第百二話 ~儚き親子~
圧倒的な数的不利を強いられている初汰たちは、当然の如く防戦一方であった。しかし獅子民は上手くそれを利用し、劣勢のフリをしてドンドン後退する。という作戦を考えだし、初汰とスフィーは忠実にそれを行った。なので三人が明確な殺意を持って反撃することは無く、上手いこと猛攻を受け流しながら徐々に徐々に距離を離した。
こんな作戦すぐにバレると獅子民は考えていたのだが、敵の指揮官が無能だという事が幸いし、三人は案外スムーズにリーアとクローキンスが居る場所まで後退することが出来た。
「なんか上手く行ってるみたいだけど、このまま海まで行く気か?」
初汰は敵の攻撃を捌きながら、獅子民にそう聞いた。
「正直予想外だったが、とりあえず行けるところまでは騙し騙し行ってみよう」
「オーケー」
「でもさっきからリーアが動いてないっすよ」
「うむ、私も気になっていた。初汰、お前がリーアを連れて行け。ここは私とスフィーで抑える。良いな?」
「いや、でも二人じゃキツイだろ」
「あたしはオッケーっすよ」
「……分かった。じゃあ後は頼んだ」
三人は敵の攻撃を回避、ないしは受け止めながら作戦を立て直し、初汰は少し考えた上で二人の提案を承諾し、リーアのもとに向かった。
「リーア! 大丈夫か?」
念のため右手に剣を握ったまま、初汰はリーアの横に着いて左手で彼女の腕を掴んだ。そして無理矢理引っ張って海方面に駆けだそうとするのだが、リーアは頑としてそれを拒んだ。
「おいリーア。早くしないと追っ手が来るぞ」
「……やっと見つけたのよ。私とお母さんを切り離した張本人を。今だって、あいつのせいで私はお母さんと話すことも出来ない」
「リーア……。でも今は――」
逃げることを優先しよう。と初汰が言おうとしたその瞬間、彼女が震えていることに気付いた。初汰が気付く同時にリーアは振り向き、怒りに震えながらも、悲しみの涙で瞳を濡らす彼女は真っすぐに初汰を見つめた。
「初汰だったら、あなただったらどうする……?」
初汰は彼女の腕から手を放した。そして獅子民に向かって叫ぶ。
「オッサン! このままじゃ追いつかれる。だから俺とリーアで陽動をする!」
「そんな必要は無い! 私が守り切ってみせる!」
「いや! わりーけど、もう決めたことなんだ!」
「待て、初汰!」
「行くぞ、リーア」
初汰は小さい声でそう言うと、群を抜けて海方面に向かって走り出した。リーアはその背中を見て涙を拭うと、彼を追うようにして走り出した。
「たった二人で逃げただと? まさかもう船が来ているのか? おい、先回りだ。私も連れて行け。残りはメリアをしっかりと奪還するんだ!」
走り出した二人を見て、宗周は自分の横にいる部下に命令を下した。部下の男はチーターに変化し、宗周を背に乗せると颯爽と走り出した。するとそれに続いてキメラ軍の三分の一ほどが彼の後に付き従い、別ルートで海方面に向かって行った。
「あのバカが。何を先走っている……!」
襲い来るキメラを全力で殴り飛ばしながら、獅子民はそうぼやいた。
「今は愚痴を言ってる場合じゃ無いっす。さっさと片付けて二人を追うっすよ!」
スフィーはそう言うと、苦無を両手に装備して攻撃を仕掛け始めた。それを見聞きした獅子民も、確かにそっちの方が早そうだと合点し、反撃を開始した。
一方走り出した初汰とリーアは、真っすぐ船着き場に向かっていた。
「もしもし、ギルさん? 今すぐこっちに来れますか? えぇ、そうなんです。追っ手が来てるからなるべく早く来てもらえると助かります」
初汰は全力疾走しながら手短に連絡を入れると、再び走ることに集中した。研究施設の門を抜けると、暖を取った監視小屋が脇目に見えた。そこも走り抜けると、薪を調達しに行った資材小屋もちらと視界に入り、まだ誰も到着していない船着き場で足を止めた。
「はぁはぁ、後はあいつを待つだけだな」
「はぁはぁ、初汰、これで良かったの?」
「当たり前だろ。俺がやりたいからこうしたんだ」
――二人が息を整えながら会話をしていると、一匹のヒョウが突然初汰に襲い掛かった。しかし奇襲にも関わらず、初汰は冷静に敵の動きを見て、飛びついて来たヒョウの腹に剣を突き刺した。ヒョウは数秒呻くと、動かなくなった。初汰は剣を引き抜き、素早く立ち上がって次の攻撃に備えた。
「やっと来たか。しかしブラフとはな。全くしてやられたよ。ハッハッハッハッ!」
宗周は少し離れた岩陰から姿を現し、何も泊まっていない閑散とした船着き場を見て心地よい大笑いを上げた。そんな宗周の周りには、チーターやらヒョウやらピューマやらがウロウロと歩き回っていた。
「初汰、ありがとう。私も全力を尽くすわ」
「あぁ、まずは雑魚からだ。メインディッシュは取っておこう」
初汰はそう言うと、右手に剣を、左手にテーザーガンを持って走り出した。それと同時にリーアは両手に炎魔法を纏い、狙いを定めて火球を投げ始める。
「ふんっ。二人で何が出来る」
宗周は吐き捨てるようにそう言うと、キメラたちに指示を出して自分は岩に腰かけた。
指示を受けたキメラたちは次々と初汰に襲い掛かる。リーアは生け捕りにしろと言われているようで、完全に初汰一人がターゲットされていた。
状況だけを見れば、数的有利を得ているキメラ軍団が難無く勝利を収める戦いになると思えたが、そうはいかなかった。戦い慣れをしている初汰とリーアは、すぐさま初汰が一点狙いされていることに気付き、初汰はひたすらテーザーガンでスタンさせる役に回った。そしてリーアはその身動きを取れなくなった敵を遠距離魔法で気絶させる作戦を実行したのであった。それに伴ってリーアは、炎魔法から岩魔法にシフトチェンジし、的確に一体一体気絶させていった。
「な、なんだ。どうなっている……!」
次々と倒れていく部下たちを見て、明らかに宗周は焦り始めた。彼らの敗因はここにもあったのである。数はいても統率が取れていなければ、部隊は全滅するのである。
「はぁはぁ、後三体だな」
「えぇ、それより初汰は大丈夫?」
「俺なら大丈夫。もういける」
一度後退してリーアの横にいた初汰は、息を整えて武器を構え直すと、再び戦地に駆けだして行った。
残りは三体。まずは一体をテーザーガンでスタンさせ、リーアが気絶させる。飛び掛かって来た一体は切り落とし、そして残った一体はこちらから切りかかる。
「はぁぁぁぁ!」
宗周を守るように構えていたラスト一体のキメラは、初汰のジャンプ斬りを喰らいその場に倒れた。となると残りは、宗周ただ一人であった。初汰は武器を収め、ザクザクと雪を踏みしめながら宗周の目の前に立ち塞がると、胸倉を掴んで反転し、思い切り殴り飛ばした。
「ぐはあっ!」
宗周はだるまのように転がり、丁度初汰とリーアの間あたりでうずくまった。
「や、やめてくれ。もう何もしない! お、お前も、リーアもメリアも解放する! だから許してくれ!」
雪を全身にこすり付けながら、宗周は惨めに雪道を這って行く。そしてリーアの足元まで這うと、彼女の足にしがみつこうとする。しかしリーアはそれを避け、サッと初汰の方に寄った。
「お前が知ってること、全部聞かせてもらうぞ」
初汰はそう言いながら宗周に詰め寄って行く。対する宗周はひいひい言いながら後退りし、崖際まで来てようやく動くことを止めた。
「惨めね……」
初汰の左横に立つリーアは、泥や土が混じった汚れた雪を衣服に付着させている男を見て、蔑むようにそう呟いた。
「頼む、リーア。見逃してくれ! 全部命令されてやったことなんだ!」
「んで、その命令ってのは誰がしてるんだ?」
「それは……」
宗周は両膝をついた状態で言い淀むと、初汰とリーアの顔を交互にチラチラと見た。
「はぁ、なら少し痛めつけるか?」
初汰はそう言うと、腰に下げている木の枝を掴んで剣に変化させる。そしてその剣先を宗周の首元に持って行こうとした瞬間であった。
――背後から風を切るような音が聞こえ振り向くと、巨大な鷲がすぐそこまで迫っていた。初汰は防御しようと剣を構えるのだが、かえってそれが悪手となり、鷲のかぎづめにしっかりと掴まれてしまった。
「くそ! 離せ!」
右腕を掴まれたまま、鷲はどんどん遠くへ飛んで行く。そしてだいぶ離れた海上で滞空し始めた。
「初汰!」
リーアはすぐさま火球を生成し、鷲を狙って数発投げる。しかしすぐに冷静になり、火球を放つことを止めた。なぜなら、泳いで帰って来れる距離では無い上に、こんな極寒の海に落ちたらすぐに凍死してしまうと思ったからである。
「ふんっ。利口だな、リーアは」
ニタニタと気色悪い笑みを浮かべながら宗周は立ち上がった。そしてリーアに歩み寄ると、彼女の細い腕を力強く掴み、無理矢理引き寄せた。
「罠にかかったのはお前たちの方だったな。お前が私を憎んでくれていて助かったよ。全て計算通りに事が進んだ」
「私の、せいで……」
自分が宗周に掴まれていることなど気にも留めず、リーアは空中で拘束されている初汰を見ながらそう呟いた。
「二人とも無事か!」
するとそこへキメラ軍団を片付け終えた獅子民たちが駆けつけて来た。
「なに? もう来たのか」
獅子民の声を聞いた宗周は、左腕でリーアの首をロックして自分の前で拘束すると、右手をポケットに突っ込んでナイフを取り出し、それをリーアの首に当てた。
「リーア! 大丈夫っすか!」
獅子民とスフィーが真っ先に駆け付け、その少し後、メリアを背負っているクローキンスが到着した。
「ちっ、どう見ても大丈夫そうではねぇな」
「それ以上近づくな! 話し合いで解決しようじゃ無いか」
宗周は得意の気色悪い笑みを浮かべながらそう言った。
「何が望みだ?」
獅子民は冷静に、武器を収めながらそう言った。
「リーアとあの小僧を無事に取り戻したいのなら、メリアを返せ」
「ちっ、信用ならねぇな」
「返す返さないの問題では無い。彼女は今気絶している。私は彼女の意志を尊重したい」
獅子民とクローキンスは、言い方は別にせよ、言い分は全く同じであった。要は宗周のことなど微塵も信用ならなかったのだ。
「なるほど。では交渉決裂ということですな?」
「状況を理解できていないようだな。今不利なのは貴様の方だぞ」
獅子民は説得を試みながら、少しずつ少しずつ前進した。
「ふんっ、時間稼ぎにも気付かないとは」
宗周がニタニタ笑いながらそう言うと、獅子民たちの背後から数匹の巨大鷲が大きな籠を持って真っすぐ飛んできた。
「伏せろ!」
獅子民の叫びと共にスフィーとクローキンスはその場で屈んだ。大量の鷲はバサバサと羽音を立て、大きな籠をぐらつかせながら獅子民たちの頭上スレスレを飛んで行った。そしてそのまま宗周の横につけると、彼は籠の中にリーアを放り込み、続いて自分も乗り込んだ。
「よし、あそこまで飛べ!」
宗周が籠の中から指示を出すと、巨大鷲たちは再び飛び上がった。
「待て! 逃がさないっすよ!」
すぐさま立ち上がったスフィーは、走りながら苦無を取り出し、そして鷲を狙って苦無を投げた。しかし鷲は思ったより早く飛んでおり、あっという間に射程外まで飛んで行ってしまった。
「ハッハッハッハッ! リーアが手に入っているのなら、メリアなどもう必要ないわ!」
「リーア! なんで逃げないんすか! 意識があるなら飛び降りるっす。あたしが風魔法で受け止めるから!」
スフィーは飛び行く鷲の群れを追いながらそう叫んだ。しかしリーアは籠から顔を出すことすらなく、鷲の群れは宗周とリーアを乗せて飛んで行ってしまった。
「リーア……。なんで……」
船着き場の先端まで来たスフィーは、息を荒げながらそう呟いた。
「スフィー、悔しいのは分かるが、今は初汰の救出を優先しよう」
後を追いかけて来た獅子民は、スフィーの背中に向かってそう言った。
「分かったっす……」
スフィーは先ほど投げた苦無を風魔法で操り、初汰を掴んでいる鷲を追っ払った。そして初汰風魔法で浮遊させ、フワフワと船着き場まで運んだ。
「わりぃ、二人とも。俺が突っ走ったせいで……」
船着き場に降り立った初汰は、そう言いながら頭を下げた。
「初汰、顔を上げろ」
獅子民がそう言ったので、初汰はゆっくりと顔を上げた。すると。
――パチンッ! と、強烈な平手が初汰の頬を打った。
「お前だけのせいだとは思っていない。何か理由があっての行動だと思っているが、今は問い質さん。だからこれはケジメとして受け取って置け」
「……ごめん」
痛みと悔しさと不甲斐なさと、様々な感情に涙を流しながら、初汰は再び頭を下げた。そんな彼の背後からは、ギルが操縦する船が着々と近づいて来ていた。




