第百六十六話 ~タイムリミット~
海周を追って玉座の間に駆けこんだ初汰は、腰に下げている木の枝を剣に再生してそれを両手で構えた。
「待て海周! 俺と戦え!」
「俺は一向に構わんが、果たしてお前はこの身体に傷を負わせるくらい本気で剣を振るうことが出来るのか?」
「傷つけずに助けりゃいい!」
「本当にそんなことが出来ると思っているのか? ふんっ、これだからガキは」
海周は初汰の提案を嘲笑い、背を向けたまま歩き続ける。そしてついに玉座の前にたどり着くと、リーアの前に立ち、彼女のか細い手を取り、それを肘掛に乗せた。すると肘掛から鉄の拘束具が飛び出し、その手首を巻き込んで拘束した。
「止めろ!」
一つ、また一つと、拘束具が取り付けられていくリーアの姿を目にした初汰は考えも無しに走り出した。
「もうすぐで儀式を開始できるんだ。邪魔をするな」
「はああああ!」
初汰は雄叫びを上げると、背中を向けたまま作業を続けている海周に斬りかかった。
「そこまで試してみたいか。良いだろう、相手してやる!」
攻撃を察知していた海周は振り向きながら右腕を突き出し、飛び込んできた初汰の腹に正拳突きを喰らわせた。
「ぐはっ……!」
拳は腹部深くまでめり込み、そして程無くして初汰は後方に吹っ飛ばされた。
「よし、折角だからゲームをしよう。この娘の魔力が無くなるまでがタイムリミットだ」
海周はそう言いながら玉座の背部に回ると、中心部に施されているボタンを押した。するとリーアの身体が完全に緊縛され、玉座ごと紫色のオーラに包まれた。そして一秒ごとに紫色のオーラが空中に放出され、玉座の左側に設置されている機械に吸い込まれていった。
「くそ、ふざけやがって……!」
「ふざけてなんていない。大真面目だ。さぁ、どこからでもかかって来い」
そう言いながら、先代の王であるローウェルの絵画の下に飾ってある剣を手に取ると、鞘から剣を引き抜き、鞘は遠くへ投げ捨て、両手で剣を構えて玉座の前に、リーアの前に立った。
「リーア、今助けるからな……! はぁぁぁぁっ!」
初汰は自分に言い聞かせるように、気を失っている彼女に囁くようにそう溢すと、剣を構えて走り出した。対して海周も玉座から数歩前に出て、冷徹な表情で初汰を迎えた。
走った勢いを利用した真正面からの斬撃は、いとも容易く受け止められた。しかしそれだけで初汰の怒りが、攻撃の手が休まるはずも無く、右から、左から、斜めから、あらゆる角度から剣を振るう。海周はその一回一回の攻撃全てに対し、完璧な対応を見せ、最終的にはがら空きになっている初汰の腹部を蹴り飛ばし、強制的に初汰のターンを終了させた。
「甘いぞ、ガキんちょ。そんな素直な攻撃が通ると思うな」
「はぁはぁ、くそ。焦るな、俺。でもどうすりゃいい……」
息を整えながら立ち上がると、初汰は剣を構えて一歩ずつ海周に詰め寄って行く。しかしこの状況を打破できるような策は全く浮かんで来ず、中途半端な気持ちのまま海周と対峙してしまった。
「若い時ってのは、何も考えず問題の前まで歩み寄っちまうもんだよな」
目の前に立っている初汰の様子を見て何かを察した海周は、ニヤリと片微笑むと一歩前に進み出て初汰を威嚇した。それに気圧された初汰は思わず一歩後ずさりしたが、これ以上は下がれないというプライドが働き、なんとかその場に踏みとどまった。
「ほう、逃げはしないか」
「逃げるもんか。俺がリーアを助ける」
「助ける。か。それは力を持っている者が言えるセリフだ」
「他人をぶっ倒すことが力の全てじゃない。俺は俺の信じる力でリーアを助ける!」
初汰はそう言いながら剣を構え直すと、覚悟の決まった目付きで海周を睨み、一歩前に踏み出した。
「ふん、良いだろう。タイムリミットまで遊んでやる」
彼の目の色が変わったことに気付いた海周は、そう呟きながら歩き出した。
「さぁ! どっからでも来い!」
あからさまな挑発だが、これが有ろうと無かろうと、初汰は前に踏み出す以外の選択を持ち合わせていなかった。
(想いの力を信じるんだ。曜周さんがこんな奴に呑まれるはずがない。リーアが簡単に死ぬはずない。俺は、俺が持っている力を全てぶつけるだけだ……!)
心の中でそう呟くと、初汰は走り始めた。
「愚かな。また正面から来るというのか」
敵の動向に目を光らせながらそう呟くと、海周も剣を構えて走り出した。
初汰が剣を振るうと海周がガードを固め、海周が剣を振るうと初汰がガードを固め、一進一退の攻防が繰り広げられた。
「ふっ、その程度か? 俺の身体慣らしに付き合っているって言うならちょうどいいがな」
激しい攻防の最中、海周はおどけた調子でそう言って初汰を挑発する。
「くそ。どうすりゃ……」
初汰はそう呟きながら海周の向こう側にある玉座をちらりと見た。そしてそこに座っているリーアからじわじわと搾り取られていく魔力を目にして、再び海周に視線を戻した。
「そう焦るな。あのマシンは不完全だから、そうすぐに魔力を吸い取れるわけじゃない。もっと俺の身体慣らしに付き合え」
「ふざけんな。リーアも、曜周さんも、絶対助ける!」
初汰はそう言いながら立ち上がると、剣を構え直して走り出した。
「その度胸だけは認めてやる。だが、それでは二流止まりだ」
そう呟いたかと思うと、海周は構えを解いて初汰が斬りかかって来るのを待った。
何のつもりだ……。まさか、拒否反応でも出たのか……? そんな考えが初汰の脳裏を過った。しかしここで走るのを止めることも出来ず、初汰は剣を振りかぶり、防御を固めようとしない海周に剣を振り下ろした。
「はああああ!」
――振り下ろされた剣は海周に当たる直前で止まった。いや、初汰が自らの意志で止めたのであった。
「どうした。怖気づいたか? それとも、この身体は傷つけられないか?」
意地汚い笑みを浮かべながらそう言うと、海周は剣を右手で持ち、空いている左手で初汰の胸倉を掴んでグイっと持ち上げた。
「前も言ったが、迷いは人を弱くするだけだ。今お前が迷いなく、この身体ごと俺を殺していたらもっと楽に事は進んだかも知れない。そうだよな?」
その問いに対し、初汰は沈黙を貫いた。
「彼女だけでなく、世界も確実に救える絶好のチャンスだった。にもかかわらずお前は俺を殺さなかった。何故だ。完全な状態の俺に勝ちたいとか、そんなことは言わないよな?」
「……出来る限り、命は奪わない。過去にどんなことがあったとしても、人は変われる。諦めていても、挫けていても、過ちを犯していたとしても、変わる意思と変われる環境があれば、人はやり直せるはずなんだ」
「ふっ、そんな――」
「綺麗事だって分かってる! だけど、まずは誰かがそう想わなけりゃ、実現なんてできないだろ。俺だけじゃ無理なのは分かってる。だからこそ、俺は想いの光を発し続けるんだ。そして何十人、何百人、何千人と仲間を集めて、お前が嘲笑う綺麗事を現実にして見せるんだ!」
「ふん、青臭い。ならば光源だと言い張るお前を殺すまでだ。光や希望を失った人間というのは憐れなものだぞ。その場から動けなくなって、死ぬまで腰を抜かしたままだ。だったらこの俺が、世界から光を奪い、闇の中での生き方、すなわち弱肉強食の世界を教えてやった方が人類の為になる」
冷徹にそう説き伏せると、海周は右手に持っている剣を持ち上げ、切っ先を初汰の喉元に向けた。
「お前はいつでも殺せるんだ。現にこうして……」
そこまで言うと海周は右手に持っている剣をスーッと下げ、心臓がある位置まで切っ先を運ぶと少しだけ力を込めた。すると初汰の胸部には針で刺されたような痛みが走り、見えてはいないが血が僅かに伝ったような気がした。
「ふっ、どうすることも出来ない。俺がその気になれば、一瞬で命を落とすほどお前は弱い存在なんだよ!」
海周は語気を荒げながらそう言うと、初汰を投げ飛ばした。
「がはっ! くそ、どうすりゃ二人を助けられる……」
背中から廊下に落ちた初汰はフラフラと揺れながら立ち上がり、海周のことを睨んだ。
「……何度も何度も忌々しい」
――そう呟いた海周が歩き出した直後、突然右手に持っていた剣を落とした。
「な、なんだ……?」
明らかに様子がおかしい。初汰がそう思いながら海周の動向を伺っていると、今度は右手を胸に持っていき、口を少しだけ開いた。そこから何をするのかと思った次の瞬間、海周は咳き込むと共に血を吐き散らした。
「ゴホッガハッ! こ、これは……」
手の甲で口を拭い、そこに鮮血を認めた海周は驚きの余り言葉を漏らした。
「曜周さんが何かしたのか? それとも……」
「くそぉ! 何故ここまでついていない!」
怒りを露わにした海周はその場で地団駄を踏みながらそう言い、少し経って落ち着きを取り戻したのか、剣を右手で拾い上げた。
「……状況が変わった。今すぐお前の身体を貰う」
口の周りには吐血を拭った跡が伸び、瞳は真っ赤に血走っていた。そして間もなく剣を構えると、身体を引きずるようにして走り出した。
「どういうことだ。海周の力が弱まってるのか。それとも曜周さんの身体が限界を……。いや、そんなはずない。そうだ、今なら助けられるかもしれない……!」
初汰は自分にそう言い聞かせると、剣を構え直して海周の大分弱まった斬撃を受け止めた。
「雪島初汰……。どうやら、運だけはお前の味方をしているようだな……」
鍔迫り合いにもつれ込むと、海周は弱々しい押し引きの中でそう呟いた。
「ふざけんな! お前が曜周さんの身体を乗っ取ったせいで――」
「違うな。この馬鹿は、最初からこれを、狙ってやがった。自分の死を悟ったから、わざと俺の前に、出て来やがったんだ……!」
海周はそう言うと、力を振り絞って初汰を突き飛ばした。
「死を悟った……?」
「そうだ」
海周はそう答えた直後、何か閃いたように不気味な笑みを浮かべた。
「ふっ、そうだ。このままだと、お前が手を下さずとも、俺と曜周は死ぬ。良かったな? ……だが、こいつを助ける方法は一つあるな」
そう言うと、海周は再び胸部を抑えてお辞儀をするように背中を曲げた。そして呼吸を整えると、瞳だけを動かして初汰のことをギロリと睨んだ。
「黙ってるってことは、もう分かってるよな?」
爛々とした目で初汰を見据え、口からは血が混じった涎を垂らしながら海周はそう聞いた。そのゾンビのような姿を見て、初汰は少しだけ顔を歪めてもう一度しっかりと敵の姿を、ボロボロになっている曜周の身体を見た。そして考えた。自分の身体を渡さなかった場合、曜周はどうなってしまうのだろうかと。
――そうして初汰が迷っている折、玉座の真横に設置されている機械が大きな音を立てた。
「タイムアップだ」
微笑みを浮かべながらそう言うと、海周は剣を投げ捨て、玉座に向かって走り出した。
「ま、待て!」
何をすべきか定まっていないにもかからわず、初汰は感情に流されて走り出した。そして玉座へと続く数段の階段を上っている海周の足に飛びつき、二人はもつれるように転んだ。
「放せ! もうすぐ俺の身体が戻って来るんだ。邪魔をするな!」
海周はそう言いながら、足に纏わりついている初汰を蹴りまくった。しかし初汰も負けじと足にしがみつき、リーアのもとへ行かせないように時間を稼ぐ。
「そうか、このまま俺とこの身体を殺すつもりか……。だが、お前にこいつを見捨てることが出来るか?」
「くっ……。曜周さん、俺は……!」
初汰はそう呟きながら左手を腰に伸ばしてテーザーガンを抜いた。そして敵の腰に銃口を押し当てると、トリガーに指を添えた。
――後はトリガーを引くだけというその時、初汰の中に一瞬迷いが生じた。するとそれに勘付いたのか、海周は目一杯の蹴りを初汰の顔面にヒットさせ、初汰は階段を転げ落ちた。
「ぐあっ!」
「何度も言っただろう! 迷いは敗北を招くと!」
そう言って立ち上がると、海周はフラフラと左右に揺れながら玉座の横にある機械にもたれかかった。そして側面に赤いボタンに手を伸ばし、力の限りそのボタンを押下した。
「さぁ飛べ! 過去の世界へ!」
――機械から、リーアから紫色の光が発され、それが玉座の間をじわじわと侵食して行く。そしてついに倒れている初汰の全身を飲み込んだかと思うと、ひと際強い光が一瞬にして玉座の間に満ち満ちた。
「な、なにが起きたんだ……?」
眩さに目を伏せていた初汰は、光が収まったタイミングを見計らって顔を上げた。そして辺りを見回すと、玉座に座っているリーア、その傍らにある機械を発見した。しかし曜周の身体を乗っ取っている海周の姿が見当たらない。
「くそ、どこに行きやがった」
そう呟きながら周囲を見回していると、海周を見つけるよりも前に不自然な点に気付き始めた。窓から夕陽が射しており、足元のレッドカーペットは乱れておらず、何度か剣を擦ったはずなのにその跡も無い。そして何より、玉座の背後にある王の肖像画には違う人物が描かれていた。それは先代の王、春日創治であった。




