第六十四話 ヘーニルの結界
「して、ニョルズ殿が所有していたニーベルングの指輪の数は十個に違いないのだな?」
死者の軍勢の衝撃からエインフェリア達がやや落ち着いたのを見て取ったヴィーザルがヘーニルに確認した。
「うむ。間違いなく十個だ。それが星々の海に散って行った・・・・」
「だが一つ一つに強大な神気が込められているのだな。ならば感知は難しくあるまい。早速始めるとしよう」
「ヴィーザル殿よ、確認しておきたいのだが・・・・」
フレイヤがためらったあげく、意を決したようにヴィーザルに鋭い視線を向けた。
「どのような奇跡も起こせるというニーベルングの指輪。貴殿はそれを集め、我が物にして何か願いをかなえたいという心はおありか?」
フレイヤのみならずヘーニルもまた嘘やごまかしは断じて許さぬという射貫くようなヴィーザルを凝視している。
だが、ヴィーザルは花崗岩の塔のように小動もしなかった。
「アース神族の王の名に懸けて誓おう・・・・。ニーベルングの指輪を我欲の為に使うことは無いと。手に入れれば、必ず破壊しよう」
王者としての圧倒的な威厳を示しながら断言するヴィーザルを見て二柱の神、そしてエインフェリアとワルキューレは打たれたように頭を下げた。
「では余は指輪の所在を探ろう。ヘーニルには早速で申し訳ないが、ヴァルハラに結界を張っていただきたい」
「ヘイムダル程の強固な結界は張れんが、出来る限りのことはやって見せよう」
「エイルよ、お前はドワーフ達にフレイヤとヘーニルの屋敷を造らせよ」
「わかりました!」
「エインフェリア達はしばし休養を取るがよい。その後はいつでも出陣できるよう準備をするようにな。では皆下がるがよい」
一同は王の間から退室した。
「エイル、ヴィーザル様が言っていたドワーフって何のことかな?」
敦盛がエイルに尋ねた。
「ヴァルハラの武器の製造や建築を担当してくれている小人さん達だよ。すっごく手先が器用でどんなものでも造ってくれるの」
「ほう、ということは鉄砲の製造をしているのはその小人どもか。だが余は一度もその姿を見たことがないぞ」
グスタフアドルフが言った。
「ドワーフさん達はすっごく繊細で照屋さんだから、滅多に人前に姿を見せないの。見られると気が散って仕事に集中できないんだって」
「へえ、一度会ってみたいなあ」
「敦盛くんが笛を吹いたら、作業を忘れて姿を見せてくれるかもね」
そう言って笑い合う敦盛とエイルの若々しく爽やかな姿を見て傷心の二柱の神は、それぞれわずかに救われたように笑みを浮かべた。
「ヘーニル様、かつてヘイムダル様が結界を張っておられた結界の間にご案内いたします」
ブリュンヒルデに恭しく言われ、ヘーニルはその浅黒い精悍な顔を引き締めた。
「うむ」
「ご一緒してよろしいでしょうか」
重成と夏侯淵が進み出た。何も語らないが夏侯淵はヘーニルが弓矢の神であることを察し、その一挙手一投足に注目したいと考えているのだろう。
「構わんよ・・・・。悠久の時が過ぎた故、流石に結界の間の場所を忘れてしまったな」
「無理もありません。それに一度スルトの炎に焼かれた後に再建した為、ヘーニル様が知るヴァルハラとは少々構造も違うでしょうから・・・・」
そう言って歩を進めるブリュンヒルデにヘーニル、重成、夏侯淵、それにフレイヤが付いて行った。他のエインフェリアとワルキューレはそれぞれ己の準備にとりかかるべく解散した。
「ここが結界の間か・・・・」
重成が呟いた。全く何もないただの真っ白な空間である。だがここにいる者の感覚を研ぎ澄まし、神気を高める効果があることが感じられた。
「成程、なつかしいな・・・・。では早速いくぞ」
ヘーニルの神気が高まり、そして爆発した。強大な力がアースガルド全域を覆うのが感じられたが、やはりヴァナヘイムを覆っていた結界に比べれば遥かに劣るのは明らかであった。
ヴァナヘイムの結界が金剛石の強度だとしたら、ヘーニルのそれは精々鉄といったところだろう。
「まあ、お前たちが感じ取ったように、俺が張った結界はヴァナヘイムのよりも、そしてかつてヘイムダルが張っていたものよりかなり劣る。だが、先にロキが引き連れていたというガルム如きは一歩も侵入できんはずだ。そしてこの間にいる限り俺の千里眼はさらに力が増す。アースガルドだけではなく、周辺の星々まで見通すことができそうだ。隠形が得意なロキでも見逃すことはないだろう」
力強く断言したヘーニルの視線が魏の甲冑を纏った痩せた男に向けられた。
「夏侯淵だったな。時折この部屋に来るがよい。お前に我が弓技を授けよう。エインフェリアながらお前は驚くべき弓の天賦があるようだ。必ず習得できよう」
夏侯淵の鍛え抜かれた鋼のような痩身から炎のような気がゆらいだ。人界にて弓術の奥義を極め尽くしたはずの己がここに来てさらに上の境地へ、文字通り神の領域に達することができるのである。
武人としてこれ以上の歓喜は無いだろう。感極まって震える夏侯淵を重成は羨望のまなざしで見た。
「それにしても殺風景な部屋だ。ヘーニル、お前はこれからここでずっと過ごすのか」
フレイヤが不機嫌そうに言った。
「仕方あるまい。もはや事態はほんの少しの休養も許されないところまで来ている。俺はラグナロクが最終局面を迎える時までこの部屋から出ることはないだろう。ああ、ブリュンヒルデ、だったな。ヴィーザルが俺の屋敷を造らせると言っていたが、不要だと伝えてくれ」
「私は時折この部屋に来るからな。それは許してもらえるだろう・・・・」
潤んだ瞳で言い、全身からにおい立つような艶やかな気配を放ちながら性的な欲求を露わにするフレイヤに、ブリュンヒルデ、重成、そして夏侯淵も困惑を隠せなかった。




