第百十五話 ~誓いと約束~
ゆらゆらと燃える火に焼かれ、魚の表皮が縮れ始めていた。その様子を眺めながら、初汰は口を開いた。
「シグさんはどうしてここに?」
一つ一つ聞いて行こうと思った初汰は、まずは始めにそう聞いた。
「ここにいると僕に戻れるんだ。と言っても、戻って来るのに相当苦労するけどね。それに複数の条件が重ならないと到底ここには戻ってこれないんだ」
「複数の条件。ですか?」
「あぁ、まずは彼が、ファグルが疲れ切っていることが第一だ。じゃなきゃ僕が表に出てこれないからね。加えて彼が眠っている間にこの群島に来なくてはならない。つまり遠い場所で彼が気を失っても、ここにたどり着く前に彼が目覚めてしまったら僕はまた自由を奪われてしまうんだ」
「なるほど、不便ですね。でもなんでアイツを封印することを承諾したんですか?」
「……僕しかいないと言われたら、僕が器になるしかないだろ?」
「そ、そうは言っても……」
「君だって知っているだろ。ファグルの凶暴性を。彼を野放しには出来なかった。ただそれだけだよ」
「確かに、アイツは野放しには出来ないな。でもさ、あんたが一回倒したなら、その時に息の根を止めちまえば良かったじゃないか」
「僕だってそうしたかったさ。しかし火浦花那太がそうはさせてくれなかった。両親と妹が人質に取られてしまい、僕はこの道を選ぶことしか出来なかったんだよ」
「花那太が……」
「おっと、そろそろ食べたほうが良いよ。焼き過ぎは不味くなる」
シグは微笑みながらそう言うと、自分が持っている魚で初汰が持っている魚をつついた。
「あ、はい。いただきます」
二人は火の上から魚を引き、少し冷ましてから腹にかぶりついた。
「……今はまだ、ファグルは眠ってるんですか?」
魚を三口ほど食べてから、初汰は質問を再開した。
「あぁ、今はね」
「起きたらどうなるんですか?」
「大丈夫、君を襲ったりはしないよ。それにこの群島にいる時はある程度彼を抑えられるんだ」
「へぇ~、ここにいる時だけなんですか?」
「そう、ここにいる時だけ。きっとこの海域だけ魔女の力が残っているんだろうと僕は考えているんだ」
「ふ~ん、なるほどな。時の魔女がファグルを抑えてくれているのか……」
「恐らく。推測でしかないけど、ここでなら奴を仕留めきれる気がするんだ」
「ファグルを?」
「そう、正確にはファフニールを。かな」
「シグさんの中にいるファフニールってやつを倒せば、ファグルはもう出てこないってことだよな?」
「そう言うことになるね。まぁ出来ればの話だけど……」
悲哀に満ちた表情でそう言うと、シグは再び魚を食べ始めた。
「俺、手伝いますよ」
初汰は魚を食べる手を止め、シグの顔を見てそう言った。
「本気か? 危険だよ?」
一度ファフニールと戦ったことのあるシグのその言葉には、やけに重みがあった。
「戦争を終わらせるためには、全ての芽を摘むべきだと俺は思ってる」
「……確かにそうだ。彼がいるだけでまた戦争が起きかねない」
「だろ? それにシグさんがファグルに縛られている必要は無い。シグさんはシグさんの人生を送るべきだ」
「ありがとう。封印を解く方法が分かったらまた連絡するよ」
「よし、じゃあこれを渡しておく。テレポーター兼通信機だ。持ってるとファグルにぶっ壊されそうだから、この洞窟に置いて行っていいか?」
「あぁ、そうしよう。しかし良いのかい?」
「良いんだって。予備ならまだある」
「この生活を送るようになって、初めて希望の光を見た気がするよ。ありがとう」
「おう、ファフニールを討伐するときは俺の仲間も連れて行くから、ゆっくり封印を解く方法を探しといてくれ」
「あぁ、君と出会えて良かったよ」
「いいんだよ、命を助けてもらったんだから、お互い様だ!」
初汰は笑いながらそう言うと、少し冷めてしまった魚をバクバクと食べた。シグもその姿を見て笑みを浮かべると、残っている身を食べ尽くした。その後二人は一時間ほど喋り、焚火で暖を取りながら一夜を明かした。
黎明の中目覚めたリーアは、静かにベッドを抜け出て仮眠室を後にした。寄せ来る小波が船底に当たって砕ける音が聞こえてくる。リーアはその音に誘われるように海側の欄干へ向かい、夜明けの日差しを受けている海面を眺めた。そこに初汰がいるはずも無いのに……。
「もうお目覚めか?」
驚かせないように潜めた声が後方からした。振り向くと、そこには獅子民がいた。
「はい、眠りが浅くて何度も起きてしまって……」
「うむ、私もそうだ。それにスフィーもクローキンス殿もそうだ。彼らも君が仮眠室を出て行くときには目覚めていたようだ」
「そうでしたか。皆同じ気持ちなのですね」
「あぁ、もう少し明るくなったら船を出そう。回ってない島は残り二、三個だからな」
「分かりました。私はもう少し海を見ています」
リーアはそう言うと再び海の方を向いてしまったので、獅子民は小さく頷きながら仮眠室に戻った。
「リーアはどんな感じっすか?」
「落ち着いているようには見えるが、何とも言えんな。もう少ししたらギル殿を起こして出発しよう」
「了解っす」
早く探しに行きたい気持ちは山々だったが、完全に明るくなっていない海を渡るのは危険だったし、それに残る二、三の島に初汰が漂着していなかったらと考えると、出発したくないようにも思えた。しかしそれでも獅子民たちは進まなくてはならない。例え仲間が欠けようとも、覚悟を決めてこの船に乗っているのだから。仮眠室にいる三人も、甲板に残っているリーアも、再度覚悟を決め直しながら日が昇るのを待った。
――その一方、洞窟で眠っていた初汰とシグは寒さで目覚めていた。
「うぅー、さむっ」
「焚火が絶えてしまったようだね」
「ま、流石に消えちまうよな。いつもこんな感じなのか?」
「あぁ、だから起きたら運動をするんだ。今日は相手がいるわけだし、木刀で少し打ち合わないかい?」
「お、良いね。ファグルを倒した太刀筋、見せてもらうぜ」
初汰はそう言うと、シグが差し出す木刀を受け取って砂浜に出た。それに続いてシグも砂浜に出ると、二人は軽いストレッチをした後に木刀を構えた。
「んじゃ、行くぜ!」
そう言って勢いよく飛び出したは良いものの、砂浜で戦ったことなど無い初汰は、足元ばかりに気を取られてしまって上手く打ち合う事すらできない。
「もっとフットワークを軽くしないと」
シグはまるで昔の自分を見ているかのようにそう言うと、初汰の周りをクルクルと回りながら、初汰が受け止められるような遅い攻撃を繰り返した。
「クソ、全然追いつけない!」
「攻撃への反応は良いけど、下半身が付いて来れて無い」
「んなこと言ったって、こんな足場じゃ……!」
「後手に回りすぎなんだ。もっと踏み込まないと」
「踏み込む、か……」
鍔迫り合いをしながらアドバイスをもらった初汰は、自分が上手く立ち回っているイメージを脳内に浮かべながら走り出した。
――すると先ほどより足が軽くなったような気がした。加えて動きもマシになったようで、難無く受け止められはしたが、ようやく初汰の方から一撃を食らわせることが出来た。
「うん、なかなか良くなって来た」
「ファグルに負けるわけにはいかないからな」
「確かに、僕もなまった感覚を取り戻さないと……。少し休憩しようか」
「オッケー!」
二人は構えを解くと、木刀をぶらぶらと揺らしながら洞窟に戻った。そして焚火跡付近に腰を下ろすと、ストレッチを始めた。
「結構暖まったな~」
「良い運動になったね。休んだらもう少し打ち合うかい?」
「おう、やるか! ……と思ったんだけど」
初汰はふと、焚火の近くに置いてあるテレポーター兼通信機を見て口ごもった。
「仲間に連絡していいか?」
「あぁ、勿論。僕は外で素振りでもしてるよ」
シグは笑顔でそう言うと、また砂浜に戻って行った。その背中を見送った初汰は、早速通信機を起動した。
「……あ、もしもし?」
【初汰か!?】
「よ、よう、オッサン。どうやら一日気絶してたみたいでさ。ははは」
【そうか、どこかの島に漂着していたのだな! 良かった。リーアも心配していたんだぞ!】
初汰の声は嘘の動揺からあからさまに震えていたのだが、獅子民はそんなこと気にも留めず、嬉しそうに返事をした。なので初汰もわざわざ深堀しようとせず、話を逸らした。
「そっちはどうなったんだ?」
【巨大イカは追っ払い、今はお前を探していたところだ。群島のどこかにいるんだな?】
「だな。周りにもぽつぽつ島が見えるからそうだと思う」
【よし、分かった。今すぐ動き始める】
獅子民はそう言うと、初汰の返事を聞くよりも前に通信を切ってしまった。
「んだよ、せっかちなオッサンだな……」
初汰はそう呟くと、通信機を焚火の近くに置いて洞窟を出た。そして先ほど演習を行っていた場所に向かおうとしたのだが、シグの姿は見当たらず、木刀だけが転がっていた。
「あれ、どこ行っちまったんだ。……ま、少しここで待ってみるか」
木刀を拾い上げると、見つけやすいように砂浜に突き刺し、初汰はその付近で素振りを始めた。
――一方初汰から連絡を受けた獅子民は、すかさず全員に報告し、そしてギルに出航の準備を整えてもらった。報せを聞いたリーアとスフィーは目に見えて安堵していた。クローキンスは表情に出ない性質なのでどうなのか真意は読み取れないが、恐らく多少はホッとしているのだろう。獅子民はそんなことを考えながら、自らも安堵に包まれていた。
間もなく船は錨を上げ、残る三つの島を回り始めたのだが、今日は運良く一個目の島で初汰と再会することが出来た。
「おーい! こっちこっち!」
船を見つけた初汰は、飛び跳ねながら両手を大きく振った。船は島に乗り上げない程度まで近づくと、残りの浅瀬は小舟に乗った獅子民が迎えに来た。その間にシグが姿を現すことは無かったので、初汰は二本の木刀を洞窟に戻して獅子民と合流し、仲間が待つ船に向かった。
「初汰ー! 無事で良かったっす!」
「悪かったな、心配かけちまって」
「ちっ、運の良い奴だ」
「全くだな。今回は助かったが、次は無いかもしれない。気を付けるんだぞ」
「あぁ、悪かった。今後はもっと気を付けるよ」
言葉はいつも通り軽妙であったが、その表情や声音から反省の色が見えたので、獅子民は初汰が落ち込まないように優しく肩を叩き、無言の励ましを与えた。そしてそのまま初汰の肩を軽く掴み、甲板の端で海を眺めているリーアの方に向かせた。
「行ってやれ」
小声でそう言うと、獅子民は手を放した。初汰はその言葉に背中を押されるようにして歩き出すと、真っすぐリーアの横に着いた。
「リーア……。心配かけてごめん」
「……謝る必要は無いわ。こうしてまた会えたんだもの。今はそれだけで良いの」
初汰の方は見ずに、リーアは震える声を抑えながらそう言った。
「だな。もう二度とこんなことが起きないように気を付けるよ」
こっちを見ないリーアのことを気遣い、深く追求せずにそう返すと、欄干に両腕を乗せて海を眺めた。
「ここ、綺麗な場所よね。それに何故だか懐かしい気持ちになるの」
「やっぱり分かるんだな。そう言うの」
「え? どういうこと?」
「ここさ、もとは大きな一つの島だったらしいんだ。そしてその島には、時の魔女たちが暮らしていたらしい」
「ここで魔女たちが……。でも、誰に聞いたの?」
懐かしさの意味が分かったリーアは、ここで彼女たちがどんな生活を送っていたのかと妄想しようと思ったが、その前に情報源が気になった。
「あ、いや、それがさ、漂着した島に人がいてさ。その人から聞いたんだ。ま、オッサンたちが来る前に他の島に行っちまったんだけどさ」
初汰は半分本当のことを言い、残る半分は適当な嘘をついた。リーアは完全に納得はいっていないと言った表情を浮かべていたが、遭難した初汰が一日サバイバル生活を送れるとも思えなかったので、恐らく誰かいたのは本当なのだろうと考えた。だからと言ってその人がくれた情報が本当なのだと真っすぐに信じることは出来ないが、今自分が抱いている「懐かしい」と言う感情が全てを物語っていると思い、何とか腑に落ちた。
「私、またここに来たいわ」
「あぁ、ここにはまた来よう」
彼女の気持ちを汲んだのも確かだが、シグの中にいるファフニールを討伐するために、俺はもう一度ここに来なくてはいけない。と初汰は心の中で呟きながら群島を眺めた。




