第百六十一話 突入
「信玄は自ら前線に出て戦う型の将ではなかったな」
義元は馬を進めながら信繁に語り掛けた。
「はい。兄上は後方で泰山の如く構え、前線で戦う我らを督戦するのが常でありました。兄上が後方で我らを見ていてくださると思うと我ら武田家の将には力が溢れ、死を恐れることなく戦う事が出来ました。それこそが武田家の強さの理由だったのですが……」
「今は他に配下の将がおらぬ。故に奴が直接前線で戦わねばならぬ訳だ。不慣れな戦をせねばならぬ以上、必ず遅れを取ろう。この戦、我らが勝てる見込みは充分あるな」
義元は会心の笑みを浮かべた。
「油断をしてはいかませんぞ」
信繁は慎重に言った。
「確かに配下に任せず前線で戦うのはおそらく数十年ぶりなのでしょうが、それでも何とかしてしまうのが兄上なのです。あの方の武略の真価は弟であり副将であった私にも未だ見極められておりませぬ」
「うむ。気を付けよう……お?」
信繁の言葉に気を引き締めた義元であったが、早くも戦場に生じた異変に目を見張った。
信玄の側面を突こうとした先行したグスタフの部隊と敵部隊がぶつかったのである。
「兄上も我ら同様、別動隊を送り込んで側面から攻撃しようとしていたのでしょう。別動隊同士が遭遇してしまった」
「うむ。兵の質でグスタフが不利やも知れぬ。兵を割くか?」
問われて信繁は考えこんだが、それはほんの数瞬に過ぎなかった。
「いえ、兵を割けば本隊が薄くなったのを兄上が見逃さす訳が無く、すぐさま強襲してくるでしょう。そうなってはこちらが崩れてしまいます。グスタフ殿には耐えてもらうしかありませぬ」
「うむ。その通りだな」
義元も瞬時に決断を下した。
「このまま進んで信玄を討つぞ」
義元と信繁は進軍の速度を上げた。間もなく吹き荒れる氷雪の中において、暗黒の瘴気を放つ風林火山の旗が翻るのをはっきりと視認出来た。
「吹雪が激しくなってきたな。もはや弓矢は使えん」
義元は忌々し気に視界を覆う白銀の嵐を睨んだ。しかしすぐに不思議な気配を感じ取った。
(何やら、氷雪にだけではない。この世界全体に不吉な気が濃くなったようなような……)
だが今はその気配の正体を探る余裕は無かった。
「槍隊、前へ!」
義元と信繁の念に応じ、長柄槍を手にしたオーク兵が進み出て密集し、槍衾を完成させた。
信玄の騎兵突撃を防ぐ為である。しかし信玄も義元と信繁がこう来ることは読んでいたのだろう。
騎兵は襲来せず、やはり長柄槍を装備した槍兵が姿を現した。
たちまち激しい槍合わせが始まる。お互い激しく突き合い、あるいは振り下ろして叩きつける。
注目すべきは、信玄配下の死者の兵と信繁のオーク兵の槍の先端付近に木づちが取り付けられていることである。
そうすることで打撃の威力を高めているのだ。
槍合わせは全くの互角であった。死者の兵とオーク兵。双方疲労と言うものを知らず、無尽蔵の活力を有している。
だが激しい槍合わせの為に損傷し、戦闘不能となる兵が現れ始めた。
「全員馬から降りよ!」
義元と信繁は新たな命令を下した。
そしてオーク兵の幾体かが敵の長柄槍をかいくぐり、突入する。
やはり同様に突入しようとしていた敵の死者の兵と遭遇した。たちまち激しい斬り合い、格闘戦が演じられる。
「私も突入します!義元公はここにおられよ」
信繁は素早く馬から降りて腰間の太刀を抜き、義元に雄々しく告げた。
義元は流石に驚きを隠せなかった。しかし信玄の意表を突き、討ち取るのはそれ以外に方法は無いと瞬時に悟った。
「うむ。だがあまり無茶はするな。信玄を討てそうにない時は迷わず退け」
「承知致した!」
信繁は常日頃の慎重な態度をかなぐり捨て、烈火のような勢いで敵の槍衾をかいくぐる。そして眼前に現れた死者の頭蓋を剣で突き、破壊した。
死者の兵はオーク兵とは桁違いの強大な光の気を発するエインフェリアに引き寄せられるように殺到する。
信繁は配下のオーク兵に念を送って守らせつつ、自らも太刀を振るって死者の兵をなぎ倒した。
その剣技は重厚にして猛々しく燃え盛る火炎の勢いがあった。
自身が戦う敵はかつては同じ主君を戴き、風林火山の旗の下で戦った同胞であったのだが、信繁の鋼鉄の意志は微塵も揺るがなかった。
(悪神の配下として蘇った哀れな者共よ。武田家副将であり、光の戦士エインフェリアとなったこの武田典厩信繁の刃にかかることを無常の誉として、成仏致せ」
その願いが込められた信繁の剣技はいよいよ激しく、荘厳とすら言えた。
「兄上ー!!」
信繁は思わず叫んだ。叫んだところでどうにもならないのは分かっている。
今更対話を望むつもりなど無い。兄であり主君であった信玄を討つことに微塵も迷いもない。
また兄が一騎打ちに応じることなど天地がひっくり返ってもあり得ないことは誰よりも己が分かっている。
またかけがえのない弟であり、副将であった信繁の叫びを聞いても情に惑わされて采配を誤ることも絶対に無いであろう。
だが極限まで高まった闘志から狂おしく叫ばずにはいられなかったのである。
(必ず兄上の元までたどり着く。必ず太刀を浴びせて見せる)
その執念の虜となっていた。