第十四話 天翔ける船
重成達がヴァルハラに来て半年がたったある日のこと。ブリュンヒルデは五人のエインフェリアを集めて厳かな表情で告げた。
「ヴィーザル様より重要な任務を命じられました」
「いよいよ戦か!」
重成達五人は勇み立ち、それぞれの表情でブリュンヒルデの白い面を凝視したが、
「いえ、残念ながら戦とは違います」
と、あっさり否定されてしまった。
「ですが、重要な任務には違いありません。そう、来るべきラグナロクの行く末を左右することになるでしょう」
「その任務とは・・・・?」
「貴方達は先のラグナロクで戦うアース神族最強の戦士トールの姿を覚えてますね」
無論忘れるはずがなかった。ヴィーザルによって魂を飛ばされ、この目で直接見たラグナロクの戦いの様相は言葉に出来ない凄まじいものがあったが、その中でも特に雷神トールの戦いぶりは鮮烈な印象を受けた。
燃えるような瞳、赤毛に赤ひげを持つ巨神が雷を纏った槌を振るう姿はまさに雄壮そのものであり、天地においてこの神に匹敵する武勇などあるはずは無いと思わせるものがあった。
それだけに、トールが巨蛇ヨルムンガンドと相打ちに終わったのは衝撃的であった。
「トール様はもはやいませんが、あの方が持っていたミョルニルは残されています。巨人を屠る為に造られたこの武器無くして、我らアース神族の勝利はあり得ません」
「ちょっと待ってくれ。スルトの放った炎でヴァルハラは一度滅んだのだろう。あのミョルニルという槌は焼けずに残っているのか?」
「はい。他にもいくつかの神器が先のラグナロクより残されています。これらの神器が持つ力は神々を上回っていると言っていいでしょう。故にスルトの炎に耐えることができたのです」
重成の問いにブリュンヒルデは明快に答えた。
「ですが、ミョルニルだけでは意味をなしません。この武器の真価を発揮するためにはさらに二つの神器が必要なのです」
その二つとは、ミョルニルを握る為の籠手「ヤールングレイプル」、そして力を倍加させる力帯「メギンギョルズ」である。
「ミョルニルとヤールングレイプルは既に回収し、トール様の御子息であるモージ様とマグニ様が所持しておられます。残る一つの神器、メギンギョルズは長らく行方がわからなかったのですが、ようやくどこにあるのかがわかったのです」
「それを回収するのが私たちに下された命令というわけだな」
重成が言い、ブリュンヒルデはうなづいた。
「して、その何やらという力帯はどこにあるのだ?」
「氷の国、ニブルヘイム。その中にあるフヴェルミルゲルの泉のあたりにあるようです」
「氷の国か・・・・。寒そうだのう。わしは寒いのは苦手なのだが」
又兵衛が肩をすくめながら言った。
「いよいよオーク兵を戦場で動かす時が来たわけだ。胸が熱くなるな」
エドワードが瞳を輝かせながら言った。ローランを除く四人のエインフェリアはいずれも百体のオーク兵を動かすことが出来るようになっていた。だが、ブリュンヒルデが首を振った。
「いえ、今回はオーク兵を動かすことは出来ません。ニブルヘイムにいる霜の巨人やフヴェルミルゲルに巣くうニーズヘッグ達に気づかれぬよう、忍んで行動せねばならないのです」
ニーズヘッグとは、空飛ぶ蛇の怪物である。
「神器の存在を魔物どもに悟られるわけにはいきません。無論、霜の巨人やニーズヘッグのような下等な存在に神器を破壊することなど不可能ですが、私たちの目が届かぬ場所に隠すぐらいはできるでしょうから」
「ならば、我々にこそこそと盗人の真似事をせよと言う訳か」
皆の予想通り、ローランが不服気に言ったが、ブリュンヒルデは今回は譲歩しなかった。
「例え盗人のようであろうと、ヴィーザル様に命じられた最重要と言っていい任務なのです。拒否することなど許されません。絶対に従ってもらいます」
「ふん・・・・」
ローランは鼻を鳴らしたが、それ以上は文句を言わなかった。ローランもトールの凄まじい戦いぶりを目にしているのである。任務の重要さは充分理解しているのだろう。
「では、よろしいですね。早速出発しましょう」
有無を言わさぬ強い口調でブリュンヒルデが言った。
「やはりすごいものだな。間近で見る星々の海というものは・・・・」
船窓から無数の光点をちりばめた宇宙の深淵を見つめつつ、重成はうっとりと言った。
重成達五人のエインフェリアとブリュンヒルデは氷の惑星ニブルヘイムに渡る為、天翔ける船に乗り込んでいた。
越冬の為にはばたく白鳥を思わせる形態の白い小型の飛行船は星空に軌跡を描きながら、ゆっくりと飛んでいるので、重成達はじっくりと暗黒の中に煌めく神秘的な宝石の如き星の大河を観賞することが出来た。
宇宙を渡るのはこれが二度目ではあるが、一度めは虹の橋ビフレストで一瞬の内に移動した為、星々の大海に心奪われる暇がなかった。
だが、今はこうして地上では見られない無限にして永遠の闇と光が織りなす荘厳な芸術と言うしかない光景に陶然とすることができるのである。
時代も国も気性も違う五人のエインフェリアであるが、この時間を得られることで、
(ブリュンヒルデに選ばれて良かった・・・・)
と等しく思っただろう。無論ローランは口が裂けても認めないだろうが。
そのブリュンヒルデは船の中央で祈るような姿勢で微動だにしない。
飛行船を我が念で動かす為に意識を集中しているのである。
重成はふと彼女に視線を送り、思わず胸が高まった。
改めて見ると、やはりブリュンヒルデは美しかった。その眉も鼻筋も頸筋も、驚くほど細く、透けるように白い。触れればすぐに壊れてしまうのではないかと思われる程繊細であり、儚げであった。
意識を集中して神気を高めているので全身が淡い光に包まれており、その姿はまさに星々の大海に匹敵する程の神秘的な、美の結晶と言ってよかった。
しばし呆然とブリュンヒルデを見つめていた重成であったが、ふと我に返り、慌てて頭を振った。
(馬鹿な・・・・。エインフェリアとしての初陣を前に女人に心を奪われるなどと・・・・」
ましてや、己は地上に新妻を置いてきた身なのである。
(青柳・・・・。今お前は一体どうしているのだろうな・・・・)
重成は心の中で妻に問いかけた。和歌や琴に通じ、大坂城内随一の美女と謳われた女であった。
その繊細な目鼻立ちと凛とした表情はブリュンヒルデとどこか似ていた。
彼女は我が子を妊娠していた。子と共に健やかでいてくれているのだろうか。
ブリュンヒルデに聞けばわかるのだろうが、重成はあえて聞かずにいた。聞かずとも、わかるような気がするのである。
彼女が己に向けたひたむきで一途な愛と、その秘められた激しい気性を思えば、夫の死を知って今頃はもうきっと・・・・。
重成はもう一度思いを振り払うべく頭を振った。船窓から白く輝く巨大な星がみえたのである。あれがきっとニブルヘイムなのだろう。
そこは霜の巨人や蛇の魔物が巣くう氷の世界であるという。
エインフェリアとしての初めてにしてこの後の戦いの行く末を左右するやも知れぬ重要な任務。
重成は思わず武者震いをした。考えてみれば、生まれて初めての経験であったかも知れない。
地上での初陣であった冬の陣やそのあとの夏の陣の戦は余りにもあわただしく、無我夢中であったが為に不思議と緊張や恐怖の感情は生じなかった。
いや、おそらくはおのれはこの戦で死ぬという確信に近い予感があったので、それらの感情は麻痺していたのだろう。
だが、今は違う。奇妙なことだが、地上で死んでヴァルハラにやって来て新しい生を得て、北畠顕家との立ち合いで一度死に、ローランとの鍛錬でも一度死んだのだが、蘇るたびに生への執着が強くなるようなのである。
だが、魔物との戦いで死んだら、蘇ることはできない。その事実が武者震いを生むのだろう。
(いずれにせよ、負け戦はもう御免だ。必ず生き残って勝利の栄光を得てみせる)
重成は無意識のうちに愛刀の鯉口を切った。