第六十話 指輪の行方
「下衆どもが・・・・」
神々をも破滅させる大いなる指輪の呪いの存在を知ってもなお、恐れる色を微塵も見せないムスペルの女王と暗黒神にヴァン神族の王は激烈な憎悪と侮蔑の炎を燃やした。
「呪われるがよい、破滅するがよい、貴様ら二人とも・・・・。いや、貴様らだけではない、醜い巨人どもも、忌まわしいアース神族どもも、全て滅ぶがよいのだ。勝利の栄光を掴む存在などいてはならぬ。その様な者は決して私が許さぬ・・・・」
ニョルズの神聖にして高貴な神気の質が変じ、ロキと同種の暗黒の色を帯び始めた。
ニョルズは我が命を燃やし、暗黒の神気でもって指輪にさらなる呪いを込めたようであった。そして同時にルーンの詠唱を行った。
「むう、こ奴!」
ロキの余裕と喜悦の表情が一変し、怒りと驚愕の色が露わになった。
「「指輪をどこぞにやるつもりか・・・・させぬ!」
シンモラが怒号し、炎の剣でニョルズの胸板を刺し貫いた。
「もう遅い・・・・」
一瞬にして炎に包まれたニョルズの両手から十個の流星が飛び立ち、光芒を描きながらヴァナヘイムの夜空を超え、瞬時にして宇宙に散っていった。
ニョルズの手からニーベルングの指輪が飛び立つ瞬間、ムスペルも死者も、そして大坂五勇将も強大な力の拡散に感応してそれぞれ戦いを止めた。
ヴァナヘイムの夜空に十個の流星が走り、そして星々の海に消えて行ったことを我が目で見届けたエインフェリアとワルキューレ、そして死者と巨人も皆等しく悟った。
今まさにこの時、真の意味でラグナロクの火蓋は切って落とされたのだと。
そしてその結末はおおいなる破滅であり、今ここにいる誰もそれを逃れることは出来ないのだと。
「フフッ、せいぜい指輪をめぐって大いに殺し合うがよい・・・・」
シンモラの焔で肉を焼き尽くされ、その骨を露わにしながらもニョルズは呪いの言葉を放ち続けた。
「そして皆滅びるのだ。予言してやろう、指輪を集めた者はまさにその願いそのものによって命を絶たれるのだ。勝利を得る者など誰もいない・・・・」
そしてニョルズは炎の中で消滅した。永劫に近い年月にわたってヴァン神族に君臨した王の最後を見届けたムスペルの女王と裏切りと奸智の暗黒神、そして人質として彼の元で過ごしたアース神族の勇将は皆等しく粛然とし、言葉も無かった。
「父上・・・・」
フレイヤの嗚咽が静寂を破り、止まっていた時間が再び動き出した。
「老いて堕落したとはいえ、流石は神王。見事な最期、そして高貴な美しき呪いの言葉であった。かの御仁の犠牲と呪いによって、今回のラグナロクは先のを超える壮大にして凄惨な戦いになるであろうな。喜ばしきことよ」
ロキが感慨無量な面持ちで言った。彼がニョルズの呪いなど微塵も恐れていないのは明らかだった。むしろ呪われることによって我が暗黒の力はかえって増すと確信しているようであった。
「ニョルズの言葉が本当ならば、私は我が主、我が夫の手によって滅ぶことが出来るのですね。ああ、何と素晴らしい。是が非でも指輪を我が物にしなければ・・・・」
ニョルズの呪いを恐れていないのはシンモラも同様であった。
「私は我が子達とムスペルヘイムに帰り、改めて戦の仕度をしましょう。ロキよ、汚らわしい死者共を退かせなさい。それともまだ続けますか?」
「いや、もう結構。我が軍勢は十分すぎる程見事な初陣を飾った。これ以上彼らを傷つける訳にはいかぬ。さらに死者の軍勢は増強させるが、彼らはその中核となるのだからな」
余裕たっぷりな態度で言い放つロキをシンモラが激発寸前の怒りがこもった眼で睨み付けた。
「今回は不覚を取りました。それは認めましょう。だがそれは我が子達が先にヴァン神族の軍勢と戦い消耗していたが故です。それさえなければ、下等な死者如きに手こずるはずもない。我がムスペルの子達こそが宇宙最強の軍勢なのです。それを肝に銘じておきなさい」
「確かにムスペルの膂力と火炎を操る力は大したものよ。それは認める。だが彼らの最大の武器である強烈な破壊と殺戮の衝動は同時に最大の弱点でもあるな。彼らはどうあっても巧緻な戦術はとれまい。それに比べて我が死者達はミッドガルドで行われた数限りない戦でその戦術、用兵を芸術的にまでに高めて身に着けているのだ。もっとも・・・・」
そう言ってロキは東の方向を遠い目で見た。その方向では大坂五勇将が激しい戦いを繰り広げている最中であった。
「それはエインフェリアも同様だがな」
ロキの底の知れない黒い瞳にはエインフェリアに対する期待と敬意が浮かんでいるようであった。
そんなロキを胡散臭げに見つつシンモラは鼻を鳴らした。
「取るに足りない下級神であるワルキューレに使役されるエインフェリア如きになにが出来るのか・・・・。まあ、いいでしょう」
シンモラはその焔が宿る瞳を二つの顔貌を持つ女神に向けた。
「貴方のおかげでヴァナヘイムに侵入できました。まあ、指輪を得ることはできませんでしたが・・・・。それでも礼を言いましょう。さて、貴方はこれからどうします?スヴァルトアールヴヘイムに帰りますか?それとも私と共に来てくれますか」
「狂気に侵されたとは言え、貴方も高位神だ。破壊しか知らぬムスペルと行動を共にするのは無理があろう。私の側であれば居心地が良いと思うのだが、どうだね?」
シンモラだけではなくロキも誘いの言葉をかけたが、グルヴェイグに迷う様子は一切なかった。
「生憎だがロキよ、もう私は神という存在には一切心が許せん。特にニョルズ以上に頭が切れて何を考えているか計り知れんお前にはな。それに比べて余計な駆け引きや謀を一切用いずただ破壊のみを求めるムスペルの方が余程好感が持てる。私は彼らと共に行くよ。形ある物全てが燃え尽くされる様を私も見たい。当然、私自身もスルトに焼き殺されるのだろうが、それでよい。邪悪なオーディンの呪いが込められた炎に焼かれた時より、余程心地がよさそうだ・・・・」
琥珀色の瞳に狂気の炎と暗黒を等しく宿らせながら言うグルヴェイグをシンモラは愛おし気にみつめた。
「やれやれ、ふられてしまったか。いささか残念であるが、嬉しくもある。グルヴェイグよ、貴方の存在はラグナロクをさらに心躍る楽しきものにしてくれるだろう」
ロキの視線は地にうずくまってその比類ない美貌に悲嘆の表情を浮かべる女神と闇の鎖に囚われて怒りと屈辱に震える勇将に移った。
「お前たちもヴァルハラに帰るがいい。そしてオーディンの息子と共に指輪を揃えることができた時の願い事でも相談するがよかろう」
「無駄な事ですね。そんなことは万に一つもありえない」
そう言い捨て、シンモラはグルヴェイグと共に去って行った。




