第九十七話 ~せり上がる壁~
ドアを開けるとだだっ広い空間が三人を迎えた。部屋の奥にはこちらに背を向けて座っているルーズキンがおり、彼の前には小さなデスクとスタンドマイク、それと小さな機材が置かれていた。
「おいルーズキン! あとはお前だけだ!」
初汰は威勢よく一歩前に踏み出すと、対面にいる男の背中に向かって怒声を浴びせた。
「ったく、わざわざ死にに来るなんてめでたい奴らだ」
薄ら笑いを浮かべながらルーズキンは立ち上がり、初汰たち三人の顔を睨むと指を鳴らした。
――すると微かに建物が揺れ、初汰の目の前に突然壁が現れた。それは床からせりあがって来て、数秒経つと再び床に戻って行った。するとまた別の場所から壁が出現する。これが何度も繰り返された。
「クソ、何だこれ」
数秒ごとにせりあがってくる壁は、自然と初汰たち三人を分断した。加えてランダムな場所に壁が出現するので、敵の位置を毎秒確認することもままならない。
「二人とも大丈夫か!? 視界が冴えない分、私が声で連携を取る!」
不規則に現れる壁を避けながら、獅子民は敵に聞かれても良いという判断の末、大きな声で作戦を告げた。二人は作戦を聞きながら壁を避け、なんとか獅子民の声がした方向へと進もうとするのだが、そう簡単にはいかなかった。
「ひっひっひっひっ、お前たちの動きは丸見えだぜ」
ルーズキンは彼だけが扱える透視魔法を駆使し、絶えず視界を妨げてくる壁にストレスを感じることなく三人の位置を容易に探り当てた。そして一人はぐれている初汰に狙いを定めると、巧みに壁を躱しながらあたふたしている初汰の背後に回った。
――するとその瞬間に壁が下がり、初汰の無防備な背中が目の前に現れる。ルーズキンはニヤリと笑い、両手を固く握りしめると走り出しながらファイティングポーズをとる。そして人間の拳よりもはるかに固い右の義手で初汰に殴りかかる。
「後ろか!」
ふと聞こえて来た足音に振り向いた初汰は、すぐそこまで迫っているルーズキンと目が合った。攻撃を受け止める暇はない。そう思った初汰は咄嗟に身を屈めた。
――鈍重な音が頭上で響く。初汰は屈んだ状態から横に飛び、右ストレートを壁にぶち込んでいるルーズキンを見た。その右腕の先にある壁は、今すぐにでも崩壊しそうなほど凹み、ひび割れていた。しかしその壁も次の瞬間には床下に戻って行ってしまった。
「ひっひっひっ、避けるなよ。こっちだって忙しいんだからな」
ルーズキンは右手を握ったり開いたりして動作確認をすると、初汰のことを睨んだ。そして追撃が来る。と思われたが、二人の間には壁が生じ、初汰は再びルーズキンの姿を見失った。
「クソ、どっから来るんだ?」
初汰は武器を構え、その場から動かすに前後左右で激しく出入りする壁すべてに目を配り、ルーズキンが現れるのを待った。しかし耳を澄ませど足音は聞こえず、視界には何も映らない。……もしやリーアの方に向かったのではないかと思ったその瞬間、上からルーズキンが降って来た。
「ひっひっひっ、頭上がお留守だぜ!」
ルーズキンは右掌を初汰に向け、そして見えない魔法の弾を発射した。その存在を全く知らない初汰が弾を避けられるはずも無く、左肩に命中した。
「ぐあっ!」
何が起きたのか把握する間もなく、初汰は後方に吹き飛ばされた。着弾した衝撃で数メートル転がり、出現した壁に当たってようやく止まった。
「今の音は……。初汰、大丈夫か!?」
聞き覚えのある発射音を耳にした獅子民は、初汰の名を叫んだ。しかし返事は無く、二人の戦闘音を頼りにその場所を探し当てるしか無かった。
「うぐぁ……。くっ、クソ、左腕が……」
強烈な一撃を肩に喰らった初汰は、全く動かなくなった左腕を抑えながらその場で身悶えした。
「まずは一人だ」
背後でルーズキンの声がした次の瞬間、初汰が寄り掛かっている壁が引っ込み、声の主が姿を現した。するとルーズキンは腰を曲げ、倒れている初汰の首を左手で掴み、そして軽く持ち上げた。
「ひっひっひっ、良い所に入ったみたいだな。綺麗に脱臼してやがる。まぁその痛みもすぐ消えるぜ、今すぐ死ぬからな」
持ち上げた初汰の左肩を見て、ルーズキンは笑った。そしてブツブツと呟きながら右掌を初汰の顔面に向け、発射準備に入った。
――そのまま容赦なく発射しようとした瞬間、ルーズキンの左腕に火球が直撃した。その衝撃で初汰は振り落とされ、多少ではあるがルーズキンと距離が生じた。
「邪魔しやがって……!」
ルーズキンは火傷を負った左腕を見た後、火球が飛んできた方向を睨んだ。するとその先には次の火球を唱え終えているリーアが居た。そして続けざまに追撃を仕掛けて来るのかと思いきや、リーアはルーズキンの頭上に向かって火球を放った。
「……なにを狙ってやがる。チャンスは今だけだったはずだ」
一直線の先にいるリーアを睨んでいたルーズキンの視線を阻むように、壁が続々と出現し始めた。ルーズキンは冷徹に佇むリーアから視線を逸らし、自分の頭上で小さな爆発を起こしている火球を眺めた。
「畜生、気色悪いことしやがって」
意図が読み切れなかったルーズキンは、トドメを刺すために倒れている初汰のもとへ向かった。そして再び胸倉を掴もうとした瞬間、何かを察知したルーズキンは顔を上げた。すると目の前の下がり始めた壁の向こう側に、大柄の男が居ることに気が付いた。
「そう言うことか……!」
――リーアの作戦に気が付いたはいいものの、既に手遅れであった。半分下がった壁の向こうには獅子民がおり、彼はもう右腕を振りかぶっていた。ルーズキンは咄嗟に避けようとするのだが、到底反応できるはずも無く、思い切り顔面にパンチを喰らった。
「初汰、大丈夫か?」
重い一撃を食らわせた獅子民は、敵がまだ起き上がってこないことを確認しながら初汰の容態を診た。
「脱臼か……。それもあまりいい状態ではなさそうだな。これはリーアに頼むしか無いのか……」
気を失っている初汰を見て、獅子民はぽつりと呟いた。
「獅子民雅人っ! お前だけは絶対に、絶対に殺してやる……!」
立ち上がったルーズキンは、唇から流れる血を拭いながらそう叫んだ。そして我を忘れて突進してきた。
「リーアが来るまで時間を稼ぐ必要がありそうだな」
獅子民は壁が出てこない安全な位置に初汰を移動させたのち、両手に丸盾を装備してルーズキンを迎え撃った。
「ここで殺す。絶対になぁ!」
ルーズキンは一気に距離を詰めると、変則的な動きで獅子民に襲い掛かって来た。対して獅子民は一発一発攻撃を見極め、丁寧に盾で攻撃を受けた。しかし中でもルーズキンの右腕。つまりは義手から繰り出される攻撃はどれも強力で、全てに重みがあった。なので獅子民は全部の攻撃に注意しながらも、右腕から放たれる攻撃にはより注意を払った。加えて初汰を見失わないために、彼の周りで、かつ彼を守りながら戦わなくてはならなかったので、獅子民は相当なハンデを背負わなくてはならなかった。
そうしてひたすらに攻撃を受け流しながら辺りに目を配っていると、出たり入ったりする壁の隙間を縫ってついにリーアを発見した。
「リーア! ここだ!」
彼女を見つけた瞬間に獅子民は叫んだ。するとリーアと目が合い、頷く姿が見えた。それを確認した獅子民は、自身も力強く頷いた後、ルーズキンの懐に潜り込んでタックルをし、そのまま数メートル先まで運んだ。そして獅子民とルーズキンが居なくなった場所にはリーアが到着した。
「初汰? 平気よね?」
リーアは息を整えながら呼びかけた。しかし初汰は未だ気を失っており、返事は無かった。その間に初汰が脱臼していることを診断したリーアは、口を噤んでそっと両手を差し出し、初汰の患部の上にかぶせた。
「……ごめんなさい」
そう呟くと、リーアは時魔法の詠唱に入った。
そこから少し離れた場所では、獅子民とルーズキンが一対一の決闘を繰り広げていた。ルーズキンが一方的に攻撃を仕掛けて来るので、獅子民の変換の力は通常の戦闘よりも大分早く溜まっていた。なのでもしかすると一撃でルーズキンを沈めることが出来る未来も見え始めていた。
「俺はなぁ! この右腕と、そしてこの目! お前たちを殺すために鍛えて来たんだっ!」
怒りに任せて攻撃をしていたルーズキンが、突然鋭い攻撃を仕掛け始めた。それは的確に急所を狙って来ており、先ほどまでの乱雑な攻撃は全て演技だったのかと疑いたくなるほど正確無比な攻撃であった。
獅子民は偶発的にせり上がって来る壁に気をつけながら、ルーズキンの体力が尽きるのを待った。しかし敵の体力は一向に衰えず、このままでは獅子民が力負けしてしまいそうな勢いであった。
「くっ! このままでは……!」
いずれ自分の体力が尽きると察した獅子民は、まずは敵の攻撃の手を断たなければならないと考え、どちらかの腕に攻撃を集中することにした。となるともちろん、原動力となっている右腕を狙う他無かった。
――そんな覚悟を決めた瞬間、獅子民の背後に壁が出現した。瞬間的に退路を断たれた獅子民は、今ここで右腕を破壊するしか無かった。
「貰ったぞ! 獅子民ぃ!」
「私は、負けん!」
ずっと引き気味だった獅子民は、ルーズキンの右ストレートに合わせて懐に潜り込んだ。そして変換の力を発動し、丸盾の鋸を回転させてアッパーカットを繰り出した。
義手の鋼鉄と丸盾の高速回転する鉄とが擦れ、耳をつんざくような音が二人の間で生じた。そして獅子民がアッパーを振り切ると同時に、ルーズキンの右腕が飛んだ。義手は重々しい音とともに床に落ちた。獅子民は念のため一度距離を取り、茫然としているルーズキンを睨んだ。
「二度も、この俺様が……?」
「観念しろ。貴様の負けだ」
今すぐに攻撃を仕掛けてくる様子が無かったので、獅子民は転がっている義手を取りに数歩前に出た。それを取り上げて見てみると、自分の攻撃で大破しているのがすぐに分かった。獅子民はそれを壁の向こう側に放り投げ、ルーズキンに近付いて行く。
「まだだ、俺様はまだ負けてない!」
ルーズキンは無謀にも、左手一本で、それもよろよろの足取りで獅子民に襲い掛かって来た。獅子民はそんなルーズキンの最期の果たし状を受けて立ち、思い切り右ストレートを食らわせた。
――獅子民のパンチはルーズキンの頬にめり込んだ。彼にはもうほとんど力は残っておらず、獅子民が腕に力を込めて前に押すと、ルーズキンは危うい足取りで運良く数歩後退し、そのまま倒れ込んだ。すると丁度その場所にこの部屋のギミックを発生させているボタンがあったらしく、転倒したルーズキンが背中でボタンを押し、偶発的にせり上がる壁の群は止まった。
戦闘を終えた獅子民は、ルーズキンが完全に気を失っていることを確認すると、すぐに振り返って初汰とリーアを探した。二人は獅子民の斜め後ろにおり、初汰はまだ倒れたままであった。その脇でしゃんと正座をしているリーアは、壁が出て来なくなったことに気付いてすぐに獅子民と目が合った。
「終わったのですね」
「うむ、なんとかな。初汰はどうだ?」
「……えぇ、大丈夫ですよ」
会話をしながらリーアに近付いていた獅子民は、数歩前進して彼女の異変に気付いた。
「リーア、唇が真っ青だぞ」
「これは……」
リーアは咄嗟に唇を手で隠した。しかし獅子民は青い唇をハッキリと見ており、断言するような口調でリーアに聞いた。
「時魔法を使ったな?」
「はい」
「……初汰には言うな。私も誰にも言わない」
獅子民はそう言いながら初汰の横にたどり着くと、無理矢理引き起こし、そして背負った。
「ひとまずここを出よう。スフィーとクローキンス殿のことも気になる」
「……はい」
虎間の管轄である研究施設を制覇した三人は、一度昇降式の部屋に戻ってからエントランスを目指した。




