第四十五話 クヴァシルとヘーニル
「クヴァシル・・・・。そこをどいてくれ、頼む」
「フレイヤ、貴方はこのままニョルズ様の元まで行くがよい。だがワルキューレとエインフェリアの処置は私にまかせてもらうぞ」
媚びを含んだフレイヤの嘆願をはねつけるようにクヴァシル神は言い、殺意に満ちた視線を招かれざる客たちに送った。
「・・・・」
だが重成は臆することなく神将の殺意を受け止め、その実力を値踏みした。
猛々しい神気と闘志を放っているが、到底かの狂気の女神グルヴェイグに及ばないのが見て取れた。そして、派手な装飾が施された槍を構えるその姿である。
「なっとらんな」
又兵衛が呟き、重成も頷く。
推測するに、クヴァシルという神将は日々怠惰に過ごして槍の鍛錬を怠り、甲冑を纏うのも久方ぶりなのだろう。全く隙だらけであり、優れた武人のみが放つ圧力というものが感じられなかった。
(討ち取ることは可能か・・・・)
驕りや慢心とは無縁の重成だが、そう結論付けた。グルヴェイグとの戦いを経て己の神格が上がり、力が増しているのを感じるのである。無論ヴァナヘイムにやって来たのはヴァン神族への人質を取り返すのが目的なのだから、彼らと戦う訳にはいかない。
だが神将があくまで槍を向けるというのならば、話は別である。
「今何と言った、エインフェリア」
又兵衛の呟きを聞き逃さなかったクヴァシルが居丈高に言った。
己の鍛錬不足は弁えているのだろう。それだけに図星を刺されたことがたまらなく腹立たしかったに違いない。
「神ですらない下等な存在がこのクヴァシルを愚弄するのか?」
「もう止めよクヴァシル。我が恩人たちに手出しすることは許さん。それに・・・・」
フレイヤはそこで言葉を切り、クヴァシルを小馬鹿にしたようなあでやかな笑みを浮かべた。
「この者達はただのエインフェリア、ワルキューレとは訳が違う。あのグルヴェイグと渡り合い、ついには討ち取った剛の者よ。見掛け倒しのお前では手に余るだろう」
「・・・・!!お前までこの私を愚弄するのか!さては、アース神族に鞍替えしたな、この裏切り者めが」
憤激で顔貌を蒼白にしたクヴァシルが甲高い声で叫んだ。
「もう容赦はせぬぞゴーレムよ、この者共を叩き潰・・・・」
「そこまでだ、クヴァシルよ」
張り詰めた空気を切り裂く烈々たる声が響き、二柱の神も、そしてエインフェリアとワルキューレも鞭で打たれたかのようにその動きを止めた。
もう一人の神将が空より舞い降り、彼らの間を割って入った。兜をかぶらずに短く刈り込んだ茶褐色の髪をむき出しにし、無駄な装飾を排した銀の甲冑を纏っている。そしてその手には驚くほど長大な弓が握られていた。
「ヘーニル!」
フレイヤとクヴァシルが同時にその名を呼んだ。
「成程、この方が・・・・」
重成は今回の任務の目的であるアース神族の姿を観察した。
その一分の隙も無い姿から、彼がクヴァシルなどと違って武の鍛錬を欠かしたことがないのが容易に見て取れた。
そして何よりも、その極限まで研磨された刃のような気配である。彼が人質として悠久の長い時を一時も気が休まることなく過ごしたことが察せられ、重成は畏敬の念を抱くと同時に心から同情した。
「血迷うな、クヴァシル。フレイヤはヴァン神族の王の愛娘だぞ。彼女を傷つければ、ニョルズ殿は貴殿を決して許さぬであろう。想像を絶する責め苦を負わされることになるぞ。その覚悟はあるのか?」
「・・・・ちっ」
ヘーニルを睨み付けていたクヴァシルであったが、顔を背けて舌打ちした。
傲岸な態度であるが、よく見ればその顔に冷や汗が浮かんでいるようである。
冷静になり、ヴァン神族の王の怒りと仕打ちを思い浮かべたのだろう。
「アース神族の者達か・・・・。もう二度と会う事はあるまいと思っていたのだがな」
ヘーニルは浅黒い精悍な顔に万感の思いを浮かべながらワルキューレとエインフェリアを見つめた。
「ヘーニル様、私たちは・・・・」
「お前たちがヴァナヘイムを来訪した理由はおおよそ察しが付く」
ブリュンヒルデの言葉をさえぎってヘーニルが言った。
「そのことについて俺からは何も言えん。ニョルズ殿が認めるとは到底思えんが・・・・。まあ、とりあえずニョルズ殿に会って話すだけ話してみるがいい」
「こ奴らをニョルズ様の元に連れて行く気か!そんなことが許されると思うのか!」
「クヴァシルよ、この者達はフレイヤが治めるアルフヘイムのエルフ達を救ったのだ。エルフとてヴァン神族に連なる者。ならば王として、また一人の父として恩人に会うのが筋というものだろう」
ヘーニルはクヴァシルを諄々と説くように言った。
「全ての責は俺が負う。どうか通していただきたい」
「ふん、これ程まで永い時を我らと共に過ごしていながら、やはりヴァン神族よりもアース神族を選ぶのか。恩知らずめが」
クヴァシルが憎悪と蔑みをこめながら言った。その手に持つ槍が怒りで震えているが、ヘーニルに向けないのは武勇の差を弁えているからだろう。
「これだけは言っておく。そ奴らは必ずヴァン神族に災いをもたらすだろう。そうなればヘーニル、フレイヤ、お前たちも同罪だ。その時はこの私が直々に裁きを与えてやる。覚えておけ」
憎々し気に言い捨て、クヴァシルは姿を消した。ゴーレム達も整然と去って行く。
「やれやれ、我が同胞ながら嫌な男よ。あの男だけはどうにも好きになれぬ・・・・」
「まあ、そう言うな。このヴァナヘイムを守りたいという一途な思い故なのだろう」
ため息をつくフレイヤにヘーニルは白い歯を見せながら言った。いかにも武人らしいさっぱりとした気性らしく、ヴァルハラからの来訪者達は皆好意を持った。
「ともかく、ニョルズ殿の元に案内しよう。先程も言ったが、お前たちの目的が達せられる可能性は低い。そのことは覚悟しておいてくれ」
「承知している。だが、この私が何としても父を説き伏せてみせよう」
ヘーニルとフレイヤが身を寄せ合って歩き出した。いかにも親し気な態度で、二人が男女の仲であることは明白である。と言ってもフレイヤにとっては数多くいる愛人の一人に過ぎないのかも知れないが。
二柱の神について歩くエインフェリアとワルキューレはヴァナクヴィースル宮殿内の目もくらむ豪華な装飾に圧倒された。
天上も廊下も黄金が施されており、長い回廊からは庭園が望まれ、色とりどりの花々が咲き乱れ、華麗な装飾が施された噴水が見える。
また回廊にも天井にも絵画と彫刻が数多く設置されていた。無駄な装飾が一切排されたヴァルハラとはまさに正反対である。
やはりアース神族とヴァン神族は気質と価値観が全く違うのだろう。
(見事な造りだが、あまり好きにはなれないな・・・・)
興から冷めた重成は思った。この宮殿からは太平を謳歌しているというような陽性な心和ませる空気ではなく、外界から逃れて閉じこもり、ただ虚飾と怠惰と逸楽に日々を過ごすことによって醸し出される澱んだ腐臭が嗅ぎ取られたからである。
「さあ、ここが謁見の間だ」
ヘーニルが言うと過剰なまでの装飾が施された黄金の扉が音を立てながら開いた。




