第三十五話 ~過去との対峙~
花園を羽根に引かれるがままに進んでいくと、獅子民とロークの目には祭壇のようなものが映った。
「あれは何だ……。何かを祀るものか?」
「何でしょうかね……。うぉ! こいつ、結構力強いぞ……!」
「もう放してみてはどうだ?」
「え、でも……。唯一の手掛かりが……!」
ロークは羽根が飛んでいかないよう、踏ん張りながらそう答えた。
「私の勘だが、その羽根はあの祭壇に向かっているのではないか?」
「そう……なんですかね?」
「うむ。それに、この場所に連れてきたのはこの羽根だ。こいつが逃げ出すようなことがあれば私たちは再び洞窟に戻されるはずだ」
「た、確かにそうですね。……じゃあ放しますよ?」
「うむ、タイミングは任せる」
「……行きます!」
ロークはそう言ってから一拍置き、深紅の羽根を手放した。羽根は真っすぐ祭壇に向かって行き、そしてそのまま祭壇の上にふわりと着地した。
「祭壇の上に……止まりましたね……」
「うむ、やはりな。祭壇に向かってみよう」
獅子民がそう言うと、ロークはそれに答えるように頷いて、祭壇に向かって歩き始めた。
「あ、あたしも行くっす……」
スフィーは頭に手を添えながら、獅子民とロークに話しかけた。
「大丈夫なのか、スフィー?」
歩き始めた獅子民とロークは足を止めた。
「僕が肩を貸しますよ」
ロークはそう言うと、スフィーのもとまで下がってスフィーに肩を貸した。
「ありがとっす」
「いえいえ、きっとスフィーさんもあの羽根の主と関係があると思うんです」
「そっすね。この頭痛は怪しすぎるっす」
スフィーはそう言うと、頭痛に耐えながらニコリと笑った。ロークもそれに応えるように微笑むと、ゆっくりと歩き始めた。
赤い羽根はと言うものの、祭壇に止まってからまったく動く気配が無かった。三人は羽根の動向に注視しながら祭壇に向かった。
「もう少しで祭壇ですよ」
ロークは辛そうに項垂れているスフィーにそう囁いた。
「本当っすか?」
「はい、本当ですよ。もうすぐです。頑張ってください」
「はい、ありがとっす」
獅子民はロークとスフィーの少し前を歩いていた。歩調はロークとスフィーに合わせており、何度か後ろを振り返りながら獅子民は先頭を歩いた。
「着いたぞ」
獅子民はそう言いながら振り返った。
「すみませんっす。迷惑かけちゃって」
「良いんですよ。頭痛の方は大丈夫ですか?」
「はいっす。何とか一人で立てそうっす」
スフィーがそう言うので、ロークはゆっくりとスフィーの腕を肩から外した。
「むう……。これから何が起きるというのだ……」
三人は祭壇の上で寝ている赤い羽根を凝視した。今すぐにでも祭壇のあらゆるところを調べたいところではあるものの、それ以上に未知の恐怖が三人を支配し、祭壇とは微妙な距離を保ちつつ、羽根の次なる動きを待つことしかできなかった。
するとそれを感じ取ったのか、羽根がいきなり起き上がり、小さな炎に変わった。炎は強くなるでもなく、弱くなるわけでもなく、火力を保ったまま祭壇の中心部で燃え続けた。
「な、なんだ!? いきなり燃えたぞ!?」
獅子民は驚きから少し前のめりになった。しかしすぐに冷静さを取り戻し、踏み出した一歩を元の位置に戻した。
「赤い羽根が、小さな炎に……」
ロークは何かを思い出そうと頭を捻るが、何一つ掠りもしない。
スフィーは突然燃えた出した羽根を見るだけで、何を言うでもなく、何を考えるでもなく、ただひたすらにその炎を見ていた。
「なぜもっと近寄らないのです?」
明らかにその場にいる三人ではない声が聞こえる。三人は顔を見合わせて、自分ではない。と主張するように顔を横に振った。
「前です。私はあなたたちの前にいます」
声の主は女のようであった。三人はその声に従って前を向くと、祭壇の上でゆらゆらと燃えている炎だけが目に映った。
「祭壇、あるいはその上で燃えているのが声の主か?」
獅子民は祭壇と炎を視界に捉えながらそう言った。
「はい、そうです。祭壇の上で燃えているのが私です」
「その羽根と何か関係があるのですか? 本当の姿はどこなんですか?」
ロークは質問ごとに一歩ずつ祭壇に近寄った。
「この羽根は私のものです。本来の姿は……失っております。私は誰かの記憶の中でしか生きることが出来ないのです。つまり、忘れられたら私と言う存在は消えます」
「じゃあその小さな炎が暗示するのは……消えかかっている。と言うことなんですか?」
ロークはついに獅子民の横まで来てそう言った。
「はい、その通りです。しかしまだ希望はあります。その希望はローク。あなたと、スフィー。あなたよ」
「あ、あたしっすか……?」
スフィーもその炎に惹かれるようにふらふらと歩き出し、獅子民の横について祭壇の上で燃える炎を見た。
「そうです。その頭痛は私が起こしているものです。あなたに思い出させようとしているのです」
「僕は、僕は何をすればっ……?」
ロークは両手を固く握ってそう言った。
「あなたはもうすでに覚悟が出来ている状態です。なので頭痛も無いのです。スフィー、覚悟を決めるのです」
「あたしの……覚悟……」
「さぁ、自分の過去と向き合う覚悟を」
天の声がそう言った瞬間、スフィーの頭にモヤがかかった何枚かの風景が流れ込んできた。そこには一人の女性がいる。決まってその女性がいる。しかし思い出せない。顔にもモヤがかかっており、頭痛だけが増していく。
「きゃぁぁ! っぐ……。これがあたしの記憶……? いや思い出……?」
「そうです。私とあなたの思い出です。さぁ、私を思い出して! スフィー!」
モヤが徐々に晴れ。なんだか懐かしい温かさに包まれた。名前はまったく思い出せなくとも、顔は鮮明に思い出されていく。整った顔。優しい目つきに綺麗な鼻。それに合った薄い唇に笑うと出来る笑窪。
「あんたは誰っすか……。思い出したい……。あたしは誰っすか……?」
「覚悟は出来たようね」
天の声の口調は一気に丁重さを欠いた、砕けた口調になった。
「これでまた蘇れるわ。私は何度だって蘇れる。そう、二人がいれば!」
祭壇上で燃える炎は一気に火力を増し、祭壇は炎の渦に飲み込まれ、その熱気は三人を溶かしてしまうかにも思われた。そして火はだんだんと収まっていき、祭壇の上には赤い洋服に身を包んだ一人の女性が立っていた。
「うーん! あぁー! 久しぶりね。この感覚!」
女は祭壇の上で何度か伸び、両手を大きく広げて叫んだ。
「な、なんだこの変貌は……」
獅子民はあまりの急展開についていけていなかった。
「よしっと、蘇生完了! でも、これから三人にはもう一仕事あるの。それをクリアしてくれないと私はここから解放されないの……」
女は瞳を潤わせ、じっと三人を見た。
「も、もちろん協力できることならするぞ!」
「は、はい! 僕もです」
「はぁ、名前は思い出せないっすけど、なんか懐かしい感じがするっす」
三人は激しい転調を見せた女に動揺を隠せなかったが、スフィーとロークに関りがあることから、敵かどうか疑うことは無く、快く女の依頼を受けた。
「ありがとね! きっとスフィーもすぐに思い出すわよ! ってことで、過去の自分と戦ってもらいまーす!」
「過去の自分だと?」
「そうです! 今から別空間に送るので、勝つまで戦ってもらいます!」
「過去の自分に打ち勝てることが出来れば、記憶が戻るってことですね?」
「流石ローク! そゆこと」
「分かったっす。さっさと倒してこの微妙な気持ちを解消するっす」
「そうそう、その意気よ! じゃあ準備はいい? いいよね? はい、行ってらっしゃーい!」
女はそう言うと、三人の答えを聞かずに一人ずつ炎で包み、各々がその火によって目を瞑ると、次の瞬間には先ほどの花園は消えており、真っ暗な空間が広がっていた。三人は背中合わせで立っており、一通り辺りを見回してから身構えた。
「過去の自分か……。打ち勝ってみせるぞ」
獅子民は静かな闘志を燃やし、じっと敵の出現を待った。
「あー、あー、聞こえますかー?」
暗闇の中で女の声が聞こえてくる。
「まだなんか用っすか?」
「お、聞こえてるね。ルールと言うか、決まりの話なんだけど、過去の自分はその本人でしか攻撃できないです! つまり、過去のスフィーをロークが殴ることは出来ない! って感じ、それじゃ頑張ってね~」
これまた三人が答える前に女の声は無くなった。
「はぁ、天真爛漫な人だな……。僕とどんな関係なんだ……?」
これにはロークも小さなため息をつくほどであった。
「ま、まぁとにかく今は、過去の自分に勝つことを考えるっす」
「はは、そうですね」
「健闘を祈るぞ」
三人は緩んだ気持ちを再び締め、過去の自分が現れるのを待った。
するとスフィーとロークの目の前には、自分と全く同じ背格好をした影が現れた。
「来たっす」
「はい、頑張りましょう」
スフィーとロークは一言軽く言い残すと、自分の闇と対峙した。そしてその時、獅子民の前にも影が現れた。
「む……。人型。あれが本当の姿なのか……?」
獅子民の前には大柄な影が現れた。しかしそれが自分自身の影なのか、獅子民には分からなかった。半信半疑の獅子民だったが、大柄な影が獅子民に向かって歩き出したのを見るに、これは私の影なのだな。と、獅子民は大柄な影に目を据えた。
そうして三人はそれぞれ過去の自分と向き合うと、数秒間見合って戦闘を開始した。その中でも一番苦戦を強いられるのは、やはり獅子民だった。
「ぐぬぅ。過去の私はこんなに強かったのか……。しかし見た限り……」
獅子民の推測通り、対峙する過去の影は出現した場所から一歩も動いていない。スピードではライオンになった獅子民が勝っているようであった。
「お二人は大丈夫そうですか?」
ロークは過去の影と戦いながら獅子民とスフィーにそう聞けるほどの余裕があった。それもそのはずで、ロークの影だけ現在と戦闘能力に大きな差が無かったのであった。
「あたしの方はやりづらいっす!」
スフィーは獅子民とは打って変わり、防戦一方であった。影自体は動いていないのだが、見えない何かがスフィーの周りを飛んでいるようであった。
「なになに~、みんな余裕なの~? 話なんかしてるとやられちゃうよ~?」
女の声が暗闇のどこからか聞こえる。戦闘をしながら会話をする三人を茶化したのか、それとも三人を気にして注意喚起をしたのか。それにしては軽口であった。
そこからは三人とも戦闘に集中した。ロークは優勢を保ったまま肉弾戦を繰り広げ、スフィーは自分の周りを飛ぶ何かの謎を解き明かさない限りは、防戦一方であった。そして獅子民は相手を翻弄するように右へ左へ走り回るが、相手はその動きに合わせてしっかりと体の向きを変えてきた。
「ぐっ……。また追いつかれてしまった。どうすれば奴に攻撃が通るのだ……」
獅子民はまたしても攻撃を弾かれ、過去の自分との距離を詰められずにいた。
すると獅子民の影が徐に動き出した。徐々に徐々に獅子民へ詰め寄って来る。形成は逆転し、今度は獅子民が相手を待つ番となった。
「なぜだ……。なぜ今になって……」
獅子民はゆっくりと近づいてくる影を見ながら考えた。そして。
「そうか……あれは私だ。つまり奴は変換の力を利用して……!」
獅子民が気付いた時、影は獅子民に向かって拳を振り下ろしていた。
「ダメージをなるべく最小限に抑えながら……」
獅子民は振り下ろされた拳をギリギリまで待ち、自分の体のどこかに掠るように回避した。
「上手くいったぞ。うぐっ……」
作戦は成功したものの、相手は力を相当変換しており、既に威力は倍近くなっていた。しかし獅子民もこの方法で力を変換しながらでなければ勝てない。と悟っており、右前足にじんわりと滲む血を舐めて、相手の攻撃を待った。
一方スフィーは自分の周りを飛ぶ物の見当もつかず、ただただ悪戯に切り傷が増えていくだけであった。
「なんなんすか、何が飛んでるんすか」
スフィーの耳には、ひゅんひゅん。と何かが空を切る音が絶えず聞こえていたが、暗闇のせいか、全くそれを視認することが出来ない。そんな時、スフィーの脳内だけに血を操る女が話しかけてきた。
「スフィー、思い出すのよ。これも思い出さない限り実態は明らかにならない。あなたが思い出せば、私のように、この世のものとして具現化する」
「そんなこと言われたって、どうやって思い出すんすか……」
「これはあなたが使っていた武器よ。あなたが一番知っているし、あなたにしか使えない。私が助けられるのはそこまでよ」
そう言い終えると女の声はふっと消えた。
「あたしの武器……」
スフィーは目を閉じて音だけに集中した。風を切る何か……。そしてそれはかまいたちのようにスフィーの肌を裂く。風に乗って人体を裂く……。それはかつて自分が扱っていた武器……。
「……最後に一つだけ」
再び脳内に女の声が蘇る。
「あなたは風を操れる」
「あたしは……風を……?」
すると女の顔を思い出した時のように、スフィーの脳内に様々な映像が断片的に思い出される。それに痛みや苦しみは伴われず、沸々と記憶が蘇ってくるのであった。
「これだ……。あたしの武器は……。風に乗って!」
スフィーはパッと目を開き、自分の周りを飛ぶ刃物を視認した。
「ビンゴっす」
それは宙を自在に舞う二本の苦無であった。




