、あたしたちが戻ってきたときには相当消耗してたっす」
「なるほどっ。その時からリーアの異変は始まっていたのだなっ」
二人はそんな会話をしながら、沼地を飛ぶようにして走り抜けると、ようやく大樹のある開けた沼地の最奥にたどり着いた。すると先ほどまでは米粒ほどだった雷の槍も、目の前に来て見れば槍を持っている青年とほとんど同じ大きさであった。そんな青年が狙いを定める先には、ランドルを庇う様にして立っているリックとミックであった。
「やめるっす!」
スフィーは叫びながら苦無を一本投げつける。すると敵もそれを察知したようで、咄嗟に振り返って雷の槍で苦無を弾いた。
「……またあなたか」
沼地を荒らしていた犯人は、ニッグであった。
「何者だっ!」
「あなたは確か、元国家軍の隊長さんですね?」
ニッグは雷の槍を消し去り、自分が普段から扱っている現物の槍を構えた。
「何が目的っすか?」
弾かれた苦無を風魔法で自分のもとへ戻し、それをキャッチした後にスフィーはそう言った。
「目的何て無いですよ。ただ裏切り者を始末しに来ただけです。勿論、その中にあなたたちも入っていますからね」
「戦闘で追い払うしか無いようだなっ」
なるべく戦闘を避けようとしていたユーニだが、槍を構えたのを確認すると、自分も聖剣を構えた。
「それじゃあ、あなたたちも片付けさせてもらいますよ」
ニッグはそう言うと、槍を持ち直して二人に急接近する。
「なにっ、早いっ!」
ニッグは雷魔法を足に纏い、高速移動を可能にしていた。そしてその勢いのまま槍による突きを繰り出してくる。
――ユーニは咄嗟に上体を逸らし、なんとかニッグの攻撃を回避する。その後すぐバックステップを踏んで距離を取る。
「何という早さだ」
「でもこっちは数的有利っす」
「あぁ、数でこの足場の悪さをカバーしていこうっ」
スフィーとユーニは互いの顔を見合い、そして頷き合うと、二人は左右に分かれた。そしてある程度移動すると、ニッグに挟撃を仕掛ける。
「はああああっ!」
「行くっすよぉ!」
「一遍に来てくれる方が楽だ」
ニッグはそう呟くと、腰を低くして槍を構えた。その足には先ほどよりも強力な雷が纏われていた。
――二人が一斉に攻撃を仕掛けた瞬間、ニッグを包み込むように足元の雷が円筒状に伸びあがった。そして二人が振り下ろした聖剣と苦無は雷のバリアによって弾かれる。
「な、何っ!?」
力強く振り下ろされた聖剣は、ニッグ本人には届かずその直前に現れた雷のバリアによって阻まれる。触れ合う聖剣と雷のバリアからは、バチバチバチッ。と言う激しい電流と音が線香花火のように弾け出ていた。
「ぐぬぬぬっ」
立ちはだかる雷のバリアをユーニは力尽くで突破しようとする。しかしユーニの力でさえもバリアは破れない。
「中々練度の高い魔法っすね。流石幻獣十指の一人……!」
スフィーは苦戦しているユーニを見て、力の無い自分は潔く退いた。そしてバリアを越える手段を思案する。
「いつまでやっても破れはしませんよ」
ニッグは右手で槍を構え、左手は手のひらを地面に向けてずっと水平に保っていた。
「左手で魔法を維持してるっぽいっすね……」
バリアを左手で維持しているのは分かったものの、その左手もバリアの中……。つまりはその左手にどうやって攻撃するかを再び考え直さなくてはならなかった。
「あっ……!」
黄色い円筒を観察していると、スフィーは小さく声を漏らした。何かに気が付いたようで、すぐさま右手の苦無を構えると天に向かって放った。すると続いて風魔法を発動し、苦無を上手く操って円筒の頂点、ニッグの頭上に苦無を移動させた。雷のバリアは、横からの攻撃にはめっぽう強いものの、頂点はがら空きであったのである。
「気付かないわけが無いか」
ニッグは左手で雷魔法を制御しながら、右手一本で槍を巧みに扱い、頭上から迫るスフィーの苦無を弾いた。
「流石に不利か……」
そう呟くと、ニッグは大樹の方をちらりと見た。するとその視線の先には、大樹の頑強な根に腰を下ろして足をぶらつかせているドールがいた。そしてニッグと目が合ったドールはぶらつく足を止め、右手を前に出す。短めの詠唱を終えると、その手からは火の玉が発射される。それはスフィー目掛けて真っすぐ飛んでくる。
「やっぱりあの子もいたんすね」
飛んでくる火球を打ち消すため、スフィーは左手を力強く振りながら風魔法を詠唱し、激しい突風を生み出した。
――目前まで迫っていた火球は、巻き起こされた突風によって掻き消えた。彼女の参入により、二人は数的有利も失ってしまった。
一瞬ではあるが一対一の局面を作り出せたニッグは、バリアの向こう側にいるユーニを狙って槍を突き出した。普通ならバリアに弾かれる。しかし魔法を操っているのは相手であり、この自信満々の突き。これは確実に自分に向かっての攻撃だ。そう感じたユーニは、剣とともに身を退いた。
「まぁ退くか」
ニッグは完全に突きを繰り出しながらそう呟いた。そして一旦ドールのもとまで後退し、体勢を楽にした。
「……早く、帰りたい」
戻ってきたニッグのことを見ながら、か細い声でドールがそう言った。
「うん、早く帰って魔力を補給しないとね」
ニッグは割れ物を扱うような調子でそう言った。
「……もう、朝」
大樹が林立している場所で戦っていたせいか。はたまた戦闘に集中していたせいか。ここにいる全員が、もう少しで日が昇ることに気が付いていなかった。
二人が激しい戦闘の束の間の休息を取っている頃、ユーミル村付近の上空には、初汰たちが乗る大型の飛空艇が着陸を終えようとしていた。その大きな音を聞きつけて、日が昇ったばかりの早朝、村の人々に紛れてリーアも村の正門から外を覗いていた。
「あれは……。国家軍の飛空艇だよな?」
「えぇ、あんなに大きな飛空艇を個人が所有しているなんて有り得ないわ」
正門の陰に隠れながら噂をする数人の村人の声を聞いた。リーアはその噂話を耳にすると、自分がこの村を守らなくてはならないという決心が湧きたってきて、人々の間を縫って正門を抜け、一人村の外へ飛び出した。村人の数人はそれを止めようとしたのだが、寸前のところで彼らは怖気づいてしまった。
大型の飛空艇は着陸と共に強烈な風を巻き起こした。リーアはそれによって目を細めながらも、その立ち姿は凛々しく飛空艇の方を向いていた。
飛空艇が着陸を終えると、しばしの沈黙が流れた。その間もリーアは敵がいつ出て来ても良いように心構えを整えていた。
――すると飛空艇の船尾方向から、誰かが舷梯を降りる鉄を叩くような靴音が聞こえてきた。リーアは少しその場を動き、船尾の方に数歩近付いた。
「戻ってきたぜ~!」
「うむ、今回は少し長旅だったな」
「ちっ、流石に体のいたるところがいてぇな」
身構えていたはずなのだが、陽気で特徴のある話し声が聞こえてくると、リーアは自分の身体から無理に込められていた力が自然と抜けて行くのが分かった。
「クローキンス殿が音を上げるとは珍しいな」
「ちっ、俺だってただの人間だからな」
「へへへ、まぁそうだよな。たまには休息も必要……。って、アレは……」
飛空艇の影から現れたのは、初汰、獅子民、クローキンスの三人であった。そしてその先頭を歩いていた初汰が、いち早く村の門前に立つリーアに気が付いた。
「皆さん、ご無事だったのですね……!」
リーアの頬には一条の涙が伝っていた。
「リーア! 元気になったのか!?」
初汰はリーアを見つけるとすぐに走り出した。そして目の前まで来るとリーアの存在を確かめるようにそっと両肩を掴んだ。
「初汰……。良かったわ、はぐれたと聞いていたので」
「リーアこそ、体調のほうは大丈夫なのか?」
「えぇ、私は大丈夫。スフィーとユーニさんが一生懸命に看護してくれたから……」
今ようやく自分の頬に涙が伝っているのを知り、それを拭いながらリーアは静かにそう言った。
「そっか、良かったよ。本当に。もう無茶はすんなよ、俺もなるべく怪我しないようにするからさ」
「ふふ、えぇ、ありがとう」
リーアは完全に涙を拭い去り忽ち笑顔になった。するとそこへ獅子民とクローキンスも歩き着いた。
「やぁ、リーア。と言っても、不自然しかないかな?」
獅子民は微笑みながらそう言った。
「ちっ、まぁこのメンツを見れば一人しかいないがな」
「し、獅子民さんなのですか?」
「はははは! そうなのだよ。苦労はしたが、どうにか身体を取り戻すことに成功してな」
「良かったわ。全員ご無事のようで……」
リーアはそこまで言うと表情を曇らせた。そして話を続ける。
「その、戻ってきたところ悪いのですが、実は元人食い沼だった場所で落雷がありまして、ほんの一時間ほど前にスフィーとユーニさんが偵察に向かったんです。心配なのですが、私は体調も万全ではなく、村も守らなくてはならなくて、同行できなかったのですが……」
「うし、じゃあ俺も行って来るよ! 俺はそんなに疲れてないからさ」
「ちっ、なら俺も行く。お前だけ行ってまた帰って来なかったら面倒だからな」
クローキンスはそう言うと、すぐに反転して沼地に向かって歩き始めた。
「あ、何だと? おい、待てよ!」
それにつられる様に、初汰もそのまま歩いて行ってしまった。
「全く、あの二人は元気で敵わんな。しかし頼りになる」
「えぇ、本当に」
「村は私と君で守っておこう。彼らもすぐに帰ってくるだろう」
「そうですね。四人を信じて待ちますわ」
こうして村に残ったリーアと獅子民は、沼地に向かって早々に旅立ってしまった二人の背中を見守り続けた。必ず戻ると信じて。




