第百五十六話 ~乱戦と再起~
包帯で止血を終えたシグもレイピアを構えた。そしてファグルと呼称している影に向かって声をかけた。
「血は五滴。恐らく持って十五分くらいだと思う」
「最初から太っ腹だねー」
「敵が増えるかも知れないからね」
「なるほど。ま、その敵ってのは俺かも知れないけど。せいぜいしっかりと手綱を握っておいた方が良いよ!」
そう言うと、ファグルと呼ばれている影は大剣を構えて飛び上がり、落下する勢いをも利用してバーンに斬りかかった。
「ぐっ、何をしたかは分からんが。両方倒すまで!」
双剣でしっかり攻撃を受け止めたバーンは、声を荒げながらファグルを吹き飛ばした。
「それじゃあ僕も忠告しておくよ。あまり血は流さない方が良い。タイムリミットが短くなるから」
吹き飛んできたファグルにそう言うと、今度はシグがレイピアで襲い掛かる。大剣から繰り出される強烈な斬撃から一変し、レイピアによるトリッキーかつ素早い攻撃はバーンの腕をチクチクと傷つけていった。バーンはそれを嫌い、防御するのではなく回避することに努め、そして最終的には飛び上がってシグの頭上から斬りかかった。
――レイピアでは受け止め切れない。そう思ってシグがバックステップで後退すると、その代わりにファグルが着地点に潜り込み、バーンの双剣を受け止めた。
「スイッチしただと……?」
咄嗟にも関わらず出た熟達の連携を見たバーンは思わず声を上げた。
「はぁ~あ、人助けって気持ち悪い。でも主が死んだら俺も死んじゃうからね~。こればっかりは看過できないよっと!」
たじろいでいるバーンを弾き返すと、ファグルは休まず追撃を仕掛ける。判断が鈍っているバーンは攻撃を受け止めることが出来ず、辛くも回避をした。しかし振り下ろされた大剣は思い切り地面に叩きつけられ、周囲数メートルが微かに揺れ、砂ぼこりも巻き上がった。
「……しまった。奴が」
攻撃を回避してすぐ、追跡者の存在を思い出したバーンは辺りを見回した。すると間もなく、真後ろに建っている家屋が破壊され、倒壊した瓦礫の上を歩き、こちらに向かって来る影がある。その土煙から姿を現したのは、虎間であった。
「ここにいたのか、バーンよお!」
怒りを体現するかのように、刀を振り回しながら歩いてくる虎間はシグとファグルの存在に気付いていないようで、真っすぐバーンに向かって行く。
「待て、虎間! 我々が争っている暇はない!」
必死に状況を説明しようとするバーンだが、その甲斐虚しく、虎間は凄まじい勢いでバーンの前まで詰め寄ると、刀を振り下ろした。受け止めるしかないと感じたバーンは双剣でその攻撃を受け止め、もう一度説得に入る。
「戦況をよく見ろ。このままでは二人ともやられるぞ」
「あぁ? そう言ってまた逃げるつもりだろ?」
「耳を貸さぬならば、無理矢理逃げるまでだ」
全く聞く耳を持たない虎間に呆れたバーンは、双剣を思い切り振って受け止めている虎間を弾き飛ばした。そしてすぐさま双剣に黒い炎を纏い、右の炎を虎間へ、左の炎をシグの方へ飛ばした。
――シグに直撃するのはマズいと感じたファグルは彼の前に割って入り、黒炎を叩き斬った。するとファグルを軸に炎は左右に分かれ、そのまま地面に直撃して僅かの間黒い炎をその場に残した。同じくバーンの攻撃を斬り落として刀を構え直した虎間は、ようやくそこでシグとファグルの存在に気が付いた。
「誰だ、お前ら」
「もっと早く隠れるべきだったようだ」
「俺は元々隠れる気なんて無かったけどね。あのヤクザと一回でも良いから本気でやり合いたかったし」
声の調子からして恐らく満面の笑みを浮かべながらそう言ったファグルは、大剣を構えて走り出した。それを見た虎間は少しも表情を動かさず、向かって来るファグルの攻撃を真正面から受け止めた。
「なんだお前、全身真っ黒じゃねぇか」
「今はちょっと借家の状態でね。でも手加減なんていらないよ!」
鍔迫り合いをしながらそう言うと、ファグルは大剣を支えにして右足で蹴りを繰り出した。対して虎間は刀を右手一本で持ち、左腕を下げてファグルの蹴りを左肘でガードし、前蹴りを食らわせて距離を取った。
「キレてるわりに冷静だね~」
「お前、ファグルか」
「俺も信じられないよ。まさか人生で二回も死にかけるなんてね」
「ダッハッハッハッ! お前、あのガキに負けたのか! なら、今度こそ俺がきっちり仕留めてやるよ。宿主事なぁ!」
戦闘スイッチが入ったのか、虎間は大笑いしながらそう叫ぶと、刀を構えて走り出した。
「うんうん、そう来なくっちゃね。でも、アイツらに仕返しするまで死ぬ気は無い……!」
二人は再び正面からぶつかり合った。すると次の瞬間、周囲に衝撃波が広がり、シグとバーンは目を逸らした。
「予想以上に上手くいったな。この隙に」
そう呟いたバーンは静かに立ち上がり、双剣を収めて歩き出した。
「ファグル、張り切り過ぎてるな……。けどあいつにばかり構っていられない。僕も責務を全うしなくては」
シグはそう呟きながらレイピアを収めると、逃げ出そうとしているバーンを見つけ出してその背中をつけていった。
広場を離れたことにより、辺りには家々が連なり始めていた。そのせいで曲がり角が多くなり、道も狭くなっていた。駆け足で追いかけていた足取りも、いつしか警戒心のために早歩き程度になっており、そこでようやくシグは気付いた。敵がわざとここに導いたのだと。
道を曲がる度に数秒の時間を要していたシグは、このままでは逃げられると思いつつも、次の曲がり角でもしっかりと身体を壁に寄せ、レイピアを構えて息を殺した。すると微かに漏れる鼻息が向こう側から吹き抜けて来たような気がしたシグは、迷わず飛び出してレイピアを突き出した。
――腕から剣先まで一直線に伸びきった綺麗な突きは、確かに何かを捉えた。しかし生物に直撃したというよりかは、物質に直撃した触感であった。シグはその勘を頼りに、反撃を予想して数歩間合いを取った。
「ここまで警戒を怠らないとは。少し侮っていたようだ」
暗闇から出でたのは、双剣を構えているバーンであった。先ほどシグが捉えたのは双剣の片方だったようで、その刀身には僅かながら傷が付いていた。
「この路地の暗さと複雑さなら逃げ切れたはずだ。何故逃げなかった?」
「貴様から雪島初汰の居場所を聞き出すためだ」
そう言うと、バーンの両手に握られている双剣は黒い炎を纏い始めた。
「それは残念。僕は決して喋らないよ。彼に助力すると誓ったからね」
シグはそう言うと、忠騎士の如く、一度レイピアを顔の前で縦に構え、少しの間瞑想をして目を見開いた。そして静かに剣先をバーンに向けた。
アヴォクラウズで世界の行く末を決める戦いが苛烈を極めようとしている中、リカーバ村でも初汰たちを助けるべく行動を始める者がいた。
自室に籠って薬草を練り、薬の研究をしていたリーカイがその異変にいち早く気付いた。それは何か大きなものが床に落ちたような音であり、リーカイは作業の手を止めて席を立った。
何となく音の出所が分かっていたリーカイは、片手に燭台、片手に杖を持って自室を出て、同じ階の隅にある寝室へ向かい、ドアを静かに開けた。すると薄暗い小部屋がリーカイを迎えた。しかし左手に持っている燭台の明かりが室内をぼんやりと照らし出し、蠟燭の火はゆらゆらと進むべき道を示した。
ベッドに引っ掛からないよう足元を照らしながら一番奥まで進み終えると、花那太が寝ているはずのベッドを照らした。そこに彼の姿は無く、ベッド右脇に明かりを逸らして見ると、床に突っ伏して手探りで少しずつ匍匐前進している花那太がいた。
「何をしておるんじゃ。まだ完治しておらんじゃろ」
「……もう、何もせず後悔したくないんです。せめて、何かをして後悔したいんです」
花那太は俯きながらそう言った。リーカイはその切実さを汲み取り、サイドテーブルに燭台を置いて車椅子を持ってきた。
「わしも何かをしたいと思っておったんじゃ。協力は惜しまんよ」
「ありがとうございます」
指先で車椅子の感触を探り当てた花那太は、そう言いながらゆっくりと立ち上がり、そしてそのまま位置を細かく確認しながら車椅子に腰かけた。
「どこに行くんじゃ」
「獅子民雅人のもとへ」
「ふむ、少し待っておれ、わしだけでは運べないから人を呼んでくる」
リーカイはそう言い残すと、一度家を離れた。
それから数分後、リーカイは村の男を二人引き連れて戻って来た。そしてその二人の協力で花那太と車椅子を階下に降ろすと、再び花那太を座らせ、リーカイが後ろに着いた。
「ゴランの家まではわしが押して行く。作業中に呼び出してすまなかったのう」
一言詫びを入れると、リーカイは早速車椅子を押し始めた。村人は少しの間背中を見送った後、軽く頭を下げてから村の復興作業に戻った。
自分が破壊したにも関わらず、こうして手を貸してくれるリーカイや村の人々に感謝の念を伝えたいと思っていた花那太だが、思っているだけで言葉にはならず、わざとらしい沈黙が花那太の罪悪感を募らせていった。
「そう気にするでない。誰でも過ちを犯すものじゃ。わしだってかつては国家に従事して、この手を悪に染めたものじゃ。だがこうして村の長になって思ったんじゃ、人間は悔い改められる生き物じゃと。時間はかかるだろうが、君なら出来るとわしは思っているよ」
「はい……。ありがとう、ございます……」
涙が零れないように誤魔化している若き背中を見つめながら、リーカイは微笑みを湛え、ゴラン宅へと急いだ。
鼻をすする音も聞こえなくなった頃、二人はゴラン宅の前に到着した。まだ日は落ち切っていないにも関わらず、目の前に建つ邸宅は暗鬱としたオーラを纏っていた。
「ここに獅子民雅人が?」
何かを嫌な気配を感じ取った花那太は、振り返らずにそう聞いた。
「そうじゃ。この世界で誰よりも人を救いたいと思っている彼が、この中で誰かの助けを待っておるんじゃ」
「彼の力が無くては、虎間甚を抑えきることは出来ない。必ず説得してみせます」
「うむ、その意気じゃ」
リーカイは頷きながらそう言うと、そっと花那太の肩に手を乗せ、ポンポンと叩いた。花那太はその鼓舞を真摯に受け取り、行きましょう。とだけ言った。
そうしてゴラン宅に踏み入ると、仄暗いリビングと、そこで岩のようにじっと座っている獅子民の姿がリーカイの視界に映った。リーカイは迷わず歩を進め、花那太と獅子民を引き合わせた。
「到着じゃ」
「もう目の前に?」
「うむ」
「ありがとうございます」
背後にいるリーカイに礼を述べるため、出来る限り顔を背後に向けながらそう言うと、再び正面に向き直り、目を細めて獅子民の姿をこの瞳に収めようと努力したのだが、暗闇がそれを妨げた。
「獅子民さん。そこにいるんですよね」
花那太の呼びかけに獅子民は答えない。しかし彼は話を続ける。
「今回の戦いを終えて、心底思ったんです。もう生きたくないって。でも、初汰に言われたんです。『想いは人を変える。お前を信じて待ってる』って。こんな僕を信じてくれる人がまだいる。そう思ったら、凄く胸が熱くなったんです」
感情的ではない淡々とした調子の語り口ではあるが、花那太の言葉には力強さが存在していた。
「昔からそうでした。向こうの世界にいた時から、彼はずっと僕のことを信頼してくれていたんです。でも僕は逃げました。そしてそれを後悔していたんだって、昨日気付いたんです。きっと初汰は今も信じていると思います。僕が向き合ってくれることを。そしてそれと同じくらい、あなたがアヴォクラウズに来てくれると信じている。僕はそう思います。だから僕はここに来ました。あなたを連れて行くために。獅子民さん、このままじゃ何も分からないまま、何も守れないまま、僕たちは生き地獄に閉じ込められてしまいますよ」
そう言い終えた花那太はそっと右手を前に出し、両膝に両肘をついている獅子民の左腕に触れた。
「虎間甚に何を言われたのかは分かりませんが、あなたは今生きているんです。今こうして悩んでいる。それが証拠です。だったら後は、全てを清算するために行動するしか無いんじゃないでしょうか」
そう言いながら力強く獅子民の左腕を握ると、大きな掌が花那太の右手を覆った。
「暖かい……。そうか、君は生きている。そしてこれを感じている私もまた、生きているのか。胸のあたりが熱い。そうだ。誰かを、仲間を守りたいという想い。これが私の生きている証拠なのか……」
石像の如く動かなかった獅子民はそう囁き、花那太の右手をそっと膝に戻してやった。そして静かに立ち上がると、大きく深呼吸をするとともにゆっくり瞬きをし、車椅子の後ろに回ってハンドルを握った。
「リーカイ殿、飛空艇の余りはあるか?」
「もちろんじゃ。皆君を信じておったからのう」
「案内をお願いします」
「こっちじゃ」
リーカイはそう言うと、杖をつきながら先に外へ出て行った。
「もしかしたら、私はもう死んでいるのかもしれない。だが、こうして再び命を授かった以上、己の信ずる道を行き、信頼している仲間を救うのみ。君の想いが無ければ気付けなかったよ。一歩踏み出してくれてありがとう」
「いえ、僕もあなたも、初汰にしてやられたんですよ」
「はっはっはっ。そうかもしれないな。ならばやることは一つ、彼の信頼に応えよう」
「はい、急ぎましょう。最悪の事態が起きる前に」
花那太の言葉に一抹の不安を覚えながらも、獅子民は車椅子の進行方向を変え、リーカイの背中を追って家を出た。




