第十五話 ニブルヘイム
戦乙女が操る飛行船はニブルヘイムにある峡谷付近で静かに着陸した。
船から降りた重成達を迎えたのは一面の銀世界である。
灰色の空から雪片が舞い降り、肌を切り裂くような冷厳な風が六人の男女の体を叩いた。
「むう・・・・。こんな所にいつまでもいては、敵と戦う前に死んでしまうぞ」
又兵衛が身を震わせながら言った。
「貴方達エインフェリアはこの程度の寒冷で死ぬことなどありえませんよ」
ブリュンヒルデが寒さを感じていないような平然たる声で答えたが、
「他の者は知らんが、わしは死んでしまうわ!」
と怒鳴り返した。常は豪放で悠然とした構えの又兵衛らしからぬ態度である。心底寒いのが苦手なのだろう。
「それでフヴェルミルゲルの泉とやらはどこにあるのだ?」
「北東の方角です。霜の巨人に見つからないよう、慎重に進みましょう」
船から降ろした白馬に跨りながらブリュンヒルデが答えた。重成達も続いて騎乗する。
六人は無言で馬を進めた。吐く息はそのまま霜と化して眉毛や髭に降り、帯剣の鞘も凍り付くかと思われた。人間ならば到底耐えられぬ寒冷である。又兵衛以外の四人のエインフェリアも流石に閉口した。
「皆、急いであの岩陰に隠れて!」
ブリュンヒルデの声がエインフェリア達の鼓膜ではなく、心に直接鳴り響いた。
重成達は慌てて左方にある巨大な岩の側に馬を進めた。
「あれが霜の巨人か・・・・」
岩陰に潜みつつ、遠方にうごめく影を凝視しながら重成が呟いた。魂を飛ばされて見せられた先のラグナロクの時と変わらぬ異形の姿である。その体躯は約2・5メートルといったところだろう。まさに氷と霜が凝縮して人の形になったとしか言えぬ形容である。剣と甲冑で武装した炎の巨人ムスペルと違い、霜の巨人は身に何も纏っていない。おそらくは炎の巨人よりもかなり知能は劣っているのだろう。
十体程で群れ、歩行するその姿は獣そのものである。
「今の私たちではまだあの霜の巨人を倒すことは出来ないのか?」
重成がブリュンヒルデに念話を試みた。
「いえ、貴方達五人で十匹の霜の巨人を倒すことは充分可能でしょう」
ブリュンヒルデの答えが返って来た。
「ならば倒してしまおうではないか。わしはとにかく暴れて体を温めたいのだ」
又兵衛が念話に割り込んできた。ローランとエドワードも、そして何事も慎重な姜維も賛成の声を上げた。
「いえ、いけません。霜の巨人は知能も戦闘力も高くありませんが、種族同士の結びつきが非常に強いのです。一匹倒せば、たちまち異変を嗅ぎつけて四方から群れを成して襲ってくるでしょう。そうなってはひとたまりもありません」
「ふむ・・・・」
「ですから霜の巨人と戦うわけにはいきません。私たちの目的はあくまでフヴェルミルゲルの泉にあるメギンギョルズの帯を回収することにあるのを忘れないでください」
そう言われればやむを得ない。五人のエインフェリアは息をひそめて霜の巨人が行き過ぎるのを待った。
霜の巨人が気配が去ったのを確認し、一行は再び馬を進めた。寒気は厳しさを増し、峠では雪と霧が代わるがわる渦を巻く。かと思えば、轟音が鳴り響いた。おそらくそう遠くないところで雪崩が起こったのだろう。巻き込まれなかったのは幸運であった。またしても霜の巨人が通りかかり、大慌てで身を隠す。
流石に疲労困憊となり、勇者達も音を上げそうになった。
「ようやく着きました。あそこに見えるのがフヴェルミルゲルの泉です」
ブリュンヒルデの指さす先には、氷河の山々に囲まれた谷間があった。確かに、遠目にも雪に染められていない緑の木々に囲まれた大きな泉が見えた。と同時に、泉の周囲に飛び回る黒い影があった。
「羽の生えた蛇か・・・・」
「ニーズヘッグです。思っていた以上に数が多い・・・・。あれに見つからずに泉を捜索することは流石に無理でしょう。覚悟しておいてください」
緊張感をはらんだブリュンヒルデの言葉を聞き、五人のエインフェリア思わずそれぞれの武器を握りしめた。
体長二メートル程の空飛ぶ蛇。しかも致死性の毒を有するという。言うまでも無く、彼らは人外の怪物と戦った経験などない。
人間が相手ならば恐れを抱かない勇者達ではあるが、人間とはかけ離れた魔獣が相手となれば、流石に緊張で体がこわ張るのは無理もないと言えた。
泉の近くまで来た六人は馬から降り、抜刀しつつ物陰に潜んだ。泉の中空を舞うニーズヘッグの数はおそらく二十を超えるだろう。
「・・・・泉付近に洞窟がありますね。メギンギョルズの帯はあの中にあるようです」
「ならば、あの空飛ぶ蛇を全てかたずけてから、ゆっくり洞窟内を捜索するのか?それとも・・・・」
「いや、空飛ぶ敵を相手に地上から応戦するのは下策であろう」
ローランの問いに姜維が応じた。
「それよりも先に洞窟内にはいり、そこで追って入ってきた奴らを確実に仕留めていった方がよいのではないかな?」
姜維の献策に五人はうなづいた。
「では、行きましょう!」
ブリュンヒルデの声を合図に六人は一斉に走り出した。霜の巨人ではない、見慣れない姿の侵入者の出現に、空飛ぶ蛇どもは驚き叫び声を上げる。耳をふさぎたくなるような不快極まりない声である。
たちまち蛇の一匹が黒々とした翼をはためかせながら急降下して重成に襲いかかった。刺すような悪臭が重成の鼻孔を刺激する。
重成は蛇の目を狙って渾身の突きを放った。右目を潰された蛇はどす黒い血をまき散らし苦痛と怒りの叫びをあげたが、地上には落ちず再び宙に舞った。
さらにもう一匹の蛇が牙を閃かせながら襲い掛かって来た。
「うおおおおお!」
ローランが雄たけびを上げ、剣を振るった。聖剣デュランダルが描く黄金の閃光が見事にニーズヘッグの頭と胴を両断した。骨を断つ鈍い音が戦乙女とエインフェリア達の鼓膜に響く。
「流石・・・・!」
重成は思わず感嘆の声を上げた。丸太のような胴体と鉄のような固い鱗を持つニーズヘッグをここまで鮮やかに一刀両断にできるのは、エインフェリアの中でも超絶的なまでの剛力を持つローランだけであろう。おそらく、ローランならば素手で巨人を屠ることも出来るに違いない。
ニーズヘッグは用心深い性質らしく、それ以上は襲ってこなかった。宙に舞いながら侵入者達に威嚇の視線を送る。
その隙に六人は洞窟の入り口にたどり着いた。
「はは、なんだ、全然大したことないじゃないか、あの蛇たち。見かけ倒しもいいところだ」
エドワードがほっと息をつきながら言った。
「蛇というものは元来臆病なものだ。世界は違っても、翼が生えていようと、本質は変わらんのかも知れんな」
姜維が応じた。普段は口数が少ない姜維であるが、エドワードに対しては比較的多弁になる。孫ほど年がはなれているが、気が合うらしい。
「まあ、わしとしてはようやく寒さから解放されて一安心といったところだな」
又兵衛が機嫌よく言った。又兵衛の言う通り、フヴェルミルゲルの泉の周囲はやや涼しいぐらいの心地良い
温度である。
「この洞窟の中にメギンギョルズの帯があるのだな・・・・。私にも分かる。巨大な神気が奥底より発せられるのが・・・・」
重成が目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませながら呟いた。
「と、同時になにか禍々しい気配も感じられるな・・・・」
四人のエインフェリアの緊張の視線が重成の端正な顔に集中した。
「・・・・確かに。これはニーズヘッグに似ているようで、少し違う。別の魔物のようです」
ブリュンヒルデが頷いた。やはり彼女の気配を察知する能力はエインフェリアを上回っているらしい。
「戦いは避けられないでしょう」
「望むところだ。どのような化物だろうと、我がデュランダルの敵ではない」
ローランが自信満々に言い放つのも無理はないだろう。「聖剣」の名を冠するだけあって、デュランダルは魔物が相手だとその切れ味が増すらしい。まさに聖騎士ローランは魔物にとっては天敵と言えるのかも知れない。
ブリュンヒルデが澄んだ声でルーンの詠唱をすると、青白い光の玉が現れ、ゆっくりと空中を移動した。
光の玉に照らされた洞窟内部を五人のエインフェリアと戦乙女は無言で歩を進める。
深部から感じられる神聖な気配と禍々しい気配はますます濃く、強く感じられる。先程、余裕の大言を言い放ったローランも緊張の汗で全身を濡らした。
突如吠えるような声が六人の男女の鼓膜に鳴り響き、洞窟内が揺れ動いた。
彼らは見た。広大な地下空洞の一角にうごめく巨大な双頭の大蛇の姿を。
一見ニーズヘッグに似ているようだが、その体躯は八メートルはあるだろう。鱗は暗灰色で、眼は紅玉を思わせる鮮やかな赤である。のたうった跡にはぬるぬるとした毒液が光って、ニーズヘッグを上回る猛烈な悪臭を放っていた。
「これが地中の財宝を守るドラゴンと言うわけか・・・・!」
「ふん、ドラゴンを倒すのはキリスト教の聖人の役目と決まっている。ならば俺もいよいよ聖人に列せられる日が来たというわけだ。」
ローランが珍しくエドワードに冗談めかしく答えると、デュランダルを構えて双頭の大蛇に向かって放たれた矢のように突進した。
「ローラン殿、一人で先走るな!」
重成が叫んだが、ローランは足を止めない。そこでブリュンヒルデが素早くルーンを唱え、もう一つ光球を
生み出すと、それを礫のように蛇の右側の頭部に叩きつけた。
光が爆ぜて蛇が苦悶にうめく。その隙にローランが必殺の斬撃を振るった。だが、聖剣デュランダルの刃は双頭の蛇の鱗で食い止められ、ほんのかすり傷しか与えられなかった。
「何・・・・!」
ローランが一瞬顔をひきつらせたが、気を取り直して再びデュランダル叩きつける。しかし結果は同じであった。
蛇が怒りのうなり声を上げ、頭部を鞭のように振るって、ローランを吹き飛ばした。
ローランの巨体が宙を舞い、地響きを立てて、沈んだ。仲間たちは一瞬、その死を覚悟したが、ローランはほんの数秒で起き上がり、素早く身構えた。
だが、流石にその顔貌は苦痛と恥辱で青白く、歪んでいた。
「どうしてだ。聖剣デュランダルは魔物に対して必殺の効果を持つんじゃなかったのか?」
エドワードが苦痛で声を出せないローランに代わって疑問を口にした。
「ふむ・・・・。そうか、ひょっとして・・・・」
「姜維殿、何か心当たりが?」
重成が何か気づいたらしい姜維に問うた。
「うむ。あの蛇はこの洞窟で、神器が放つ聖なる気を浴び続けてきたのだろう。そのせいで聖なる力に対して抵抗力を持つようになったのではないか?」
「・・・・おそらく姜維の言う通りでしょう」
ブリュンヒルデがうなづいた。
「ちぇっ、ついさっきまで自信満々で大口叩いてたくせに、もう役たたずに成り下がるとはね・・・・」
「まあ、そう言うな。わしらで殺ろうではないか」
不平たらたらなエドワードに又兵衛が獰猛な獅子を思わせる笑みを浮かべながら答える。
「ブリュンヒルデ。あの双頭の蛇は私たちでなんとかしよう。貴方はその隙にメギンギョルズの帯を取りに行ってくれ」
重成とブリュンヒルデの視線が青白い光で照らされた洞窟内で交差した。
「大丈夫なのですか?」
「大丈夫とは言えんが、やるしかないだろう。とにかく今は帯を回収することを優先すべきだ。その時間を稼ぐぐらいは出来る」
「分かりました」
「さあ、行くぞ!」
重成が気合を発し、悠然と蛇に近づく。蛇はしゅうしゅうと音を立て、炎のような赤い舌をちろちろと出していたが、突如恐ろしい速度で重成に牙を突き立てるべく右頭部で襲い掛かった。
重成は猛禽のように雄々しく宙に飛んで躱し、そのまま斬撃を見舞った。だが、やはり蛇にはほんのかすり傷を負わしたに過ぎなかった。
続けて又兵衛が豪刀をうねらせ、姜維とエドワードが蛇の左頭部の注意を引き付けるべく習得したルーンの詠唱を始める。
四人のエインフェリアの動きを確認したブリュンヒルデは軽やかに飛ぶように疾走して双頭の蛇の横をすり抜け、洞窟の深奥部に向かった。