第八十四話 対峙9
(成程、納刀しているのは、太刀の長さを相手に悟らせない狙いもあるのだな)
又兵衛は居合の体勢を保持したまま彫像のように微動だにしない小介を見て思った。
小介の太刀はおそらく常寸よりもいくらか長いのだろう。その長さが測れないのは、確かにやりにくい。
そして小介の視線は又兵衛には向かず、あらぬ方向に向いている。又兵衛のどの部位に向かって斬撃が飛ぶか、まるで予測がつかない。
尋常ならば、不可解な技術の持ち主に対しては躊躇し、前進をためらうだろう。
だが又兵衛の足取りは全く躊躇いがなく、まさに悠然と獲物に牙を立てんとする獅子そのものであった。
遂に間合いに入ったが、小介は微動だにしない。
そして又兵衛は渾身の力を込めて愛刀、青江助次を真っ向振り下ろした。かつて朝鮮の役にて陣中で暴れた虎の眉間を一撃で叩き割って即死させた業物である。
そのエインフェリアとして生まれ変わったその一撃は巨人をも一刀両断する威力が秘められており、例え穴山小介が防ごうとしても刀を叩き折り、そのまま勢いを減じず顔面を断ち割ってしまうだろう。
だが小介は体を左に移動して躱すと同時に腰を切り、その勢いを利用して抜刀し、横なぎの一撃を見舞った。
(成程。回避、抜刀、攻撃が揃って一拍子になっておるわ。これが居合術か)
通常の剣術ならば、これらの動作は別の拍子となるので、わずかに遅れるのが道理である。
だが小介の動作は回避と攻撃を一呼吸で行い、見事に後の先を取った。これこそが居合術の真骨頂なのだろう。
(これは躱せんな)
そう見切った又兵衛は太刀を握る右手で電光の速さで己の首をかばった。
所詮は片手撃ちの一撃である。籠手で充分防げると又兵衛は判断したのだ。
だが小介の斬撃は籠手の鉄板と皮を切り裂き、又兵衛の骨に達した。
「むう!」
だが又兵衛は微塵も動ぜず小介の太刀を払いのけ、そのままその顔面に鉄拳を見舞った。
「!」
右腕を切り裂かれたにも拘らず、全く痛みなど感じていないかのような又兵衛の振る舞いに流石の小介も意表を突かれたようである。
素早く後方に下がったものの、完全に躱し切ることは出来ずにその拳がかすかに鼻をかすめた。
ほんの少し触れた程度であったが又兵衛の恐るべき膂力から繰り出された拳の衝撃は小介の鼻骨を砕くには充分だったようである。
穴山小介の陰気な顔面はどす黒い血に染まり、その三白眼に燃える黒い炎は屈辱と怒りでさらに勢いと濃度を増した。
「成程、腰か」
小介の殺意と憎悪が込められた毒矢のような視線を受けても又兵衛は一向に意に介せず、陽気に、豪快に言った。
「腕力ではなく、腰の切れで刀を抜き、腰の力で刀を振るうのだな。それがあの速さと威力を生む訳か」
そう言うと、又兵衛は納刀し、今しがた見た小介の腰の切り方を忠実に模倣しながら抜刀した。
凄まじい空気を切り裂く音が鳴り、間合いを取っている小介にもその刃風が届いた。
「・・・・」
又兵衛は小介の存在など忘れたかのように腰の切れを生かし太刀を真一文字に振るい、さらに横なぎに振るった。
明らかにその速さ、勢いが増しているのを小介を認めた。
「ふーむ、良いのう、これは。使える技よな」
戦いの最中であるにも関わらずぬけぬけと言ってのける又兵衛を、小介は顔面の血を拭いながらなおも睨み付けていた。
だが胸中には憎悪と怒りだけではなく、感嘆と賞賛の念が湧いてくるのを認めざるを得なかった。
たった一撃喰らっただけで、見事に居合術の術理を看破し、なおかつ己のものとしたのである。
その戦いにおける天成の眼力と嗅覚、勘の良さ。そして腕の傷など一向に気にしない大磐石の如き豪胆さと極限まで鍛え抜かれた鋼の肉体。
流石は我が主真田幸村と並び称された天下の豪傑後藤又兵衛よと舌を巻いた。
「武士の花形である馬上の槍合わせと違って、剣の戦いなどつまらぬと思っていたが、考えを改めねばならぬな」
その仁王のような髭面に快活な笑みを絶やさず、又兵衛は小介に悠々と語り掛けた。
「さあ、続けようか。まだまだ足りぬぞ、穴山小介。貴様の剣技を尽くして見せよ」
「ほざけ!」
このヨトゥンヘイムの大地に来てから、初めて穴山小介は言葉を発した。甲高い声であった。
そして放たれた矢のように駆けだし、抜き打ちの一撃を見舞った。強烈極まる一撃。まともに喰らえば又兵衛の牡牛のような太い首も両断され、宙に飛ばされていただろう。
だが又兵衛はその巨体にも関わらず驚くべき俊敏さでこれを躱した。
斬撃が空を切り、体勢がくずれるかと思われたが、そこは居合術を極めた小介である。
全く隙を生じずに二の太刀を放った。だが又兵衛の反応も尋常ではない。小介の疾風の一撃を鍔元で受け止め、跳ね返した。
又兵衛の膂力には到底敵わず、小介の体が吹き飛んだ。だが素早く体勢を整え、飛燕のように又兵衛の元に殺到する。
だが今度は又兵衛の斬撃の方が早かった。先程学んだ腰の切れを生かし、太刀を振るう。
右手に骨に達する傷を受けているにも関わらず、痛みなど全く感じていないのだろうか。
速さ、威力ともに強烈を極めるものであった。これを受けたら我が愛刀はたやすく折られるだろうと判断した小介はのけぞって死の刃から逃れた。
そして神速の速さで身を起こし、片手突きを放つ。又兵衛は完全に躱し切ることは出来ずに上腕部を刃がかすめた。
だが又兵衛は全く意に介することなく小介の顔面を割るべく拝み打ちに斬りつけた。
小介は身を捻ってこれを躱す。
(何と見事な体捌きよ。剣術を極めると、こうまで迅速かつ華麗に動けるものなのか。足軽の技などと軽視せずにわしもちゃんと学ぶべきであったな)
(何という豪胆さ、型にはまらぬ太刀の冴え。これがいくつもの合戦場を往来して斬り覚えた戦人の技か)
激しく斬りあいながら、両者は互いの力量に対して敬意を抱いた。特に小介はこれが初めて覚える感情だったろう。
穴山小介にとって立ち合い、命のやり取りは娯楽であり、愉悦であった。
己が鍛え上げた技で相手を完全に屈服させ、屠ることで己は他者より優れていることを証明できる。これに勝る喜び、快楽などありはしなかったといっていい。
小介にとって他人、敵とは全否定する対象でしかない。敵の技量を認め、敬意を覚えるなどあってはならないことだと信じていた。
現に、己が生きている間に立ち会った敵で、その技量に感嘆することはついぞ無かった。
皮肉にも、一度死して闇の亡者として転生した後にこうして巡り合うことになった。
(この御仁とは、生きているうちに立ち合いたかった・・・・)
無念が小介の胸中を満たした。己が生者であれば、相手への賛辞を口にし、語り合い、後に再会を約して別れ、得たものを糧としてさらなる高みを目指すこともあり得たかもしれない。
だが己は亡者の女王ヘルの力で蘇り、光の戦士エインフェリアを根絶やしする使命を与えられた死者の軍勢の一員なのである。
ヘルの命令が己の魂を拘束しており、決して逃れることはできない。特に深い業を背負って生まれた小介はヘルの束縛を強く感じるのである。
「殺せ、殺せ・・・・・。アース神族に連なる者は決して許すな・・・・。根絶やしにしろ・・・・。五体を切り刻め・・・・。敬意など持つな・・・・屠ることのみを思え・・・・」
小介に芽生えた温かい、光明を求める思い決して許さず、磨り潰すかのように、ヘルの陰々滅滅たるおぞましい呪いの声が小介の魂に鳴り響いた。




