第百七十七話 フロックの裁断
「申し開きの言葉などない。あるはずもない。いかなる処罰も甘んじて受けよう」
勘助は悄然としたまま言った。その独眼には常にあったはずの智謀の光、戦への渇望はまるで無かった。
今すぐにでも腹を切ってこの苦悩から解放されたいと願っているのではないかとすら思われた。
「よく言った。いい覚悟だな!」
フロックは嘲っているのか、褒めているのか判然としない表情で言った。
「フロック……」
武田典厩信繁が静かな、だがここにいる全員の腹に応える重々しい声を上げた。
信繁の朴訥な、だが猛々しさを秘めた表情から主君として全ての責任を取るという覚悟が雄弁に語られていた。
「信繁。確かに勘助の今の主君はお前かも知れないが、この男をエインフェリアに選んだのは私だ。だから今回の戦におけるこの男の失態を裁く権利はこのフロックにある」
フロックは戦乙女の威を示しながら言った。
女神としての神々しさ、ワルキューレの中でもっとも勇猛を誇る彼女の決意が露わになった以上、信繁も他のエインフェリアも口を紡ぐしかなかった。
「勘助」
フロックは凛とした表情で勘助に真直ぐ視線を向けた。勘助も居ずまいを正す。
「本来ならば、お前の罪は死罪に値するだろう。だがまだ戦は始まったばかりで貴重な戦力を失う訳にはいかない。よって死という罰は与えまい。代わりにお前から軍配を取り上げて軍師としての身分を剥奪する。いいな」
途轍もなく気性が荒く、厳格なフロックにしては極めて穏当な判決である。
この場にいる他の者は思わず安堵のため息をついた。
「……」
勘助は黙然と頭を下げた。だが彼が死を免れても微塵も喜ばず、むしろ無念の思いを抱いているであろうことは容易に想像できた。
「勘助、腹を切るような真似は絶対に許さないぞ」
フロックがきっと勘助を睨み付けながら言うと、勘助は図星を指されたようにその顔貌を凍り付かせた。
「忌々しいが……」
フロックはブリュンヒルデへと視線を向けた。ブリュンヒルデは何故フロックが突然己の方を見るのか理解出来ず、困惑した表情を浮かべる。
「ヨトゥンヘイムでブリュンヒルデが言っていたことは正しいと私も思う。何故エインフェリアは自害した者には選ばれる資格が無く、堂々たる戦死を遂げた者にだけその資格があるのか。それはやはり戦場で死の直前まで諦めず最後まで戦い抜こうという意思に神聖な力が宿るから。それこそがエインフェリアの力の源泉なのだと。だから勘助」
それまで怒りに満ちていたフロックの表情がわずかに緩み、優しさと信頼の感情が確かに浮かび上がった。
「次の戦で挽回して見せろ。輝かしい武勲を立てるんだ。現にそこにいる重成だってヨトゥンヘイムで猿飛佐助に敗れてニーベルングの指輪を奪われるという失態をニブルヘイでの見事な武功で晴らしたじゃないか。お前もそうして見せろ。私達の中に生じたお前への疑念と失望を晴らせ。そうすれば再びお前に軍配を帰して正式なヴァルハラの軍師の座に就けよう」
「フロック……」
ブリュンヒルデはかつてない程嬉しそうな表情を浮かべた。これまでフロックに度が過ぎた対抗意識と嫌悪感を向けられて不快な思いをしてきたが、ここに来て彼女と同じ思いを抱いていることが知れて初めて戦友、同志として熱く固い絆を感じることが出来たことが無性に嬉しかった。
「……承知致した。非才にして罪多き身なれども、次なる戦では死力を尽くしてフロック殿のご寛恕に報いる所存にござる。皆々様、不甲斐ないそれがしを何卒ご勘弁願いたく……」
勘助が土下座をしながら皆に詫びた。だがその声色に卑屈な響きや死へと逃避して苦しみから解放されたいという陰鬱さは無かった。
その浅黒く老いた顔貌にかつて戦の鬼として恐れられた山本勘助道鬼らしい武勲への渇望がはっきりと感じられた為、この場にいる全てのエインフェリアとワルキューレは安堵の表情を浮かべた。