第二十話 邪神と双子神
その神の体躯はヴィーザルに見劣らぬ程巨大だった。やはり巨人の血を引いているのだろう。
濡れたように艶やかな黒髪を足首に届くまで伸ばし、切れ長の目にやはり黒い瞳で、東洋人を思わせる風貌である。邪悪な叡智と幼子の無邪気さを同時に秘めた妖しい笑顔を浮かべ、性別不詳の美しさであった。
「ロキだって?そんな馬鹿な!」
フロックが叫んだ。
「お前は先のラグナロクで死んだはずだ。何故生きている。何故ここにいる!」
重成とローランも魂を先のラグナロクに飛ばされ、確かに目撃している。ロキは光の神であるヘイムダルと激しく剣を交え、刺し違えた後にその遺体までもがスルトの炎で焼き尽くされてしまったはずである。
「随分と威勢がいいな。戦乙女などという人形の分際で」
ロキが酷く淫靡な笑みを浮かべながら言った。
「この私を誰だと思っている?狡知を司る神ロキであるぞ。アースガルドの門番に過ぎんヘイムダル如きと刺し違えて終わると本気で思っていたのか、ええ、ヴィーザルよ」
「・・・・」
ヴィーザルは相変わらず座したまま微動だにしない。だがその瞳が帯びる黄金の光は輝きを増しているようである。
「その門番は死して蘇らぬ故、こうして私は容易く訪問できたわけだ。ヘイムダルの代わりを用意しておらぬとは、とんだ手抜かりだな、ヴィーザルよ。まあ、ラグナロクが始まるのはまだ先だと思っていたからだろうが、不測の事態とは常に起こるものよ。それを教える為にこうして私は参上したのだよ」
「どういうことだ?」
「ガルムだけではないということだよ」
ヴィーザルの問いにロキは満面の笑みを浮かべながら悠然として言った。
「間もなく霜の巨人の軍勢がヴァルハラに攻め寄せてこよう。その数はおよそ一万と思ってくれたまえ」
「一万・・・・!!」
息をの飲む四人のエインフェリア達にロキは興味深げな視線を向けた。
「先のラグナロクではエインフェリアなどという存在はまるで視界には入っておらなんだ。つい先程まで人間というミッドガルドで蠢く卑小な羽虫に過ぎなかったその方らがどのように戦うか、じっくりと見せてもらおうか」
「・・・・ロキよ。尋ねたいことがある」
ロキにヴィーザルは声をかけた。
「スルトを一体どうするつもりなのだ」
「・・・・」
ヴィーザルの視線とロキの視線が空中で衝突した。光と闇のせめぎ合いをエインフェリアと戦乙女は息をのんで見守っている。
「先のラグナロクの決着において、スルトがあのような暴走をするとは、貴様も思ってはいなかったはずだ。違うか?」
「・・・・その通りだ」
「だとすれば、お前の狡知とやらもまるで大したことはないな。あのような全てを破壊することしか知らぬ狂った最悪の化物と手を組んでいたとは」
挑発と呼ぶには重々しいヴィーザルの口調である。ロキは艶然とした笑みで応じた。
「そう言われては一言もないな。だが、安心するがいい。あの化物は責任をもって私が滅ぼしてやる。お前たちアース神族を殲滅した後にな」
「我らと同時にかつて同じ陣営であったムスペルどもも敵に回して戦うと言うのか。豪儀なことよの。フェンリルもヨルムンガンドもいない今、貴様にそれ程の余裕があるとは思えんが・・・・?」
「無論、手は打ってある。新しい魔軍の編成は着々と進んでいるところだ」
「新しい魔軍・・・・?」
「それは後のお楽しみだ。まずは霜の巨人の攻撃を防ぐことに専念すべきではないかな?」
にっこりと笑いながらロキは言った。不思議なことに、霜の巨人の軍勢への勝利を期待しているような口ぶりであった。
「もう間もなく攻め寄せてこよう。残念ながら、お前たちには作戦を練る時間も軍の編成を行う時間も与えられぬ。ただ死力を尽くして戦う以外に・・・・」
その時である。視界を打ち砕く雷光がロキのいる場所に落ち、凄まじい轟音が王の間に鳴り響いた。
数瞬の後、視覚と聴覚が回復したエインフェリア達は、ロキがいた場所の床を巨大な槌が穿っているのを目にした。
「ちっ、逃げたか」
「相変わらずすばしっこい奴よ」
そう口々に唱えつつ、二柱の神がヴィーザルの側に舞い降りた。その二柱の神は双子なのだろうか。片方は金髪で、もう片方は銀髪であるが、顔だちは瓜二つであった。
「マグ二様、モージ様・・・・」
ブリュンヒルデが呟く声を聞き、
(成程、彼らが雷神トールの息子か・・・・)
重成は合点した。金髪の神のマグ二の方はかつて重成らが持ち帰ったメギンギョルズの帯を締めており、銀髪のモージはいかめしい籠手を身に着けている。あれがミョルニルの槌の力を行使するために必要なもう一方の神器、ヤールングレイプルなのだろう。彼らは二人そろってようやくミョルニルの槌をふるえるらしい。
「ヴィーザル、奴はまだそう遠くには行っていないはずだ。気配を察知することは出来ないか」
マグ二が父に似た性急な気性を露わににして問うた。
ヴィーザルはしばし瞑目した後、
「・・・・残念だがら、無理だ。隠形こそは奴の最も得意とするところよ。完全に身を隠した奴を察知することは私にも出来ん」
と言った。
「だが、千載一遇の好機だぞ。何としても奴をここで討ち取らねば・・・・」
「いや、マグ二、もはやその時間はない。霜の巨人どもを乗せた船ナグルファルがヴァルハラに迫っている。まずはこれを撃退せねばならん」
マグ二よりかは幾分思慮深いらしいモージが双子の兄を抑えるように言った。
「むう、そうか。ならばミョルニルの槌であの汚らわしい船がヴァルハラに着く前に撃ち落としてくれようぞ」
「待つのだ、マグ二。それにモージ。お前たちは未だミョルニルの槌を使いこなせてはおらんのだろう」
ヴィーザルが王たる者の威厳を示しながら言った。猛々しい気性の双子神も口をつぐんで王に注目する。
「お前たちがミョルニルの槌を振るえるのは日に数度が限界のはずだ。霜の巨人如きに力を浪費してはならぬ。それこそがロキの狙いやも知れぬぞ」
「確かに。ロキの言葉は全て偽りだと疑ってかからねばな。エインフェリアの力を試すのが目的のような口ぶりだったが、それは偽りでやはり真の目的はヴィーザルを討つ気なのかもな」
銀髪のモージが己の角ばった顎を撫でながら応じた。
「やはり我らは力を温存してヴィーザルの警護に就くべきだな、マグ二」
「ならば霜の巨人どもはエインフェリアに任せねばならんのか。だが、こいつらに一万もの霜の巨人を撃退することが本当にできるのか?」
マグ二は無遠慮な視線をこの場にいる四人のエインフェリアに送った。胆力に優れた重成、ローラン、信繁、勘助であったが、雷神の血を受け継ぐ荒ぶる神に気圧され、言葉を発することが出来ない。
「・・・・ガルムに幾人か殺されて、エインフェリアの総数は二百人も満たぬ。その上、ヴァルハラに来て日も浅い故、操れるオーク兵は数十、多くて百。戦力的にはほぼ互角だな。だが、奴らは同族としての結びつきが強いが、エインフェリアはまだまだ統率が出来ておらぬのではないか?」
モージもまた、疑わし気に言った。
「だが、彼らに戦ってもらわねばならぬ」
ヴィーザルの口調にはもはやこれ以上の議論は許さぬという断固たる意思が込められていた。
「確かに、まだ未熟なエインフェリア達にはあまりにも急にして酷な戦いだろう。だが、ロキが近くにいる以上、余もマグ二、モージも動くわけにはいかぬ。此度はエインフェリアのみで打ち勝たねばならぬのだ」
ヴィーザルはそこで言葉を切り、態度を改めて王としての厳格さと慈父の如き愛情が等しく入り混じった言葉をエインフェリア達にかけた。
「頼んだぞ、我が勇者達よ。これはあくまで戦いの序章に過ぎん。必ず勝利し、帰って来るのだ」
魔犬ガルムの襲撃に続いてヴィーザルの念話で霜の巨人の軍団の来襲を知らされ、流石に困惑を隠せないエインフェリア達をかいくぐって重成は全力で走った。己のオーク兵が置いてある場に向かって。
オーク兵の操作の訓練はヴァルハラの南側の広場で行われている。その片隅に重成のオーク百体が置いてあった。
オーク兵はいずれも大坂の陣の時に重成配下の兵が纏っていた当世具足で桶側胴に桃形兜に統一されており、甲冑や草摺や袖などの板と板をつないでいる紐である威毛は重成が好む藍色である。
オーク兵の精工な造りの顔を見ながら、重成はかつて共に戦った我が配下の兵達を追想した。
思えば、天下に名高い井伊の赤備えを相手に見事な死に花を咲かせたいという己の自己満足の為に彼らをことごとく死に追いやってしまった。
だが己はこうして天上で新たな生を得てまた戦に臨み、彼らはヴァルハラに招かれず土に帰ってしまったのである。
それを思えば慙愧に耐えない。だからこそ、重成は彼らに誓った。
もはや己は死に急ぐような真似だけは決してしないことを。そして新しく得た命は己の為ではなく他者を守る為に使うのだと。
「重成殿!」
又兵衛、エドワード、姜維の三人が駆け寄って来た。
「ヴィーザル様が念話で言っていたけど、一万もの霜の巨人が攻め寄せて来るって・・・・」
「どうやら本当のようだ。敵の首魁である邪神ロキがエインフェリアの力を試すために率いてきたらしい」
流石に動揺を隠せないエドワードに、重成は説くように言った。
「邪神ロキ?先のラグナロクを引き起こしたというあのロキか?死んだはずじゃ・・・・」
「死んだのは擬態だったらしい。前回とは違いスルトとも敵対しているようだが、それでも我らが倒す敵には違いない」
「アース神族にスルト達炎の巨人、それに邪神ロキが率いる霜の巨人と魔犬ガルムの軍勢という三つの勢力か。まるで三国志のようだな、姜維殿」
冗談めかしく言う又兵衛に一瞬苦笑を浮かべた姜維だったが、すぐにいかめしく真顔に戻った。
「しかし、この状況はまずいな。我らはそれぞれ個々でオーク兵を動かすのみで、一度も合同の調練を行っておらん。これでは陣形も組みようがない。単なる力比べになってしまう」
「力比べ、おおいに結構ではないか」
ローランがデュランダルの柄を握りしめ大股でこちらに向かいながら高らかに言った。
「真の騎士とは常に己の武勇のみで戦い抜くことを信条とする。それに比べてお前たちは常に小賢しい策や術で切り抜けようと考えているから、このような緊急時には慌てふためくことになるのだ」
「偉そうに」
エドワードが舌打ちした。
「要するに君は頭を使うのが苦手で、ただ野蛮人のように腕力任せで戦うのが得意なだけだろう。たまたま自分に向いた戦いが始まるからって、得意がるんじゃないよ」
「相変わらずよく喋る小僧だな」
ローランは怒気を発することなく、余裕な態度で応じた。
「戦場では貴様の良く回る舌など何の役にも立たんぞ。人形と汚れた魔術を駆使して霜の巨人を一匹でも多く斃して見せるがいい」
「ああ、やってやるさ。僕のルーン魔術の力はエインフェリアの中でも五指に入るはずだ。君こそ、オーク兵を率いていないのだから、一人で百人分働けよ」
「言われるまでもない。霜の巨人如き、百と言わず二百はこの手で屠ってくれる」
自身満々に言い放つローランを見て重成は思った。ひょっとしたら、ローランはこの中でもっとも年少でその分胆力が劣るエドワードに自分なりに発破をかけたのではないかと。
「ニブルヘイムでは霜の巨人どもとわしらは存分に戦うことが出来なんだ。此度がわしらにとってエインフェリアとしての本当の初陣となるな」
又兵衛がいかつい髭ずらに不敵な笑みを浮かべながら言った。かつて地上で幾十の合戦を経てもなお未だ戦に飽くことのない生まれついての戦人である又兵衛にしか出来ぬ笑みである。
本人は自覚していないかも知れないが、その笑みには周囲の者の緊張を解き、戦に駆り立てる計り知れない効果があった。
「顕家達と霜の巨人どもの戦いをこの目で見たが、所詮奴らは体が大きいだけの獣に過ぎん。各々が死力を尽くして戦えば、充分勝てるはずだ」
意識を失っていてその戦いを見ていなかった重成に又兵衛は説くように言った。
うなづきつつ、重成は懐かしく思った。かつて大坂冬の陣を前にした時も、又兵衛は重成に戦のやり方や心構えを教え、勇気づけたのである。
その姿は師であると同時に、物心つく前に父を失った重成にとって父親同然に慕わしかった。
「必ず勝ちましょう」
師父とも言うべき又兵衛も、時代も国も違いながら奇妙な縁にて得た新たな戦友もともに絶対に失ってなるものかと決意しつつ、重成は清らかな笑みを浮かべながら言った。




