第十話 もう一人の戦乙女
「今、お前たちが見たのは夢でも幻でもない。かつて行われたラグナロクの場にお前たちの魂を飛ばしたのだ」
王宮の石畳にひざまずいたまま呆然となり、微動だにしないままの五人のエインフェリア達にヴィーザルが声をかけた。
「言葉を取り繕うつもりはない。我々は勝利することができなかったのだ」
天狼フェンリルを討ち取って父の仇を討ちながら、その功を誇ることもなく王は率直に認めた。
「スルトの放った炎から奇蹟的に生き延びたアース神族は余を含めてたった四人にすぎん。余の弟であるヴァーリ、それにトールの息子であるモージとマグニ。それ以外は全て滅んだ」
ヴィーザルが遠い目をしながら言った。宇宙規模の戦を戦い、大いなる滅亡を潜り抜け、生き残った神に去来する思いとはどのようなものなのだろうか。重成達には想像すらできなかった。
「我らは力を合わせ、長い年月をかけて世界を再生させた。ようやく世界が安定したかと思えば、再びスルトめが現れる気配が生じたのだ」
そう語るヴィーザルの両目に憤激の光がある。意思の弱いものならば怖気をふるって逃げ出しただろう。だが重成達は神妙な面持ちでその光に堪え、王の言葉に耳を傾けた。
「お前たちが見た通り、スルトはこの世界を燃やし尽くすために生まれた最悪の化物と言うしかない。正直なところを申せば、先のラグナロクではロキとその子であるフェンリル、ヨルムンガンドを最大の脅威と見なし、スルトを甘くみてしまった。だが、今度こそは何を置いても奴を討ち取らねばならぬ。再び世界が灰燼に帰すようなことは絶対にあってはならんのだ」
そこでヴィーザルは言葉を切り、重成達五人のエインフェリアをじっと見つめた。
「余の父であるオーディンもトールももはやいない。来るべき次のラグナロクではエインフェリアが我が軍の主力となるだろう。なかでもお前たち五人はその要にならねばならぬ。そのことを肝に銘じて鍛錬に励むがよい」
神王の謁見を終え、王の間から退出した重成達はラグナロクの衝撃が未だ冷めやらず、無言で俯いていた。
特にあのスルトという炎の巨人の姿、異能は選ばれた勇者五人の心胆を寒からしめるに充分すぎるほどであった。
神を屠り、星々を焼き尽くすような言語を絶する超絶的な力を持つ宇宙規模の怪物相手に、卑小な存在に過ぎない自分たちに何が出来るのだろうか。疑問を持たずにはいられなかった。
「臆しましたか?」
ブリュンヒルデがエインフェリア達に問いかけた。その表情から察するに、別に重成達を挑発する気も侮る気もなく、純粋に疑問に思い、確認したかっただけだろう。だがローランはそうは受け取らず、
「臆したかだと?この聖騎士ローランを侮辱するのか。許さんぞ」
憤激し、怒声を放った。
「別に強がることはないだろう。あんなとてつもない怪物なんだ。怖がるのが当たり前じゃないか」
エドワードが言った。彼もローランを揶揄する気は無く、思うところを率直に語ったのだろう。
「怖いだと?怖いのならさっさと逃げるがいい。臆病者には用などないわ」
ローランがエドワードを凄まじい目つきで睨み付けながら吠えるように言った。
「だがどこに逃げる気だ?我らは既に死して地上から遠く離れた身だぞ。どこにも逃げ場などないだろう。たとえ敵が勝ち目のない化物相手でも、戦う以外ないではないか」
「ローラン殿の言う通りだ」
ローランの猛々しい激語に重成が静かに応じた。まさにその通りである。自分たちには戦う以外に選択肢はない。そのことを今さらながら思い知らされた。
「だが、勝ち目のない敵に玉砕するのは私は一度経験済みだ。二度する気はない」
重成は穏やかに、だが静かに気迫を込めてブリュンヒルデに視線を向けた。
「来るべき戦では、私は必ず勝利したい。その為には周到に用意し、策を練るべきだろう。貴方達アース神族はあのスルトという巨人に対して、何か具体的な策はあるのか?」
「いえ、具体的な策などというものはありません」
ブリュンヒルデは率直に言った。将たる者は、例え策が無くても、有るふりをしなければならない。そうしなければ、士気が下がるからである。だがブリュンヒルデはそうしたことには全くの無頓着である。それは重成達を信用しているからなのだろうか。それとも、単に偽りや演技を嫌う潔癖な気性故なのだろうか。
「ですが、貴方達エインフェリアの潜在的な力は無限に等しいと言っていいでしょう。厳しい鍛錬を積み、神格を高めれば、きっとその刃はスルトに届き得るはずです。私はそう信じています」
「ご高説だね。流石は戦乙女の中で最も神格が高いことがご自慢のブリュンヒルデ様だけのことはある」
突如、ブリュンヒルデを揶揄するような声が響いた。やや低いが、女の声である。
見れば、王の間と宴が催される大広間をつなぐ廊下を、エインフェリア達を引き連れた戦乙女が歩いてこちらに向かって来た。
その戦乙女は鮮やかな赤い衣装を纏っており、その髪も同じ色である。印象的なのはその初夏の万緑を思わせる鮮やかな緑色の瞳で、活力に満ち溢れていた。
戦乙女には人間的な意味での年齢などは無いのかもしれないが、印象としては二十歳前ぐらいに見えるブリュンヒルデよりも幼く、十六、七歳ぐらいを思わせる顔立ちである。
ブリュンヒルデに向けられるその視線には激しい敵意が込められていた。
「フロック・・・・」
常に平静なブリュンヒルデの声色に困惑の色がにじみ出ていた。余程苦手な相手らしい。
「ヴィーザル様に直接お声をかけられたからって、図に乗るんじゃないよ。あたしは絶対にあんたなんか認めないからね」
フロックと呼ばれた戦乙女が激しい剣幕で言った。神の眷属らしからぬ伝法な物言いである。
「フロック。何故貴方はそうまで私を敵視するのです。私が一体何をしたというのですか?」
「気に入らないんだよ。神気そのものは私とそう変わらないあんたが、何で常に特別扱いされるんだ。おかしいじゃないか!」
そう叫ぶフロックの言い分は、重成にも分からなくはなかった。確かに、彼女が放つ神気はブリュンヒルデに遜色ないと言って良い。
「それは、私が最初に生まれた戦乙女だから・・・・」
「そこなんだよ。私だけじゃない、皆が疑問に思っているのは」
ブリュンヒルデの反論を制し、フロックが声を低めて言った。
「あんたが新しく生まれたっていうのは嘘なんじゃないのか。いや、あんた自身もそう思い込んでいるだけで、本当は違うんじゃないのか」
「・・・・何が言いたいのですか?」
「噂があるんだよ。あんたは、実は前世で、つまり先のラグナロクで何か罪を犯し、牢獄に閉じ込められていたんじゃないかって。そして今世で記憶を消されてから再生された存在なんじゃないかってね」
そう言われた瞬間、ブリュンヒルデは驚愕の表情を浮かべ、凍り付いた。重成達はぎょっとして彼女を見つめたが、ほんの数秒でブリュンヒルデは何事も無かったように元の平静な態度に戻った。
「何を愚かなことを。私が罪人だったとしたら、ヴィーザル様が重んじて下さるはずがないでしょう。根拠のない戯言はお止めなさい」
ブリュンヒルデは自覚がないのだろうか。先程の態度は明らかにおかしかった。何か洗脳か、精神を操作されている気配があると疑わねばならなかった。
「ふーん。まあ、いいさ」
フロックはにやりとしながら言った。噂はどうやら本当だと確信したのだろう。
「なんにせよ、あたしに対して指図するような真似は許さないよ。それから、あんた達」
そう言ってフロックは重成達を睨み付けた。
「ブリュンヒルデに選ばれたからって、自分たちは他のエインフェリアとは違うなどとはとは思わないことだね」
「そうはいきません。彼らはエインフェリアの要となるよう、先程ヴィーザル様より仰せつかったのです」
重成達が口を開く前に、ブリュンヒルデが断固たる口調で言った。
「はん!笑わせるな。そんな奴らより、私が選んだ勇者達の方が強いに決まっているじゃないか」
フロックはそう言って誇らしげな表情で後ろに控えた五人のエインフェリアに視線を送った。