第四十六話 ヴァン神族の王
大広間には円柱が並んでいた。全部で三十六本あるだろう。いずれにも聖獣の彫刻が施されている。
そしてヴァン神族の神々も居並んでいるが、彼らのアース神族を見る目にはやはり歓迎や好意の色は一欠けらも存在しないようである。
そこにあるのは彼らの安寧と享楽の日々を脅かす侵入者への敵意、憎悪、軽蔑といった負の情念のみであった。
だがそれだけの敵意を向けられても、エインフェリアとワルキューレは微塵も気後れを見せなかった。
居並ぶヴァン神族の顔貌は若々しく、また神格も高いようであるが、溌剌とした生命力や覇気といったものがまるで感じられなかったからである。
かえって死を目前にした老人や病人が虚勢を張っているかのような痛々しさが見られ、むしろ哀れみすら感じた。
(神々と言えど永遠に近い日々を怠惰に過ごせば、こうまで堕落するものなのか・・・・)
重成は失望と怒りを抱きながらも表情には出さず、玉座に座した神王に視線を向けた。
ヴァン神族の王、ニョルズはだらしなく頬杖を突きながら気怠そうな表情を浮かべ、来訪者達を見ようとさえしなかった。
流石にフレイヤの父だけあってその眉目は完璧に整い、芸術的なまでの美貌である。神格もヴィーザルに匹敵、あるいはより高いのかも知れないが、威厳や圧力はほとんど感じなかった。
「父上・・・・」
「フレイヤ、ヘーニルよ。何故そのような者共を連れて来たのだ。忌まわしいアース神族を、しかもその中でも取るに足りん下等な連中を」
「何!」
ローランが憤激の声を上げたが、エドワードと姜維が慌てて抑えた。
「この者達は我が領土と民を救った恩人なのです。それ故・・・・」
「アルフヘイムとエルフはお前の管轄であろう。それが救われたからと言って、余が礼を言わねばならぬ筋合いはない」
「・・・・」
取り付く島もないといった様子である。愛する娘であるフレイヤの言う事ならば、あるいはという考えが完全に甘かったことを思い知らされた。
王であるニョルズのアース神族への嫌悪と侮蔑は想像以上に根深いらしい。
「お前たちの要求は分かっている。人質であるヘーニルを返せというのであろう。だがそれをして我らに何の得がある?何か見返りがあるのか?]
「見返り・・・・」
こうまで露骨に要求されるとは思っていなかったブリュンヒルデは言葉を失った。
「まさかエルフを救った報酬になどと言うまいな。とてもではないが釣り合わぬぞ。先のラグナロクで壊滅的な打撃を受けたアース神族に我らが満足する報酬を払うことなど出来まい。よってヘーニルを返すなど論外だ」
そう言ってニョルズは玉座から腰を上げた。
「話は終わりだ。娘に免じてお前たちの侵入の罪は問わぬことにしてやろう。今すぐ立ち去れ。そして二度とヴァナヘイムに近づくな」
「待ってください!それならば、ヘーニル様の代わりにこの私を人質に・・・・」
「はっ、愚かなことを言うな、ワルキューレ如きが」
決死の覚悟で言ったブリュンヒルデだったが、ニョルズは一笑に付し、蔑みと哀れみが入り混じった表情を浮かべた。
「お前のような下級神がヘーニルの代わりになどなれる訳がなかろう。身の程を弁えよ」
「・・・・」
ブリュンヒルデは言葉なく俯いた。自分でも言っていることに無理があるのは承知しているのだろう。だが、ここで引く訳にはいかないのである。
「先程から思っていたが、貴殿の言う事はいささか筋が通っておらぬのではないかな、ヴァン神族の王よ」
今川義元が神王にいささかも遠慮することなく、常日頃と変わらぬ傲岸不遜にして余裕の態度で言った。
「・・・・どういうことだ?」
「聞くところによれば、アース神族と貴殿らヴァン神族の人質交換の際、お互いに二柱の神を差し出したのであったな。そちらはフレイとフレイヤ、こちら側はヘーニルとミーミル。だが貴殿らはミーミルを殺害し、フレイヤを断りも無く連れ戻したと言うではないか」
「・・・・」
「その後にこちらはラグナロクでフレイを死なせてしまった。それでミーミルのことは帳消しにできよう。だがフレイヤを帰したことについてはどうする?この明らかな盟約違反にヴァン神族は何ら釈明しておらぬらしいな。この件について責任を取る為にはヘーニルを戻すしかなかろう。それが王として通すべき筋というものではないかな?」
「ふん、たかがエインフェリア如きに王としての姿勢を説かれるとはな」
ニョルズは再び玉座に腰を下ろしながら苦笑を浮かべた。
「貴様も以前は一国の王であったらしいな。ならば分かるであろう。盟約、信義、そのようなものは力が均衡している上でしか成り立たぬとな」
「・・・・」
「確かに我らはアース神族との盟約に背いた。それは認めよう。だが貴様らに我らを罰する力があるのか?先のラグナロクでオーディンもトールも死に、その上またもラグナロクを戦おうとしているアース神族に我らまで敵に回す覚悟はあるのか」
ニョルズの周りにいる他の神々が悪意に満ちた嘲笑を浮かべながら王に追随するように頷いた。
「・・・・何故そこまでヘーニルにこだわる?ヴァナヘイムには既に強力な結界を張っており、いかなる戦にも関わる気はないのだろう。見ればヘーニルは猛々しい気性と優れた武勇を持っておる様子。ここに置いておく必要はあるまいに」
「確かにヘーニルの結界を張る能力そのものは我らに比べれば大したことはない。だが、あの者は我らにない特殊な能力を持っておる。それ故あの者は必要なのだ」
「特殊な能力とは・・・・?」
「千里眼」
それまで無言を貫いていたヘーニルが進み出て言った。
「俺の目は結界の中であればどのような些細な事であっても決して見逃すことは無い。故にアースガルドでもこのヴァナヘイムでも重宝されたのだ」
ヘーニルは真直ぐ射貫くような目でニョルズを見据えた。
「ニョルズ殿、俺は・・・・」
「戦を潜り抜けたワルキューレとエインフェリアの匂いを嗅いで久方ぶりに気が昂ったか、ヘーニル。だが、断じてお前を帰すことは許さん」
ヘーニルの燃え盛る炎のような烈気に対してニョルズはあくまで冷ややかだった。
「またもラグナロクが始まったのだ。良からぬ企みを抱いてヴァナヘイムに近づく者共がこ奴ら以外にもきっと出てこよう。無論、結界を通れるはずがないが、万が一ということがある。このヴァナヘイムの永遠の安寧の為に、完全無欠の防御陣を敷かねばならん。ヘーニル、お前は防御陣の要なのだ」
「・・・・」
歯噛みをしていたヘーニルだったが、その濃い茶色の瞳が突如銀色の光を帯びた。
「何者かが結界を通り抜けたぞ!」
ヘーニルの言葉に先程まで余裕の嘲笑を浮かべていたヴァン神族の間にどよめきが起こった。
「馬鹿な、結界には何の反応も起きなかったぞ」
「では、先程のフレイヤの時と同様、ヴァン神族の神であるが故に結界を無事通り抜けたということか・・・・?」
「いや、ヴァン神族の者は全員欠けることなくこの場に揃っている。ヴァン神族であるはずがない」
「では、一体何者が・・・・?」
ヴァン神族の神の動揺する様子を見て、重成の脳裏に女神の姿が浮かび上がった。半身に火傷を負い、狂気に支配された女神の姿が。
(まさか・・・・)
「ふん、だから言ったであろう。このような不測の事態が起きる故、ヘーニルは絶対に必要なのだ。侵入者の数は?」
ニョルズが冷ややかで尊大な態度をかなぐり捨て、怒気と危機感を露わにしながらヘーニルに問うた。




