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神界三国志 ラグナロクセカンド   作者: 頼 達矢
第二章  愛の女神と狂気の女神
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第二十二話     青葉の笛

戦を終えたエインフェリア軍がヴァルハラの宮殿に帰り着いた。

オーク兵が数百体破壊されてしまったものの、エインフェリアには戦死者が出なかった。

初陣でありながら完全勝利と言っていいだろう。だが彼らの表情に喜びの色は無い。

此度の戦で卓越した働きを見せ、軍の中心となった北畠顕家、木村重成ら十人の勇者達の尋常ならざる様子を見て、他のエインフェリアも邪神ロキの奸計を予感したのである。だが、


「我が勇者達よ。素晴らしい戦いぶりであった。見事な初陣を飾ったな」


ヴィーザルの力強い威厳に満ちた念話が届き、笑顔を浮かべる戦乙女達に迎えられ、宴の間に通されて彼らの表情が緩んだ。

とりあえず今は不吉な予感は振り払って初陣の勝利を祝い、大いに酒を飲んで騒いで戦の疲れを癒そうと勇者達は思った。


「貴方は他の戦乙女とは違って酌などしないんじゃなかったのか?」


強張った表情で、不器用に杯に酒を注ぐブリュンヒルデに重成がやや意地悪げに問うた。

問いつつ、ヴィーザルに命じらて仕方なくかな、と思った。


「何故でしょう。勝利を得たにも関わらず苦しそうな貴方達の顔を見ていると、こうせずにはいられませんでした。何程の意味があるかは分かりませんが・・・・」


俯き、小さな声で答えるブリュンヒルデを見て、重成、又兵衛、ローラン、姜維、エドワードはそれぞれの表情を浮かべたが、胸に抱いた気持ちは同じものだっただろう。

ふと見れば、やはり酌などしないと公言していたはずのフロックが怒ったような照れたような表情を浮かべて乱暴な所作で彼女のエインフェリア達に酒を注いでいる。

つい先程まで何人も寄せ付けずに怒り狂い殺気を放っていた顕家が何事もなかったかのように冷たい表情で傲然と酒を飲んでいた。

重成の心に温かいものが満たされ、ロキへの怒りと恐れ、そして顕家への対抗心を今は忘れることが出来そうだった。

戦乙女達が笛や琵琶で陽気な音色を奏で、エインフェリアも歌や踊りで応じる。戦勝の宴は日を徹して行われた。


翌日、ヴァルハラは次のロキの攻撃と未だ姿を見せぬ炎の巨人、ムスペルの軍勢に対抗すべく、戦力増強に動き出した。

戦乙女達は新たなエインフェリアを選定すべく再びミッドガルドに赴き、此度の戦いに生き残ったエインフェリアは操れるオーク兵の数を増やす為、神気を鍛える。

そんな中、ブリュンヒルデとフロックは王の間に呼ばれていた。


「此度の戦ではっきりと確信した。これからはお前たちが選んだエインフェリアによってラグナロクの行く末は決まるだろう。よって重要な任務を命じる」


ヴィーザルはそう言って黄金の眼を鮮やかな朱色の衣装に身を包んだフロックに向けた。


「北畠顕家、武田信繁、山本勘助、ヘンリク二世、夏侯淵の五名にヴァルハラの軍隊の調練を一任させる。フロック、お前は彼らを助けよ」


「は」


フロックは誇らしげに答えた。


「そしてブリュンヒルデよ」


ブリュンヒルデはその澄んだ青い瞳でヴィーザルの視線を受け止めた。


「お前は木村重成、ローラン、エドワードオブウェストミンスター、後藤又兵衛、姜維を率いてある場所に行ってもらう」


「ある場所とは・・・・?」


「うむ、それはな・・・・・。む、待てよ」


ヴィーザルが何かを察知したらしく言葉の様子が変わった。


「エイルがようやくエインフェリアを選定し終えてヴァルハラに帰って来たようだ」


「エイルが?」


ブリュンヒルデとフロックが思わず互いの顔を見合わせた。


「あの者は私たちと同時にミッドガルドに降りたはずですが・・・・。今になって帰って来たのですか?」


「うむ。あの者は好奇心が極めて強く、注意力が散漫だ。ミッドガルドの風景や物に気を取られて今まで時間がかかったらしい」


「なんて奴だ・・・・」


王の御前にも関わらず、フロックは思わず舌打ちしてしまい、慌てて頭を下げた。


「だが知っての通りあの者の神格はお前たちに匹敵する。選んだエインフェリアも見事な実力を秘めておるようだ。彼らにも任務に加わってもらおう」



ヴァルハラの一室から笛の音が響いていた。その音色は春風のような和らぎと若々しい生命力に満ちながらどこか物悲しい憂いも秘めており、たまたま通りがかって耳を傾けたエインフェリアの涙を誘わずにはいられなかった。

笛を吹いているのはまだ十代半ばの紅顔の少年だった。鶴の刺繍が施された衣に萌黄の鎧を纏い、金色の太刀を佩いている。

若武者の前で胡坐をかき、眼を閉じて笛の音に聞き入っているのは四十代の薄いひげを蓄えた武士である。

若武者同様、戦を終えたばかりであるかのように鎧を纏ったままであった。

若武者が曲を終え、その唇から笛を離すと、武士は目を開けた。東洋人ばなれした彫りの深い顔立ちで、その双眸には輝かんばかりの才知の光をたたえていた。


「若々しい清らかな気魂と類まれな技巧を兼ね備えた見事な音色であった」


そう絶賛され、若武者はみずみずしい頬を紅潮しながら一礼で応じた。


「一の谷の合戦を前にした敵方の源氏の武者をも陶然とさせたという逸話に誇張はないようだ。まさに天賦の才というやつだな、平敦盛殿よ」


「戦において何らの働きが出来なかった僕如きが後世に知られているとは・・・・。全く信じられません」


従五位に叙されながら官職につかなかった為に世に無官大夫と称された平敦盛は言った。


「そなたの悲壮な最期は平家物語に描かれ、能や幸若舞などの題材に用いられ、人々から親しまれている。そう言えば、我を桶狭間にて討ちおった尾張の織田信長も戦の前夜に演じおったらしい」


そう言って今川治部大輔義元は朗々たる声で歌った。


「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか・・・・」


「・・・・」


「そなたを討った熊谷直実は我が子と同じ年頃であった少年を殺めたことを苦しみ、世をはかなんで出家し、この言葉を述べたそうな」


「そうですか・・・・。あの方は出家なされたのですか・・・・」


寿永三年、二月。月が落ち暁風吹き渡る一の谷、須磨の浜にて平氏と源氏は激しい戦いを繰り広げていた。

騎乗の敦盛はその細い腕に弓矢を持ち、立て続けに射た。その弓勢は威力は弱かったものの狙いは正確であり、猛気をたぎらせる源氏武者の急所を確実に射貫いていた。

意気盛んな平家の軍勢であったが、突如異変が起きる。

一の谷の裏手の断崖から源氏の軍勢が駆け下り、平家に襲い掛かって来たのである。


「馬鹿な!あのような峻険な断崖から駆け下るなど・・・・」


「覚えたか!これこそが「逆落とし」なり」


奇襲部隊を率いる赤糸威乃大鎧の武者が高らかに叫んだ。


「我こそは源義朝が子、九朗義経なり。驕り高ぶった平氏の者共よ、今こそ積年の罪の報いを受けるがいい」


予想だにしなかった奇襲と源義経と名乗る武者の神韻を帯びた武威に圧倒され、遂に平氏の軍勢は敗走を始めた。


「くっ・・・・退くな!ここを突破されては、源氏の者共が福原に押し寄せるぞ・・・・」


敦盛は叫び、なお踏みとどまって矢を放っていたが、平氏の武者は我先に沖の船に飛び乗っていた。


「ええい!」


敦盛は無念の声を発し、連銭葦毛の愛馬に鞭を当て走らせ、海に入った。我が愛馬は浪をものともせず主人を船に載せるべく悠々と進む。

後方では残党狩りが始まったのだろう。取り残された平氏の武者の断末魔の叫びが朝焼けの須磨の浜に響き渡った。


「・・・・」


歯噛みをしつつ馬を進ませる敦盛の耳を野太い声が貫いた。


「敵に後ろを見せて逃げるとは卑怯なり!戻れ、戻れ!」


その声が己に向けられたものだと気づいた敦盛は、一瞬の迷いもためらいも無く馬首を返した。

卑怯と罵られた憤りなのか、やはり同胞を見殺しには出来ないという義気故なのか、それは分からない。

ただ敦盛は己でも驚くほど落ち着き澄んだ心で浜辺に戻り、太刀を抜いた。

その源氏の武者は四十歳を過ぎているだろう。痩身ではあるが鋼のように鍛え抜かれた筋骨を有しているのが見て取れた。武者は敦盛のいでたちを見て名有る平家の公達と判断したのだろう、喜色満面で太刀を抜き、猛然と馬を駆って突進してきた。

武者の太刀が朝日の光を受けて煌めき、敦盛の頸部に撃ち込まれる。敦盛は我が太刀で受けたが、凄まじい衝撃であった。手がしびれて体がよろめき、連銭葦毛の馬までもが足どりを乱してわずかによろめいた。

この一太刀だけで敦盛は彼我の実力差を思い知らされ、己には寸毫の勝機も無いことを悟った。

だが敦盛は意思を振り絞って、痺れの残る手で太刀を振るった。だが武者にいともたやすく手首をつかまれ、恐ろしい膂力でもって馬上から落とされ、そのまま組み敷かれた。


(成程。こうやって敵の首を獲るのだな。この御仁はさぞかし多くの首を獲ってきたのだろう)


敦盛はまるで他人事のように思った。武者は首を掻こうと慣れた手つきで敦盛の兜を脱がすと、驚愕の表情を浮かべた。


「何と、まだ少年ではないか・・・・。我が息子らと同じ年頃の・・・・」


先程まで功名心と闘志で満たされていた武者の表情が一変し、哀れみを含んだ慈父のものとなった。


「貴殿はどのようなお方なのだ?名乗り給え。助けよう」


己は助かるのか。だが何故か敦盛にはそのような喜びはほんのわずかも生じず、ただ純粋に己を我が息子と重ねて見ているらしい武勇優れた敵手のことを知りたいと思った。


「まずは貴殿から名乗られよ」


思っていた以上に幼い声に驚きを深めながら武者は名乗った。


「ものの数にも入らぬ身ではありますが、武蔵の生まれ、名は熊谷直実と申す」


「熊谷殿ですか」


敦盛はにっこりとほほ笑んだ。花も実もある武人であるらしい。この人物になら我が首を与えることに何ら悔いはない。


「僕は名乗る必要はありません。僕の首を見せればすぐに誰かわかるでしょう。さあ、早く獲られよ」


「出来ませぬ!」


熊谷直実は激しく首を振り、吠えるように応じた。


「貴殿は若いのに堂々とした見事な大将だ。死なせるのはあまりにも惜しい。それに本日の戦で私の倅、小次郎が浅手い傷をおったが、私はそれでも心が痛かった。貴殿のような立派な御子息を失えば、貴殿の父上はどれ程嘆き悲しむでしょう。それを思えば、私は・・・・」


「・・・・」


熊谷直実が流す涙が敦盛の頬に零れ落ちた。だが、時勢はそれ以上の二人の魂のふれあいを許さなかった。

五十騎程の源氏の武者が須磨の浜の砂を馬蹄で踏み砕きながら疾走してきたのである。


「ああ・・・・!」


直実が悲嘆のうめきを上げた。


「貴殿を殺したくはない・・・・!だが、私が貴殿を見逃したところで、他の武者が貴殿を討ち取るでしょう。それならば我が手で・・・」


「それで構いません。僕も貴方以外の者の手にはかかりたくない。さあ、早く・・・・」


敦盛は頬を濡らした直実の涙の熱さを快く感じながら、静かに言った。


「必ず供養いたします。許されよ・・・・」


涙ながらに言いながら振り下ろされた刃を首に受け、敦盛は無明の闇に落ちていった。だがそれはほんの数瞬に過ぎず、敦盛は光の元に引き戻され、そして乙女の声を聞いたのである。


「・・・・」


ほんのわずかの邂逅であったが、熊谷直実は武勇、人柄優れた真の武士であったと思う。だが、彼は己を討ったことを悔いて、武士の道を捨て、彼に比べれば武士としての力量がはるかに劣る己が新たな生を得て、人ならざる者との戦に臨まねばならないという。敦盛は奇しき因縁に呆然となった。


「それが青葉の笛というやつかな?」


今川義元が敦盛が手にしている笛を指さして言った。


「え?ああ、はい。その通りです」


敦盛の祖父、忠盛が鳥羽天皇より賜った横笛をふと見ると、かつてなかった神秘的な力と輝きで満たされていた。


「・・・・?」


「このヴァルハラとやらに来て、我らだけではなくその笛も何らかの力を得たようだ」


義元が目を細めながら言った。


「そなたにとって、その笛は太刀や弓に勝る武器になるであろう」


厳かに言う義元に敦盛は思わず粛然となった。武人の威と貴人の雅さを兼ね備える類まれな風格の持ち主である。敦盛は我が叔父、入道相国、平清盛を連想せずにはいられなかった。


「貴方程の武人が合戦にて討ち取られたなどとは・・・・。信じられません」


「負けるはずのない戦であった。だがこのざまだ」


今川義元は苦笑を浮かべながら言った。


「面白いほど不運が重なってな。信長本人もまさか勝てるとは思っていなかったはずだ」


事実、織田信長は、桶狭間にて勝利を得たのは全くの偶然であったと認めている。


「信長に直接会って色々話したいところだが、どうやらあの者はここには招かれておらぬらしい。桶狭間より二十年後に腹心に謀反を起こされ腹を切った故、エインフェリアたる資格はないそうな。惜しいことよな」


「・・・・」


「まさかとは思うが、我をここに招く為にヴァルハラの神が桶狭間の戦に関与したということはあるまいな。まあ、流石にそれは考えすぎであって欲しいが・・・・」


呟く義元の双眸に剣呑な光が宿った。その胸中にはヴァルハラの神々への不信の念が宿っているのだろうか。

敦盛にはわからない。だが眼の前の人物には神々すら恐れぬ強大な自尊心が備わっているのは確からしい。








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