第百六十九話 雷光の巨神
その存在は血肉を持たない純粋なエネルギーの塊であることは明白であった。
だがはっきりと勇壮な巨神の姿、無敵の戦士の雄々しい五体が具現化していた。
又兵衛もローランもエドワードもグルヴェイグとの戦いの時は気を失っていたので目撃することは出来なかったが、その時よりもより鮮明により強大な姿で雷神が顕現していたのである。
「うおおおおおおおお!!」
雷神が怒号した。その凄まじい活力と戦いへの渇望に満ちた声は銀河の隅々まで余すことなく鳴り響いたのではないかと疑われる程であった。
又兵衛、エドワード、ローランの三人はこの雄たけびは以前にも一度耳にしていた。
神王ヴィーザルによって魂を先のラグナロクに飛ばされた時、トールがロキの息子である大蛇ヨルムンガンドとの決戦で相討ちとなる直前、勝利を確信して上げたものであった。
遥か悠久の時を超えて己の遺児であるマグニ、モージ、そしてエインフェリアの木村重成、ワルキューレのブリュンヒルデという四者の力が合わさることによって一時的、そしてあくまで仮にであるが、復活し強大な敵と戦えることへの歓喜に満ちた雄たけびであった。
「あれがアース神族最強の戦士トール……」
「雷神が顕現したのか」
「何という凄まじい姿か。以前も重成とブリュンヒルデがミョルニルの槌を振るってグルヴェイグを撃退したが、あれ程ではあるまい」
「トール様が復活した!これであの化物を倒して下さるはず」
ローラン、エドワード、又兵衛、フロックが雷光の巨神の姿を見てそれぞれ感嘆の声を漏らす。
「トール様……」
一人ゲンドゥルが白皙の頬を朱色に染め上げて陶然とした声を上げた。
その表情と声は銀河に並ぶ者など存在しえない程圧倒的なまでに豪壮で男性的な存在に魂までもが魅了されたというしかない様子であった。
エインフェリアとワルキューレが歓喜と興奮に満ち溢れている一方、霜の巨人の様子もまた一変した。
今までその醜悪無類な九つの顔は一様に呆然とした、心ここにあらずといった表情だった。
余りに長く分裂し、知性も理性も持たない下等な存在に成り下がっていた為、記憶がほとんど戻っていなかったからだろう。
だが今眼の前に突如、他を圧倒する宇宙規模の強大無比な存在が目の前に現れたのである。
その存在は誰あろう、巨人の王であった己を死の寸前まで追いやり、やむなく分裂し、獣同然の存在に身を堕とすしかないまで追いやった元凶そのものなのだ。
「トール……」
「トール!」
「……トール」
「トール!トール!」
「トールゥゥゥ……」
「トール」
「トォォォルゥゥゥ!!」
「トール!!トール!!トール!!」
「……ら、い…じ…ん、と、ぉ…る……」
九つの顔がそれぞれ憎悪と憤怒を露わにしながら怨敵の名を口にした。
その地獄のように底知れない余りに強大で激しい復讐の念と絶対零度の殺意を感じ取り、勝利の確信を得ていたはずのエインフェリアとワルキューレ達は背骨が凍り付くかのような悪寒を覚えた。
「わ、れは、し、もの、きょ、じん……の、おう……」
霜の巨人の王は、怨み骨髄にまで徹した宿敵を目前にしたことで蘇りつつある記憶と力、そして理性をゆっくり噛みしめるように訥々と名乗り始めた。
「……スリヴァルディ……!!」
永劫に近い年月を経て、再び己の真の名を名乗ることが出来た喜びと怨敵の怒りに満ち満ちた表情を浮かべながらスリヴァルディは己の両手を前に突き出した。
そこに氷雪と凍気が集中し、たちまちの内に両手は鋭い刃と化した。
「ぐがああああ!!」
金属と金属がこすれ合うような不快で異様な咆哮を上げながら、スリヴァルディは雷神の元へ突進した。
白銀の大地が凄まじく揺れ動いた為、エインフェリアとワルキューレは立っていることが出来ず、やむなく地に伏せる。
霜の巨人の王の動きはその超巨大で鈍重な外見に似ず、恐ろしく俊敏であった。
突如猛吹雪が吹き荒れたかの如き勢いと速さであった。
そして右手の刃で雷神の首筋を貫かんと突きを繰り出す。
雷神は迎え撃つべく、ミョルニルの槌に雷電を纏わせ、渾身の力で横なぎに振るった。
互いに神秘的なまでの威力が込められた氷刃と雷槌が激突し、巨大な衝撃波が生じてニブルヘイムの大気が震え、大地が波うつ。
巨人と巨神もその衝撃に耐えきれずわずかにひるんだようだが、それはほんの数瞬に過ぎず、すぐに体勢を整えて目の前の敵を葬るべく第二、第三の攻撃を繰り出した。
その力、速さは全くの互角のようにエインフェリアとワルキューレには思われた。
霜の巨人の王と雷神は技巧を用いることなく、ただその超絶的な膂力に任せて真正面から己の武器を振るうのみであった。
だが十数合を数えた後、雷神の様子が変わった。
スリヴァルディの右手の突きを槌で叩くのではなく、半身になって躱したのである。
「!!」
そしてスリヴァルディが右手を引き戻した瞬間、槌を跳ね上げて敵の右ひじを打った。
「あれは剣術の動き、重成の技だ!」
エドワードが驚きと喜びの声を上げた。彼は重成に剣術の稽古をつけてもらっていた為、サムライの剣技を知っていたのである。
神速にして精妙なミョルニルの槌の一撃を受け、巨人の肘が砕けて右手が落ちた。
これでほぼ勝利が決したとエインフェリアとワルキューレは確信したのは無理も無いと言えるだろう。