第五十四話 真紅の軍団
「・・・・!そうだ、ヴァン神族の生き残りを救いに行かなければ」
馬上の人となった重成だったが、何か閃くものがあったような表情で言った。
「奴らはこのヴァナヘイムと運命を共にする覚悟を決めておるだろう。今さら救いに行くのは野暮というものだぞ」
又兵衛が叱るように言ったが、重成は頷かなかった。
「いえ、やはり救えるものなら救いたい。それに・・・・」
重成は皆まで言わず、何か訴えるような目で又兵衛を凝視した。訝しげに見返した又兵衛であったが、すぐに重成の真意に気づいたらしく会心の表情で頷いた。
「よし。奴らの救出はわしと重成殿で行こう。他の者は死者共を確認してまいれ。おそらく大軍が控えておるだろう。ムスペル共との戦いに巻き込まれぬようにくれぐれも気を付けてな・・・・」
「分かりました。貴方達も充分気を付けてください」
ブリュンヒルデが言い、馬を走らせた。ローラン、エドワード、姜維、義元、ラクシュミー、敦盛、そしてエイルがそれに続く。
「かたじけない、又兵衛殿・・・・」
「よいのだ。九分九厘、ヴァン神族の生き残りを掃討する為に死者の兵が送られておるだろう。わしらは間近でそれを見、直接戦うかも知れんという訳だ」
又兵衛が狩りへと出向く獅子を思わせる獰猛な表情で言った。無言で頷いた重成は平静な表情であるが、その目には又兵衛にも劣らぬ獰猛な光が宿っていた。
無論、ヴァン神族の生き残りを救いたいという言葉に偽りはない。だがそれ以上に、ムスペルとの戦いに巻き込まれない間近な距離で死者の軍勢をこの目で見たかったのである。
不吉な予感は時が経つにつれ強くなっている。だがそれと共にかつてない雄敵と槍を交えることが出来るという震えるような喜びもあった。
(我ながら救いがたい・・・・)
その秀麗な顔に苦笑を浮かべながら重成は青馬を走らせた。
「ムスペル共は残らずあの軍団を追っていったか・・・・」
クヴァシルがムスペルの血に染まった槍でその身を支えながら言った。その煌びやかな甲冑は返り血がこびりつき、煤にまみれて最早見る影もない。
体のあちこちに火傷を負い、髪はちぢれて無残というしかない姿である。
だがそれでもクヴァシルはヴァン神族の生き残りの中にあって最も傷が浅いと言って良いだろう。
ヴァン神族はその数を百名近くまでに減らしており、生き残った者も全員酷い火傷を負っていた。
「あの得体の知れぬ死者の騎馬軍団に救われた形になったか・・・・」
無論、あのおぞましい死者の軍団がヴァナヘイムを救いに来た友軍であるはずがなく、ムスペルとは別の侵略者であることは疑いようもない。
だが彼らの来襲によってヴァン神族の軍勢の敗亡が免れたのは紛れも無い事実である。
「ムスペルと死者共はお互い潰し合ってその数を減らすだろう。我らは今の内に体制を整えて、もう一度戦いに臨まねばならぬ。あのような醜悪な者共にこのヴァナヘイムをこれ以上蹂躙されてなるものか・・・・」
クヴァシルが不屈の闘志をたぎらせて生き残った同胞と破壊を免れたゴーレム兵の数を確認しようとした。その時である。
再び、馬蹄の音が鳴り響いた。おぞましい瘴気と明確な殺意を露わにしながらこちらに向かって真直ぐ進軍してくるようである。
「く・・・・。やはり我らを見逃すはずは無かったか・・・・。皆、死者共が来るぞ、迎え撃て!」
クヴァシルは火傷でひきつる腕で再び槍を構えながら叫んだ。だが、他のヴァン神族の神は絶望と諦めの暗い翳でその顔貌を覆い尽くし、その場にへたり込んだ。
迎え撃とうにも最早神気を使い尽くし、ルーン魔術を発動することもゴーレム兵を動かすこともできそうにない。
彼らには逃れ術も抵抗する手段も残されてはおらず、残されているのは降伏か死のみであった。
「ぬう、だが私は降伏はせぬぞ。汚らわしい死者共に降伏などしてたまるものか。このヴァン神族最高の勇者クヴァシルの最後の武勇を見せつけてくれる!」
クヴァシルの怒号と同時に弓弦の響きと馬蹄の轟が沸き起こった。
矢の雨を浴びてヴァン神族の同胞達がその神聖な血を宙空に振りまきながら地に倒れていく。クヴァシルは槍を振るって矢を払いながら、新たなる敵軍の威容に目を奪われた。
「赤に統一された軍団だと・・・・?」
敵が死者であることは間違いない。だが先にムスペルに攻撃を仕掛けた軍団は野蛮で粗野な獣皮の鎧であったが、今眼の前にいる軍団が纏っているのは鉄の小片と鎖帷子で構成された巧緻な芸術品のような造りの甲冑で、ムスペルの炎よりも鮮やかな朱色で塗装されていた。
しかもその放たれる武威は先程の軍団の獣じみた荒々しいものとは全く別であり、燃え盛る炎のような激しさと同時に研ぎ澄まされた氷の剣のような冷厳な鋭さが秘められているようであった。
彫像のように不動のゴーレムをかいくぐって真紅の死者の騎兵部隊が突入し、抵抗する力も無いヴァン神族を次々と槍先にかける。
クヴァシルはその長い腕を突き出して槍で死者の顔面を突く。頭蓋骨を粉砕された死者は地上に転げ落ちた。
返す一撃で二人目を鞍上からなぎ払う。
「ヴァン神族は堕落した軟弱な者ばかりとロキ殿から聞かされていたが・・・・。なかなかどうして剛の者もいるようだ」
戦場にそぐわぬ穏やかな、それでいて気韻に満ちた声がヴァン神族最高の勇者の耳に響いた。
声の主は骨だけとなった、あるいは腐肉を纏った他の死者とは違い、その外見は損なわれておらず、一見すると生者のようなみずみずしい肉体を有していた。
だが放たれる瘴気は紛れもなく死者のものであり、その威容から察するにこの軍団を率いる将なのだろう。
黄金の鹿の角と六つの円が施された兜をかぶり、十文字の槍を構えたその姿は寸毫の隙も無い。
死者の将でありながら、神将かと思えるほどの神秘的にして清冽な武威を静かに、確かに湛えていた。
「貴様が死者共を率いる将だな・・・・。貴様だけはこの手で討つ!」
クヴァシルの槍の穂先が最後の輝きを発し、覆っていた返り血を消滅させて流星のように死者の将の首筋に向かう。
だが死者の将の十文字槍の穂先が弾き返した。
「むう!」
クヴァシルが驚愕と無念の声を上げる。残された力を込めた渾身の一撃がこうもあっさりと防がれるとは思いもよらなかった。
死者の瘴気は我が神気と互角に渡り合える域にはないはずである。だが極限までの脱力と深奥なる武の才によって恐るべき威力を発して我が一撃を防いだらしい。
死者の将の槍の穂先が無数の閃光を描いてクヴァシルに降りかかる。
かろうじて十合撃ち合ったクヴァシルだったが、それが限界だった。やはり火傷でひきつる腕と神気の消耗によって充分な技量が発揮できなかったのである。
(死者の分際で恐るべき武勇の持ち主よ。出来れば、万全の状態で槍を交えたかった・・・・)
十文字槍に胸板を貫かれながらクヴァシルはそう思った。槍の穂先から漆黒の瘴気が放射されて猛毒のように全身を蝕む。永劫に近い時を生き、またこれからも生きるはずの高位神の聖なる肉体と魂を確実に壊死させていった。
「・・・・」
クヴァシルは最後に己を討ち取った将を凝視した。邪神の暗黒の意志によって蘇った己の意志など持たぬ亡者であるはずだが、その青白い顔貌には傷つき弱った者を討たねばならぬ恥辱と憤り、そして失われゆく勇者に対する敬意が確かに浮かんでいた。
クヴァシルの魂はささやかなる満足と安らぎを得ながら消滅した。




