第百三十九話 ~始まりの大陸へ~
魔女群島の中央の島にいる初汰とリーアは、作業を分担して船が来るのを待った。初汰は海辺から少し離れたところでシグの介護をし、海辺に立っているリーアは火の魔法を唱えて灯台の役割を担った。幸いこの島は高い草が生えている以外ほとんど障害物が無い島なので、恐らく反対側から船が来たとしても、見張り台に立っていたり、望遠鏡で捜索してくれていればすぐに見つかるだろう。初汰はそんな彼女の背中を時折確認しながら、シグが目覚めるのを待つばかりであった。
「う、ううん……」
海辺に移動してきて数分、比較的背の低い草むらに寝かせていたシグが微かに唸った。
「シグさん、大丈夫ですか?」
唸り声を聞いた初汰は、シグに顔を近づけて囁くようにそう言うと、少しだけ彼の身体を揺すってみた。
「こ、ここは……?」
「俺がシグさんに救ってもらった群島の一つです」
「君は……。初汰か……」
「はい、シグさんとファグルの分離に成功したんですよ」
「分離に、成功した……?」
起きて間もなくそんなことを言われても、全く実感が湧いていない様子であった。シグは少し考え込んでから、ようやく今の状況を飲み込んだ。
「そうか、君はファグルに勝ったんだな」
「はい、勝ちました。あいつは天に昇って行きましたよ」
「昇って行ったか……。もうこの中にファグルは居ないんだな……」
自らの右手を胸に置きながら、シグは感慨深そうにそう呟いた。そんな彼の様子を見て、俺とシグさんは似た感情を覚えているのかもしれない。と考えていた。
「もうその身体は、あなただけのものです」
「僕だけの身体か。それが真っ当なことなんだけど、なぜか不思議な感じを覚えるな」
シグはそう言いながら、嬉しいとも悲しいとも取れる複雑な笑みを浮かべていた。
「もう少ししたら俺の仲間が来ます。シグさんも乗って行きますか?」
「いや、僕は遠慮しておくよ。その代わり、君と野宿をしたあの洞穴に連れて行ってくれないかな?」
「分かりました」
「申し訳ない、助けてもらったのに。少し一人になりたくてね」
「いえ、何となく分かります」
「ありがとう、理解者がいてくれるっていうのはとても心が安らぐね」
柔和な笑みを浮かべながらそう言うと、シグは自力で立ち上がった。すると、
「あ、初汰! 船が来たみたいよ!」
まるでタイミングを見計らっていたかのように、リーアが声を上げた。
「分かった。そっちに行くよ!」
初汰はそう返事をすると、シグを連れて海辺に向かった。
「気分はどうですか?」
歩み寄って来たシグに向かって、リーアがそう聞いた。
「はい、おかげさまで快調です」
「それなら良かったわ。でもまさか人柱にされていたなんて……。これからは貴方が貴方だけの人生を送れることを祈っているわ」
「ありがとうございます」
シグはそう言って頭を下げ、リーアに微笑みかける。そしてすぐに初汰の方を向いて言葉を続けた。
「初汰、君はとても良い仲間に囲まれているんだね」
「あぁ、最高の仲間だよ。もちろん、これから来るみんなもな」
初汰はシグの顔を見ながらそう言い終えると、右手側からかなりの速度で近付いてくる大きな船を視界に捉えた。
「待たせたな、初汰」
島には桟橋も船を停泊させる施設も無いので、獅子民が小舟を漕いで迎えに来た。
「わり、勝手に変な約束しちまって」
「はぁ、全く。本当ならげんこつものだが、その約束のお陰でユンラン殿に会えたのも事実だ。今回はそれに免じて許してやろう」
「へへっ、サンキュ」
「あぁ、それは良いのだが。その、これはどういうことだ?」
そう言った獅子民は、初汰の肩を借りているシグのことを見つめた。
「ちゃんと話すよ。彼はシグ。ファグルに身体を乗っ取られていたんだ……」
かつてこの島に漂流したときに知ったファグルとシグの関係についてと、先ほどまで行われていたファグルとの決着の顛末を獅子民に伝え終えると、獅子民は細かく頷きながら弱っているシグの右手を両手で包み込み、温かく優しい握手をした。
「素晴らしい心意気だ。自分が滅ぶかもしれないのに、器になることを受け入れるとは……。感服だ」
「やめてくださいよ。騎士団長に憧れて器になることを決めた節もありますから」
「あ、えっと、オッサンは……」
「良いんだ。すまない、シグ殿。実は私は記憶を失っていてな」
「そ、そうだったんですか。失礼しました」
シグはそう言うと、慌てて頭を下げた。
「気にしないでくれ。それよりも、一旦船に向かおう。シグ殿もその身体では辛かろう」
「そうだな。一回戻ろうぜ」
「あ、その、ありがたいんですけど、一つだけ我儘を良いですか?」
「うむ、何でも言ってくれ」
「初汰と出会った島に置いて行って欲しいんです」
「え、俺と会った島って……。あそこ何も無いですけど……」
「良いんです。皆さんの邪魔をするわけにはいきませんから。それに、あの洞窟には君から貰った通信機もあるからね」
「分かりました! 何かあったらすぐ呼んでくださいね。飛んで行きますから!」
初汰が笑いながらそう言うので、シグもつられて笑みを浮かべた。またまたそれにつられて獅子民とリーアも微笑を湛え、四人は小舟に乗ってスフィーたちが待つ船に向かった。
「あまり時間は無いのだが」
獅子民がそう切り出したのは、小舟を収容した頃合いであった。
「その、何か私について情報を聞いても良いか?」
「えぇ、もちろんです」
「じゃ、俺たちは上に行ってるわ」
初汰はそう言うと梯子を上がって行った。それに続いてリーアも梯子を上って行き、ハンガーには獅子民とシグだけが残された。
「僕の知っている範囲で良いですかね?」
「うむ、よろしく頼む」
「分かりました。それじゃあ話しますね」
そう言うと、シグは一呼吸おいてから再び口を開いた。
「僕が知っているあなたは、勇猛果敢、孤軍奮闘。という言葉で大体表せると思っています。何かと一人で背負いがちで、でもその背中がカッコいいというか。僕はその背中に憧れて、ファグルを取り込む覚悟を決めれたんです。それと戦闘スタイルは剛胆って感じですかね。僕はそんなに強靭な身体を持っていないので、真似をすることは出来ませんでしたが」
「ふむ、なるほど。本質的な部分にはあまり変わりは無いのかもしれないな……。私の過去については何か知っていたりするか?」
「過去。ですか……。これは噂で聞いただけですが、こちらの世界に来る前は虎間甚と何かをしていたみたいですよ。それが失敗して、死を覚悟したらこちらの世界に来たとか……。あくまでも噂なので、それほど気にしなくても良いと思いますが」
「虎間と何かをやっていた……。私がか……?」
「僕が言っておいてなんですが、本当に気にしない方が良いと思いますよ。出元不明の情報なので」
「そうか、分かった。疲れているのにありがとう」
「ははっ、昔と変わらず部下想いの良い御方だ」
シグは今言った悪い情報を忘れさせようと良い情報でカバーを試みたが、獅子民の表情はお世辞にも良いとは言えなかった。
「おーい、そろそろ着くみたいだぞ~!」
会話が終って気まずい沈黙が場を占め始めていたその時、梯子の上から初汰の声がした。
「私が島まで送る。色々とありがとう」
「いえ、こちらこそ何から何までありがとうございました」
二人は最後の会話を終えると、小舟を再び海に出し、初汰とシグが初めて出会った島に向かって協力して漕いだ。ギルがギリギリまで船を寄せてくれていたおかげで二人はそれほど船を進ませなくて済んだ。つまり沈黙の時間も短くて済んだのであった。
「ありがとうございました」
波打ち際に降りたシグは、足元に時折流れて来る潮を感じながら、頭を下げて礼を述べた。
「いや、気にするな。初汰も言っていたが、何かあったらすぐに呼んでくれ。すぐ救出に来る」
「はい、ありがとうございます。では、失礼します」
その後シグは船に戻って行く獅子民の背中を最後まで見送り、洞窟に向かって行った。
船に戻って来た獅子民は、小舟をしっかりとロープで括り付け、梯子を上がって船首に向かった。初汰は何か情報を得られたのかどうか聞こうと思ったが、無粋な感じがして止めた。
「ギル殿、何度も無茶な注文を申し訳ないが、なるべく速くでビハイドに向かってもらえないか?」
「任せておけい。アヴォクラウズに乗り込むんじゃろ」
「何故それを?」
「飛行数回分の魔力だけが補充されておったからな。何となく察した。ってやつじゃ。ふぁふぁ」
「流石ギル殿。ならばもう何も言うことはありません」
「あんたらは寝とくと良い。全速力とは言え、まだまだ時間がかかるからのう」
「はい、そうさせてもらいます」
ギルとの話を終えた獅子民は中央甲板に戻ってくると、ギルが快く引き受けたことを告げ、我々は休もうと提案し、つい先ほどまで戦闘を行っていた初汰とリーアが先に仮眠室に向かったのだが、すぐに初汰が仮眠室から飛び出してきた。
「おい、オッサン!」
「どうかしたか?」
「ユーニさんは。ユーニさんはどこだ?」
「ユーニ殿? 我々は見ていないぞ」
彼の名前を聞いた瞬間、獅子民は少しぎくりとした。まさかクローキンスと自分がユーニを疑っていることに気付いたのか。とも考えたが、流石に証拠が無さすぎると思い直し、獅子民は初汰の言葉を待った。
「俺たちが孤島に行ったとき、ファグルとユーニさんが桟橋で待機してたはずなんだ」
「何だと? 我々が島に着いた時にはファグルしかいなかったぞ」
「嘘だろ。クソ! なんで気付けなかったんだよ……。クソ!」
悔しそうに声を荒げると、初汰は右手を振り上げて仮眠室の壁を力強く叩いた。
「すまない。あの時はファグルがリーアを人質に取ったり、敵襲が近づいて来ていたりして私も気付けなかった……」
自分がなにを言っているのかも分からぬまま、獅子民は出まかせに口を動かした。何故なら今現在、獅子民の脳みそはクローキンスとの会話を思い出していたからである。そしてその時確信を持った。ユーニは裏切り者だと。すると次は網井戸海周の話を思い出し、奴がユーニの身体を乗っ取っているのではないかと言う推測が頭をよぎった。という事は、未だユーニの身体を乗っ取っている海周はあの孤島におり、もしかしたらユンラン老師の身が危ないのでは……。と言う所までが一瞬にして脳内に満ちたが、獅子民は考えることを止めて初汰の方を見た。今はまず、初汰にそれを悟られてはならない。瞬時にそう考えた獅子民は、滅多につかない嘘をつくことに決めた。
「……そうか、確か我々が島に辿り着く前に遠くを飛んでいるアヴォクラウズの飛空艇が一機あったな」
言葉を濁しながら、初汰の表情を伺いながらそう言い終えると、獅子民は相手の言葉を待った。
「バーンだ。孤島には俺らの他にバーンがいた。あいつがユーニさんを攫って行ったんだ。まさか、ユーニさんも器の候補なのか……?」
初汰がブツブツ呟いていると、船尾から顔を出したクローキンスが初汰に麻酔薬を撃った。すると忽ち初汰はその場に倒れ込み、深い眠りに落ちた。
「ちっ、ガキにしては勘が良いな」
「クローキンス殿か」
「知られたくねぇんだろ。こいつには」
「うむ、だがもう時間の問題かもしれない。それに覚悟も必要だ。だからこそ、次に目を覚ました時に真実を話そうと思う」
「ちっ、まぁそれもアリかもしれないが、そのせいで剣に躊躇いが生まれなきゃ良いがな」
「すまない。だが私は初汰を信じてみることにする」
獅子民は礼を言い終えると、初汰を抱えて仮眠室に入って行った。
「どうかしたんすか?」
見張り台に行こうとしていたスフィーがクローキンスにそう聞いた。
「お前も何となく分かるだろ。ユーニのことだ」
「ユーニさんがなにかしたんすか?」
「……ちっ、何でもねぇよ」
クローキンスが仏頂面でそう言うと、スフィーは首を傾げて縄梯子を上って行った。
「ちっ、あいつ、小島であったこと覚えてねぇのか? まぁいい、気にするだけ無駄だ」
独りごちると、クローキンスはすぐに踵を返して船尾に戻って行った。
……その後船は穏やかな海を真っすぐビハイドに向かって進んで行くのだが、初汰たちの心には疑念の漣が生じ始めていたのであった。




