第五十六話 ~工場街~
獅子民が目覚めると、既にギルが朝食の準備をしているようで部屋の向こう側から微かに音がしていた。クローキンスは昨日の飛空艇の運転で疲れているようで、テンガロンハットを顔に被せたままソファでぐっすりと眠っていた。
暖炉の火はついているものの、雲の上にいるせいか肌寒く感じた獅子民は、寝起きの重い体を持ち上げて暖炉の近くに向かい、そして腰を下ろした。すると丁度真正面のドアが開き、食器を持ったギルが入室してきた。
「なんじゃ、もう起きとったのか」
「いえ、丁度今さっき目覚めたところです」
「そうじゃったか。ならお主の朝食も運んでくるとしよう」
ギルはそう言うと、まずは自分の食事を小さなテーブルに置いて再び台所に戻って行った。数分も経たずして、ギルは獅子民の朝食を持って戻ってきた。そして獅子民の前に差し出した。
「すまない、恩に着る」
「良いんじゃよ。こう見えても料理は好きなんじゃ」
ギルはニコリと笑いながらそう言うと、自分の食事を始めた。それを見た獅子民も、自分の目の前に出されたスープを飲み始めた。飲みやすいように少し冷ましてくれていたようで、火傷することなく獅子民は食事を進めた。
「町の所々にクレーターのような窪みや穴があったが、何かあったのか?」
獅子民はふと、昨日見た町の情景について質問した。
「あぁ、アレか……。この土地はちと頭の固い連中が多くてな。それで弾圧するためにここは半壊状態にされた。すぐに復興が出来ないようにな」
「同じアヴォクラウズなのにですか?」
「そうじゃ。王が居ない今、幹部連中がやりたい放題なんじゃ。ビハイドにもちょくちょく降りて来るだろ?」
「えぇ、精鋭ばかりで毎度疲労困憊でした」
「咎人の幹部、十指の幹部。どちらもやり手ぞろいじゃな……。お主らが苦戦しているということは、当然儂らは何もできなかった。そしてクローキンスの親父は――」
「ふぁ~あ! よく寝た」
ギルがクローキンスの名前を挙げた途端、その当人が大声を上げながら起きあがった。
「お前も起きたんか。飯は食うか?」
「頼む」
クローキンスはそう言うと、帽子を被り直して獅子民の方を見た。そしてギルが退室したことを確認してから口を開いた。
「ちっ、少し起きるのが遅かったみたいだな」
「その、悪かった……」
「ちっ、良いんだよ、今更。親父が死んだのは事実だし、この町が半壊にされたのも事実だ。過去ってのは戻って来るものじゃねぇんだ」
「それでも、私は君の心に留まらず、ギル殿の心までも土足で踏みにじってしまった。迂闊に聞くべきことでは無かった」
「まぁ、アンタがそう言うなら、その気持ちはしっかり受け取っておく。そんなことより、あのうさぎ女。あいつは少し警戒しといたほうが良いかもな」
「スフィーがどうかしたのか?」
「記憶、確かに戻ったんだよな?」
「うむ、記憶は戻っているはずだ」
「ならこの町で起きた内紛もあいつは知ってるはずだ。俺の色眼鏡かもしれないが、あいつは俺のことを見て表情を曇らせていた。それにあの槍術士とのやりとりもずっと気がかりだった……」
「それは直接本人に聞いてみるの早いだろう」
「ちっ、確かにそうだが、アンタらの関係に亀裂を生じさせたくはない。背負うのは俺だけでいいさ」
「いやしかし――」
獅子民がクローキンスを説得しようとした時、客間のドアが開いてギルが入ってきた。片手にスープ皿、片手にパンを乗せた皿を持ってクローキンスが座るソファの前にあるローテーブルにそっと置くと、自分のチェアの戻った。
「悪かったな、話の途中で」
「ちっ、気にすんな。話はもう終わってた」
クローキンスは気を遣ってくれたギルに向かってそう言うと、黙って食事を始めた。ギルが戻ってきたことで話題を戻すのが難しくなってしまった獅子民は、これは胸に留めて置き、また今度改めて聞こうと誓った。
三人は食事を終えると、ギルは食器洗いへ、獅子民とクローキンスはアヴォクラウズの現状と城へのバレない行き方を探るために外へ出た。
「ちっ、どこもかしこもまだまだ完全復活って感じじゃねぇな……」
クローキンスは小高い丘から改めて工場地帯を見渡し、そう呟いた。
「その、内紛があってからどれくらいが経ったのだ?」
「ちっ、そうだな……。確かあのデカい戦争が四年前。あんたや虎間、火浦花那太なんかが活躍した戦争だ。それからアヴォクラウズの政治が傾き始め、内紛が起きた。……だからもう二年くらい前の話になる」
「そうだったのか……。すまないな、そんなことも思い出せない上に、嫌なことを思い出させてしまった」
「良いんだ、気にしちゃいない。それにこれは忘れちゃいけないことだ。心の傷ってのはそう簡単に忘れちゃいけない。俺はそう思う」
クローキンスはそう言うと、先に丘を下り始める。獅子民はその背中を少し見守った後、ハッと我に返って工場地帯に向かって歩き始めた。
改めて町を見回すと、クレーター以外にも深刻な問題があることに気が付いた。それは全く工場の復興作業をする気が無い場所もあるという事である。大体の工場や工房は修復作業に勤しんでいたり、多少修復を終えて早速作業を再開しているところもある。しかし中には内紛で工場を破壊されたことにより、心も折られてしまった者もいるようで、全く手つかずのまま、放置されている廃工場も存在していた。
「ちっ、ここの親父は逃げ出したか……。あっちは確か内紛の時に……」
クローキンスも修復が進んでいない工場を見て、時折溜め息を漏らしながらブツブツと独り言を呟いていた。心にとどめているよりも、少しは言葉にして吐き出した方が楽になるのかもしれないな。獅子民はそう思いながら、黙ってクローキンスの後に続いた。
それでも悪いことばかりではなく、工場を見捨てた人や、主を失った工場よりも修復作業に精を出す者が多いのも事実であり、町の人たちはクローキンスの姿を見ると話しかけて来る者ばかりであった。それのお陰もあり、先ほどまで沈んでいたクローキンスの表情が多少は柔らかくなった。と言っても、満面の笑みを見せることは無かったが。それに表情には出ていないが、明らかにクローキンスはいつもよりリラックスしているように見えた。これも地元の力なのだろう。
そんな和気藹々とした地元の風景を、獅子民は少し離れたところで見ていた。すると会話が終ったようで集まっていた人々がそれぞれの工場に戻り始めた。そしてようやく最後の一人が帰ると、クローキンスが獅子民のもとに戻ってきた。
「ちっ、まったく相変わらず話の長い連中だ」
獅子民と目が合ったクローキンスは、照れ隠しにそう言った。
「暖かい町だな。見ているだけで心が安らいだよ」
「ちっ、そりゃ良かったな」
「ハハハハッ! すまん、あまりにも楽しそうだったからついな」
「んなことはどうでもいい。そんなことより、情報を聞き出してきた」
「それは真か! 是非聞かせてもらいたい」
「あぁ、念のため爺さんの家に戻ろう」
クローキンスがそう言うので、二人は再び丘の坂道を上って小屋に戻った。
小屋に戻るとギルはロッキングチェアに揺られて眠っていた。二人はそっと帰宅するとクローキンスはソファに、獅子民はその傍に腰を下ろして落ち着いた。
「して、どんな情報を得たのだ?」
「ちっ、それがな、まだ国に対して不満を抱いている連中がいるらしくてな。そいつらが小さな浮島を利用して反旗を翻すために決起集会を開いているらしい」
「なるほど……。そこへ赴いてみれば城への侵入ルートが聞けるかも知れんな」
「あぁ、町の知り合いも何人か行ってるみたいだ。既に同行させてもらうように頼んでおいた」
「本当か? それはありがたい」
「ちっ、俺としてもこれ以上この町が悲惨な状況になるのを看過することは出来ない。国家反逆なんて汚れ役は一人で十分だ」
「……うむ、私は既にその罪を犯した身だ。どこまでも君に協力しよう」
「ちっ、いい迷惑だ」
クローキンスはそう言うと、ソファに座り直してギルの方を見た。
「どうかしたのか?」
黙り込んだクローキンスのことが気になった獅子民は、小さな声でそう聞いた。
「いや、爺さんが起きる前に家を出ようと思ってな」
「そうだな、それがいいだろう。ギル殿に無駄な心配をかける必要はない」
「ちっ、それじゃあそろそろ行くとするか。飯はどっかで馳走になろう」
クローキンスはそう言うと、静かに立ち上がった。そして床が軋まないようにゆっくりと慎重に歩いて行く。部屋を抜け、廊下を抜け、そして玄関にたどり着く。獅子民もそれを真似て慎重に家の外に出た。
「さて、根無し草となったが、どこかで合流する予定でもあるのか?」
「あぁ、知り合いの工場に行く。そこで腹を満たしたら、今じゃ誰も住んでない無人の浮島に行く手筈だ」
「承知した。ここでのやり取りは極力君に任せることにする」
「ちっ、面倒だが、そっちの方が面倒事は起きずに済むか……」
クローキンスは小さなため息をつくと、町に向かって歩き出した。獅子民もそれに続き、二人は再び工場街に戻って行った。
黙って歩き続けること数分。飛空艇を停泊させているドック近くの大きな工場の敷地にクローキンスは入って行った。
「ここだ。恐らく決起集会に行く奴らも集まってるはずだ」
「うむ、そうか。君とアレだけ仲が良いんだ。何も心配はしておらんさ」
二人は工場の鉄扉を押し開け、中へ入る。
「あぁ、誰だぁ~。誰か来たのか?」
工場に入ると、奥の方から男性のものと思われる嗄れ声が聞こえてきた。
「俺だ。さっきの話、無人の浮島の件で来た」
「バルグロウの息子か。こっちまで来てくれ~」
クローキンスは姿の見えぬ男とのやり取りを終えると、獅子民の方をちらりと見て奥の方へ進んでいく。とりあえず獅子民は声を出すことは無く、黙って続いた。
コンベアーや作業台などが並べられている作業スペースをスルスルと抜けて行くと、作業員たちが昼食を摂るための食堂に繋がっているドアを開ける。するとそこには数人の男女と、クローキンスと会話を交わしていたであろう老人が一人いた。
「おぉ、バルグロウ。来たんだな……」
老人は食堂に入ってきたクローキンスを見てそう言った。その声は弱々しく、ギルと同年代に見えるのだが、ギルよりかは衰えが始まっているように思えた。
「ほれ、どっか適当に座りな」
そう言われたクローキンスは、集団よりも少し離れた場所にあるイスを出し、そこへ座った。
「お前さん、下に行ってわざわざライオンを拾ってきたんけ?」
一人の女性がそう聞くと、食堂に集まっている全員が笑った。それに合わせてクローキンスも苦笑すると、腕を組んで深く座り直した。
「おい、私の説明はしてくれないのか?」
思わず獅子民がそう言うと、場の空気が凍り付いた。
「おい、今の、クローキンスだよな?」
「お、お前、腹話術でも学んできたのか?」
工場の人たちはそう言って顔を見合わすと、再び笑った。
「ちっ、腹話術なんて器用なこと出来るわけねぇだろうが。正真正銘喋るライオンだ」
「喋るライオン!? まーたすごいもん持って帰って来たな!」
「こりゃ高く売れそうや!」
「ちっ、バカか。商品じゃねぇよ。本当の身体を取り戻すんだ。そのためにアンタらの集会に混ぜてもらおうって魂胆だ」
クローキンスは嘘偽りなく本当のことを話すと、町人たちは再び顔を見合わせて笑った。
「なるほどな! じゃあ彼は追放された英雄さんってことだな」
「全くこれはこれで凄い拾いもんをしてきたもんだ!」
町人たちは夕食を食べながら、大声と大きな笑い声でその場を盛り上げ、獅子民を歓迎? してくれたようであった。
「ほれほれ、お前らも飯食いな。全員食い終わったら小型の飛空艇に乗って浮島に行くから」
一番奥に座っている老人に使わされ、食事を持ってきた男性がそう言った。
「い、いつもこんな感じなのか?」
「ちっ、あぁ、そうだ。しっかり腹ごしらえはしておけ。……毒は入ってないから安心しろ」
「いや、そうでは無くて。私に驚かなさすぎる……」
獅子民が言い返そうとしたその時、クローキンスは既にスプーンを握って食事を始めようとしていた。
「……うむ、では私も頂くとしよう」
獅子民もそう呟くと、目の前に出されたスープの中に米や豆が入った奇天烈な料理を食べ始めた。




