第七十七話 対峙2
’（この男・・・・）
ラクシュミーバーイはライフルを構えながら、全身に冷や汗が伝うのを感じていた。
「・・・・」
筧十蔵と名乗ったその男も銃口をこちらに向けたまま微動だにしない。これから命のやり取りを行うというのに微塵の緊張も気負いも無く、相手の力量を探ろうとする様子も無い。
ただ獲物を狙撃する為の一個の精密機械と化しているようである。
（こんな男もいるのか・・・・。フフッ面白い）
ラクシュミーバーイはその高貴な美しい顔をほころばせ、艶やかに笑った。
今からその弾丸で命を奪うべき相手にこのような気持ちを抱いたのは、これが初めてかも知れない。
思えば、今まで自分が戦って来た敵は、祖国を犯して植民地とし、民を酷使して搾取する憎むべき侵略者であった。
彼らは同じ人間でありながら、肌の色や信仰を理由に彼女が愛する民を公然と差別し、人間以下の畜生であるかのように扱った。
彼ら大英帝国の人々は白色人種こそが神に選ばれた優良人種と信じ、有色人種を差別し支配することは当然の義務であり、神に与えられた使命であるとさえ考えているようであった。
そして植民地化によって、無知蒙昧なインドの人々を教え導き、真の文明を与えてやったのだと恩に着せる態度すらとる始末である。
ラクシュミーバーイは馬上で満腔の怒りを込めて引き金を引いたものだった。
だがこの時ラクシュミーの心に沸き起こるのは怒りでも憎しみでも、祖国へのたぎるような愛でもない。
優れた技量を持つであろう敵手への興味であり、対抗心であった。
（あの男が持つ銃は妾が持つ銃よりも古い型じゃな・・・・）
ラクシュミーが愛用する銃は大英帝国軍から奪ったパーカッションロック式のエンフィールド銃である。
一方、筧十蔵が持つ銃はマッチロック式のマスケット銃に分類される旧式の銃で、命中率はエンフィールド銃より落ちる。
(いや、銃の性能はこちらが上とて安心はできぬ。あの男の技量は性能の差をものともせぬはずじゃ・・・・）
ラクシュミーは認めた。現時点での狙撃の実力は旧式の銃を持つ敵の男の方が上であると。
（じゃが・・・・）
あの優れた敵と命のやり取りを行い、もし生き残れることが出来たなら、己は戦士として、銃士としてさらに上の境地へと進むことができるだろう。
ラクシュミーはそう確信を抱きながら、引き金を引いた。
「居合術というやつだな。重成殿も得意だそうだが、敵として対峙するのは初めてだ」
又兵衛が豪刀を肩に担ぎながら語り掛けたが、
「・・・・」
穴山小介は刀の柄に手をかけ、抜き打ちの体勢を保持しながら微動だにしない。
その口は堅く引き結ばれ、三白眼の瞳には陰火がしきりに燃え盛っている。
（どうにも陰気臭い男だのう。だが、腕は恐ろしく立つらしい。居合術、か）
後藤又兵衛は穴山小介や木村重成とは違い、正統な剣術は学んでいない。彼らより世代が古い武士である又兵衛は弓馬と槍こそが上級武士の表芸であり、剣術などは足軽が覚える技であるという考えだったからである。
無論、過去数十度の合戦場を往来しているうちに馬も槍も失い、太刀を抜いて戦わねばならない事態に陥ったことは幾度もあったが、後れを取ったことは一度も無い。
ただ鍛えた剛力を頼りに敵の甲冑の隙間を狙って太刀を振るうのみである。
むしろ鎧武者相手の乱戦では剣術よりも組討ちの技の方が有効であると悟り、これは熱心に学んだ。
（確か、林崎某が編み出した技であったか。肥後の加藤清正殿がいたく気に入り、家臣に習わせたと聞いた）
居合術の祖は奥羽出羽の人、林崎甚助である。彼は闇討ちされた父の仇を討つ為に剣術修行に明け暮れ、百日の山寵修行を行った際、その満願の夜に神託を得て居合の奥義を開眼したという。
林崎は居合抜刀の技で見事仇を討ち果たすと全国を行脚して多くの弟子を育て、居合術を日本全土に広めていった。
朝鮮の役では林崎に学んだ加藤家の武士が明兵や朝鮮兵が背中に背負った剣を抜こうとした瞬間、抜き打ちで次々と腕を切り落としたという。
世界最高の刀剣である日本刀の機能を最大限生かした他国に全く類の無い、まさに日本独自の剣術、武術と言えるだろう。
（確かに敵の不意を打つ、あるいは逆に敵の不意打ちに対応するには有効な技だろう。だが、真っ向勝負では意味を成さぬのではないか？）
又兵衛は疑問に思った。既に抜刀している状態からの斬撃に比べれば速度は落ちるはずだし、片手打ちだから諸手の打ちよりも威力は劣るのが道理のはずである。
（にもかかわらず陰気な顔に絶対的な自信をみなぎらせておるわ。奴が体得した居合の技にはこの不利な状況を覆す術理が秘められておるのか）
「穴山小介とか申したの」
又兵衛は笑いながら陰気で寡黙な侍に語り掛けた。
「余程腕に自信があるようだな。今まで立ち合いにおいて敗れたことは一度も無いのであろう。どれぐらい人を斬った？わしの勘では三十人程と見たが、どうだ？」
「・・・・」
相変わらず穴山小介は無言を貫いている。その顔面の筋肉も微動だにしなかったが、その瞳の色がわずかに揺らぎ、動揺をを浮かべた。ずばり的中したのだろう。
又兵衛の戦人としての慧眼と、殺人の練達者としての嗅覚に畏怖の念を抱かざるを得なかったようだ。
「わしか？わしはまあ、いちいち数えた訳ではないが、百をいくらか超えたぐらいだろうな。数多くの合戦に出たが、そんなものだ。一度の合戦で首を獲るのは精々三つか四つ。一つも獲れぬ時もあったわ。だがまあ、それはよい。貴様、わしを斬りたくて仕方がないという顔をしておるな」
又兵衛に言われ、穴山小介の顔に初めて目に見える変化が起きた。唇の端が吊り上がり、瞳に燃える陰火がますます凄惨さを増したようである。
「心憎い面魂よの。命のやり取りに憑りつかれ、人を斬り血の匂いを嗅がねば飯も喉を通らぬといった面だ。よかろう」
又兵衛は太刀を大上段に構えた。
「この又兵衛の渾身の一撃、見事居合の技で凌いで見せい。出来ねばその陰気な顔が真っ二つぞ」
又兵衛はそのまま無造作に大股で穴山小介に向って行った。
