第百四十四話 ~解かれた幻~
体中にチクチクと何かが刺さる感覚と、ぐわんぐわんと揺れ動く不安定さに不快感を抱いた初汰は静かに瞼を上げた。
「――うぶ、大丈夫。初汰?」
「あぁ、生きてるのか?」
「えぇ、あなたのお陰で助かったわ」
「リーア、怪我はしてないか?」
「それも大丈夫よ。あなたが下になってくれたから」
「なら良かった。とりあえず降りよう」
「えぇ、下に風魔法を出しておくわ」
運良く命を拾った二人は、リーアが唱えてくれた風魔法目掛けて飛び降りた。風のクッションは全ての衝撃を吸収し、二人を無傷で地面に立たせた。
「飛空艇はやられちまったけど、何とか逃げ切れたな」
「でもきっと彼女は追って来るわ」
「だな。あの感じだと地の果てまで追って来そうだ」
服に付着している木の葉を取り除きながらそう言うと、初汰は辺りを見回して道を探した。
「どうやら道は無いようね」
「みたいだな。……にしても、何であいつらはここを爆撃してたんだろう」
「確かにそうね。ここに何かがあるのかしら」
「それも探しつつ、和場優美も探すって感じだな」
「そうね、行きましょう」
初汰は木の枝を構えて剣に再生し、リーアはいつでも魔法を唱えられるよう集中力を高め、二人が森の中を歩き始めようとした瞬間、突然爆撃が再開した。
「また爆撃だと?」
「どんどん私たちがいる方に向かってきているわ」
「あの野郎、森を消して俺たちを炙り出すつもりか?」
「分からないけど、とりあえず走るわよ」
背後から爆音が鳴り響き、小さくも確かに環境を破壊する爆発が二人に迫り来る。初汰とリーアは走り出し、森の中心部に向かって行く。もしもこれが罠だとしても、二人にはそうする他無かった。
無尽蔵の爆弾が空から降り注ぐ。二人はそれに当たらないように一分近く走り続けていると、急に爆音が鳴り止み、目の前に広がっている木々の影から、先ほど優美と一緒に居た兵士たちが姿を現した。
「お前ら、ここで何をするつもりだ」
「今から面倒な村を焼き払うんだよ」
一人の兵士がそう言って空を見上げると、森の上空には新たに数機の小型飛空艇が停止していた。そして間もなく無数の爆弾が投下される。
――森に向かってただ真っすぐに落ちていき、そして爆弾は森を焼き払うかに思われた次の瞬間、森の数メートル上で爆弾が自動で爆発を始めた。
「どういうことだ、起爆をミスったのか?」
「そんな失敗を私たちがすると思って?」
初汰が空を見上げながら呟いていると、背後から女の声がした。初汰とリーアの二人は正体を知りながら振り返ると、そこには和場優美が立っていた。
「へっ、こんなのどう見たって失敗じゃねーか」
「そう思いたいならそう思えば良いわ」
「お前を倒して、この爆撃も止めてやる!」
――そう言って初汰が優美に襲い掛かろうとした瞬間、爆発の音とはまた違う、ガラスが一斉に割れたような、甲高く耳をつんざくような音を聞いた。
「なんだ?」
振り返らずにはいられず、初汰は音のした方を振り向く。すると巨大なドーム状の結界が表出しており、そのてっぺんに大きな穴が空いていたのであった。そして初汰が感嘆の声を漏らすよりも前に、見慣れた花畑が一面に広がって行き、森は完全に消え失せた。
「これで分かったかしら? ここにあった森は全て幻想よ。リカーバ村を隠すためのね」
「毎回ワープで来てたはずなのに……」
「うふふ、それがね。一度小型飛空艇が飛び立った時があったのよ。この何も無いはずの森から。それを運悪く私たちの部下が見てしまったの。うふふ、面白いでしょ。一回のミスで全てが崩れ去るのって」
「俺を助けに来た時か……?」
何となく引っ掛かることもある初汰だが、今は考え込んでいる暇など無かった。何故なら割れてしまった結界目掛けて続々と爆弾が投下されており、完全に結界が破壊されるまでは時間の問題だったからである。
「やめろ……。やめろ! 村に手を出すな!」
頭に血が昇った初汰は、剣を構えて優美に向かって行く。
「止めろと言われて素直に止めると思って?」
「なら、力づくで止めるまでだ!」
勢いよく優美に飛び掛かると、彼女は冷静に槍を手にして初汰の攻撃を受け止める。
「感情だけでは何も解決できないわよ」
冷徹にそう言い切りながら、優美は軽々と初汰の攻撃をいなしていく。
「初汰、急ぎ過ぎよ……」
そんな彼の戦闘を見守りながら、リーアはそう呟いた。そして援護に入ろうとするも、優美の部下たちに囲まれて上手い具合に分断されてしまった。
「まずは自分の身からってことね」
呆れたように呟くと、リーアは両手に火の球を宿して四方に立っている兵士たちの出方を伺った。
「かかれ! 生け捕りだ!」
一人の兵士が声を上げると、敵は一斉に襲い掛かって来た。
――四方向からの攻撃に対し、リーアは冷静にタイミングを見計らい、その場で回転し始めた。すると小さな炎の渦が生じ、飛び込んできた兵士を一蹴した。
「甘く見られたものね」
衣服を軽くはたきながらそう呟くと、兵士四人が完全に気絶していることを確認してから初汰の援護に向かった。
「はぁはぁ、畜生。身体が追いついて来ねー……」
「惨めですこと。その程度では何も守れはしませんわ」
息を荒げて足を止めている初汰を見下しながらそう言うと、優美は右手に持っている手槍を振り上げ、そして初汰目掛けて投擲した。
――避けようと思っても身体が動かず、万事休すかと思ったその瞬間、初汰の目の前に大きな土の壁がせり上がった。そしてそれは手槍を完全に受け止め、初汰の身を守った。
「大丈夫、初汰?」
そう言って駆け寄ってきたのは、土魔法を唱えているリーアであった。
「はぁはぁ、ごめん……」
「今は謝ってる暇なんて無いわ。協力してリカーバ村を守るわよ」
「あぁ、だな」
初汰が息を整えて上体を元に戻したことを確認すると、リーアは土魔法を解いた。すると土の壁は忽ち崩壊し、それに突き刺さっていた手槍も一緒に地面に転がった。
「はぁ、全く使い物にならない部下たちですこと。良いでしょう、私がまとめてお相手して差し上げましょう」
優美は尚も仮面を被っているかのような無表情でそう言うと、背中に担いでいた梢子棍を両手で構えた。
「敵のペースに呑まれちゃだめよ。援護はしっかりするから」
「分かった。すぅー、はぁー。よし、行くぜ!」
リーアの言葉もあり、気持ちを切り替えることに成功した初汰は剣を構えて優美に向かって行く。対して優美も走り出し、二人は丁度同じ距離を走ったところで武器を交えた。
初汰の強烈な攻撃は優美を少し怯ませた。彼女は一度距離を取り、初汰の様子を伺った。
「焦りが消えた……。単純な子……」
間合いをはかりながら肩の力を抜き、息を整えながらそう呟くと、優美は強化の力を発動して再び初汰に襲い掛かる。
振り下ろされる棍を受け止めるだけなら簡単だが、長い棍の先で更に鎖に繋がれた短い棍が不規則な動きで初汰に襲い掛かるので、安易に攻撃を受け止めることは出来ない。初汰はその攻撃に翻弄され、至近距離戦に持ち込めない。
「頭は冷えたようですけれど、それでは勝てませんわよ?」
話しかける余裕も見せながら、優美は敵が懐に潜り込んで来れない事を利用して大振りの攻撃を続けて来る。
「くそっ。迂闊に飛び込めねーな……」
「初汰、一度立て直しましょう」
そう言いながらリーアは炎の魔法で敵を牽制し、初汰が後退する時間を作った。
「はぁはぁ、サンキュー。でもこっからどーすんだ?」
「彼女の間合いで戦わなければ良い話よ」
「近づくなってことか?」
「えぇ、そうよ」
「でも、俺は遠距離じゃ――」
「だから、私が戦うのよ」
「リーアが? 確かに遠距離では戦えるけど……」
初汰は言葉を濁しながら、不安げな表情でリーアを見つめた。
「大丈夫よ。気を引くくらいなら私にも出来るわ。初汰はその隙に、あの岩陰に隠れておいて」
リーアはそう言いながら、大きな岩を目配せで示した。
「分かった。けど、無理はすんなよ」
「えぇ、行って来るわ」
リーアは短くそう言うと、綺麗な横顔を見せながら初汰の脇を抜けて行った。そして迷いない足取りで優美の方へ向かって行き、適度な距離を保ちながら火の魔法を両手に纏った。
「女性は淑やかな方がよろしいかと存じます」
「その言葉、全てあなたにお返しします」
戦場に立つ二人の女は、互いに互いの冷たい視線を感じ合った。
――短い睨み合いを経て、二人は同時に動き出した。優美は自分の間合いにリーアを捕捉しようと前方に走り出し、対してリーアは敵から逃れるために横へ駆けだしながら火球を優美に投げつける。
リーアが投げる火球は小隕石のように、赤い軌跡を描きながら優美に向かって行く。しかしそれは難無く回避され、目標を失った火球は地面に落ち、まるで優美の足跡を誇大に具現化しているかのように、彼女の背後には小さな窪み
が点々と生じていった。
「どこまで逃げるおつもりですか?」
汗一つ滲んでおらず、呼吸も乱れていない。声音には感情が無く、ただひたすらにリーアを追跡する。そんなロボットのような優美は着々とリーアを追い詰めていく。
「はぁはぁ、あと少し……」
最初に比べて火球を撒く量は減ったものの、リーアは確実に初汰が潜んでいる大岩に向かって行く。しかし魔法を放ちながら走っているせいか、明らかにスピードは落ち始めていた。
「お遊びはお終いです」
先ほどまでは幾分か遠くで聞こえていた優美の声が、真後ろから聞こえて来た。その瞬間、全身に鳥肌が立つ感覚を抱きながらリーアが振り返ると、既に敵は梢子棍を振り下ろしていた。しかしこの距離ならばギリギリ棍は届かない。そう思ったのも束の間、鎖に繋がれた短い棍が、まるで立体映像のように飛び出してきて、リーアの顔に迫る。
――完全に鎖が伸びきり、短い棍がリーアの顔を打とうとしたその時、棍の上に翳りが生じた。そしてその後間もなく、短い棍が地面に転がった。
「ギリギリ間に合ったみたいだな」
「はぁはぁ、初汰、ありがとう」
両手を両膝に置き、息を整えながらリーアはそう言った。
「よく頑張ったな、リーア。後は俺がやるよ」
そう言いながら優美の前に立つと、初汰は剣を構え直した。
「……どうやらお時間のようです」
「なに、時間だと?」
初汰がそう問い返すと、優美が答えるよりも先に、上空から一本の剣が降って来た。そしてそれが地面に突き刺さると、次は棍棒が上空から降って来て、地面に転がった。その後も鎖鎌や槍、モーニングスターやハンマーなど、様々な武器が天から降って来て、地面に転がった。
「い、一体なにが起きてるんだ……?」
「花那太さんが到着したのよ。これでいくら武器が壊されようと関係ないという事です」
優美はそう言うと、壊れた梢子棍を地面に捨てて近くに突き刺さっている剣を手に取った。
「クソ、これじゃ切りがねーな」
「空を見て、初汰」
背後からリーアの声がした。その声に促されるがままに初汰が顔を上げると、数機の小型飛空艇がリカーバ村に向かって行くのが見えた。
「こりゃマズいな。さっさと倒さねーと」
「いいえ、初汰。あなたは今すぐリカーバ村に向かうのよ」
「何言ってんだよ、リーア――」
「このままでは間に合わないわ! ここは私に任せて」
「んなこと言ったって、リーアを一人には出来ない!」
「村に私の母がいるの。お願い、初汰」
彼女の切実な瞳が初汰の心を射る。初汰は剣を木の枝に戻し、腰に下げた。
「……分かった。リカーバ村の安全を確保したら、即戻って来るから」
「ありがとう、初汰。きっと耐えきって見せるわ」
少しの間リーアの顔を見つめると、初汰は振り向かずに走り出していった。
「まさか時の魔女一人を残して行くとは……」
「これは私が決めたことです」
「その算段が裏目に出ないと良いですわね」
優美は冷ややかな口調でそう言い切ると、剣を構えてゆっくりとリーアに近付き始める。それに対して臆することなく、リーアも火の魔法を携えて敵を迎え撃つ体勢に入る。




