第五十四話 ~空中城塞~
空に飛び出してからと言うもの、身動きが取れないことと、それに相まってルーヨンの荒い運転が永遠と続いたので、初汰はいつの間にか気絶していた。目が覚めると既に空の旅は終わっており、大きな換気扇が回っているような音で初汰は目覚めた。そして目覚めるとすぐ、初汰はサイドカーの中で目だけを動かして辺りを確認した。どうやらルーヨンは運転席を降りて監視員と話をしているようであり、初汰はその様子を伺いながら身体を動かそうとしてみる。するとどうした事か、恐らくルーヨンが初汰から離れて会話に集中しているせいか、石化の魔法が若干解け始めていた。初汰は出来る限りもぞもぞと動き、自力で石化の解除に勤しむ。……しかし簡単に魔法が解ける訳も無く、間もなくルーヨンが戻ってきてしまった。
「あら、お目覚めなのね? ……流石に目と耳だけじゃ可哀そうね。それに、ここからは歩いてもらわなきゃいけないから、拘束は腕だけにしてあげる」
ルーヨンはそう言うと、初汰の額を人差し指でつんとつついた。するとみるみる初汰の石化が解けていき、このまま全て解けるのかと思われたが、そこはしっかりと腕だけ石化したまま解除が終った。
「くそ、あんたの目的はなんだ?」
「下でも言ったでしょ。私のコレクションにするのよ。ほら、さっさと歩きなさい」
初汰の肩を掴んで無理矢理立ち上がらせると、逃げないように腕を掴んだままルーヨンは初汰の背後に立つ形となった。
「ほら、真っすぐ歩くだけなら出来るでしょ」
ルーヨンは初汰の耳元でそう囁くと、初汰の背中を軽く押した。
「わーったよ。歩けばいいんだろ」
ここはルーヨンに従うしかないと腹をくくった初汰は、大人しく指示に従って歩き始めた。
自由に首を回せるようになった初汰は、わざとゆっくりと歩きながら特大格納庫の内部を見回した。ルーヨンと共に乗ってきた飛空艇はやはり相当小型のものだったようで、他にもサイドカーを外した状態のものがあったり、戦闘機のようなものがあったり、一番大きなものとしては航海も出来そうな船型の飛空艇もあった。と言っても、それは整備の途中であり、今すぐに飛べそうでは無かった。
「なに、飛空艇が気になるの?」
「え、あ、いや……」
「何それ、下手くそね」
ルーヨンはそう言いながらも初汰の歩幅に合わせて格納庫を歩き続けた。
十分近く歩き続けると、ようやく出口のドアが見えてきた。様々な飛空艇があったせいで思いのほか時間がかかってしまった。
「そろそろ見飽きてきた?」
「あ、あぁ。別に見てたわけじゃねーよ」
「ふぅん、あっそ。まぁ良いわ。そのドアからアヴォクラウズに行くわよ」
「アヴォクラウズに……」
思わぬ形で到達したアヴォクラウズ。初汰はそれを前にして、自分の鼓動が徐々に早くなっていくのをありありと感じていた。興奮なのか、恐怖なのか。この鼓動が表す感情は一体何なのか、当人ですら感じ取ることが出来ていなかった。
初汰が心の整理をつけている内に、ルーヨンは静かに前へ出てドアを開け、再び初汰の背後に戻っていた。またとないチャンスをみすみす逃してしまったようであった。しかしアヴォクラウズの中を少しでも見れると考えれば、これは正解だったのかもしれない。
「行くわよ、歩いて」
ルーヨンはそう言うと、初汰の背中を小突いた。初汰はそれで気が付いて、開け放たれているドアの向こう側へ踏み出した。
まず初めに眼球を射貫くような光が初汰を迎え、それに続いて活気ある商売人の声や道端で会話するマダムたちの声が聞こえてきた。しかし鮮明に聞こえたのもほんのわずかの時間で、あっという間にそれらは喧騒となって文字にならない音として初汰の耳に届いた。心なしか空気は薄く、若干息をするのが苦しかった。
「最初は慣れないでしょ。この空気感」
「え、あ、あぁ」
「私の家。と言うか部屋は、一番奥に見えてるデッカイ城の中。そこまでは辛抱してね」
二人は騒がしい中で二言三言の会話を終えると、大勢の人々が行き交う市場に入って行った。
市場には、野菜や肉、それに魚やパンや米、それに洋服や台所用品などの既製品を売っている店もあった。格納庫からはあらゆる店に商品が搬入されており、どうやら市場が格納庫に近いのにはそんな理由があったらしい。その他にも、アヴォクラウズを出るには飛空艇が必要なので、旅人が旅先で使う消耗品や食料を買わせるため。と言う狙いも含まれているのだろう。客層は老若男女問わずで、様々な客が多種多様な店に寄ってその店主と会話を交わし、実際に商品を見てから購入できるらしい。まぁそこら辺のシステムは普通の市場と何ら変わりないように思えた。
「ここは相変わらずね……。こっちに抜けましょう」
ルーヨンはそう言うと、初汰のことをぐいぐいと押して市場の右側にある裏道に入って行った。裏道には各店舗のゴミや残材が乱雑に置かれていた。二人は大股でそれらを避けながら、表を通るよりはるかにスムーズに市場を抜け出た。
「はぁ、今度この裏道も整理させなきゃだめね。こうやってルート短縮する人もいるんだから、衛生面にも気遣ってほしいもんだわ」
ルーヨンは初汰にリアクションを求めるように、ブツブツと愚痴を漏らしていた。しかし初汰が答えることは無く、市場を抜けた先の市街地に釘付けであった。市街地の家屋は白い壁面で統一されており、町の中心にある城に向かって徐々に勾配となっており、まるでギリシャに来たかのような錯覚に襲われた。
「ちょっと、早くしないと日が暮れちゃうわ」
流石にいつまでも良いようにはさせてくれないようで、ルーヨンは少し低い調子でそう言うと、無理矢理初汰を歩かせた。
両手が不自由な状態で坂を上るのは中々不便なもので、初汰は無駄に体力を消耗しながら坂を地道に上って行った。
今更思ったことなのだが、先ほどのは市街地ではなく、正確には城下町だったのかもしれない。初汰がそう思ったのも必然で、文字通り、町が城の下に存在しているのだ。城は町が存在している土地よりも更にもう一段階高い場所に浮遊していた。そしてそれ以上浮遊しないように橋替わりの鎖が繋がれていた。城の他にも他何か所か浮島があり、そこにも恐らく重要な施設があるのだろう。そしてそれらの浮島を見る限り、多分今いるこの浮島はアヴォクラウズでも身分の低い人たちが住んでいるのだろう。と初汰が思っていると、急にルーヨンが初汰の首根っこを掴んだ。
「よそ見してると落ちるわよ?」
ルーヨンにそう言われて初汰はすぐに足元を見た。すると人一人がすっぽりハマる穴が空いており、危うくそのままビハイドに叩き落されるところであった。
「気を付けなさいよ。以前あった内紛の跡が未だに色濃く残ってるから」
初汰が言葉を失っていると、ルーヨンがそう付け加えた。
「お、おう。気を付けるよ……」
他にも穴が無いのか急に怖くなった初汰は、辺りを見回しながら適当にそう答えた。
「そんなに怖気づかないでよ。私が付いてればあなたを下に落とすことは無いから」
ルーヨンはそう言うと、再び初汰の背中を押して城へと繋がっている鎖の方へ進ませた。
いつの間にか傾斜の厳しさは無くなっており、鎖まではほとんど平地で一本道であった。鎖にはロープウェイのようなものが取り付けられているようで、それに乗れば城にたどり着けるようになっているらしい。初汰は誘導されるがまま、真っすぐ道を進んで大きな鎖の前に立った。すると近くの小屋から大柄な男が姿を現して二人の顔を見た。
「あんたら、城に行くのか?」
「何、私の顔見て分からないの?」
ルーヨンがそう言うと、男は慌てて小屋に戻り、直ぐに戻ってきた。
「申し訳ありません。念のため警戒しろと言われていたもので。その口調、確かにルーヨン様ですね」
「口調……?」
「は、ははは、冗談ですよ、冗談。それで、そちらの男は?」
男は笑って誤魔化すと、前に立っていた初汰のことを聞いてきた。
「私の新しいコレクションよ。だから害は無いわ。それにちゃんと拘束してあるから」
そう言うと初汰の石化している両腕を男に見せた。そしてそれを見た男も納得したようで、直ぐにロープウェイの準備に取り掛かった。
ロープウェイは鎖の左右にぶら下がっており、どちらも丁度中ほどで停まっていた。監視の男曰く、勝手に乗り降りされないよう、常に空中で留めているらしい。男は小屋に戻ってスイッチやらランプやらレバーやらが付いている一見複雑そうに思える機械を手早く操作した。すると右側のロープウェイがガタガタと音を立てて下ってきた。それを見た初汰は若干の恐怖を覚えたが、何事もなくロープウェイは到着した。
「どうぞ、多少は揺れるが、安全面はバッチリです。つい先日整備したばかりなので」
男が胸を張ってそう言うので、初汰は不安がりながらも鋼鉄製のワイヤーに下がっているロープウェイにゆっくりと乗った。中には向かい合うような形式で長椅子が何組か設置されており、初汰は入ってすぐの場所に腰かけた。そして初汰に続いてルーヨンも乗り込み、初汰の横に座った。
「これでお城までは歩かなくて済むんだな」
動き始めたロープウェイに驚きながらも、初汰はようやく軽口を叩いた。
「フフッ、そうね。まぁこれが落ちなければの話だけど」
ルーヨンはそう言うと、ユラユラと体を揺すってロープウェイを微かに共振させた。
「うおわっ! やめろ、こっちは手が使えないんだぞ!」
「あら、そうだったわね。ここで大事なコレクションを落とすわけにはいかないわ」
ルーヨンは嬉しそうにクスクスと笑いながらそう言うと、揺らすのを止めて硬い背もたれに体を預けた。初汰もそれに倣ってもたれかかるが、それは岩のように硬くて背もたれと言うには質が悪すぎた。
動き始めると男が言った通り、ロープウェイは中々に揺れた。しかしそんな中でルーヨンはうとうとし始めていた。空中におり、さらに初汰に逃げ場が無いことは百も承知なのだが、それでも捕虜を目の前にして眠るのは相当自信があるのだな。と初汰は思いながらも、自分もなんだか心地よくなってきた気がして自分が正気かどうか疑ってしまった。まさかこんなに硬い椅子と揺れるロープウェイで眠れるとは……。
一方小型飛空艇でアヴォクラウズに向かっている獅子民とクローキンスは、アヴォクラウズまでもうすぐそこまで来ていた。元々上の住民だったクローキンスはどうやら潜伏する宛てがあるようで、迷いなく飛空艇を操縦していた。
「どこへ向かっているのだ?」
獅子民は風を受けないように身を屈め、サイドカーの中に潜みながらそう聞いた。
「実家だ。そこなら何とかやり過ごせる」
激しい風の中で、クローキンスの声が聞こえた。するとそれとほとんど同時にアヴォクラウズが見え始めた。
「あそこに私の身体が……」
クローキンスが操縦する飛空艇はアヴォクラウズの右側へ寄って行き、そして初汰たちがたどり着いたのとは違う大地に向かってひっそりと飛んでいった。




