第十二話 ~二つの協力~
いつの間にか眠りに落ちていたスフィーを目覚めさせたのは、鳥たちの不意のざわめきだった。聴覚が優れている彼女はいち早く上体を起こして周囲を見回すと、寝袋のすぐ脇に置いていたホルダーから苦無を取り出して構えた。
「なんですか、今の音は……?」
次いで目を覚ましたロークは寝袋から飛び出すと、冷静さを装った興奮状態でスフィーに問いかけた。
「鳥が一斉に飛び立ったっぽいっすけど、その後は何も起こってないっすね」
「鳥を脅かす何かがいるってことですかね」
「うーん、昨日雑木林に入った時には獣の気配は感じなかったっすけどね」
「それじゃあ何が――」
二人が答えを導き出すために推理を開始しようとしたその時、基地の北側からぞろぞろと人間の集団が歩いてくるのが見えた。始め二人は驚いたが、すぐにその正体を思い出した。それはつい半日ほど前に別れたはずのマロウ達であった。
「どうしたっすか。忘れ物っすか?」
タープテントから出て一団を迎えに行ったスフィーは相手が話し出すよりも前に先手を打った。
「いや、違うんですよ……。あの後やっぱり付いて行けばよかったとか、暗雲が前哨基地の上に溜まってるとか、キャプテンがいちいち言うもんですから、またこうして戻って来たんです……」
群れから少しだけ飛び出した部下は耳打ちをするくらいの声量で問いに答えた。
「そうだったんすね。皆さんも無事で良かったっす」
「俺たちは大丈夫ですよ! 北の漁村には全く影響がありませんでしたから。それに、雲が晴れるまでは――」
「もういい! もう喋るな」
「へ、へい。すんません」
奥の方からそう叱咤された部下はそそくさと群れに戻り、その代わりに群れからはマロウが姿を現した。
「おう。どうやら生き延びたみたいだな」
「まぁ何とかってところっすね」
スフィーは渋い顔をして言うと、後ろの方を振り返って倒れている兵士たちを見た。するとそれに促された船員たちもタープテントの方を覗き込み、すぐに惨状を把握したようで先ほどまでの賑やかなガヤはあっという間に消えた。
「マジか」
「半日で全員やられたのか?」
「無条件に拘置してきた奴等とは言え、これは流石に……」
陽気な元海賊たちでさえ、ほぼ壊滅状態の先遣部隊を見たら言葉と語気を失った。
「全員ってわけじゃないっす。隊長のダゴットさんだけは残ってるっす」
「ダゴットだと? あいつ名乗ったのか?」
「はい。協力することにしたっす」
「協力だあ?」
「そうっす。お互い人手が足りてなくて、利害が一致したから一緒に最西端の無人島に乗り込むことにしたっす」
「ほぉーん。で、どうやって行くんだ?」
「あたしたちの飛空艇で……」
スフィーはそこまで答えて口ごもった。今回はサイドカーを持って来ておらず、完全一人乗りの飛空艇で来たことを思い出したのであった。
「おやおや、どうかしたのか?」
相手が何かに気付いたと分かったマロウはわざとらしく問い返した。
「いや、それが。あたしたちが乗って来た飛空艇は一人乗りだったんすよ。だからどうしようかって考えてたっす」
マロウの意地悪い質問は少しも気に掛けず、スフィーはピュアな心境を返した。
「ならよう。俺の船に乗って行かねぇか?」
「い、良いんすか。何があるか分からないっすよ?」
「……ま、まぁ俺たちはな、何が起こるか分からないのを承知で海に出てるんだから。そりゃ覚悟は決まってるってんだ。なぁ、野郎ども!」
始めはどもりがちだったマロウの口調も次第に威厳を取り戻していき、同意を求める叫びを上げる頃には頭領たる声音で背後に連なる船員たちを煽り立てた。すると船員たちはそれに百点の雄叫びを返し、マロウは一層矜持を取り戻してスフィーの方に向き直った。
「気合は伝わったっす! でもとりあえず、テントに行ってクロさんとダゴットさんの意見を聞くっす!」
一致団結したマロウたちの熱烈な一声を風のように身躱すと、スフィーはテントの方に駆けて行った。マロウたちは肩透かしを食らった気持ちでその背中を追って歩き、テントの下で暫し待機することになった。
数分後、雑木林の中からクローキンスが出て来た。彼はチラッとマロウたちを視界の端に捉えはしたものの、特に何も言うことは無く、空いている椅子に腰かけた。そしてそれから一、二分後、監視塔にいたダゴットと一緒にスフィーが戻って来て、朝日がじわじわと差し込むテント下に協力関係を結んだ面々が揃った。
「あ、クロさんどこ行ってたんすか~。まぁ、戻って来たならそれで良いっすけど」
「……。こいつらは何だ?」
クローキンスはスフィーの心配に動じることなく、テントの外まではみ出すようにして立ち並んでいるマロウたちの方を見て気だるそうに言った。
「あたしたちのことが心配で戻って来てくれたらしいっすよ」
「ちっ、海賊からお節介焼きになったんだな」
「まぁまぁ、そんなこと言わねぇでくださいよ、旦那。今回はしっかりと役立ちますぜ」
「お前たちに構ってる暇はねぇ。俺たちには行く場所がある」
「それもしっかり聞いたうえで、役立ちますぜ」
そう言うマロウの顔には今まで見たことが無いくらいの自信が宿っていたので、クローキンスに限らず、その場にいる全員が何も言わずマロウの言葉を待った。するとマロウはその期待を察知してすぐさま話を続けた。
「この嬢ちゃんに聞いたところじゃ、小型飛空艇が二機しかねぇらしい。それじゃあどうやって海を渡る! そう、そこで俺たちの出番ってわけですよ、旦那!」
見得を切るように言ったマロウは、その場にいる交渉相手の顔色を窺った。スフィーは小さくうんうんと頷いており、賛同を示していた。ロークも何か文句があるような顔つきでは無かった。となると問題はクローキンスとダゴットであった。マロウは二人の顔を交互に伺い、答えを待った。
「船はある」
そう切り出したのはダゴットであった。マロウはその言葉を聞いて崖から突き落とされたような感慨を抱いたが、それは早計であった。
「だが、舵手はいない。頼めるか?」
武骨な腕をがっしりと組んだダゴットは、背を伸ばして鋭い眼光をマロウに浴びせた。当の本人は何が起きたのか理解が追いつかず、少しの間その視線に射られていた。そして三十秒経つか経たないかくらいでようやく笑みを浮かべた。
「そ、そうだ。そうだ! 船はあっても操舵手がいねぇんじゃ意味がねぇ! だから俺様が手伝いますよ、旦那!」
後はクローキンスの賛同を得るだけだと考えたマロウはこのまま無理矢理押し切ってしまおうと声高に言い切り、ダゴットからクローキンスへと視線を映した。しかし彼は何を言うでもなく、ウエストバッグから棒状のラムネを取り出してそれをボリボリと噛み砕いた。
「お、おい。これはどっちなんだ……?」
小股でスフィーに歩み寄ったマロウが自信無げに聞くと、スフィーは笑って答えた。
「さ、出発するっすよ!」
「お、おぉ!」
何が何だか分からなかったが、質問に対してスフィーが出発を唱えたので、商船員たちはマロウを筆頭にとりあえず掛け声を上げ見せ、持ち前の快活さで出帆の準備を始めた。
結局無人島へは前哨基地に備えられている中型船で行くことに決まり、乗船する人数も最小限に定められた。スフィー、クローキンス、ローク、ダゴットの潜入班。それに加え、マロウと操舵サポートの三人で、合計八人が最西端の無人島へ赴くことになった。荷物も必要最低限のものだけが積み込まれ、スフィーたちは瞬く間に準備を整えて船に乗った。
「そんじゃあ行って来る。基地の奴等を頼んだぞ!」
「へい、キャプテン!」
欄干ギリギリに立っているマロウは桟橋に並んでいる部下たちに声を掛けた。対して前哨基地の疲弊した兵士たちの看護を命じられた船員たちは、いつも通りの掛け声で答えて桟橋から離れた。
「よっしゃ、出航だぁ!」
錨を上げ、周囲に人がいないことを確認したマロウは船を出した。まずは小波に乗り、次第に潮流に舵を取られ、船はあっという間に海原へ引きずり出された。出航当初こそ両腕に力を入れて舵を取っていたマロウも、その時が過ぎて穏やかな流れに乗ると大分リラックスした様子で舵を握った。
「あとは海の様子を見ながら真っすぐ進むだけだ」
「へい、お疲れ様です。キャプテン」
傍らにいる部下と舵を変わると、マロウは船首に立って望遠鏡を取り出し、海の様子を伺った。
「……うん、問題ねぇ。このまま行けば夕方前には目的地に着くな」
独り言ちながら大自然の機嫌を確かめ終えたマロウは望遠鏡から目を離した。するとその開けた視界の左方に、真昼間にはそぐわない流星のような光を捉えた。
「な、なんだありゃ。……無人島に向かってんのか?」
望遠鏡で視認すべきかとも考えたが、目を焼かれる可能性を考えてそれを控えたマロウは大慌てで船首から下り、船室で休んでいるスフィーたちを呼びに行った。
「おい、変な光を見つけたぞ!」
マロウの言葉を聞いていち早く動き出したのはスフィーであった。彼女は半ばマロウを押し飛ばすように船室を飛び出すと、船首に上がって舳先間際に立ち、その赤く煌々と流れる物体を見た。
「あれ、フェルムじゃないっすか?」
船首に上がって来る数人の足音に振り返ったスフィーは先頭のロークにそう聞いた。するとロークは少しだけ目を細めた後に口を開いた。
「た、確かに。あの光力はフェルムかもしれません。でも……」
スフィーに次いで流星を目にしたロークは賛同の意を示したが、その言葉は否定語で止まった。
「どうしたっすか?」
「いや、その、僕はフェルムが記憶の祠から出て来ると思えなくて……」
「フェルムに何かあったんすか?」
「えっと……」
ロークが言い淀んでいると、彼の数歩後ろに立っているダゴットが大股でその背中に迫り、ロークの肩をがっしり掴んだかと思うと思い切り自分の方に振り向かせた。そして、
「おい、詳しく話せ。その女のことを」
と、鬼気迫る表情で言った。
「わ、分かりました。話します」
その言葉を聞いたダゴットはロークに鋭い視線を向けたまま手を放した。そうして束の間の捕縛から解放されたロークは乱れた襟元を軽く直して早速話し始めた。
「実は、半年前の革命が起きてから、時折魔力が暴走するようになったんです。恐らく、噂が風に乗って広まり、彼女の存在を認知する人が急激に増え、それに応じて魔力も増幅してしまい、フェルム自身もその変化に対応できなかったんだと思います。そこで、僕とフェルムで話をして、しばらくは記憶の祠から離れないようにって約束をしたんです。だから。だからフェルムが記憶の祠から出て来るとは思えなくて……」
「そうだったんすね……」
理由を聞いた四人は、各々同情の念やら光の正体やらを脳内で巡らせながら黙り込んだ。そしてそれを察知したロークが気を遣って何かを言い出そうとしたその時、ダゴットが先に口を開いた。
「それはお前の願望だ。結局他人の考えていることなんて分かりはしないんだからな」
貶すような口調でいて、その言葉は核心を突いていた。それが故に、ロークは何も言い返せず、ダゴットは一人階段を下って船室に戻って行った。
「……ま、まぁ気にすんなよ、兄ちゃん。やむを得ない事情があって出てきたのかもしれないだろ。そのフェルムって子は。決してアンタとの約束を忘れたわけじゃ無いと思うぜ」
「はい。ありがとうございます」
場の空気を和ますためにマロウがフォローを入れはしたが、ロークは感謝の言葉とは裏腹に暗い顔をしていた。しかし彼がどれだけモヤモヤした気持ちを抱えていようが、船が彼方の光に追いつくことは万に一つも無い。
「少し風に当たって来ます」
場の空気を感じ取ったロークが船尾に向かおうと動き出す。するとそれを制するようにクローキンスが突然切り出した。
「ちっ、アイツ。何故フェルムが女って分かったんだ」
「え、どういう事っすか?」
「あの光を見た時も見た後も、お前らはフェルムという名前しか出していなかった。だが、アイツはこいつのことを掴んで言った。『詳しく話せ。その女のことを』ってな」
クローキンスの言葉で忽ち場は静まり返った。




