第百二十二話 ~狙われた誤射~
何が起きたのか瞬時に把握できていないスフィーは、ただあんぐりと口を開けてフェルムの顔を凝視していた。するとフェルムはニコリと笑い、スフィーのでこをつんとつついた。
「お~い、しっかりしてよ~。助けに来てあげたんだから」
「……ふぇ、フェルム?」
「なに、私声変りでもした? それとも太った……?」
「いやいや、そう言うわけじゃ無いっすよ! なんでここにいるっすか?」
「そりゃスフィーを助けに来たに決まってるじゃない」
「でも、記憶の祠からは出れないはずじゃ……」
「そうよ。だからこれは、その、思念体って言うか……。魔法の分身って言うか……。まぁとにかく、ロークがずっと私の傍にいてくれたから、だいぶ魔力が回復して、ここまで飛んでこれたのよ」
フェルムは頭を左右に傾げながら可愛らしくそう言うと、ウィンクして見せた。
「なるほど。という事は、そんなに時間も無いって事っすね」
「そゆこと~。察しが良くて助かるわ」
「なら、さっさと行くっすよ!」
「オーケー!」
スフィーは苦無を構え直し、フェルムは魔法を唱えて炎の鞭を作り出すと、虎間に向かって走り出した。
「ダハハハハ! 面白くなってきたじゃねぇかぁ!」
刀を振り回しながらそう言うと、虎間は嬉々とした瞳でスフィーとフェルムを睨み、型の無い構えで刀を握り、左手には禍々しいオーラを纏った。
「アレは、破壊の力っすかね……? フェルム、左手には気を付けるっすよ」
「分かったわ。まぁ食らったところでそんなに痛手じゃ無いけどね」
微笑を浮かべながらそう言うと、フェルムは右手に握っている炎の鞭を振るった。
「そんなもんで何が出来る!」
伸びて来る炎の鞭に少しのたじろぎも見せず、虎間は懐に潜り込もうと真っすぐに突っ込んできた。対してフェルムは走る虎間の足元に鞭を叩きつけてダッシュを封じたのだが、たった一度脅した程度で彼が止まるはずも無く、再び走り出そうとしたので、今度は執拗に虎間の足首を狙って鞭を振るった。
「クソ、めんどくせぇな……」
流石に堪えたのか、虎間は愚痴をこぼしながら後方に飛び退き、鞭の射程外に逃げた。それを見ていたスフィーは、敵を休ませまいとすかさず距離を詰め、苦無で斬りかかる。
――しかし虎間はそれを予期していたらしく、苦無による連撃をいとも容易く刀で弾き返すと、殺気を纏った太刀筋でスフィーに反撃を仕掛けてきた。
「スフィー!」
危険を察知したフェルムは何とか鞭の射程ギリギリまで距離を詰め、刃がスフィーの身体を切り刻む寸前で炎の鞭で虎間の刀を絡め取った。
「畜生、邪魔しやがって!」
虎間はスフィーを蹴り飛ばし、刀に纏わりついている鞭ごと無理矢理フェルムを引き寄せた。
「きゃっ!」
馬鹿力に引かれたフェルムの身体は宙に浮き、一瞬にして虎間のもとに吸い寄せられる。そして破壊の力を纏った左手がフェルムを掴もうとしたその時、彼女の身体は突如として燃え上がり、フェニックスに変化して虎間の頭上高くに逃げおおせた。
「こいつぁ……。そうか、祠の女か」
不死鳥の姿を見た虎間はそう呟くと、刀を構え直してスフィーに襲い掛かった。スフィーは咄嗟に苦無を構えてガードをしたはいいものの、数メートル背後に吹っ飛ばされた。
「はぁはぁ、なんてパワーっすか……」
「人間とは思えないわね」
吹っ飛ばされたスフィーの横にフェルムが降り立ち、虎間のことそう揶揄した。
「けっ、片方は魔力の具象化か。つまんねぇ」
虎間は刀を鞘に収め、二人に背を向けて島の奥の方へ歩き出した。
「ちょ、どこ行くっすか!」
「お前とのタイマンは飽きた。次はそいつが相手だ」
右手をひらひらと振りながら、虎間は歩を止めずに去って行ってしまった。そして先ほどまで虎間がいた場所には、ドールが立っていた。
「やっと出て来たわね」
ドールを目にしたフェルムはそう言うと、徐に鞭を構えた。
「え、まさか最初からドールが目当てだったんすか?」
「そ、それは……。まぁ、色々とラッキーが重なったのよ。元々は彼女の石碑を感じ取ったから飛んできたの。記憶の管理者としてね」
「ふーん、まぁついででも助かったっすよ。さ、ドールを捕まえるっすよ」
スフィーはそう言うと、苦無を構え直して走り出した。
「あ、ちょっと、後で弁明させてよね」
言い訳を口にしながらフェルムは慌ててスフィーの後を追い、二人はドールを捕えるために左右に別れた。そして右からフェルム、左からスフィーと言う構図を作り出し、同時に攻撃を仕掛ける。
――しかしそう簡単に捕まるはずも無く、ドールは早速両手を胸の前に出して時魔法を唱え、二人の動きを止めた。
「こ、これが、時魔法の力……」
その身をもって未知の力を体感したフェルムは、呻き声のように本音を漏らした。
「でも、やっぱり、純度は、低いみたいっすね……」
時が止まっているように感じていたが、こうして話せているところや、意識がしっかりしていることからして、恐らくドールは完全に時を止めることが出来ておらず、今現在は時間の進みが遅くなっているだけだとスフィーは気付いた。
「ぐぬぬぬぬ……。ぬっ!」
スフィーはスローモーションの世界の中で、焦燥を感じながらも何とか苦無を放り投げた。そしてすぐさま風魔法を唱え、ドールに致命傷を与えないように気合と技術で苦無を操った。
「はぁはぁ、何かいつもより魔力を消耗してる気がするっす……」
「スフィー、ばててきてるみたいね。でも確かに、少しずつ体の力が抜けて行くような気がするわ」
苦無を操っているスフィーを眺めているだけのフェルムだったが、見守っているだけでは埒が明かないので、自分も動き出すことにした。速度は飛んでいる苦無には劣るものの、少しでもドールに近付き、鞭を使わず無事保護できればと思ったフェルムは、魔力の消費を抑えるためというのも含めて鞭を消し、宇宙空間にいるようなフワフワとした動きで徐々に徐々にドールに近付いて行った。
そしてもう少しでドールにたどり着こうという時、彼女は掲げていた両手を下げた。すると時魔法が解除され、世界の速度が一瞬にして戻った。
――突如スピードアップした苦無はスフィーのコントロール下から逃れ、真っすぐドールの横を抜けてフェルムの頬を掠めた。
「ちょっと! しっかりコントロールしてよ!」
火の魔法で出来た体とは言え、身の危険を感じたフェルムはスフィーに向かって叫んだ。
「急に普通の速度に戻ったからコントロールが利かなかったんすよ!」
スフィーはそう言いながら彼方に飛んで行った苦無を手元に回収し、再び時魔法を唱えられる前に行動に移った。それを見ていたフェルムも、苦無が掠った頬を撫でた後に走り出した。
駆け寄る二人を視認したドールは、もう一度時魔法を唱えようと両手を上げる。そして詠唱が終って魔法を発動しようとした瞬間、突然ドールは血を吐き出してその場に倒れた。
「フィーラちゃん!」
フェルムは確かにそう言いながらドールに駆け寄ると、すぐさま抱き寄せた。スフィーも一歩遅れて二人のもとに到着すると、苦無をホルダーにしまってドールの顔を覗き込んだ。
「今、フィーラって言ったっすか?」
「えぇ、彼女の本当の名前よ。でも多分覚えていないわ。私だって、記憶の石碑を間近にしてようやく感じ取れたものだから」
囁くようにそう言うと、フェルムは彼女を抱いたままそっと立ち上がった。そして気絶しているニッグのもとに向かおうとそちら側に振り向くと、丁度ニッグが意識を取り戻したところであった。
「ど、ドール……。無事なのか……」
朦朧とする意識の中、ニッグは槍を地面につきながらドールのもとを目指してヨロヨロと歩き始めた。
「なんとか丸く収まりそうっすね」
「えぇ、後は記憶の祠に行って二人の記憶を元に戻すだけだわ」
リラックスした柔和な笑みを浮かべると、フェルムはドールを抱きかかえたままニッグの方に歩き始めた。
――そして兄妹の再会が果たされようとした瞬間であった。左方からニッグの目掛けて眩い光の球が数個飛んで行き、そのうちの一発が彼に直撃して爆発した。
「ぐあぁぁっ!」
光魔法を喰らったニッグはその場に倒れ込み、ピクリとも動かない。スフィーはすぐさま魔法が飛んできた方を見やり、そこに立っているユーニを認めた。
「大丈夫か、二人とも?」
ユーニは魔法を放ったであろう左手をそっと下ろしながらそう言うと、スフィーたちが立ち尽くしているところに歩み寄ってきた。
「ドールもこの様子なら戦えそうにないなっ」
「……ユーニさん、もう戦いは終わってたんすよ」
「何? しかし奴は槍を持って二人の方に向かっていたでは無いかっ」
「例えそうだとしても、あんな状態のニッグにあたしが負けるわけないじゃ無いっすか……!」
この場の流れを知らなかったユーニに強く当たることが出来ないスフィーは、完全に言葉を言い終わるよりも前に走り出していた。フェルムもその後に続いて走り出し、二人は倒れているニッグに覆いかぶさるようにして両膝を地面に着いた。
「……息をしてないっす!」
耳をニッグの顔に近付け、息があることを確認したスフィーはフェルムの方を見てそう言った。
「そんな、折角フィーラちゃんの石碑を取り戻したのに……!」
フェルムはそう言いながら項垂れ、両腕の中で薄目を開けているドールを見た。すると彼女は頬に血を伝わらせながら、そっと右手を上げ、倒れているニッグに手を差し伸べた。
――そして彼女の手がニッグの身体に触れた瞬間、暖かい光が僅かに生じた。それを見ていたスフィーは再びニッグの口元に耳を寄せた。
「……戻ったっす! 微かに息をしてるっす!」
そう言いながら顔を上げ、フェルムとドールの方を見たスフィーの視界には、先ほどよりも激しく吐血しているドールが映った。
「そんな、これじゃ意味無いっすよ。どっちかが死んじゃうなんて!」
「落ち着いてスフィー。二人とも息があるってことは、微量ながら可能性が生まれたってことよ。だから、後は私に任せて」
フェルムはそう言うと、倒れているニッグの横にドールを寝かせた。そして自らはフェニックスの姿に変化し、暖色の揺らぐ炎を纏った両翼で二人の身体を包み込み、そのまま大きな火球となり、宙に浮遊した。
「どうするっすか……?」
「記憶の石碑があれば、祠に戻れば助かるかも知れないわ。だからもう行くわね」
言下にそう言うと、大きな火の球はビハイド方面に向かって飛び去って行った。
「頼むっすよ。フェルム……!」
空の彼方に飲み込まれていく火球を見送りながら、スフィーはそう呟いた。
「ふんっ、邪魔が入ったか。まぁいい、あれならしばらくは目覚めそうにないからな」
それを遠くで見守っていたユーニは憎悪に満ちた声音でそう溢すと、すぐさま申し訳なさそうな表情に切り替えてスフィーのもとへ駆け寄って行った。
「すまない。私の目にはそう映ってしまって……」
「何でっすか! ユーニさんなら、もっと冷静に判断して攻撃するか考えられたはずっすよ! なのになんで……!」
スフィーはユーニの襟元を掴みながら激しい口調でそう言い始めたが、言葉尻には覇気を失っていた。
「本当に、すまなかったっ……!」
思ってもいない事を口にしながら、ユーニは辺りを見回した後に聖剣の柄に右手を据えた。そしてゆっくりと聖剣を抜き、今、自分の胸に顔を埋めているスフィーに剣先を向けた。




