第百五十三話 武将の心得
しかし関羽も顕家も、自分たちに向けられる視線、感嘆の念になど微塵も気を向ける余裕はなかっただろう。
これまでの戦いの人生で遂に出会うことのなかった最大の雄敵、己とはまったく対極的な武を極めた宿命的な敵を倒すために全身全霊を込めて技を尽くしていたのである。
関羽の青龍偃月刀の技はさらに剛強を増し、その一撃は竜をも屠る威力があるだろうと思われた。
一方の仮面の武人、北畠顕家の動きはいよいよ優雅に洗練されたものとなり、天女の舞いが如く美しいものだった。
しかしその細き腕で振るわれる長巻の刃は目にも映らぬ程早く、吹き荒れるニブルヘイムの氷雪と一体なってより鋭くなっていくようであった。
究極の剛と究極の柔による刃の交わりは百合を優に超えたが、両者は全く疲労を見せず、勝敗が決する様子はまるで見えなかった。
「くっそー、駄目だ。もう辛抱出来ねえ!!」
張飛は金壺眼をかっと見開き、虎髭を震わせながらニブルヘイムの空に向かって叫んだ。
「雲長兄いの久しぶりの、それでいてこれまで最大の一騎打ちをもっと拝みてえが、どうにも血が昂って我慢ならねえ。考えてみりゃ、俺はせっかく死者の軍勢の将として蘇ったってのに、これまで雑魚の巨人共としかやり合ってねえじゃねえか。人間を、強え武人をぶっ殺してその血を吸わねえと、この蛇矛だって満足しねえだろう。なあ?」
張飛は劉備に従って旗揚げした以来の己の愛用の得物である蛇矛に向かって語りかけた。
「あの二人なら、満足できそうか?」
張飛の視線は援軍の副将格と目される二人の武人に注がれた。
片や己と同年代であろう、堂々たる体格の黒い甲冑を纏った武人。
そしてもう一人は兜を被らず類まれな程秀麗な顔貌を露わにし、額に鉄を打った鉢巻を巻いた青い軍装の若者。
「あの仮面の武人程ではないかも知れんが、それでもそれに迫る程の力を持ってやがるな。結構じゃねえか、あの二人の首を合わせたら、仮面の武人の首の価値を上回ることは間違いない。雲長兄い、悪いがこの戦の一番手柄は俺がもらうぜ」
張飛は満面に喜色を浮かべながら馬腹を蹴り、ヴァルハラの軍勢に突撃を開始した。
「張益徳が突進してきおった。我らのどちらかと一騎打ちを望んでいるらしいな」
又兵衛が微笑を浮かべながら言った。
「又兵衛殿が応じなされますか?」
重成が答えた。
三国志の神話的英雄とは是非堂々と戦ってみたいが、今の己は先の敗北から完全に立ち直っておらず、本調子ではない。
猛勇張飛と戦えば確実に敗北するだろうと自覚していた。
「そうしたいのはやまやまだがな」
又兵衛は笑みを消し、厳しい表情で言った。
「張飛の武勇が関羽と同等であれば、正直わしは一騎打ちで奴を倒せる自信はない。それに我らが主将は一騎打ちに興じておる以上、わしが代わりに援軍の主将の役を務めてこの戦を統括せねばならぬ」
そう言って又兵衛は遠くで繰り広げられる顕家と関羽の戦いに視線を向けた。
「……確かに北畠顕家は史上類の無い天才であろう。それは間違いない。だが奴は所詮は公家であって武将ではない。本当の意味で戦のことを理解しておらぬし、理解する気も無いのであろう。主将を務めながら一騎打ちに夢中になって兵の指揮を忘れるとは……」
「……」
「まあ、名のある武人と堂々と一騎打ちに興じたいという願望はわしにもあるし、それはよう分かる。しかしそれは状況次第では許されぬ。特に一軍を率いる立場であればな」
又兵衛は師として重成を戒め、武将としての心得を説いているのである。
重成は気を引き締めねばならなかった。今回は諦めるとしてもいずれは関羽、張飛と堂々と戦ってみたいと思っていたからである。
「そういう意味では、関羽と張飛は個人的な武勇は卓越しても、やはり将としては二流だな。顕家同様、わしらも当然一騎打ちに応じると頭から信じて兵を置き去りにして突進してきておる」
又兵衛は蛇矛を掲げ雄たけびを上げながら猛進する張飛に蔑みの笑みを向けた。
「ではわしが一騎打ちに応じると見せかけて奴を誘い込み、わしと重成殿のオーク兵で包囲して一斉にかかり討ち取ってくれよう。重成殿、左様に心得よ」
又兵衛は有無を言わせぬ断固たる口調で命じた。重成の気性を思えば、
「一騎打ちに応じず、そのような詐術めいたやり方を用いるのは卑怯では?」
と反論すると予測したからだろう。
「心得ました」
だが重成は又兵衛の命令に逆らわず、素直に応じた。
(ニブルヘイムにて猿飛佐助に不覚を取り、むざむざとニーベルングの指輪を敵の手に奪われるという失態を犯した私に、そのような言葉を吐く資格などあるはずが無い)
と重成は考えていたからである。
(勝つのだ。此度の戦だけは何としても。その為ならば、私は何でもしよう)
そう覚悟を決めた重成は槍をしごき、我がオーク兵に念を送った。