第四十一話 ミョルニルの槌
「む・・・・ぐ・・・・」
重成は意識を取り戻した。だが全身の骨が砕けているらしく、もはや戦うどころか、撤退することも出来そうにない。
(皆、生きているのか・・・・)
感覚を研ぎ澄ませて他の四人の様子を探る。微弱ながら生命と神気を確かに感じた。
ブリュンヒルデも又兵衛、ローラン、エドワードも意識を失っているが、かろうじて生きているらしい。
「重成・・・・」
ブリュンヒルデが意識を取り戻したらしく、かすかな声で重成を呼んだ。
その深く青い瞳には重成の生存に対する安堵、敗北の無念、そして間もなく訪れる死に対する悲しみが等しく彩られていた。
「ふん、五人ともかろうじて生きておるか。大したしぶとさよの。褒めてやる」
グルヴェイグがその二つの顔貌に冷ややかな笑みを浮かべながら言った。
「だが苦しかろう。すぐに楽にしてやる。全く、我ながら慈悲深いこと。感謝せよ人形ども」
グルヴェイグが鞭を握りしめながら、横たわる五人の侵入者の位置を確認した。一振りで終わらせるつもりなのだろう。
「待って、ください・・・・!」
ブリュンヒルデが残る力を振り絞ってその顔をグルヴェイグに向け、必死の声を上げた。
「何だ、今さら命乞いか?そんなことが通じると思うのか、愚かな人形めが」
「いえ、私の命はさしあげましょう。ですが、この者達は、この四人のエインフェリアは私に選ばれ、私の命令で心ならず貴方に剣を向けたのです。何卒、この四人は見逃して下さい。お願いです・・・・」
「ふむ」
グルヴェイグは頷き、ブリュンヒルデの言葉を吟味するような表情を浮かべた。
「成程、エインフェリアとはアース神族に造られた人形である戦乙女ワルキューレに操られるさらに下等な人形に過ぎぬ身。わざわざ壊す程の価値はないやも知れぬ。それに人形でありながらなかなかに腕が立つ。よろしい、ワルキューレに代わってこのグルヴェイグが使ってやろう」
「駄目だ、駄目だブリュンヒルデ・・・・」
重成が必死の声を上げた。敵に降伏し、さらにその奴隷になるなど、武士としての矜持が許さない。迷わず死ぬべきである。だがそれ以上に、己を犠牲にしてエインフェリアの命乞いをするブリュンヒルデに対して、様々な感情が交錯した。
彼女を守ると己に誓ったにも関わらず、それを果たせなかった無念。勝手に命乞いなどして武士の誇りを汚すなという憤り。そして何よりも自己犠牲を申し出た彼女の気高い行為に対する感動。
かつて経験したことの無い複雑な感情の高まりが、重成の体内に異変を呼び起こした。
(これは・・・・)
かつてメギンギョルズの帯を締めた時に流れ込み、己のものになった雷神トールの雷を帯びた神気である。
このようなものは不要と封印していたのだが、己と仲間の生命の危機に感応して目覚めたのだろうか、抑えきれない程高まっていた。
己の修練によらず身に着けた力になど頼りたくはないという気持ちはこの期に及んでもまだ確かにあった。
己一人ならば最後まで使わずにいただろう。だがあの洞窟の時同様、ブリュンヒルデの、仲間たちの命がかかっているのである。
重成はこの力に最後の希望を託し、右手の掌をゆっくりとグルヴェイグに向けた。その掌から青白い雷光がほとばしった。
「な・・・・!!」
余裕の表情を浮かべていたグルヴェイグの二つの顔貌が驚愕に凍り付いた。
全身の骨が砕かれ、身動きが出来ないはずの、しかもルーン魔術を使わずに剣のみで戦っていたエインフェリアが強力な雷を放ったのである。
あまりに意外な事態にグルヴェイグは魔法を防ぐ障壁を作ることを怠った。
巨大な槍と化した雷光が女神の体を確かに貫き、豪音が鳴り響いた。
「・・・・」
ブリュンヒルデが血に汚れた繊細な顔貌に呆然とした表情を浮かべた。重成はルーン魔術を習得していないはずである。にもかかわらず、この凄まじい雷撃はどういうことなのか。明らかにエインフェリアが持つ力を超えている。
だが今はそのことを重成に問いただす時ではない。息をのんで黒煙に包まれた狂気の女神の様子を窺った。
「ぐ・・・・。エインフェリア如きが、よくも・・・・!」
怒りに震える女神の声が重成とブリュンヒルデの希望を打ち砕いた。
女神の本来無傷であった美しい右半面が火傷を負っていた。だがオーディンに焼かれたほどの傷は負っていない。そしてその左半身には新たな火傷は負っていなかった。あれ程の強力な雷をもってしても、オーディンの呪いを砕くことは出来なかったのである。
「我が配下に加えてやろうと思ったのだがな。気が変わったぞ。貴様らが想像すらしたことのない苦痛を与えてなぶり殺しにしてやるぞ・・・・」
女神の神気が陰惨な禍々しい地獄の業火のように燃え滾るのを感じ、重成は覚悟を決めた。
こうなっては最後の雷を用いてブリュンヒルデ、又兵衛、ローラン、エドワードを殺し、そして自害しよう。そう考えた時である。突如強大な神気を帯びた念話が重成に届いた。
(ブリュンヒルデに選ばれたエインフェリアよ。確か重成であったな。我らが父トールの力の断片を感じたぞ)
(ミョルニルの槌、メギンギョルズの帯、ヤールングレイプルの籠手を通じて、確かに懐かしい我らが父の力を感じたのだ)
この雄壮な気に満ちた猛々しい二つの声は確かに聞き覚えがあった。雷神トールの遺児である双子神、マグ二とモージに違いなかった。
(エインフェリアが我らが父の力の一部を継承していたとは・・・・。そしてお前は今、強大な敵と戦っているようだな。おそらくは神の一柱なのだろう。我が父の力を用いても勝つ事は叶うまい)
(お前を死なせる訳にはいかん。我らが力を貸そう。ミョルニルの槌をそこに送る。お前がミョルニルの槌を用いて悪神を倒すのだ)
(私がミョルニルの槌を・・・・?)
かつて幾百幾千もの巨人を撃ち殺し、アース神族にとって最悪の災いであったかの醜悪なる大蛇ヨルムンガンドをも屠った最大最強の神器。それを双子神がここに送るという。
(私などに雷神トールの最強の神器を使いこなすことが出来るのか・・・・?)
(お前ひとりでは無理だろう。だが、お前の側には戦乙女ワルキューレがいるではないか)
はっとして重成はブリュンヒルデを見た。彼女はその双眸に底の知れない光を湛えながら重成の視線に応えた。
(ブリュンヒルデはただの戦乙女ではない。お前の神気を増幅させ、ミョルニルの槌の力を振るえることを可能にするであろう)
(さあ行くぞ、重成、ブリュンヒルデよ。二人で力を合わせ我らのミョルニルの槌を受け取るのだ。そして悪しき神を滅ぼせ)
重成ははっきりと感じた。ヴァルハラでマグ二、モージが渾身の力でミョルニルの槌を投擲したことを。そして凄まじい破壊の力を秘めた槌が恐ろしい速さで次元を超え、まさに今ここにやって来るのを。そしてその力に呼応し、我が体内を駆け巡る雷神トールの神気が高まっていることを。
「重成・・・・!!」
ブリュンヒルデが傷ついた体を引きずり、その血に塗れた繊手を伸ばした。
「ブリュンヒルデ・・・・」
重成もそれに応えて右手を伸ばす。二人の指が絡み合ったその時、重成の神気と雷神トールの雷を帯びた神気が爆発的に高まった。そこにグルヴェイグの宮殿の天井を貫く凄まじい轟雷が落ちた。
「これは・・・・?」
狂気に侵された女神、グルヴェイグは我が目を疑った。エインフェリアとワルキューレの雷を帯びた神気が猛々しい戦神の姿をはっきりと描き出していた。そしてその右手には金色に耀き、電光を放つ柄の短い槌がしっかりと握られている。
「雷神トール・・・・?馬鹿な、何故・・・・」
トールらしきオーラは無論、その問いかけには応じない。応える代わりにその右手を振るい、グルヴェイグめがけてミョルニルの槌を投擲した。
槌は巨大な光の矢となってグルヴェイグに直撃し、天地を砕くような放電エネルギーがさく裂した。電光が百万の黄金の蛇となって宮殿内に乱舞し、鼓膜を破裂させるような轟音が鳴り響いた。
グルヴェイグは右半身が瞬く間に消滅し、オーディンの呪いがかかった左半身も神雷によって砕かれていくのを感じた。女神に去来したのは敗北の無念や死への恐怖ではなく、ようやく呪いから解放されるという喜びであった。
だが、
「まだ死んでもらっては困る・・・・」
と言う声が確かに聞こえ、絶望に心を凍らせながら意識を失った。




