第十九話 ~変換の力~
獅子民は右前足を一歩強く踏み込んだ。すると周りに漂っていた煙が一瞬にして吹き飛び、地面は微かに振動した。
「うおっ、オッサン、いきなりなんて力だ」
初汰は壁に寄り添って揺れに耐える。
「く、クソ。なんだこの揺れは!」
前方の暗闇から、細くて高い卑しい声が聞こえてくる。
「い、今のがルーズキンってやつか!?」
初汰は大きな揺れの中、曜周に尋ねる。
「恐らくそうだ。私もこの牢に入れられるときにしか見たことはない」
「今すぐにでも行きてーのに、揺れが収まらねーな」
「任せろ初汰、私一人で十分だ」
獅子民はそう言うと、もう一歩前に踏み出した。すると再び振動が始まる。
「オッサン~、これじゃ俺も動けねーよ!」
「ならば相手も動けぬはずだ」
獅子民は初汰の静止を無視し、暗闇の中に踏み入る。
「こ、こっちに来るなー!」
暗がりに火の玉が浮かび上がる。そしてそれは的確に初汰と曜周を狙って放たれる。
「なに!? また後ろを!」
獅子民はすかさずその軌道に入る。
ボゥン!
獅子民は再びすべての火球を受ける。
「ぐっ、流石に食らいすぎたか……」
獅子民は体を少しよろけさせる。
「獅子民、いくら何でも食らいすぎだ。受ける攻撃を変換するだけで、外傷は増える一方だぞ!」
曜周も獅子民の歩みを止めようと檻から叫ぶ。
「しかし、奴を倒すことが出来るのは私だけのはずだ……!」
「大丈夫だ! 少年の右腕は私が治した!」
「なに!? 初汰、やれるのか?」
「おう、任せとけよ」
獅子民による振動は収まり、初汰もまともに歩けるようになる。
「少しこの力を見誤っていたようだ。この力は敵を倒すためではない……仲間の為にある!」
獅子民は初汰の前に立ち、姿勢を低くする。
「初汰、二人で攻撃を分散させ、当たりそうなものは私が受ける。お前はただひたすらに相手を仕留めることを考えるんだ!」
「よっしゃきた! 任せとけ!」
獅子民と初汰は縦並びになり、相手に向かって直進する。それに驚いた相手は、すぐさま火の玉を浮遊させ、初汰と獅子民目掛けて攻撃を仕掛けてくる。
「来たぞ初汰、お前は右だ。私は左に避ける!」
「おうよ!」
二人は攻撃をギリギリまで引き寄せると、左右に散って攻撃の的を分散させ、行く当てを失った火の玉は壁に当たって消滅した。
「よし、一発目はうまくいったな!」
「油断するな、なにせ敵は暗闇の中だ」
獅子民の言う通り、最下層は曜周がいる最奥の檻付近以外は暗闇に包まれている。その暗闇に潜む敵の位置を掴むには、火の玉の位置から炙り出すしかない。
「確かにその通りだな。さっきからドンドン奥に逃げやがって」
「逆に考えてみろ、奴は確実に追い込まれている」
「なーるほどね。追い込み漁の始まりってわけだな!」
初汰と獅子民は先ほどと同じ方法でドンドン敵を追い詰めていく。
「うっし、この調子なら楽勝だな!」
「……うむ、そうだな」
二度目の攻撃を避け終えた初汰は調子よく駆け出すが、獅子民は何かを疑うような目をしたまま次の行動に移った。
そして三度目の攻撃が始まる。初汰と獅子民はテンプレ化した方法で攻撃を避ける。火の玉は相当近くから放たれており、敵はもうすぐであった。
「よし、避けきった! オッサン、もう仕留めに行くぞ!」
「……待てっ! これは――」
獅子民は何かに気づいて初汰を止めようとする。しかし初汰は短剣を構えて獅子民の前を走り出していた。
「食らえぇぇ!」
初汰は火の玉が浮かんでいた場所を記憶しており、その場に向かって短剣を振る。しかし――
ビリビリビリビリッ!
「ぐあぁぁぁぁ!」
敵に切りかかったはずの初汰は、苦痛の叫びをあげる。
「なに、どうした初汰!」
獅子民から見ると、一寸先は闇。なので初汰の叫び声だけが聞こえたことになる。獅子民は初汰を助けるために暗闇の中に向かって走り出す。
「もう手遅れだ」
走り出した獅子民に、すれ違うざまで声が聞こえた。しかし――
ビリビリビリビリッ!
「ぬあぁぁぁぁ! っぐ!」
初汰が見え始めた瞬間のことであった。獅子民の全身にも電撃が走る。
「ぐっ……な、なんだこれは……」
「く……そ……。オッサンも引っかかっちまったか」
「やはり罠だったわけか……」
「その通りだ! 馬鹿どもめ!」
声は背後から聞こえるが、二人は罠によって振り向けない。
「残念だが、この男はたった今処刑する! お前たちが土足でこの、俺様の牢獄を踏み荒らした腹いせにだ!」
「やめろぉ!」
初汰は叫ぶことで体が動くかもしれない。と思ったが、そんな簡単なものではなく、体力ばかりが奪われていく。
「初汰、今まで蓄積された力を解放する。罠は解除出来ると思うが、私が動けるかは分からん。だから初汰、頼むぞ?」
「オッサン……。分かった、やってくれ」
「うむ……。ぬおぉぉぉぉ!」
獅子民は地割れをイメージをするとともに雄叫びを上げる。すると二人の足元の地面に大きなヒビが入入る。火の玉に加え、この罠でのダメージ。相当な力を変換することが出来た。
ゴゴゴゴゴゴ。ビキビキッ!
地割れを起こし、地面に設置されていた魔法陣が崩れる。
「お、痺れが無くなった!」
初汰の足元にある魔法陣も崩れたようで、初汰はすぐに振り返って曜周のもとに走り出す。
「オッサン、サンキューな!」
「うむ、後は頼んだぞ……」
獅子民は力を変換して一気に放出したことにより、一時的な全身痙攣を起こしていた。
「な、なんだ!? じ、地面が割れてる!?」
ルーズキンは地割れに気づき、急いで曜周を牢屋から引きずり出す。
「いいのか!? こいつを殺すぞ!?」
ルーズキンは曜周の背後に回り、左腕で曜周の首を絞める。そして右手に火を纏い、いつでも曜周を殺せる態勢に移る。
初汰は暗闇の中を走る。曜周がいる牢屋を目標に走る。しかし一直線に走っても、敵に読まれては癪なので、初汰はクネクネと左右に反復しながら牢屋への直線を進んだ。
「ひっひっひっひっ、そんなことしても無駄だぞ?」
「!?」
ルーズキンは見えているような口ぶりで、初汰の動きを鈍らせる。しかしそれも作戦だ。と初汰はすぐに気持ちを切り替え、再びクネクネとルーズキンに近付いて行く。
「ひっひっひっひっ! 滑稽だぞ! なぜ蛇行しているのだ?」
「な、何言ってんだ! 俺は真っすぐお前に向かってるぜ!?」
初汰は内心ドキッとしながら返答する。しかしそれも苦し紛れの言葉であった。
「ひっひっ、証明してやろう!」
ルーズキンは左手で曜周を抑えながら、空いた右手で火の玉を発現させる。そしてそれを暗闇の中に投じる。
(へっ、あんな当てずっぽう、当たるわけないだろ)
初汰は高を括って蛇行を続けたが、火の玉はその動きに合わせて左右にゆらゆらと揺れ、標準を定めて飛び掛かる鷹のように、初汰目掛けて急発進する。
「ま、マジかよ!」
初汰は急接近する火の玉を避けるため、右に横っ飛びする。急な攻撃でバランスを崩したまま飛んでしまい、右手を少し擦り剥く。外傷はあるが痛みはない。
「くっそ……。擦り剥いちまった。でも痛みが無い?」
「どうした! 早く立たないと次が来るぞ!?」
「やべっ、これは後回しだ!」
ルーズキンは既に次の火の玉を放っており、それは体勢を崩している初汰に向かって直進する。
「なんで位置が分かんだよ……!」
初汰は再び間一髪で攻撃を避ける。
「クソ、切りがねぇ……。どうしたら……」
「ほらほら~、丸見えだぞ~!」
ルーズキンは火の玉を弄びながら初汰を挑発する。
「腹立つなぁ。ん? 待てよ、丸見えって言ったよな。視界を奪えば……?」
初汰は思いつくとすぐ、地面に転がる小石を拾い上げた。
「ゆ、指一本位なら……。やるしかねぇよな。はぁ、これは閃光手榴弾、閃光手榴弾……」
初汰が左手に持った小石は、徐々に形を変え、細長い閃光手榴弾に変わった。
「よし、痛みは一瞬だよな……」
初汰は閃光手榴弾のピンを抜き、正面にいるであろうルーズキンに向かって投げつける。そして自分はすぐに目を伏せた。
「ひっひっひっひっ、これで終わり……ってなに投げてんだ!」
ルーズキンは身を守るために火の玉を閃光手榴弾目掛けて飛ばす。しかし火の玉がヒットする少し前に閃光手榴弾が起爆する。そしてその起爆と同時に、初汰の左手親指以外が一斉に痛み始める。
「ぐあっ! この大きさだと指四本も持ってかれるのかよ……。まぁいい、早くケリつけねぇと!」
一方ルーズキンは眩い閃光によって視界を奪われる。
「ぐぎゃぁ! 目が……! 畜生!」
ルーズキンは左手で曜周を捕らえたまま、右手に炎を纏って手探りで初汰を探し当てようとしている。
「けっ、滑稽だぜ」
初汰は左手の痛みを堪えながら、右手に持つ短剣を握り直す。
「く、来るなら来い!」
「あぁ、今すぐ行ってやるよ!」
初汰は蛇行せずに真っすぐルーズキンに向かう。短剣を握る右手には力を目一杯込める。
「まずはその右手からだ!」
初汰は攻撃の手を断つために、ルーズキンの右手を狙う。
「も、燃やしてやる!」
ルーズキンは闇雲に右手を振るう。その手には相変わらず炎が纏われている。
「あいつ、火を振り回しやがって……どーすっかな……」
初汰はルーズキンに迫りながら考えた。
「初汰! 音だ!」
背後から獅子民が助言する。
「な、なんだ!? ライオンまで来てるのか!?」
獅子民の声に反応したルーズキンを見て、初汰は確信する。
「なーるほどね。目が見えない今、音に敏感になってるわけだ……」
初汰は声に出さず、獅子民に感謝をする。
「今のでも気が逸れたはずだ……。頼むぞ初汰」
獅子民は弱くなりつつある痙攣に耐えながら、少しずつ初汰の後を追う。
初汰は足元の小石を拾い、ルーズキンの左手前あたりを目掛けて投じる。……それは綺麗な弧を描いてルーズキンの左手前に落下し、小さな物音を立てる。
「こ、こっちか!」
ルーズキンはまんまとその罠に引っかかる。
「罠にかけられたお返しだ……!」
初汰は小石を利用して、その間に音を立てずに忍び寄る。そしてがら空きになったルーズキンの右手を狙って刃を立てる。
(もらった……!)
初汰は声を潜まして、心の中で勝利を確信する。しかし――
「ひっひっひっ! 誰が目で見ていると言った!」
ルーズキンは忍び寄っていた初汰の首を掴む。
「なっ……ぐっ!」
初汰は首を絞められたまま壁に押し付けられる。そしてようやくそこでルーズキンの顔を見る。
「こ、こいつ……目が……」
「ひっひっひっ、そうだ。そもそも見えてなどいない。なぜ賢者なのか分かるか? 心眼を持っているからだよ。ひっひっひっひっ!」
ルーズキンは徐々に初汰の体を壁沿いに浮かしていき、初汰の両足は宙に浮いた。
「くっ、はっ、ぐっ……!」
初汰は苦しさから短剣を落としてしまい、ルーズキンの右手を叩いて抵抗するしか術が無かった。
「分かるか? 魔法を唱えれば一瞬で消し炭だ。ひっひっひっ」
ルーズキンは不気味な笑いを浮かべながら初汰を吊り上げる。
「なにが起きているのだ……? 初汰は捕まったのか?」
暗闇にいる獅子民には、最奥にある松明が逆光となって目に入り、様子が伺えない。その時ちょうど、先ほど起こった痙攣が切れ始める。
「痙攣が……。何か嫌な予感がする、急ごう」
獅子民はわざと足音を大きく立てて走り出す。
「はぁ~あ。動き出したか」
ルーズキンは、まず初汰を牢屋の中に放り投げ、それに続いて曜周も牢屋に投げ飛ばす。そして牢屋の鍵を閉め、向かってくる獅子民の方を向いた。
「まずは厄介なライオンから殺してやるか、ひっひっひっ」
ルーズキンは両手に火を纏い、自ら暗闇の中に潜り込む。
「ゲホッゲホッ! オッサン! そっちに向かったぞ!」
初汰は牢屋の中から獅子民に注意喚起する。
「承知した!」
獅子民は急ブレーキをかけ、ちょうど道中ほどに立ち止まる。入り口からも遠く、牢屋までもまだ少し距離がある。
「ひっひっ、お前に俺は捉えられない!」
獅子民の目の前に二つの炎が現れる。それはルーズキンの火を纏った両手である。しかし獅子民にはルーズキンの姿が捉えられず、暗闇の中に二つの炎が浮かび上がったに過ぎない。
「すでにここまで来ていたのかっ!」
獅子民は距離を取るためにバックステップを踏む、するとそれと同時に炎が消えてなくなる。
「なに!? これでは相手の位置が掴めん……」
「ひっひっひっ、そう言うことだ。お前の敗北は確定している!」
心眼を持つルーズキンはゆっくりと獅子民に近付いていき、そしてそのまま背後を取ると両手に炎を纏う。獅子民は背後から感じる殺気だけを感じ取り、素早く距離を取る。
「後ろか!」
「なかなか勘が鋭いな、手加減無しでやってやる」
ルーズキンは再び炎を消し、暗闇に消える。
「またか……。どこから仕掛けてくる……」
獅子民は三百六十度見回すが、目に映るのは暗闇の黒だけである。
(どうすれば……。変換の力……、これは放出するのではなく自らの防御にも使えるのか……?)
視界に頼れない今、獅子民はあえて相手の攻撃を受け、反撃する。と言う考えにしか至れなかった。大きな賭けではあるが、これが成功すれば相手も倒せて自らの力の研究にもなる。と、獅子民は自らの体を覆う鎧のようなものをイメージする。
(イメージは出来た。これで変換は出来ているはずだが……)
後はルーズキンの攻撃を待つだけであった。
「ひっひっひっ、諦めたのか!?」
ルーズキンは心眼により、立ち止まっている獅子民を見抜いているようであった。
「…………」
「ひっひっひっ、怖気づいたか。今すぐ殺してやる!」
獅子民の背後から二つの炎が現れる。そしてそれは獅子民に降りかかる。
「まずは一匹!」
――ルーズキンは炎を纏った手刀を獅子民に振るう。
「貰った!」
獅子民はわざとその攻撃を真っ向から受ける。
炎は獅子民を焼こうと滾っているが、毛先に触れようとも謎の防壁によって獅子民にたどり着くことが出来ない。
「な、なにをした!?」
「ふっ、防御にも利用できるとはな……」
獅子民は笑いながらルーズキンの方を見る。
「仕切り直しだっ――」
「逃がすか!」
ルーズキンは再び暗闇の中に隠れようと火の魔法を解除する。それと同時に獅子民はルーズキンの腕目掛けて飛び掛かる。
「うおぉぉ!」
獅子民は大口を開けてルーズキンの右手に噛みつき、そしてそのまま右手をもぐ。
「ぎぃゃゃ!」
ルーズキンは痛みと驚きで尻もちをつく。その音で獅子民はルーズキンの居場所を把握し、続けて攻撃を仕掛ける。
「そこかっ!」
獅子民はルーズキンの左肩に噛みつき、牢屋に向かって投げ飛ばす。
ガシャン!
ルーズキンはそのまま柵に全身を強打し、ズルズルと座り込む。
「い、痛い……じゃないか」
ルーズキンの動悸は激しいようで、苦しそうに息をしている。
「さぁ、今お前が背にしている牢屋と、地下二階の私たちの仲間がいる牢屋を開けてもらおうか?」
獅子民が暗がりから姿を現しながらルーズキンに問う。
「わ、分かった……。やるよ。ただ、俺の居場所はどうなる……」
「貴様は変わらずここで看守をしていろ。でなくては曜周殿が脱獄したのがバレるからな」
「ひっひっひっ、してやられた……。まだ死ぬわけにはいかない。今回は黙って従ってやる……」
「それが賢明だな」
ルーズキンは肘から下を失った右腕を抑えながら、最下層の牢屋、さらにはリーアとスフィーが閉じ込められている牢屋を心眼で透視して開錠した。
「はぁはぁ、これでいいだろ……? さっさと出て行け」
ルーズキンは自らの右腕を拾い上げ、初汰と曜周を追い出して最下層の牢屋に入った。そしてすぐに座り込み、魔法を唱え始める。
「初汰、曜周殿! 大丈夫か?」
「あぁ、助かったぜオッサン」
「久し振りに見せてもらったよ、獅子民の力を」
「あ、あぁ、そうだな。聞きたいことは山ほどあるが、今は早くここを出よう」
「そうだな。治療が終わったら襲ってくるかもしれねーし」
「よし、ここを無事に脱出したらなんでも聞いてくれ。私が知っている範囲なら全て答えよう」
「うむ、世話になる」
「おう、助かるぜ! とりあえず、肩貸すからさっさと出ようぜ」
「すまないな少年」
獅子民は先導して暗闇に戻る。それに続いて初汰は曜周に肩を貸し、三人は最下層を後にした。




