第五十五話 ~三つの城と丘の家~
しばらく真っすぐ飛び続けると、アヴォクラウズの最右端に位置する少し大きめの大地が見えてきた。そこも城と二本の鎖で繋がれており、さらには初汰が初めに降り立った市場や城下町がある大地とも繋がっていた。高さ的には丁度市場がある大地と城がある大地との中間あたりに浮遊していた。クローキンスは監視の目を避けて入庫するルートを知っているようで、浮かんでいる大地の真下に向かって飛んでいき、そして大地の真ん中辺りまで来るとゆっくり飛空艇を浮上させた。
「強風が止んだな。着いたのか?」
獅子民はそう言いながら頭を上げ、クローキンスの方を見た。
「ちっ、なんとかな。恐らくバレてはいないはずだ」
相当集中していたようで、クローキンスは珍しく疲れを表面に出していた。
「すまないな。私がこんな体では無ければ……」
「ちっ、何を今更。んなことより、もう着くから準備しておけ」
「うむ、承知した」
準備と言われても大してすることは無いのだが、獅子民は自分の胴体に巻かれている紐に括りつけられた二枚の盾を交互に見た。今の身体では絶対に使うことが出来ない二枚の盾だが、人間体に戻った時、自分はこれを扱えるだろうか。何て言う今は不必要な不安に襲われながらも、すぐに気持ちを切り替えて、まずは自分の身体を取り戻すことだ! と自らに言い聞かせて心の準備を済ませた。
そんな整理をつけている内に飛空艇は浮いた大地のすぐ真下まで来ていた。このままではぶつかってしまうと思われたが、流石にそんな訳も無く、飛空艇の接近を感知したようでぽっかりと口を開けて二人を迎え入れてくれた。――そして飛空艇がすっぽり飲み込まれると、先ほどまで開いていた穴が綺麗に閉じ、飛空艇はその穴の脇にあるドッグに着地した。
「着いたぞ」
クローキンスは手短にそう言うと、運転席からひょいと飛び降りて軽く全身を伸ばした。
「ここはクローキンス殿のドッグなのか?」
獅子民もそう聞きながらサイドカーを降りると、少し足が痺れているようでフラフラと揺れながらクローキンスに歩み寄った。
「いや、俺が所有しているわけでは無い。友人のドッグだ」
クローキンスはそう言いながら獅子民が被っているゴーグル付きのヘルメットを取って飛空艇のハンドルに掛けた。
「おぉ、すまない。馴染み始めていて気が付かなかった」
「もうそろそろ入庫に気付いてこっちに来るはずだ。休憩でもして持って居よう」
クローキンスはそう言いながら近くのベンチに腰かけた。それに続いて獅子民もベンチの横に着き、腰を下ろしてこのドッグの所有者を待った。
「珍しく大荷物だな?」
獅子民はクローキンスが背負っているリュックを見てそう言った。
「ちっ、これか。あの女に渡されたんだよ」
「スフィーのことか……」
二人がそんな会話をしながら少しの間休憩していると、クローキンスの予言通り誰かが近づいてきたようであった。二人が黙っていたせいもあるが、ドッグ内に誰かの靴音が反響し始めたのだ。一定のリズムで正しく聞こえてくるところからして、訪問者は恐らく一人。カツンカツンと鉄階段を叩く靴の音が小気味良く耳に届く。
「おーい、誰か来たんか!?」
ある程度階段を下ると、しわがれた声がドッグ内に響いた。
「どーせお前じゃろ、クローキンス!」
怒鳴り声は続き、そしてクローキンスの名を叫んだ。それに反応するかのようにクローキンスは体を起こして立ち上がった。
「ちっ、相変わらずデカい声だな」
「やっぱりお前か! 毎度毎度勝手に入りよって! パラシュートも勝手に持ち出したじゃろ!」
「ちっ、はぁ、うるさいだろうが耐えてくれ」
クローキンスは獅子民に向かってそう言うと、奥の階段の方へ歩いて行った。それに続いて獅子民も歩き出そうとした時、一人の老人が階段を降り切ってこちらを見た。
「今度は何じゃ! 出て行ったり帰ってきたり。お前が留守の間、儂が工房を守ってやってるんじゃからな!」
降りて来るや否や、唾を巻き散らかす勢いで老人は捲し立てた。
「ちっ、うるせぇな。別に誰も使ってねぇだろうが」
「何じゃと!? 今すぐあのボロ工房を売り払っても良いんじゃぞ!?」
「はぁ、悪かった悪かった。頼むからそれは勘弁だ」
クローキンスは投げやりにそう言うと、大きな声を出す爺さんを連れて獅子民の前に来た。
「こいつは俺が留守の間に工房を守ってくれている爺さんだ。ま、見りゃ分かるか。で、名前は……。何だっけかな」
クローキンスはそう言うと、隣に立っている爺さんの丸まった背中をポンポンと叩いて階段を上がって行った。
「ギルじゃ! 全く。どうしようもない奴じゃな。して、お主その身なり……」
「すみませんな、ギル殿。少々事情があって今はこんな体になっています」
「そうか、お主さては……。いや、何でもありゃせん。まぁここでは難じゃ、儂の家に行くとしよう」
ギルはそう言うと、クローキンスに続いて階段を上り始めた。余り状況を掴み切れていない獅子民も、二人に続いて階段を上った。
長い鉄階段を上り切ると地上に出た。至る所から煙が上がっており、それらを辿ると大小問わず工場があった。雑多に並んだ工場たちを繋ぐように道が舗装されており、工場の横には大体プレハブ小屋のような家屋が建っていた。恐らくその小さな家々で就寝やら休息やらを取っているのだろう。その他には、道の脇に存在するクレーターのような窪みや折れたままの街灯などが目に留まった。獅子体はそんな街並みを眺めながら二人の後を追いかけてちょっとした坂を上って行き、そして小高い丘の頂上にある家にたどり着いた。
「ここが儂の家じゃ。汚い所じゃがゆっくりしていってくれ」
「感謝する、ギル殿」
「ちっ、あるだけマシって話だな」
クローキンスは文句ばかり言いながらも、ギルに続いてさっさと家の中に入って行った。獅子民は呆れて肩をすくませながらも、小さく挨拶をしてからギル宅に入った。
古い木造の家は一歩進むごとに軋み、苦しそうな音を立てていた。しかし長年住み続けている信頼からか、ギルは止まることなくドンドン奥へ進んでいく。それに続いて図々しく進むクローキンスも中々この家に慣れているらしい。そんなことを思いながら、獅子民も奥の部屋へ入った。
最奥の室内には大きなロッキングチェアが一つあり、客用の大きく長いソファが右の壁際に一つ、その前にはローテーブルがあった。ロッキングチェアは部屋の左隅にあり、その近くにはサイドテーブルのような小さなテーブルがあり、その上には本が積まれていた。そして開けたドアの真向かいには、大きな暖炉が構えていた。木小屋のてっぺんを貫いて出ていた煙突の元はこの部屋に通じていたらしい。
ギルはお気に入りのロッキングチェアに腰を下ろし、クローキンスは何も言わずソファに座り込んだ。
「ほれ、お主もどっか勝手に座れい」
チェアで揺れながらギルがそう言った。獅子民は促されるがまま、クローキンスが座っているソファの横に腰を下ろした。
「で、なんで戻って来たんじゃ?」
二人が落ち着いたのを確認すると、ギルは本の冊数を数えながらそう言った。
「ちっ、野暮用……と言いたいところだが、少し厄介な忘れ物を取りに来たんだ」
「うむ、正確には、取り戻しに来た。だな」
「ほーう、なるほど。深い事情があるようじゃな……。まぁこんなボロ屋で良いなら隠れ家としてでもなんとでも思って使ってくれ。勿論儂も他言することは無い。する知人も今ではいないからな」
「ご厚意感謝する」
獅子民は深々と頭を下げてお礼を言った。
「良いんじゃよ。久しぶりに誰かと話せて儂も楽しいしのう!」
ギルはそう言いながら大声で笑った。しかしどこか悲しそうな眼をしており、獅子民は何も聞けないままその表情から視線を逸らして笑い声だけを聞いた。
「ちっ、しみったれた面しやがって。目当てのモノを取り戻したらまた俺は下に戻るからな。……だから、工房のことは任せたぜ、じいさん」
おそらくクローキンスなりの励ましだったのだろう。ギルはそれを聞いて再び笑い、ゆっくりとチェアを揺らした。
「こりゃまだまだ儂も死ねないな! よし、気を取り直して、目当てのモノが何なのか聞いても良いか?」
「うむ、それは私の口から説明しよう。単刀直入に言うと、私の本当の身体。人間の身体を取り戻しに来たのだ」
「やはりな……。お主、前騎士団団長の獅子民じゃな?」
「えぇ、そうだったらしいですな……」
「記憶が無いんじゃな?」
「うむ、体も無ければ記憶も無い。残されていたのは力だけだった」
「儂も噂しか知らんからな……。そうじゃな、まずは聞き込みからが妥当かの」
「やはりそうですか」
「ちっ、まぁ期待なんざしちゃいなかったさ。それに、どうせ城のどっかに隠してるんだろ」
「どうじゃろうな。いずれにせよ、相当厄介な場所で厄介な敵が待ち受けているのは確かじゃろう。……今考えても仕方がない。今日は飯を食って寝ようじゃ無いか! かっかっかっかっ!」
ギルはそう言うと勢いをつけて立ち上がり、スタスタと部屋の中央を抜けて食事を作るために部屋を出て行ってしまった。
「ちっ、うるさいジジイだが、人情には厚い。きって良い協力者になってくれる」
「クローキンス殿……。そうだな。彼はとてもいい御人だ。なんだか私の身体も見つかる気がしてきたよ」
「戦闘は避けられないと思うがな」
その後三人は今ある状況を提供し合い、そしてそれを整理しながら食事を摂り、獅子民とクローキンスはそのまま暖炉のある部屋で寝ることになり、ギルは二階に上がって就寝することとなった。
……思い切り右頬をビンタされてようやく初汰は目覚めた。背中が猛烈に痛むが、目をしばたたかせて辺りの様子を確認した。
「流石に寝過ぎよ。それとも、これからの夜を楽しむためにひと眠りしてたの?」
「い、いや、別にそんなわけじゃねーよ」
初汰はそう言いながら立ち上がろうとするも、腕が拘束されているのを忘れていて惨めに転げた。
「いって……」
「はぁ、私の顔が利くからよいものを。早くロープウェイを出るわよ」
「お、おう」
ルーヨンの助けを借りて立ち上がると、未だふらつく足のままロープウェイを降りた。二人が下りるとすぐ、ロープウェイは迷惑していたと言わんばかりにワイヤーの中間地点に戻って行った。
「またこれでのけ者扱いね……」
ルーヨンはそう呟くと、初汰の背中を軽く押した。言葉の意味は気になったが、初汰は何も聞かず指示に従って歩き出した。
ロープウェイを降りて真っすぐ歩いて行くと、すぐに城の正門にたどり着いた。仰々しい鉄柵の門が聳え立っており、大人が何人いても押し開けることは不可能で、何人いても乗り越えることは不可能であろう。それに地面も掘られないようにしっかりと舗装されており、関係者以外は絶対に通さないという覚悟をその門から感じ取ることが出来た。その正門の奥の方には、門よりも高く、猛々しく、堅牢さの塊のような城が建っていた。
「なに? 城が大きくてびっくりした?」
「え、あぁ。いや、もう色々とだよ」
「でしょうね。ちなみに今見えているアレが大元。つまり玉座がある場所。でも今は誰も入ることが許されていないわ。なにしろ王がいないからね。それで私たちが向かう場所なんだけど、実は左右にも小さな城があって、右側の城に私の部屋があるの。城と城とが繋がっていないのは暗殺を防ぐためとか何とか」
ルーヨンは呆れ口調でそう言うと、鉄柵に近付いて行く。
……少しの間棒立ちしていると、重厚な門が突然開き始めた。長いこと地鳴りと地震が続き、門はようやく人一人が通れるほど開くとそこで止まった。ルーヨンは引き返してくると初汰の背後に回った。察知した初汰は先行して門の隙間を通り、大きな城を目指して進んだ。
「本城まで行かないでよ。途中で右に逸れるから」
「分かってるよ」
「あまり調子に乗るなら腕を落とすことだって出来るのよ?」
「……悪かったよ」
結局数秒も逆らうことは許されず、初汰は黙って真っすぐ進む。
その後特に会話も無く、噴水がある十字路にたどり着くと本城へ続く豪華な道とは打って変わり、質素な脇道が左右に一本ずつ現れた。
「ここを右よ」
初汰は命令通り噴水広場から右に伸びている細い道に入って行った。
そうしてしばらく真っすぐ歩いて行くと、先ほどまで見ていた大きな城のおおよそ半分くらいの大きさの城が見えてきた。結構奥まった場所にあり、これでは正面から見えないのも納得であった。そして二人は真っすぐ進み、右側の城前にたどり着くと立ち止まった。
「ここからはどうするんだ?」
鉄柵が閉まっているのを見た初汰はそう聞いた。
「そうね……。ちょっとここからは眠っていてもらおうかしら」
「は?」
初汰は聞き返しながら振り返ろうとしたのだが、それよりも早く後頭部に鈍痛が走り、初汰は気を失った……。




