第七十一話 山の巨人族
「ここがヨトゥンヘイムか・・・・」
天翔ける船から降り、騎乗した重成が呟いた。
冴えわたる蒼々たる空には軽やかな雲が日の光を浴びて白竜の鱗のように煌めいている。
四方の険しい山肌には霜で紅く染められた葉が飾られ、風にそよいでいた。
谷底には急流がうねり、碧く澄んだ水が露出した岩とぶつかる音が絶えず流れており、時折魚が跳ねてその真っ白い身をさらした。
肌に触れる風は冷たく心地良く、秋の気配をはっきりと感じさせた。
(何やら懐かしい風景だ。どこか日本に似ている気がする・・・・)
重成がさえずる山禽の声に耳を澄ませながら澄んだ空気を味わおうと深呼吸をしたが、すぐに鞍にかけていた槍を取り構えた。
強大な活力を秘めた生命体が群れを成してこちらに向かって来るのを察知したからである。
(数は十と言ったところか・・・・)
彼らはいずれも強い警戒と緊張の気配を帯びているが、殺意や闘争の意志は持っていないようである。
それを察した重成は槍の構えを解いた。
「皆も武器の構えを解いてくれ。彼らを刺激してはいけない」
重成が静かに言うと、皆従った。勝気なローランとフロックも文句は言わなかった。
顕家は最初から微塵も緊張の色を見せず、我関せずとばかりに目を細めて周囲の錦繍の如き紅葉を見入っている。
「あの人達が山の巨人さん!おっきいなあ、ヴィーザル様と同じぐらいかも」
「うん、確かにあのムスペルよりもさらに大きくて強そうだ」
エイルと敦盛の感嘆の声を聞きながら、重成はやって来た山の巨人達の姿を注視した。
成程、確かに彼ら全員がムスペルや霜の巨人をはるかに上回る体躯を持ち、ヴィーザルやシンモラに匹敵するだろう。
そしていずれも鋼鉄製らしき甲冑を纏い、精工な装飾が施された戦斧や戦槌を担いでいる。
これは彼らが高い知性を有している何よりの証だろう。その容姿も体毛は濃いようだが人類に酷似していた。
その瞳は黒か濃い茶色で穏やかな知性と臆病とも取れる用心深さがにじみ出ていた。
どうやら彼らと戦う可能性は低そうである。そう安堵しながらも、重成は武人の習性で彼らの戦闘力を冷徹に分析した。
(彼らの全力の一撃を受け止めるのは不可能だろう。例えローラン殿でも)
ならばまずは己からは仕掛けずに彼らから攻撃するように誘ってこれを躱し、体勢を崩した彼らの鎧の隙間に一撃を叩き込む以外に無いだろう。
「アース神族の者達だな。何故我らが領土たるヨトゥンヘイムにやって来たのだ」
やって来た山の巨人族の中でも年長らしい白髪交じりの巨人が深く澄んだ声で詰問した。
「突然来訪して驚かせてしまって心から申し訳なく思っています。私たちはアース神族の王ヴィーザルの使いでやって来ました」
ブリュンヒルデが誠意を込めて謝罪しつつ名乗った。
「実は、このヨトゥンヘイムにヴァン神族の王が造った強大な力を秘めた神器の一つがあるのが発覚したのです。心当たりはありませんか?恐らく、その神器を狙って邪神ロキやムスペルといった危険な者共が侵入してくるでしょう。そのことを貴方方に警告しに来たのです」
「・・・・ふむ」
山の巨人達がどよめき、苦悩の色を露わにした。
「・・・・心当たりがあるのですね?」
「うむ。あの指輪であろう。あの指輪のせいで我らの安寧が破られ、まさに二つに裂けんとしているのだ」
「・・・・」
「さらにムスペルやロキだと?そんな連中までもが関わって来るやも知れぬとは・・・・。我らでは判断がつかん。やむを得ん、我らが長と会って話をしてくれ」
「分かりました。お願いします」
山の巨人達は無言で歩み始めた。道々、どのような状況なのか聞きたかったが、彼らはいずれも沈鬱な表情を浮かべ、口を堅く閉ざしているので問う事ははばかられた。
険しい山道を巨人達は力強い足取りで歩み、エインフェリアとワルキューレは騎行で従った。
不思議なことに山に登るごとに視界は色鮮やかになっていくようだった。樹木や花々は増え、鳴き交わす鳥のさえずりも美しさを増していくように思われた。
明らかにミッドガルドの山岳とは違う。やはり山の巨人達の聖域だけあって、神聖な力が作用しているのだろう。
雲のかかった遠い山々を望みつつ、紅葉が風に舞う山道を無言で歩んでいた一行であったが、巨人の集落らしきものが見えて来た。
いずれも巨大で見事な石造りの家々で、様々な植物や獣の装飾が施されている。
山の巨人達は見かけによらず手先が器用で、職人的な気質と工芸を好む性質があるのが察せられる。
巨人達は家の中に引きこもっているようだが、中には好奇心を抑えられずに窓からこちらを窺っている者もいるようである。
彼らの目には初めて目にする小さな種族がどう映っているのだろうか。
「あれが、我らが長の館である」
巨人の一人が指をさして示した。と言っても、他の家と何の違いも無い石造りの屋敷である。これは長と言っても何ら特権が無く、山の巨人という種族には階級が存在せず平等であることを雄弁に物語っていた。
白髪交じりの巨人が扉を開けて来訪者達を招き入れる。屋敷の奥では木の椅子に腰かけた巨人が待っていた。
その髪も長い見事な髭も雪のように白く、相当な高齢であるらしい。
茶色い瞳には長い年月で培われた穏やかな賢明さと同時に、疲労と傷心が色濃くにじみ出ていた。
「アース神族か・・・・。このヨトゥンヘイムに異種族がやって来たのは、わしの遠き先祖の時以来のようだ」
長が物憂げに言った。
「あの得体の知れぬ強大な力を持った神器が原因なのだろう・・・・。あれは一体何なのだ?教えてくれぬか」
ブリュンヒルデはニーベルングの指輪について包み隠さず教えた。
「ヴァン神族の王の呪いがかかった指輪か・・・・。十個揃えれば神々の力をも超えた奇跡が起こせると・・・・」
長は頭を抱えた。案内してきた白髪交じりの巨人も沈痛な面持ちである。
「それで、指輪の一つの所在について、心当たりはありませんか?」
「我が孫が身に着けておる」
長が無念そうに言った。
「私の息子だ」
エインフェリアとワルキューレを導いてきた白髪交じりの巨人が言った。長とこの巨人は親子であるらしい。
「あの指輪を拾って指にはめて息子の様子が一変したのだ。この指輪の力を用いれば、我らが山の巨人族はさらなる進化を遂げることができると宣言し、同世代の若者たちを扇動し始めたのだ」
「誰よりも大人しい気性の孫だったのに・・・・。まるで別人のように変わり果ておった。しかもその言葉には不思議な力が宿っているようだった。その指輪にもたらされた魔力なのだろう。若い者達が瞬く間に魅了されたのだ」




