第十一話 衝突
フロックが選んだ五人のエインフェリアの内、三人は明らかに日本の武士だろう。もう一人はおそらく漢人で、最後の一人は西洋人である。
「フロック殿。我らは共に強大な敵に立ち向かわねばならない同士だろう。喧嘩腰はいかんな。穏やかに話して、絆を深めるべきではないかな?」
丸顔の、いかにも穏やかそうな中年の武士が言った。その口調には姪を注意する親戚の叔父のような温かみがあったが、フロックは鋭い舌打ちで応じた。
「信繁。あんたは日本の武士にあって最強を謳われた武田家の副大将だったんだろう。生温いこと言ってんじゃないよ」
「それでは、貴殿は武田典厩信繁殿ですか!」
重成と又兵衛が感嘆の声を上げ、思わず頭を下げた。当然だろう。兄である武田信玄の補佐役に徹し、川中島の合戦で討ち死にした際には、敵手である上杉謙信からもその死を惜しまれた武田典厩信繁は、後世武士の鑑とまで評された名高い存在である。敬意を表さずにはいられなかった。
「いや、そのような。頭をお上げください」
左馬之助の官職の唐名である典厩で呼ばれる武田信繁はあくまで謙虚に応じた。一見すると篤実な農民を思わせる地味な容姿であるが、鋼のような強靭さと、骨太な知性を兼ね備える深みのある人格が感じられる。
「お二方は日の本武士ですな。どこの御家中ですかな?」
「私は豊臣家にお仕えした木村長門守重成と申します。と言っても、典厩殿はご存知ないでしょうね。時代が違う故・・・・」
「拙者は後藤又兵衛と申す。かつては筑前黒田家に仕えておりました。我らは共に、川中島の合戦より五十五年後に行われた大坂の戦にて討ち死にし、こちらに参った」
「五十五年後ですか・・・・」
典厩信繁は目を丸くしながら言った。
「魔物との戦といい、時代も国も違う選ばれたエインフェリアといい、未だに夢を見ているような心地でござるな。ああ、それよりも勘助」
典厩信繁は己の背後に影のように控える男に声をかけた。
「お前も名乗りなさい」
「勘助・・・・?」
重成と又兵衛がその男に注目した。
「それがし、かつて武田家中にて軍配をお預かりした山本勘助道鬼と申す。以後お見知りおきを」
「おお。やはり・・・・」
武田信玄の軍師として築城、用兵の卓越した手腕を発揮したことで名高い道鬼、山本勘助である。
後に書かれた軍学書、甲陽軍鑑では、勘助の容貌は醜く、色黒で短躯にして隻眼とあるが、その通りの異形である。だが、手指がいくらか欠け、片足が不自由とも書かれているが、その様子は無い。
エインフェリアとしての新しい肉体を得て、欠損部分は治されたのだろう。
とすれば、その眼帯の下の左目も本当は見えるはずである。
「おい、信繁に勘助。何を呑気に自己紹介なんかしているんだ。そんな奴らとなれあうな」
フロックがやや濃いめの眉毛を釣り上げて怒鳴った。
「まあまあ、フロック。そんなに怒らないで。せっかくの可愛らしい顔が台無しじゃないか」
形よく整えられた髭をたくわえた瀟洒な騎士が言った。均整の取れた長身で、優し気な眼をしている。
四十代半ばであろう。
「そちらの戦乙女もまた美しい。美女同士が争うことほど不幸なことがあろうか。出来れば、二人には仲良くしてもらいたい」
騎士はやや演技がかった口調で言い、そしてブリュンヒルデに熱っぽい視線を送った。
「フロックは、私の目からすればまだ子供だが、そちらのブリュンヒルデ殿は大人の淑女として完成された美貌を持っておられる。後程、二人きりでゆっくり酒など飲みたいところだね」
「まったくあんたって奴は・・・・」
毒気を抜かれたフロックが呆れたように言った。
「見境なく戦乙女を口説くエインフェリアなんて聞いたこともないよ。よくそれで「敬虔公」なんて呼ばれたもんだね」
フロックの軽蔑するような声とブリュンヒルデの冷たい蔑みの視線を受けても、ピャスト朝のポーランド大公ヘンリク二世はこたえた様子は無い。
「まあ、これでも生前はキリスト教徒として、大公、実質的なポーランド王として謹厳に勤めてはいたんだよ。その責務からようやく解放されて、美しさと武勇を兼ね備えた戦乙女達に出会えたんだ。大いに恋愛を楽しまなければね。まあ、それはそれとして・・・・」
ヘンリク二世は残る二名の仲間に視線を送った。
「彼らは気難しい気性故、自分からは名乗らないだろうね。私が代わって紹介させていただこう。こちらの年長の方は夏侯淵。魏とやらの国出身らしいよ」
「夏侯淵・・・・」
姜維が呟き、夏侯淵の顔を凝視した。夏侯淵は五十代だろう、引き締まった痩身で、左腕が右腕よりも若干長い。これは尋常ではない弓術の修行を積んだ証拠である。
「おや、知り合いかな?」
「そうか、姜維殿。夏侯淵殿とは同じ三国志の時代の出身ですね。面識はあるのですか?」
ヘンリク二世と重成の問いに姜維はかぶりを振って否定した。
「いや、夏侯妙才(夏侯淵)殿とは直接面識は無い。だが・・・・」
姜維は夏侯淵に深々と礼をした。その老顔には生前の記憶を思い返し、万感の思いがにじみ出ていた
「貴殿の御子息、夏侯仲権(夏侯覇)殿は、拙者のかけがえのない友でござった」
「ほう・・・・」
夏侯淵は目を見張って呟いたが、それ以上は口にしなかった。余程口が重い人物らしい。姜維も口数の少なさでは似たようなものなので、これ以上会話は続かなかった。
「そしてこちらは・・・・」
「ヘンリク殿。そこまでにしてもらおうか」
最後のエインフェリアがヘンリク二世を鋭く制した。
「貴殿らがどうしようと勝手だが、私はフロックと同じ考えだ。そのような者共となれ合う気はない。私の名を軽々しく告げるような真似はやめていただこう」
その武士はまだ二十歳ぐらいだろう。中背で、いかにも繊弱そうな容姿に似合わず、口調は狷介そのものだった。
息子程年の離れた若者に叱責され、ヘンリク二世は苦笑を浮かべた。
「やれやれ。顕家は相変わらず言うことがきつい・・・・」
「顕家・・・・?ひょっとすると貴方はあの北畠顕家卿なのですか?」
重成の声が感動で打ち震えた。幼い頃から「太平記」を愛読していた重成にとって南北朝時代における最大の勇将であった北畠顕家は憧れの英雄だったのである。
わずか十代の年少の身でありながら奥州の豪族たちを従えて逆賊足利尊氏の軍勢を幾度も破り、なおかつ主君である後醍醐天皇の失政を堂々と諫める気骨と見識を示しながら、わずか二十一歳の若さで散った顕家の華麗な生涯に重成は心酔した。秘かに我こそが当代における北畠顕家たらんと志したものである。
重成は顕家の謦咳に接しようと歩み寄った。すると顕家は腰間の太刀を抜き払い、横なぎの一撃を重成に見舞ったのである。重成は間一髪、後ろに飛んでかわした。
「何をなさる!」
「言ったはずだ。その方らとなれ合う気などないと。気安く私の側に近づくんじゃない」
顕家の声は陸奥に吹き荒れる氷雪のように冷たく、厳しかった。
「特に、その方は武士であろう。私は武士という生き物が好かぬ。吐き気をもよおす程にな」
「・・・・何故武士が好かぬのです?」
「何故かだと?」
顕家の顔に露骨なまでの蔑みの色が浮かんだ。元々は繊弱な顔立ち故により一層辛辣で、重成の心を刃のように切り裂いた。
「その方ら武士の頭にあるのは所領を得るという我欲のみで、大義というものがまるで理解できぬからだ」
北畠顕家は武家ではなくれっきとした公家である。元々武士を見下す感情はあったのだろうが、当初は後醍醐天皇に付き従っていた武士が恩賞の少なさを不満に離反し、野放図なまでに気前の良い足利尊氏になびくさまを見て、その嫌悪は不動のものとなってしまったのだろう。
「まあ、信繁と勘助はよい。同じくフロックに選ばれた身であるし、兄を、主君を守る為に戦って死んだそうだから同志と認めてやらぬでもない。だがその方らは別だ」
そう言って顕家は重成と又兵衛に蔑みの視線を送った。
「どうせその方らは身の程を弁えぬ欲心を抱いて合戦の場に出て死んだのであろう。条件しだいでは化物どもの軍勢になびくかも知れんからな」
「好き放題言ってくれるではないか、青二才が」
又兵衛が見事な髭を震わせてながら悠然と進み出た。余裕の笑みを浮かべているが、その声色には紛れもなく憤激と殺意の色が濃厚ににじみ出ていた。
「太平記の英雄がこのような性悪の若造とはな。まあ良い。二度と大言を吐かぬよう、この又兵衛が躾けてくれよう」
「又兵衛殿・・・・」
重成が又兵衛を抑え、凛然と顕家を見据えた。態度は丁重であったが、声は抑えられぬ怒りに震え、眼には激発寸前の雷火のような峻烈な光が宿っていた。
「撤回していただきたい」
「何?」
「武士が我欲のみで、大義を理解できぬという言葉をです」
「笑わせてくれる・・・・。撤回などするわけがなかろう」
顕家はより蔑みの色を深めながら冷笑した。
「私は・・・。いや、私のことはよい。ここにいる又兵衛殿も、残念ながらこのヴァルハラには招かれなかった他の同胞達も、我欲ではなく武士の一分を世に示したいという一念で戦い死んだのです。偉大な先人である顕家卿といえど、彼らを侮辱することは許されませぬ。是が非でも撤回していただく」
「自分のことはともかく、他の者はか。偽善極まる物言いよの。ますます気に食わぬ」
顕家の顔から冷笑が消え、周囲の空気が震える程の凄まじい殺意をあらわにした。かつて井伊の赤備えを前にしても覚えなかった戦慄を重成は味わい、総毛だった。
「フロック!この下郎、斬り捨てて構わぬな」
「ああ、構わないよ。あんたの好きなようにやりな」
顕家の言葉にフロックは会心の笑みで応じた。
「フロック・・・・!」
苦々しい声でつぶやくブリュンヒルデを見て、フロックはいかにも心地良げである。
「何だったら、お互いのエインフェリア五対五で、いや、あんたと私も入れて六対六で殺り合うかい?」
「いえ、仕方ありません。重成と、そちらの北畠顕家の一対一の決闘を認めましょう」
流石にブリュンヒルデはフロックの挑発には乗らなかった。
「ですが、王の間の前で決闘をする訳にはいきません。場所を変えましょう」