第百七十三話 勝利の余韻
「……」
戦乙女とエインフェリアは呆然と茫漠たる白銀の大地を見つめていた。
ほんの数瞬まで神々に匹敵する力で猛威を振るいアース神族最強の雷神と互角に戦っていた霜の巨人の王が一瞬にして粉々になり、消滅したからである。
だが百万の雷光を浴びて体が穿たれても無限と思われる再生の力で瞬時に回復した巨人のことだから、すぐにまたその醜悪無類にして雄々しい姿をニブルヘイムに表すだろう。
そう覚悟していたにも関わらず、一向にその身を再生させる気配が無い。
「奴は……滅びたのか……?」
誰ともなくその疑問を口にした。
「ええ。霜の巨人の王スリヴァルディは完全に滅びましたわ。二度と復活することはないでしょう」
悠然と黒馬に騎乗したゲンドゥルがそう告げた。その側には沈毅な表情の夏侯淵が付き従っている。
「ゲンドゥル!それじゃあ、ニーベルングの指輪は……」
「ええ。指輪は呪符の力でヴァルハラに転送しました。ヴィーザル様がかねて用意していた封印の間にて厳重に保管してくださるでしょう」
ゲンドゥルは柔らかい笑みを浮かべながらフロックに応えた。
「そうか。それじゃあ、私達は今度こそ任務を果たした。今回の戦は私達の勝ちなんだな!」
「ええ、犠牲者を一人も出すことなく指輪を手に入れ、霜の巨人を滅ぼした。まさに完全勝利ですわ」
ゲンドゥルが高らかに宣言したことでようやく勝利の実感を得たエインフェリア達は歓声を上げた。
「此度の戦の決着を付けたのはわたくしゲンドゥルと夏侯淵様ですが、最大の殊勲者は何と言っても」
ゲンドゥルは濡れた瞳でうっとりと屹立する雷神を見つめながら言った。
「この現世に復活を遂げたアース神族最強の戦士トール様。いえ、あの御方を顕現させたマグニ様とモージ様、そして木村重成様とブリュンヒルデですわね」
その言葉が届いたのだろうか。雷光を纏い耀く雷神は勝利に安堵した表情を微かに浮かべた。
そして顕現を解いた。
「あ、あ、もっとその御姿を見ていたいのに……」
ゲンドゥルが名残が尽きぬようにあえいだが、白銀の世界を黄金に染め上げる雷光の熱と輝きは消え、その巨大な姿も徐々に淡くなり、白雪の上には小さな男女の姿だけが残った。
「重成、ブリュンヒルデ」
戦乙女とエインフェリア達は馬を駆けさせ、二人の殊勲者の元に急いだ。
あれ程凄まじい力を振るい、強大な敵と激烈極まる戦いを演じたのである。
二人とも命に係わる程消耗し尽くし、倒れて動けなくなるのではないかと心配するのが当然と言えた。
確かに重成とブリュンヒルデの白い顔には汗が流れ、心身共に相当疲労しているのは明らかであったが、それ程深刻なものではないようである。むしろ二人は心地良げな表情を浮かべていた。
「此度は勝ったな」
重成は深沈とした声で言った。その類まれなる秀麗な顔貌に晴れ晴れとした勝利を誇る色があった。
先のヨトゥンヘイムの戦いで猿飛佐助に完敗を喫し、心身ともに打ちのめされてからずっとその表情には陰があったのだが、
(これでようやく立ち直れたようだ)
重成の師を自認する又兵衛は安堵した。
「霜の巨人族は完全に滅びたのですね」
ブリュンヒルデが言った。
その声と表情には勝利を誇り、敵が滅んだことを喜ぶと同時に一つの種族がこの銀河から永遠に消え去ったことを惜しみ悲しむ色が確かにあった。
「うむ。山の巨人族に続いて、霜の巨人族も。ニーベルングの指輪に狂わされたせいで……」
ブリュンヒルデに続いて重成が哀惜の言葉を発した為、勝利の喜びに心躍らせていた他の戦乙女とエインフェリアも粛然となった。
「恐ろしい。たった一つの指輪ですら一つの種族を滅ぼしてしまう。十個揃えばどれ程の巨大な災厄が起こるのか」
「ええ。死者の軍勢かムスペルが指輪を揃えれば、間違いなくこの銀河に存在する全ての生命が失われることになるでしょう。私達は何としても勝利せねばなりません」
決意を新たにするワルキューレとエインフェリアの眼に死者の船団であるナグルファルが次々と飛び立っていく姿が映った。
白骨で建造され、瘴気を纏い飛ぶ船が降り続けていた吹雪が止み、ただ冷え冷えとした大気に満たされたニブルヘイムの空を暗黒に染め上げながら飛んで行く。
そのおぞましき飛行物体の姿をアース神族の戦士達、特に今川義元、武田典厩信繁、山本勘助、夏侯淵、孫堅は深い思いで胸を満たしながら見つめていた。
此度の戦で霜の巨人族には勝利したが、もう一方の敵である死者の軍勢の将、深く重い因縁のある関羽、張飛、武田信玄、武田勝頼とは決着がつかなかったのである。
(彼らとはこれからも戦い続けねばならない。果たして我らは勝てるのだろうか……)
そう己に問わすにはいられなかった。それ程彼らは圧倒的なまでに武勇優れ、また己の手の内を知り尽くしているのである。
指輪を手にし、勝利を得て使命を果たしたにも関わらず、戦乙女と勇者達は心晴れ晴れとはならず、憂いに満ちていた。
それ程霜の巨人族を滅ぼした指輪と決着がつけれなかった死者の軍勢への恐れが大きかったのである。
「ヴァルハラに帰ろう」
重成が言った。
その微笑と爽やかな声は勝利を得たにも拘らず打ち沈んだ皆の心の暗雲を晴らす風となって吹き抜けた。
エインフェリアとワルキューレはそれぞれの表情で頷き、天翔ける船に向かって駆けだした。
そんな彼らを遠くの丘にて暗黒の瘴気が満ちた目で見つめる存在があった。