第三十六話 追撃
「義元さんがデックアールヴの長をやっつけたみたいだね。やっぱり強いなー。あの人」
エイルが隣で笛を吹き終えた敦盛に語り掛けた。後世では貴族趣味に溺れた文弱な人という謂れの無い汚名を着せられた今川義元であるが、無論そのような人物だったならばエインフェリアに選ばれるはずがない。
様々な不運が重なって桶狭間にて討たれる時も凄まじい武勇を発揮して織田の将兵の心肝を寒からしめた末、壮絶な死を遂げたのである。
「そうだね・・・・」
敦盛は微笑を浮かべながら答えたが、彼もまた勝利を喜ぶ色が無かった。この神聖な森の清浄な空気と一つになり、この上なく清らかな美しい音色を奏でられたというのに、それを殺戮の為の武器としなければならなかったのである。
敦盛の胸中はやるせない悲しみで満たされた。
「ごめんね、敦盛くん」
敦盛の思いを察したエイルが今にも泣きそうな表情で言った。
「敦盛くんの素敵な笛の音を戦の武器にするなんて本当は嫌だよね。でも・・・・」
「いや、いいんだエイル」
何故この娘はこうも明敏に自分の心を察してくれるのだろうと驚きながら、敦盛は優しく答えた。
「仲間を、エルフの人たちを守る為だから。僕だけ手を汚さずにいられるはずがないしね。非力な僕でも戦に役立てて嬉しいよ」
己の笛の業は仲間や神々の心を癒し、喜ばせるだけにあるのではない。これからも魔の者との戦が続く以上、武器としなければならない時はあるのだろう。
もっと心を強くしなければ、と敦盛は思った。
どのような時、どのような用途、どのような相手であれ、常に動揺せず、美しく、力強く、正確でより清らかな音が奏でられるように。
「デックアールヴの長が死んだ。奴ら逃げていくぞ」
エルフ達が歓声を上げた。今まで彼らの侵略に一方的に苦しめられるのみであったが、この時初めて勝利を得たのである。しかも一人の犠牲者も出さずに。
涙を流し、互いに抱きしめ合って喜ぶのも当然と言えるだろう。
「喜ぶのはまだ早かろう。追撃の下知をせよ。奴らは一人たりとも逃してはならん」
姜維がエルフの長に告げた。此度の戦の策を立てたのはこの白い頭巾を被った老将である。
長は一人の犠牲者も出さずに勝利に導いた彼に深く感謝し、また畏敬の念を抱いていたが、この言葉には首を縦に振らなかった。
「だが、奴らは最早戦う意思はないだろう。そのような者にさらなる攻撃を加えるというのは・・・・」
「何を言っておる。奴らが逃げ帰れば、今頃グルヴェイグとやらと戦っている重成達が窮地に陥るではないか」
「・・・・」
「それに、奴らは時が経てばまたここに攻め込んで来よう。その時は拙者らはここにおらぬ。そうなってはお主たちに勝ち目は無いぞ。今日この時を逃さず奴らを殲滅しなければならぬのだ」
こうまで言われてもなおエルフの長は抗った。
「許していただきたい。我らには無理だ。戦う意思を失い、逃げる者に矢を放つような野蛮で惨い行いは・・・・」
「長よ、よく聞くがよい」
姜維はしゃがれた声に有無を言わせぬ口調で言い、長の小さな肩を掴んだ。
「お主たちエルフが我ら人間やデックアールヴと違って争いや殺戮を拒否する天性を持って生まれたことはよく分かる。生きとし生ける者にとって、己の持つ性に逆らう事ほどつらいことはあるまいよ」
「・・・・」
エルフの長はまばたきを忘れ、姜維の老顔を見つめた。
「だがのう。生ける者は必ず生き残る為にあえて己の持った天性に逆らわねばならぬ時がやって来るものなのだ。お主たちエルフ族にとって今がまさにその時なのだろう」
「・・・・」
「拙者はお主たちエルフには生きて欲しい。それと同時にわが同胞を何としても守らねばならぬ。拙者はかつて地上において多くの敗北を重ね、惨めな生を送った身よ。いや、それはあの若い者達も同様であろうな。だからこそ、何としても彼らに勝ち戦を得させてやりたいのだ。頼む」
それまでは誰よりも寡黙で冷静だったはずの老将の必死の懇願を聞き、長もかつてない感情の高ぶりを覚えた。
長は外見こそは子供のように見えるが、目の前の老人の四倍の時を生きている。
だが、神聖な森のみで過ごしたその年月は眼の前の人物に比べれば遥かに安寧で恵まれたものだったと思い知らされた。
老将の皺深い顔に刻まれた苦悩の色はどれ程の戦を戦い、どれ程の敗北を重ね、どれ程の同胞を失った末得られたものなのだろうか。長は想像も出来ない。
ただ分かることは、この老人の振り絞るような懇願を断ることなど到底許されないということだった。
「・・・・分かった。我らエルフはともかくとして、貴殿や貴殿の仲間を危険にさらす訳にはいかぬからな。ただ、追撃はするがなるべく殺傷せず捕らえるようにしたい。それは許していただきたい」
「うむ、それでよい。心より感謝致す」
そう言って姜維は微笑した。とりあえずの勝利を得たことに対する安堵と、エルフという種族に対する深い愛情が込められているようであった。
エルフ達にデックアールヴを追撃せよとの命が下った。散々自分たちを苦しめた敵にとどめをさせるのだからと人間ならば喜び勇んで命に従うだろう。
だが、エルフ達は違った。不服というよりも、何故逃げる敵を追い討たねばならないのか、理解に苦しむといった様子であった。
だが、生け捕りでよい、恩人であるエインフェリア達を守る為であると長に厳しく念を押された為、やむなく従った。
敦盛が再び笛の音を奏でると、必死にに逃げるデックアールヴ達の動きが鈍る。そこにエルフ達が卓越した弓の技を見せ、デックアールヴ達の膝や大腿部を正確に射貫いた。
義元と姜維も、エルフ達を思ってデックアールヴをあえてこれ以上は斬り捨てず、生け捕りにとどめておいた。
「こ奴らの目・・・・。憎悪と殺意で凝り固まっておるな。我らやエルフ達との妥協はあり得ぬか」
「当然だ。さっさと殺すがよい」
フレイヤがあらかじめ造っておいた牢獄に閉じ込められたデックアールヴが凄まじい目つきで義元を睨みながら吠えるように言った。
「生憎だが、それは出来ぬ。エルフ達は無抵抗の者を殺傷することは絶対に出来ぬらしい。汝らにとってはかえって死よりも辛かろうがな」
義元がデックアールヴを哀れみとも揶揄とも判別出来ない態度で応じた。
「まあ、汝らの処遇は後で考えよう。重成達が首尾よくグルヴェイグを討ち取り、フレイヤが帰った後に、な・・・・」
「グルヴェイグ様を討ち取るだと?」
すると先程まで打ちひしがれ、あるいは殺意と憎悪でたぎっていたデックアールヴ達の様子が一変した。
嘲るように哄笑し、あるいはあきれ顔を浮かべ、あるいは信じられぬといった様子で頭を振った。
「貴様ら、正気か?グルヴェイグ様を討つなどと、本気で考えているのか」
「・・・・」
「貴様らエインフェリアとやらは神でもなんでもない卑小な存在に過ぎぬだろう。それが強大な力を持つ古き神であるグルヴェイグ様に敵う道理などあるはずがなかろう。我らを捕らえた小賢しい策など通じるはずもない。次元そのものが違うのだ・・・・」
「・・・・やはり拙者らもスヴァルトアールヴヘイムとやらに向かおう」
姜維が決然と言った。
「この者どもが乗って来た船を使わせてもらおう。確か、持ち主にしか動かせんのだったな。この中から一人出して、その者に操縦させよう。皆、それでよいな?」
敦盛、エイル、義元、ラクシュミーは力強く頷いた。




