第百七十話 再生能力
しかしその喜びはわずか一瞬でしかなかった。
突如吹雪が吹き荒れてニブルヘイムの氷雪がスリヴァルディの腕に集まり、わずか数十秒で右手が再生したのである。
そして右手が叩き落とされたことなどなかったかのように再び攻勢に転じた。
「……ブリュンヒルデ」
重成の魂がブリュンヒルデの魂に語り掛けた。
それまで肉体も魂も完全に雷神トールの神気と一体になっていたが、スリヴァルディと戦っている内に自我の一部を取り戻し、己が身に着けた剣術の技を駆使して巨人の右手を奪ったはずであった。
だがたちまちの内に右手が再生したのを目の当たりにした衝撃で重成の魂は雷神と同化しつつも完全に覚醒した。
「……重成」
ブリュンヒルデの魂も重成に名を呼ばれたことで覚醒し、雷神の中で形となって現れた。
「あの巨人の再生能力は奴が本来持っていたものだろうか?どうも少し違うような気がするのだが……」
重成の問いにブリュンヒルデは考えにしばし沈んだが、すぐに明確に答えた。
「いえ、あのスリヴァルディが再生能力を持っているのは確実でしょうが、今見せた再生は少し違うようです。ニーベルングの指輪の力によるものではないでしょうか」
「ふむ。やはりそうか」
重成は得たりと魂の姿のまま頷いた。
「スリヴァルディは復活しましたが、それは完全なる状態での復活ではありません。あくまでニーベルングの指輪の力を借りた不完全な状態での復活でしかありません」
「それは我らも同じだな。この雷神の顕現した姿はマグニ様、モージ様、ブリュンヒルデ、それに私の力をそれぞれ用いた仮の復活でしかない」
「その通りです。あのスリヴァルディは今のトール様と同様に全盛の力には遠く及ばないでしょうが、その代わりに大いなる利点を得ました。それがあの強力な再生能力という訳です」
「大いに利点を得ているのは私たちも同様だな。このトールの体は純粋に神気が具現化したものだから傷つくことも血を流すこともあるまい。事実上不死身だ。だが……」
「そう。私達の弱点はこのトール様の顕現はあくまで一時的な物。あまり長い時間この状態ではいられないということです」
重成は雷神の中で一体となっているマグニとモージの魂の状態が否応なく伝わって来た。極限まで神気を高めているがその為その疲労はすさまじい物であり、到底長くは持続できないだろう。それは自分とブリュンヒルデも同様である。
「このままだとあと小半刻(十五分)ももたないか……」
「おそらく。そうなれば全てが終わります。その前に何としても巨人の王を屠らねば」
「だがこの氷雪吹き荒れるニブルヘイムで戦う限り奴は無限に再生し、無限に戦うぞ。どうやって二度と復活出来ぬよう、完全に息の根を止めることが出来るのか」
「それは既に貴方も分かっているのでしょう」
ブリュンヒルデの信頼に満ちた声を聞き、重成は力強く頷いた。
「奴の復活の鍵となり、再生の力を与えているニーベルングの指輪を奴の体から引きはがせば良いのだな」
「その通りです」
「だがその指輪はどこにある?」
重成とブリュンヒルデはそれぞれ巨人の王の両手に注目した。その手指は無くなり刃と化している。
当然指輪はそこに無かった。山の巨人のイズガが堂々と指輪をその指にはめていた時とはまるで状況が異なるのである。
「おそらくあの巨大な体のどこか奥深くに隠されているのだろうが、あの膨大な魔力がまるで感じられない。ブリュンヒルデ、貴方には感じられるか?」
ブリュンヒルデの魂は神気を凝らして指輪の気配を探っていたようだが、やがて無念そうに首を振った。
「駄目です。あの指輪は意思を持ってます。巧妙に気配を断っているようです。それに私もトール様を顕現させることに力を用いてますから、神器探索の術が上手く発動しません」
「それでは……」
「ですが、このニブルヘイムにはあの者がいます」
重成の不安を吹き払うような、ブリュンヒルデの力強い確信に満ちた声が雷神トールの顕現体に響き渡った。
「戦乙女随一のルーン魔術の使い手。彼女の神器探索の術ならば、例え巧妙に気配を断っていたとしても、確実に霜の巨人の王の体内に秘せられているニーベルングの指輪のありかを探し当てることが出来るはずです」