第四話 ~月花晶石~
折り目の少ない紙に書かれたその文字は、その場にいる全員から声を奪った。こういう場合、沈黙を破るのはスフィーの役目であった。
「クロさん、あたしたちの出番っすよ」
「あぁ、俺もそれが良いと考えてた。だが、そのボーバノってのはどこだ?」
執事の口から出た『ボーバノ』という単語を解き明かさなくては話が進まないと踏んだクローキンスは、町長のことを睨むように見ながら問いかけた。
「ボーバノと言うのは、西で二番目に大きな大陸です」
町長がそう切り返している間に執事が地図を持ってきた。それがテーブルの上に広げられると、町長はボーバノと呼ばれている大陸を指し示した。
「ここです。例の無人島に近く、兵力があり、かつ前哨基地を建てられるほど大きい島と言うのがここしかなかったので、ボーバノが主体となって調査を進めているのです」
「じゃあ、この島に行けばいいんすね?」
「はい。連絡用の書状が残っているので、今すぐ送付させます」
会話の流れから何かを汲み取った優秀な執事は命令を受けるよりも前に動き出した。
「あたしたちもすぐに準備を始めるっす!」
「いえ、待ってください」
執事に続いて立ち上がろうとしていた二人は、町長の一言で動きを止めた。
「恐らく本日中には書簡が届くと思うのですが、もしも届かなかった場合のことを考えて今日はここでお休みになってはいかがですか? 市場にいる商人たちならレアな情報を持っている可能性もありますし」
言われて見れば確かにそうだ。と思ったスフィーはソファに座り直した。
「そりゃそうっすよね。手紙が来る前に知らない二人組が来たら身構えるっすよね」
「ちっ、だとしても急ぐべきだとは思うがな」
「でもっすよ。こういう時こそ冷静に進んだ方が良くないっすか?」
「そうかもしれないが、これ以上何の準備をするって言うんだ」
「まぁまぁお二人とも、今日の所は私の顔を立てるつもりで滞在して頂けませんか?」
「ちっ……」
「はい、そうさせてもらうっす」
あまり納得のいっていないクローキンスをよそに、今日一日は町長宅の空き部屋に宿泊するという運びで話は終決した。それから町長はボーバノへ二人を送り出すための飛空艇整備やら、書簡の確認やらで席を外さざるを得ないという事だったので、ひとまずスフィーとクローキンスは提案された通り、市場へ向かうことにした。
「ちっ、とは言え、今更役立つ情報が手に入るとも思えねぇがな」
豪邸を後にしたクローキンスは早速愚痴をこぼした。
「なんですぐマイナスに考えるんすか~。役立つ情報は無かったとしても、有意義な情報はあるかも知れないじゃないっすか。ほら、行くっすよ」
スフィーはそう言いながらクローキンスの右腕を掴んでグイっと引っ張った。するとクローキンスはそれを全く予期していなかったかのように、あわや転倒というところでギリギリ踏みとどまった。
「ちっ、いきなり引っ張るんじゃねぇ……」
潜めるような声音は更なる不機嫌の予感をスフィーに覚えさせた。すると案の定クローキンスは勢いよく腕を振り払い、早足でどこかに行ってしまった。
「あっ、クロさん! ……はぁ、なんか前よりも扱いづらくなった気がするっす」
これにはスフィーも泣き言を漏らすと、クローキンスは放っておいて独り市場に向かって歩いて行った。
市場は以前来た時よりも落ち着いているようであった。前回は祭りが重なっていたこともあって最大級の賑わいを見せていたが、あの時に港のドックが壊れたり、誤った祭りを行っていたことに町全体が気付いたこともあり、町の見直しが進められ、現在は貿易制限が施行されているらしかった。とは言え西の窓口として鎖国することも出来ず、最低限の貿易は行っている。というのが、スフィーの集めた最初の情報であった。
「クロさんの言った通り、手に入ったのはこの町の情報だけっすね。人も思ったより少ないし、やっぱり無駄足だったってことっすかね……」
広場のベンチに腰かけているスフィーは、両肩を深く落としながら心の声を漏らした。するとそんな彼女を見つけて歩み寄る者がいた。
「どうかしたのかい、お嬢ちゃん?」
声を掛けて来たのは初老の優しそうな商人であった。髪にも髭にも白い毛をちらつかせた小太りの男性は、スフィーの横に間隔を空けて腰かけ、背負っていたリュックサックを自らの足元に置いた。
「あ、えっと、情報が集まらなくて」
「情報? はて、何の情報ですか?」
「ボーバノとその近くにある無人島について調べてるんすけど……」
「ほう、あの月が降って来たとか言っている島ですか」
「月っすか?」
「えぇ。しかしお嬢ちゃんも御存じの通り、今も月は夜空に浮かんでいる。つまり虚言ですよ」
「まぁ、それは確かにそうっすけど、月って呼んでいたのには理由があるんじゃないっすか?」
「はい。なんでも、その石には魔力が籠っているからそう呼称されているらしいですよ。何でもかんでもそれらしい名称を付けて、厳かな物としてあがめたいのでしょう。いずれ廃れますよ。ほっほっほっ」
評論家を気取る饒舌で情報を話した証人は、足元のリュックサックをガサガサと漁り、やがてそこから何かを取り出した。
「実はこれ、ボーバノで買い取ったのですよ」
控えめのテンションでそう言ったつもりなのだろうが、声は僅かに上ずっていた。そんな彼の右手には小さな石が乗っていた。
「なんっすか、それ?」
「これが、先ほど話した石です。名を月花晶石というらしいです」
そう言って掌の上に乗る石を少しだけ揺すぶると、太陽光を受けて煌いた。
「キレイっすね~」
「これは既に魔力を失ったモノですが、魔力が籠ったモノは属性に応じて色が変わるらしいですよ」
「へぇ~、そうなんすね」
もう少し近くで物を見たいと思ったスフィーが顔を近付けようとしたその時、市場の鐘が鳴った。
「おっと、時間だ。これから大事な商談があるんです。結局私の自慢話に付き合わせてしまってすみませんでした」
男は小さいケースに小さい石をしまい、それを更にリュックサックの中に入れた。そしてスフィーの方を見てニコニコ笑顔のまま一礼すると、鐘の音で動き出した数人の集団に交じって一つの大きな家屋に消えて行った。
「月花晶。一応大事そうな情報は取れたっすね。さて、あたしもクロさんを探さないとっすね」
数秒前まで目の前にあった石の形を思い浮かべながらベンチを立つと、スフィーはクローキンスが向かったであろう方角に向かって歩き出した。
その頃探されている当の本人は、町外れの大木にもたれかかって通信機を手にしていた。
「遅くなった」
【いえ、大丈夫ですよ。それで、腕の調子はどうですか?】
「あんたに貰った石のおかげで幾分かはマシだ」
【それなら良かった。しかし他言は無用ですよ、ただでさえ今の僕は追われている身なのですから】
「ちっ、分かってる。とりあえず、何かあったらまた連絡する」
【はい。遠隔でも多少はコントロール出来ますので、不備があったらすぐに連絡を――】
たまには長ったらしい返答を最後まで聞き届けてやろうと思った矢先、大木から少し離れた場所にある茂みがガサガサと揺れたので、クローキンスは素早く通信機を切ってウエストバッグにしまい、不自由であるはずの右手で連結銃を構えた。するとその直後、草木を掻き分ける音と共にスフィーが姿を現した。
「やっと見つけたっす。もう、ここで何してたっすか?」
連結銃を構えたまま声音やら動向やらを伺ったクローキンスは、数秒後にスフィー本人であることを認めて銃を下ろした。そしてオシャレに回転させがらホルダーに銃を戻すと、大木を離れてスフィーの方へ歩み寄った。
「腕、良くなったっすか?」
今までタブーだと思ってそこには触れずにいたスフィーだが、これから戦闘があるかもしれないという事実と、自分の耳に聞こえている音の真実を確かめるためにも、ここで聞かざるを得なかった。
「あぁ。今はギプスでどうにか動くようにしてる。それと先に言っておくが、心配はいらねぇからな」
突っ撥ねるように言うと、クローキンスはスフィーが無理矢理通って来たのとは別の整えられている小道を進んで町に向かってしまった。
「ギプスね~。にしては、機械っぽい音が聞こえた気がしたっすけど……」
小型飛空艇を操縦している時と街にいる時はその微かな音に気付かなかったスフィーだが、この静かな場所に来て、彼女の耳は確かに特殊な音を捉えていた。しかし工房を営んでいるクローキンスが少し特殊なギプスを作っていても何ら不思議は無い。そう考え至ったスフィーはそれ以上考えることを止め、駆け足で小道を急いだ。
「そう言えば、ひとつだけ情報を得たっすよ!」
町が見えて来た辺りでクローキンスと合流したスフィーは、市場で出会った男から得た月花晶石の情報を生き生きと共有した。
「……元々魔法が使えない人も、この石があれば使えるようになるらしいっすよ。ボーバノでは月花晶石って言うらしいっす!」
「ちっ、魔力が無い人間でもか。それは早く回収した方が良さそうだな」
情報を聞いたクローキンスは少しだけ不安げな表情を見せた。
「はいっす。そんなのが悪用されたら大変っす。また大きな戦いが起きる前に、あたしたちで回収しないとっすね!」
「ちっ、あぁ。意外と悪くない情報だった。明日は早朝に出発して、ボーバノも少しだけ見て回るぞ」
「あたしもそう思ってたっす。石が流通してたってことは、既に入り込んでる可能性もあるっすからね」
二人はその後も細かく作戦を確認しながら、ほとんど人のいない市場を突っ切って町長宅に戻った。そして町長に簡易的に事情を説明して、食事やら風呂やらを全て前倒しにしてもらい、二人は早めに就寝した。
翌日、日が昇るよりも少し前に起きた二人は前夜に準備を整えていた各々の荷物を装備して、町長宅を後にした。小型飛空艇が寝かされている格納庫までは町長の執事が案内を務め、彼が持っているマスターキーで格納庫が開かれると、スフィーとクローキンスは小型飛空艇に乗り、ボーバノ目指して朝日と共に出発するのであった。




